目映い耀きと愛しい姿を、どうか共に。
『テガミ ──The short tales of LETTERs──』
「第11話 ねえ、どうして」より
クリスマスイブの夜は、順調に更けて行く。
むしろ、多くの会社員にとってはこれからが本番だ。新宿や品川、新橋などの巨大オフィス街からは退社した会社員たちが大挙して押し寄せ、帰宅や寄り道をすべく鉄道やバスに乗っていく。
東京最大のビジネス街、丸の内や日本橋を抱える東京駅も、例外では決してない。それどころか一大ターミナルでもある東京駅は、乗り換え客の増加も相まって大混雑だった。
そんなクリスマスイブの夜。
大混雑する東京駅の中を、ふらふらと迷いながら歩く少女の姿があった。
「どこよ、ここ……」
少女──初台千尋はぼやいた。
目的地が見つからないのである。この広大な駅のどこかに、『銀の鈴』なる待ち合わせスポットがあるはずなのだが。
「こんなところで待ち合わせとか、ひどくない……?」
もう一言、毒を吐く。
千尋の待ち合わせの相手は、彼氏の広尾李仁だ。
クリスマスイブにどこへ行こうかという話になった先日、東京駅で待ち合わせて出かけることを提案したのは李仁だった。目的地は銀座と既に決まっていたからいいのだけれど、そこで千尋は一つの疑問を抱く。
遠距離にある二人がいつも出てくるのは、渋谷だ。渋谷経由で銀座に行くのであれば、どう考えたって渋谷駅発の東京メトロ銀座線に乗って銀座駅に直接出るのが最短のはず。なのに李仁は、わざわざ東京駅を指名してくる。
どんな意図かも分からないまま、千尋は人波に呑まれている。端から見れば妙に可笑しい状況だが、本人は全く笑えない。
「えっと、あっちが八重洲南口だよね……。ん、京葉線?」
頭の中がどんどん混乱してくる。
東京駅は線路が整然と並んでいるように見えるが、京葉線や総武線の走る地下はとんでもなく複雑だ。初めて利用する千尋にすれば、そこは渋谷駅をも上回る大迷宮となる。決して冗談ではない。
「鈴って言うからには、教会でもあるのかな……。いやでも、駅舎内にそんなの有り得ないし。だったら外……?」
ぶつぶつ呟きながら、千尋は改札口を探す。銀座方面だろうから、八重洲口に出るのが適切だろうか?
迷いこみかけた京葉線へのコンコースを上り、千尋は新幹線の乗り換え口前へ出てきた。この時点で駅員にでも聞けば、『銀の鈴』が駅コンコース地下一階の商業施設にある芸術作品なのだと瞬時に分かったはずなのだが。
ふとスマホを見ると、時間はとうに待ち合わせを過ぎている。
しまったなぁ、もっと早く出てきたらよかった。デートには一度も遅刻したことないのにと千尋は悔しがったが、仕方ないとしか言いようがない。
と、閉じようとしたスマホの画面がぱっと変わった。
「電話……!」
千尋の焦りはさらに急加速する。まずい、相手は李仁だ。
きっと何かしら言われるに違いない。それでも出ない訳にはいかないので、恐る恐る通話を始める。
「もしもし」
──「千尋、悪い!」
……焦っているのは李仁の方も同じらしい。さては向こうも遅刻かと思いながらも、一応千尋の方から正直に白状する。言いたいことや言わなければならないことは先に自分から言おうと、李仁との関係がかつて停滞した時から千尋は心に決めているのである。
「わ、私こそ時間に間に合わなくて……」
──「『銀の鈴』、超混んでる! ここじゃ待ち合わせは無理だ!」
李仁の声は切羽詰まっていた。
剣幕にぎょっとした千尋だったが、ほっとした。そもそもそれがどこにあるのか分からないけれど、李仁は少なくとも今『銀の鈴』にいるのだろう。ということはこの東京駅にはいることになるから、きっと会えるはずだ。やや安心した千尋に、李仁はまた言う。
──「外に出よう」
「えっ……。外って、改札外?」
──「そうそう!」
千尋は目の前を見た。
八重洲南口は、すぐそこだ。六台並んだ自動改札機が、次々にやってくる乗客を適切に捌いている。
あそこから出たらいいのかな。いいや、出よう。どこから出たって大して変わりはないだろうし。さっさと行き先を決めた千尋は、歩き出そうとした。
李仁の声が、千尋を引き留めた。
──「いい、千尋! 出る時は丸の内中央口から出て! そこで待ってるから!」
東京駅は、大きく三つのエリアに分けられる。
北、中央、そして南だ。それぞれに太いコンコースがあり、丸の内側と八重洲側に出口がある。
そういう意味では至極単純だが、問題はその通路が混雑していることにあった。おまけに構内に色々ありすぎて、看板に全てを表示できない。自分がどの辺りにいるのかは分かっても、目的地を速やかに見つけるのは日常的な利用者でも難しいのだ。
言うまでもなく、今日が初利用の千尋には何がなんだか分からない。さっきどこかで見たような気もしないではなかったが、それは頼るには余りにも貧弱な記憶だ。
そもそも、最初の疑問は未だに解けていない。
どうして東京駅なのだろう?
「ああ、美味しそうだな……」
クリスマスカラーのモールに彩られた構内商業施設に並ぶ食べ物の数々に、千尋はため息をついた。
もっとまったり散策でもしてみたいのに。いや、クリスマスとは本来そういう日ではないのかもしれないが。
クリスマスと言えば、家族や恋人と過ごす日。それ以上の印象が、千尋にはない。同じ出かけるにしても、どっちかというと本題は買い物ではなくて、街歩きそのもののような気もする。でも買い物する人はいっぱいいるよなー、とも思ってみたり。
李仁は、どう思っているのだろう。やっぱり買い物がメインだと感じるのだろうか?
とりあえず丸の内を目指そうと駅の反対側までたどり着いた所で、千尋は看板を見つけた。中央口は右、と書いてある。
「あった……!」
千尋は走った。急がなきゃ、李仁を待たせてしまう。
旧駅舎の赤レンガ建物を横に見ながら、狭くなる道をひたすら前へ、前へ。息を切らせた千尋の前に、丸の内中央口が現れた。ああ、ここだ。
ターミナルの中央口にしては狭い改札を抜けると、そこに李仁が待っていた。
「ごめん、遅くなって──」
言いかけた千尋の腕を、李仁はくいと引っ張る。
「急ごう、千尋! もうすぐ始まる!」
千尋は戸惑った。何が始まるというのだ?
「ちょ、ちょっと待ってよー!」
李仁は止まらない。そのまま丸天井の下を駆け抜け、二人は外に飛び出した。ばっと視界に展開される、丸の内の夜景。
それは、まるで巨人のようだった。
丸の内の駅前広場を囲むように、目の眩むような超高層ビルが建ち並んでいる。
特に装飾をしている様子もなく、強いて言うなら正面に続く太い道路に電飾が明々と光っているだけだ。空を映した真っ黒なシルエットの巨人が、舞う雪のように疎らに照明を点しながら、千尋と李仁を見下ろしている。
だがそれよりも千尋を驚かせたのは、駅前広場の尋常ではない人の多さだ。大群衆で黒山ができ、どこまでが広場なのかもよく見えない。
「間に合った……」
安堵の声を漏らしながらも、李仁は人集りの中に千尋を引きずり込む。
「ねえ、李仁! いい加減に教えてよ、何が始まるの?」
ざわめきに掻き消されないように怒鳴った千尋に、李仁はにやりと笑った。
「見てれば分かるよ、あれを」
「見てれば……?」
言われるがまま、千尋は後ろを振り返った。
東京駅自慢の赤レンガ駅舎が、そこには横たわっていた。
これも何だかおかしい。クリスマスだというのに、ライトアップもされていないのだ。白い雪を金粉のように散らしながら、東京駅は黙っている。
あれを見たくて人々が集まるのか。いや、そんなはずがない。
だとすると──
千尋がごくりと唾を飲み込んだ、その時だった。
──『ジャ────ン!』
耳が吹っ飛ぶかと思うほどのシンバルが鳴り響き、東京駅の壁面に光が映ったのだ。
複雑な駅舎の壁に合わせるように光は這い回り、やがて様々な色が現れる。華やかな音楽が流れ始め、それに従ってサンタやらトナカイやら、クリスマスの人気者たちが次々と登場した。窓に、屋根に、光の花が咲き乱れる。
さらに音楽が大きさを増したかと思うと、付近のビルでも光の演出が始まった。丸の内オアゾ、新旧丸の内ビル、そしてJPタワーへと、映像は伝播していく。
あまりの壮大さと美しさに、千尋は完全に見とれていた。
「『丸の内X'masスペシャルプロジェクションマッピング』」
かき鳴らされるクリスマスソングの音符に、李仁の声が重なった。
「すごいだろ? 千尋にこれを見せてあげたくて、わざわざここまで来てもらったんだ。俺も一度、見てみたかったんだけどな」
千尋は、がくがくと頷いた。
李仁が東京駅まで呼びつけた理由が、ようやく分かった。街を丸ごと使って行われる、プロジェクションマッピング。こんな大胆なもの千尋はもちろん、東京に住むあらゆる人々は見たことがないだろう。
そのくらいそれは綺麗で、千尋は夢中だったのだ。
演出は二十分足らずで、終わりを告げた。
再び真っ暗になった東京駅に、ざわめきをも吹き飛ばす勢いで惜しみない拍手が送られる。千尋も李仁も、手が痛くなるまで叩き続けた。
「……すごかったね。特に音」
「……な。耳が痛いよ」
「どうしようか、これから」
訊ねる千尋に、李仁は群衆の向こうを指差す。そこまで身長があるわけではない千尋には、プロジェクションマッピングは見えたが李仁の視線の先は見えない。李仁は微笑んだ。
「銀座、行こうよ。約束したもんな」
返事の代わりに千尋は、李仁の手を握りしめた。
もうこれで、迷うことはない。安心が身体中に染み渡った。
ガラス張りのビルに囲まれ、普段は谷のようになっているあの街までもが、クリスマスには装いを変え華やかに光り輝く。
クリスマスというイベントは、街の景色をも一変させてしまうのだ。
上演中、千尋は李仁を何度も盗み見た。雪も融けてしまわないかと心配になるくらいの熱気の中で、李仁の目もまた輝いていた。それは単に演出が目に映ったゆえのものではないと、千尋にはすぐに分かった。肩に置かれた李仁の手が、あまりにも温かかったから。
千尋よりも李仁の方が、きっと楽しみにしていたのだろう。非日常の世界に包まれる時間を、千尋と共に過ごすという行為を。
私たち、やっぱり似てるね。
千尋は握った手に、そんな想いも込めたのだった。