恋愛実践録11
「それはもう母性愛を遥かに超えた、言わば近親相かんの如く恋人扱いの感じになってしまい、そのしつこく纏わり付くべとべと感が嫌で、私を毛嫌いし罵倒して、息子は飛び出して行ったのですから、旦那が家に戻らない限り、あの子が戻る事はまず有り得ませんね…」と客は言った。
ホスト亭主が尋ねる。
「しかし息子さんは、いくらバンドに夢中になっていても、やがて自分の巣たる家に帰って来るのではありませんか?」
辛そうに瞼を伏せ、それを吹っ切るように首を左右に振ってから客が答える。
「いえ、あの子は今バンドのファンだった女の子と同棲中ですから、帰って来る事はまずありませんね。それに…」
客が語尾を濁したのですかさずホスト亭主が後の言葉を催促する。
「それに?」
客が篭った罪悪感を打ち消すように口を開く。
「それにあの子は、私が追い出したようなものなのですよ…」
「曖昧で意味が分かりません。辛いでしょうが、意味が分かるようにはっきりと言ってみてくれませんか?」
客が涙ぐんだ眼で遠くを見詰める目付きをしてから言った。
「よく世間に有りがちな話しなのですが、私、旦那と上手く行かなくなって、その損なった分の愛情を息子に注いでしまったのです。それはもう母性愛を遥かに超えた、言わば近親相かんの如く恋人扱いの感じになってしまい、そのしつこく纏わり付くべとべと感が嫌で、私を毛嫌いし罵倒して、息子は飛び出して行ったのですから、旦那が家に戻らない限り、あの子が戻る事はまず有り得ませんね…」
ホスト亭主が頷き尋ねる。
「息子さんは旦那さんに似ているのですか?
客が頷き答える。
「錯覚を起こす位そっくりです」
「息子さんは旦那さんと連絡は取り合っているのですか?」
「多分…」
「ならば息子さんを通して旦那さんを説得して貰うという手があるじゃありませんか?」
客がテーブルの上に視線を落とし、低い声で答えた。
「それは一度頼んでみたのですが、無駄でした…」