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序章 牙倉雄介



晴天の下の宮錦サーキット場。

そこではF1レーシングの大会が行われていた。

客席は満員。多くの歓声が場内を飛び交っている。

コース上では、たくさんのレーシングカー達が歓声をかき消す程の爆音を響かせ、豪速を競いあっている。



ふと、歓声がとまどいのざわめきに変わった。

いつの間にか、コース上に、ひとりの男が立っていた。

背の高い、細身の男だった。

黒いシャツに黒いズボン。長い髪を後で綺麗に結っていた。

その顔には、何も描かれていない、真っ白な仮面をかぶっていた。目の部分に、小さな穴がふたつ開いている。



「おい、あいつ危ねえぞ」



誰かが叫んだ。



レーシングカーが物凄い速度で仮面の男に迫っていた。このままでは、吹っ飛ばされる。

自殺かと、誰もが思った。場内に悲鳴、怒号が響きわたった。



しかし、数秒後、その騒ぎ声がすうっとやんだ。



それから更に数秒後、場内に急ブレーキの音、衝突音、爆発音がいくつも重複して起きた。



仮面の男は、さっきと同じ場所に、静かに佇んでいた。



その背後では、レーシングカーの全てが、壁に衝突し、もしくは横転し、もしくは他の車とぶつかり、爆発、炎上していた。



コース上はいっきに炎の海と化した。

その赤い光が、仮面の男の影をコース上に長く伸ばした。

観客は、その惨状を目にしても、全く声をあげずに、コースを見つめつづけていた。

誰もが、夢の中にいるような表情をしていた。

そう、夢だとしか思えなかった。



あの仮面の男がさっき行ったことは、こうだ。




トップを走るレーシングカーが目の前に迫ると、男は軽やかに飛び、そのレーシングカーの上に乗った。そしてすぐにまた飛び、その後を走る別の車の上に乗った。



そうして、仮面の男は素早く飛び移りながら、すべてのレーシングカーの上を渡っていったのである。



凄まじい速度で走る、レーシングカーの上をだ。



わずか数秒の出来事だった。



男に乗られたレーシングカーは、まるで呪われたかのように、すべて事故を起こし、爆発した。



人間の動きではない。

誰もが思った。

では、あの仮面の男は何なのか。

誰もが戦慄した。



「あ」



観客のひとりが、まぬけな声をあげた。

いつの間にか、仮面の男はコース上からいなくなっていた。





十分後、仮面の男は、サーキット場から1キロメートルほど離れた町の路地裏を歩いていた。



すると、背後から声をかけられた。



「牙倉雄介」



女の声だった。

仮面の男は立ち止まり、静かに振り向いた。

ワンピースを着た、ひとりの女が立っていた。

八乙女タツミだった。



「ふふふ、やっと会えたわね。牙倉雄介」



タツミは微笑んだ。

仮面の男はゆっくりと聞いた。



「あなたは、誰ですか?」透き通るような声だった。「どうして、僕の名前を知ってるんですか?」


「調べたのよ。あなたに会いたくてね」



「どうやって調べたんですか?」



「あなたの仲間をちょっと拷問したの。あなた、愛されてるのね。その仲間は一ヶ月も拷問に耐えたわ」



「そうですか」



仮面の男、牙倉雄介は、感情の無い声で答えた。



「仲間の心配はしないの?」



「壊された道具に興味はありません」



「道具……ね。さすが、殺人演出家。言うことが違うわ」



牙倉雄介。十八歳。大量殺人犯。



彼は、多くの人間を華やかな演出と共に、殺してきた。

ゆえに、ついたあだ名が「殺人演出家」。



彼が起こした殺人で、もっとも有名なのは、三年前の「愛武デパート毒ガス事件」である。



休日の昼間、愛武デパート内部の全てのスプリングラーに仕掛けた毒ガスを、彼は一気にばらまいた。

ガジという猛毒を原料とした毒ガスは、そこで買い物をしていた何百人という観客の肺に吸い込まれていった。

数分後、店内は地獄と化した。

男女老人子供若者家族連れ独身金持ち貧乏人。

どの客もどの客も、床を這い血を吐き散らし、喉をかきむしりながら、苦しみ悶え、汚らしい声をあげた。

「げげげっ!」「ぎゃあああいうあああっ!」「あぁあぁあぁぁぁぁるるるっ!」「いや、いや、いやいやいやいやいややややややぼげえっ!」「げががががががごぼっ!」 「ひひひひふひひぎっ、ひぎ、ひぎっ!」「ちゃぎゃあああああああっ!」「あんあんあ、あ、あ、あがびぼげげげげげっ!」「ぐばぐばぐばあああああああっ!」

そんな芋虫のようにぐねぐねと身悶える客達の前に、一人の男が立った。

ガスマスクをつけた牙倉雄介だった。

彼はそこで、ゆっくりとバイオリンを弾きはじめた。

奇妙な曲だった。

その旋律は、客達の悲鳴と、見事に調和していた。

まるでジャズのセッションのように、数々の種類の悲鳴とそのバイオリンの演奏は綺麗に合わさり、ひとつの美しい音楽が生まれた。

その光景は、同じくガスマスクをつけていた雄介の仲間によって撮影されていた。そしてその映像は、電波ジャックにより、全国のテレビで放映された。



それを見た視聴者は最初は驚いていたが、やがてその特殊な音楽に魅了され、食いいるようにテレビ画面を見つめた。



八乙女タツミもそのひとりだった。



画面内で醜くもがく客達の表情と、音楽の美しさとのギャップに、うっとりとした。







しばらく恍惚と回想したあと、タツミは言った。



「あの時のあなたの殺人はとても素晴らしかったわ。でも、今回のレース場でのあれは、ちょっといまいちじゃない?」



雄介は、うなずいた。



「確かに、今日のあれは失敗作でした。観客は、僕の曲芸に注目しすぎていた。事故で、焼け苦しむレーサー達の姿を見てもらうことが、今回の殺人の主題だったのに」



「主題?」



「そう。僕の演出の主題は、死、です」口調に少し熱が入り始める。「人が己の生を実感する瞬間というのは、どんなときだと思いますか?それは他人の死を見るときです。他人の死を見るとき、人は自分の生も有限であることを感じ、それゆえに生きることは素晴らしいことだと感動します。ですから、文学でも、演劇でも、死は究極のテーマとして扱われます。僕の殺人は、そのテーマを追求したものなのです。たくさんの人の死を、華やかに演出することで、それを見た人達に、生きることの素晴らしさを深く味わってほしいんですよ」



語りながら興奮しているのか、仮面の下で、荒い呼吸音が、反響している。



タツミは、理想の材料を見つけたかのように笑みを浮かべた。



「素敵ね」



「ありがとうございます。それで、僕に、何の用ですか?」



「単刀直入に言うわ。あなた、ジュオームって知ってる?」



「八乙女研究所が発見した、核燃料の何倍もの力を持つといわれる特殊高エネルギー体ですよね。……そうか、あなたは八乙女研究所の人間なのですね。ジュオームを資本とし、世界中の軍事施設を裏からあやつる、強大な組織。僕の仲間が捕まるわけだ。それで、そのジュオームが何ですか?」



「あなたに、わたしの作った新型兵器に乗って、あるものを殺してほしいの?」



「あるもの?」



「あなたになら、見せてもいいわね」



そう言って、タツミは、手に持っていた資料の束を雄介にさしだした。雄介はそれを受けとり、素早く目を通した。



「これは……」



雄介の腕が、小刻みに震えだした。



「どう?殺しがいが……、いや、あなたの言葉で言うのなら、演出しがいがあると思わない」



「……いいんですか?」



「何が?」



「こんな凄いもの、僕が殺しちゃっていいんですか?」



「それを頼みにきたんだけどね……、あなた怖くないの?」



「怖い?そりゃあ、怖いですよ。こんな凄まじいもの、怖いに決まってるじゃないですか。でも、それ以上に面白い!僕が、あのジュオームを使ったに乗って、これを殺す?ははははははははっ!引き受けました!引き受けました!」



「そう、ありがとう」タツミは背を向けた。「じゃあ、ついてきて。あなたを八乙女研究所へ案内するわ」



二人は歩きだした。



振り返り、まだ小さく笑い声をあげながらついてくる雄介の姿を見てから、タツミは声をあげず、口の動きだけでつぶやいた。





二人目、地獄へようこそ。







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