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トワイライト・キャロリング  作者: 蒼原悠
第一章 醒夜
4/12

降誕祭の奇蹟 ──前半



『テガミ』

『冽空の刹那』より。




 クリスマスは、各所で様々なイベントが催される日でもある。

 例えば、ライトアップの点灯式。例えばクリスマスケーキの大規模な販売会。多くの人を集めるイベントもあれば、こぢんまりと盛り上がるイベントもある。


 この日、埼玉県狭山市にある埼玉西武ライオンズの本拠地──西武ドームでは、日本中の歌手を数多く招いての合同ライブイベントが開催されていた。

 「GreenPeace(グリーンピース)」や「狂猿組(ベイビーズ)」といった著名なシンガーが名前を連ね、会場は大変な混雑になった。中でも注目を浴びたのが、二人組歌手グループの「スマッシュグラフィー」だ。以前、ラジオに寄せられた恋の悩み相談に全面支援を約束してライブに招待、その子を幸せに導いたという伝説を持つ彼らは、ライブ会場を訪れた幾多の少年少女にも夢を見させてくれた。当の成増千里はその頃、東大和で彼氏と遊んでいた訳であるが。

 クリスマスイブの奇蹟が、(さぞ)かし今年はきっとあちらこちらで起こったことだろう。


 そして、ここにもその幸福に(あやか)ろうとしている女の子がいた。




 午後五時半。

 クリスマスイブであることに配慮してか早い時間にライブが終わって、客が帰途についている頃。


「好きです! 付き合ってください!」


 土手の上で久保(くぼ)有沙(ありさ)は告白した。

 というよりも、叫んだ(・・・)

 ある程度の予測はついていたのだろうが、告白された男子──(つつみ)幸浩(ゆきひろ)は一瞬、目をぱちくりさせる。上目遣いに自分を見つめる有沙を前に、固まること五秒。

「……本当に、俺でいいの?」

「幸浩がいいの! 他の人じゃなくて幸浩が!」

「そっか…………」

 彼にとってその告白は、少なからずショッキングな出来事だったはずだ。有沙は顔に関してはかなりいいルックスをしている。しかし有沙と幸浩はそれまで、ほとんど会話を交わしたこともないのだ。それまで有沙の側が、遠くから勝手に片想いしていただけなのである。

 二人は武蔵野市内の都立高校に通う、同学年同クラスの知り合い。それ以上の続柄は、実のところ今まではなかった。

 しかし、クリスマスイブの夜、女の子に告白されて無下に断るような野暮な男子など元よりいるはずがない。いたら非リアの野郎共に半死半生の目に遭わされるであろう。

 果たして幸浩は、有沙の手を取って言った。

「まだ、完全には受け止めきれないけど、久保さんの気持ちはすっごく感じたよ。付き合おう。これから、よろしくな」


 有沙は飛び上がらんばかりの喜びようだった。

 満面の笑みと照れを隠しもせず、幸浩に抱きついた。それだけ有沙にとっては、本気の恋だったのだ。

 幸浩にとっても、それは存外の幸福だった。ついにリア充を経験することなく青春を終えるのかと思った矢先の、向こうからの告白。驚きが先走ってしまったが、内心では有沙と同等か、もしくはそれ以上に嬉しかったのだった。

 クリスマスの奇蹟は、ここでもまた、花を咲かせたのである。






 そんな二人の様子をすぐそばのベンチでさりげなく見守っている、これまた別の二人の姿があった。


「ふぅ……」

 緊張の瞬間が過ぎ去ったのを見届けると、関前(せきまえ)咲良(さくら)は安堵のため息を漏らした。

「何とかなったみたいだね」

「よかった。有沙(あのこ)、焦ると何しくじるか分からないから、上手くいってよかったよ」

「うん。こっちまで手に汗掻いちゃったな」

 隣の席に座って足をぶらんぶらんさせながら、御殿山(ごてんやま)拓磨(たくま)も笑う。銀色の常夜灯に照らされた目が、輝いていた。

「これからあの二人、どうするんだろう」

「どっか行くんじゃない? まだ時間も早いし」

「僕たちは帰る?」

「そうね、帰る方向には向かおうか。遊びに出るにしても自転車は置きたいし」

「じゃあ、公園の入口まで戻ろうか」

 頷き合うと、二人は連れ立って歩き出した。


 咲良は有沙のクラスメートで、彼女の数少ない友達の一人。拓磨は咲良の居候だ。

──「クリスマスの夜に告白したいの! だからお願い、何かあったらフォローして!」

 家に押し掛けてきた有沙にそう頼まれたのは、一週間前のこと。有沙もまた、スマッシュグラフィーの起こした奇蹟をラジオで知っていたらしい。恋愛経験のない咲良や拓磨は、フォローなんて何もできないよと抵抗してはみたのだが、有沙の熱意に完全に押し切られてしまった。

 ライブ会場から出て、少し歩く。歩きながら話でもしていれば、東村山市の狭山公園に出られる。夜景の綺麗なそこで、告白する。有沙の計画の全貌はそんなものだった。それだったら西武園ゆうえんちにすればいいのにと内心思った咲良だったが、咲良にしても狭山公園でやってくれるのは嬉しかった。三人の住む武蔵野市から狭山公園へは、多摩湖自転車道で一直線に出られるからである。

 多摩湖、別名村山貯水池のダム上に位置する狭山公園は、着いてみると確かに景色のいいところだった。昼ならば野火止用水や久米川古戦場跡など東村山市の名所を一望できるその場所は、夜間においても東京都心部の夜景を拝めるだけでなく、振り返れば西武ドームや遊園地のアトラクションが闇の中に浮かび上がっている。これで予報通りに雪でも降ってくれれば、さぞ幻想的に違いない。



 咲良と拓磨とは、寒さに肩をすくめながら長い堤防を歩いていた。

 と、ひらりと舞う何かが視界に入る。

「?」

 拓磨がそれを拾い上げた。ハンカチみたいだ。誰のだろうか?

 拓磨は咲良を見る。違う、私のじゃない、と咲良が目で返した時だった。

「……ごめん。それ、私の」

 か細い声が、斜め後ろからかかったのだ。

 暗闇を切り取るように、ぽっかりと常夜灯に照らされたベンチ。そこに声の主はいた。拓磨が一歩戻ってハンカチを差し出すと、その人は顔を上げた。

 帽子の下に隠れた顔は、少女のものだった。寒さのせいか、その顔はほんのりと赤らんでいて、そのくせに表情はほとんど読み取れなかった。

 拓磨の手中のハンカチを少女は受け取ってまた、俯く。

「……ありがとう」

 くぐもった声が聞こえた。


 なぜか拓磨はまだ、そこに立ち尽くしたままだ。

 やがて、拓磨は口を開いた。

「──僕、君のこと、見たことある気がするんだけど」

 少女も咲良も再び顔を上げた。長年、児童養護施設で生活してきた拓磨が、会ったことがあるとしたら施設の内側くらいしかないのだが……。

 少女は拓磨を仰ぎ見て、呟く。

「……私も、あるかもしれない」

「やっぱり。えっと、確か名前も見たような……。けっこう特徴的な名前だったから覚えてたんだよね。ひ、ひは……? ひば……?」

 記憶が混乱しているらしい。少女ははぁとため息を吐くと、答えを口にした。

「ひばり、だよ。深大寺ひばり」

「それだ」

 拓磨も首肯した。

 どこかで聞いたことがあるな、と咲良も思った。どこかは全く思い出せない。おぼろげな記憶だが、男性の声で読み上げられていたような気がする。

「深大寺さん、確かあの施設にいたよね?」

 拓磨の言葉に、ひばりと名乗った少女はすぐに返事をする。「ひかりの家でしょ? 私もあなたのこと、見たことあるような気がしてきた」

 ひかりの家とは、拓磨が以前暮らしていた児童養護施設の名前だ。

「同じとこに住んでたの?」

 咲良が尋ねると、二人は同時にそれを否定した。腕を擦りながら拓磨が説明してくれる。

「居住棟が違うから、一緒のところには住んでないよ。生活リズムも微妙にずれてるんだ。入所してきた時に挨拶するんだけど、その時じゃないかな」

「へえ……」

 そういえば二棟あったなと思い返しながら、咲良はとりあえず納得した。

「来たの、今年だったよね。六月くらいだったっけ」

「そのくらいだったかな。あなたも最近、あそこを出たよね。確か先月とかに」

「よく覚えてるなぁ」

「だって話題になってたよ? 脱走したって話」

「あ、やっぱりそうだったか」

 頭を掻く拓磨を、ひばりは見上げる。そこまで知っているなら、拓磨の名前や事情もきっとひばりは知っているのだろう。

 拓磨はある意味、有名人だ。自分だけ仲間外れのような気分になりながらも、咲良は二人の話にじっと耳を傾けていた。



 その時だった。

 目に入ったひばりの瞳に、一粒の光が輝いているように見えた。

 瞳そのものが輝くのは当たり前だ。それとは違う、頭上の常夜灯の色を映した何かが、間違いなく見えた。

 咲良は眉をひそめる。

 さっき、ハンカチを拾ってあげた。ひばりの声も心なしかかすれて、力を失っているように感じる。ひばりは本当ならもっと違う、元気のいい声が出せそうな子だ。もちろん根拠はない。


 そこから導かれる結論は、一つだけだ。

 ……もしかして、泣いていたのか?



「御殿山くんたちもあのライブ、聞きに来てたの?」

 初めてひばりの方から声が投げ掛けられた。拓磨はこくんと首を振る。

「そっかぁ。二人で」

「深大寺さんは?」

「私も行ってたよ」

「一人で?」


 ひばりはすっと立つと、二歩ほど歩いて止まった。

 何かをじっと見下ろしているようだが、常夜灯の明かりの外は真っ暗で二人には何も見えない。

 手招きされて、咲良と拓磨はそこを覗き込んだ。


 車椅子だ。

 ベンチから一メートルも離れていない場所に止められた車椅子には、誰かが安らかな顔で眠っている。成人男性くらいだろうか。

 そこにもまた、表情というものが感じられなかった。呼吸はしているらしく顔に赤みは差しているが、それだけだ。およそ生気というものがない。

 二人とも、完全に言葉を失った。ひばりは淡々と、説明を加える。

「この人を連れてたの。車椅子席を取ってもらって、押してきた」

 何か、別の言語でも聞いているような気分だった。


「ねえ」

 咲良は拓磨に小声で確認する。

「本当に知り合いなんだよね?」

「知り合いってほどでもないけど……。ただ、名前を覚えてたくらいで」

「あの車椅子の人は?」

「そっちは僕は知らない」

「そうなの……」

 児童養護施設ではよくあることなのかと思ってしまったが、そうではないらしい。また一つ、謎が生まれた。



 生きているのかも判然としない車椅子の男性を連れて、この少女は泣いていた。

 一体、どういうことなのか。

 咲良はその疑問を、口に出していた。

「……どうして、泣いていたの?」

 ひばりも拓磨も振り返った。その理由は恐らく違えど、二人とも驚きを見せている。

「なんで分かったの」

 ひばりは咲良を見つめながら、尋ねる。

「目元に涙が見えたから。あと、ハンカチを使ってたからかな」

「……やっぱ、ばれちゃったかぁ」

「なにかあったの?」

 こういう質問は単刀直入に切り出すのが一番いい。咲良は自分の信念通り、そう言った。

 おせっかい焼きだなと我ながら思ったが、いいじゃないと開き直る。むしろ、咲良の思い過ごしである方がいい。考えすぎだよ、とでも返ってくる方が、よほど気楽だ。

 ひばりの表情に、曇りが生まれた。迷うように、或いは試すように、咲良と拓磨の顔を交互に眺めている。次の言葉が発せられるまでに、ずいぶん時間がかかった。


「……変な話するけど」

 ひばりの声は、静かだった。

「信じてくれる?」

 咲良と拓磨は顔を見合わせて、頷いて見せた。

 二人だってかなり数奇な運命を辿っているのだ。多少妙だって、そこまで驚きはしない自信がある。

 ひばりはそれを確認して、横のベンチを指し示した。

「じゃあ、そこに座って」






 車椅子に座っている青年の名前は、富士見(ふじみ)治修(はるのり)というそうだ。

 ひばりと治修とが出会ったのは去年の十二月。当時、ひばりには家族がいたが、執拗な虐待によってひばりは疲弊していたのだという。何度も自殺を考えては実行して、そのたびに失敗し続けていた。そんな折、玉川上水で自殺を図ろうとしていた治修を見つけたのだ。

 治修も大切な恋人を事故で亡くし、死への思いを強めていた。だが、やがて治修は心を改め、ひばりに自殺を止めるよう迫ってくるようになる。

 ひばりはそれを拒んだ。同じ境涯を持つ者として治修を見ていたひばりはむしろ、治修に殺されるという形で自らの願いを叶えたいと願った。治修との接触後にひばりの両親もまた自殺を成功させ、ひばりはたった独りになってしまっていた。


 そして、ちょうど一年前のクリスマスイブに全ては動いた。

 雪で視界が悪化したあの日、二人は自動車事故に巻き込まれ、意識を失ったのだ。

 ひばりが目を覚ました時、すでに年は明けていたという。後遺障害に苦しみながらも彼女は児童養護施設に入所し、今に至る。

 そして治修は未だ、昏睡状態が続いている……。




「…………」

 聞き終わっても、まだ続きがあるような気がして二人はじっとしていた。

 咲良はようやく思い出した。そうだ、去年のクリスマスの朝にニュース番組でやっていたではないか。イブの夜に調布市の交差点で発生した痛ましい事故、とかいうタイトルを伴って。

「……信じられないでしょ?」

 ひばりは息をふうっと吹き出す。白い空気が咲良の頬を掠めて、どこか遠くへと流れていった。コメントを求められているような気がして、咲良はぽつりと言った。

「ごめんね、嫌な話させちゃって」

「気にしないで。この話、ひかりの家でも何回も話したから。ほとんど誰一人、マジメに聞いてくれなかったけど」

 他人(ひと)の不幸は蜜の味、という諺を咲良は想起した。振り返って、自分たちはどうだろうか。蜜の味はするだろうか?


「笑えないね、なんか」

 先に拓磨が言った。

「僕らも、自殺を考えたことがあるもの。深大寺さんや、そこの富士見さんほどの決意までは考えたことないし、想像もできないけど、他人事にはとても思えないよ」

「自殺しようとしたこと、あるの?」

「うん。その時、僕を押し止めてくれたのは、咲良さんだった。雨の降る中を必死に探し出して、説得してくれたんだ」

「そうなんだ……」

 ひばりに視線を向けられて、咲良は少し恥ずかしくなった。同時に、時が経つのは早いなと感じた。つい最近の出来事のように思えるが、実際はもう一ヶ月が過ぎているのだから。


 びゅう、と強い風が吹いてくる。

 その冷たさに肩を震わせると、ひばりは前を向いたまま尋ねてきた。

「二人はこれから、どうするの?」

「深大寺さんは?」

「私はまだ、ここに残るつもり」

「寒いし、風邪引くよ?」

「それで死ねるなら、その方がいいな」

 さりげなく恐ろしい言葉を振りかざしたひばりだったが、声にはそうした覇気さえもない。

「クリスマスって、奇蹟が起こるんでしょ? だったらこの人も──富士(ふじ)ちゃんも、目を醒ましてくれるかなって思ってさ。今日は私と富士ちゃんが一度この世からいなくなりかけた記念日だから、戻ってきてくれるとしたら、きっと今日しかないと思うの。だから私、帰らない。富士ちゃんが目を醒ますまで、今日はここで粘ろうって思う」

 かく言うひばりの唇はすでに、紫色になりかけている。

 無理しちゃダメだよと声をかけるのは、正解ではないと咲良は感じた。

(……どうしようか)

 視線で拓磨が訴えてくる。

(拓磨はどうしたい?)

(僕は寒いし帰りたいけど……、でもちょっと、深大寺さんのことも気になる)

(私も同感だな)

(じゃあ……)

 うん、と咲良は黙って頷いた。

「私たちも、もう少しここに残りたいな。ここ、座っていてもいい?」

 その答えは予想していなかったらしく、ひばりは目を丸くした。

 咲良にしても拓磨にしても、普通だったらそうは考えないだろうとは思っている。けれど二人は、ひばりのことが心配なのだ。

 ひばりはしばらく逡巡していたようだが、ついに言うべき言葉を見つけられなかったらしかった。口を尖らせて、一言。

「……風邪、引かないようにしなきゃダメだよ?」



 三人はそれっきり、黙り込んだ。じっとしたまま、ただ時間が過ぎ行くのを待った。

 目が醒めるのが本当に時間の問題なら、それしかすべきことはない。分かっていても、時間は長く、ひどくゆっくりと流れる。

 師走の冬空を、咲良は見上げた。長丁場になるな、と思った。






 聖夜の過ごし方は、一通りではない。

 祷りを捧げる人あり、恋人と楽しく遊ぶ人あり、平日同様に仕事をする人だっている。

 いずれにせよ、一つだけ言えること。


 夜はまだ、始まったばかりだ。









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