また、あの冬がやってくる。
『テガミ──The short tales of LETTERs──』
「第1話 ずっとずっと/第20話 愛してるから」より。
十二月二十四日。
時は師走、それも半ばをとうに過ぎ年の終わりが見えてきた頃の、その日。
それは日本中、いや世界中のたくさんの人々が、心待ちにしている日。
それは、神の誕生を祝う聖なる日。
そして、愛する人の幸せを願い合う日。
クリスマス・イブ。
そう呼称される日だ。
日本の首都たる東京一円では今日、雪が降るという予報がなされていた。
例年ならあり得ないホワイトクリスマスの宣告に、クリスマス前にも関わらず多くの人がホームセンターに押し掛けて雪掻き道具を求め、いくつかのバス路線は早々と運休を決めるなど、さっそく影響が広がっている。
眉にしわを寄せる大人たちとは裏腹に、子どもたちはこのニュースに歓喜の声を上げていた。
宮城県仙台市。
首都のそんな騒ぎなど知る由もない東北のこの街から、物語は始まる。
さあ。ひと冬の奇蹟の物語へ、ようこそ。
☆★☆
「……ねえ、颯太」
窓辺に寄り掛かっていた少女──青山莉奈は、冷たく凍てついた窓に向かって息を吐いた。
窓ガラスはたちどころにすうっと白くなる。
──「うん」
「クリスマスだよ」
電話の向こうの彼氏、赤坂颯太の返事があるかないかのうちに、莉奈はまた言葉を発した。颯太はまた少しの間、黙っている。
──「……もう、そんな時期なんだなぁ。今年も、終わりか」
颯太にしてみれば質問とも呼び掛けとも判らない言葉をいきなり投げ掛けられて戸惑ったのだろうが、その返事は莉奈にはいささか不満だった。
なんだ、開口一番「メリークリスマス」とか言ってくれるかと期待してたのに、と。ちょっと頬を膨らませながらも、莉奈は言葉を繋ぐ。
「うん、そうだね。今年も……長かった」
──「……莉奈は今年は大変だっただろうな」
うん、と莉奈は頷いた。窓に映る自分の姿に、白くぼやけた遠くの景色が滲んでいる。
──「もう、仙台での生活は落ち着いてきた? 新居に引っ越して、もうそろそろ二ヶ月だろ?」
「うん、けっこうね。新しい高校の期末テストもちゃんと受けてきたよ。こっちにも演劇部があったけど、さすがに受験近いから入るのはやめておいたの」
──「そっか」
電話口の声が、甘い。
直接聞きたかったな、と莉奈は思った。声を聞くどころか、颯太とはもう何年も会ってはいない。莉奈にとって颯太の実感とは、声だけだ。
それでもこうして、電話口でクリスマスをお祝いできる。それだけで莉奈には幸せだった。
「慣れてきたらこっちに遊びに来ない? 私、青葉区の街中なら大概案内できるようになったよ」
そう提案すると、耳元の恋人は苦笑した。
──「ちょっと、俺の手持ち金じゃ仙台までは遠いなぁ……。格安航空が鹿児島から仙台まで飛んでくれたら、行けるんだけど」
「だよね」
莉奈はまた嘆息した。
莉奈と颯太は、東京の港区で生まれ育った幼馴染みだ。
しかし小学校を卒業する前に、颯太は親の事情で鹿児島県鹿児島市に引っ越してしまった。連絡手段を持たなかった二人の関係は一時断絶し、住所を知っていた友人から聞き出した莉奈が手紙を送ったのがきっかけでようやく復縁したのだ。
その二人も、もう高校三年生。颯太に遅れること六年近く、莉奈も宮城県仙台市に引っ越すことになり、今はもう東京にはどちらもいなくなってしまっている。
それでも、電話口で二人の交わす言葉の中には今もなお、東京の話題が頻繁に混じる。
いつか、共に住み出逢いを遂げた六本木の街で、再会しよう。
それがこの二人の、たった一つ守り続ける約束だった。
──「そっち、仙台って東北なんだろ?」
颯太はずいぶん当たり前のことを尋ねてくる。
「うん、そうだよ」
──「やっぱり雪、すげえ降ってるの?」
「うん。この前もちらついた」
へえ、と颯太は声を上げる。
──「やっぱ東北だし、二メートルとか積もってるのか?」
「そんなことないよ」
窓の外に同意を求めながら、莉奈は苦笑いする。勘違いしている人が多いが、東北だからって雪がバカみたいに降るわけではないのだ。
「仙台は太平洋側でしょ? 冬の降雪量はそんなに多くないんだよ」
──「ふーん、つまんないな……」
「鹿児島は雪、降ったの?」
今度は颯太が笑う番だった。
──「雪も降ったけど灰も降ったよ。つい数日前、また桜島が噴火してさ。ホワイトクリスマスだーってクラスメートが騒いでた」
ぷっ、と莉奈は吹き出す。
ふわふわと街に漂う白い灰にまみれて、楽しそうに笑い合う高校生の姿が脳裏に浮かんだのだ。実際、そんなことはしていないだろうが。
「大変だったね」
──「ほんとだよ、年末から雪掻きならぬ灰掻きだ。風情も何もねーよ」
電話の向こうで、颯太が笑っている。
それだけで、自分は無性に嬉しくなる。
莉奈が最近、電話していて気づいたことだ。
私と颯太はまだ、繋がっている。
会えなくても、一緒にいる。
声が聞こえるその瞬間だけは、そう思えた。
「……今日、東京でも雪が降るんだってね」
そう口に出すと、颯太が一時、口をつぐんだ。
「覚えてる? まだ二人とも東京にいた時、私たちが一緒にいられた時のこと」
──「忘れないよ」
遮るように颯太は声を出す。
──「あの日も降ってたもんな。莉奈にもらった手紙で、思い出したんだ」
「雪には奇蹟を起こす力があると思うの」
莉奈は早口になっていた。感情の昂りが抑えられなくなる前に、言いたいことを言ってしまいたかった。
「だから、きっとまた私たち、会えるよ。東京の雪はまだまだ健在なんだよ。諦めたくないよ」
──「どうした、急に」
颯太の声が不思議がっている。莉奈は言葉に詰まり、焦った。
颯太と電話していると、いつもこうなるのだった。
「…………ごめん。寂しく、なっちゃって」
雪は奇蹟を起こす。
莉奈は確かに信じている。疑ったことなど、ない。
でも、それを颯太も信じていなければ、叶いはしないのだ。
何だってそうだ。言うだけ言ってから、ふと不安になることがある。自分の想いは颯太に届いているのか、電話やメールでは確かめる術もなかったから。
莉奈は、そんな時の自分が……嫌いだった。
──「大丈夫だよ」
颯太の声に、莉奈は目を開けた。
──「あと少しで大学生だろ? そしたら俺、バイトで金稼いで莉奈のところに行くよ。莉奈も不安も寂しさも、そうすれば消えるだろ」
「……うん」
──「暗い顔、してんなよ?」
莉奈の前の窓に、暗い顔の自分が映っている。
莉奈は頬を軽くつねった。幼かった頃、颯太はそうするのが好きだった。
颯太にはお見通しなんだなぁ、と思った。歪んだ顔が、少しだけ笑っている。
──「な、約束だから。今日は暗い顔しないで、話してようよ。今日もこの国の、あるいはこの世界のどこかで、誰かに奇蹟が舞い降りてるかもしれないんだぜ」
「そう……だね」
莉奈は今度こそ笑った。あ、笑えた、と思った。
「今日は祝福の日だもんね」
──「そうそう。ついでに俺たちの分も願っときゃいいんだよ。奇蹟起こりますように、ってさ」
「あはは……」
そうだよね。
今日はクリスマス。
どこかできっと、誰かが奇蹟の出逢いに浴しているかもしれない。
私たちも、お祝いしてあげなくちゃ。私たちだって祝われたいもん。
莉奈は心の中で、頷いたのだった。
ビルや工場の多い東京の空気は、暖かい。
だから普段はあまり、雪にはならない。降ったとしてもみぞれの域を出ないくらいのものだ。近年の寒冷化がもたらす気候の変化が、東京の夜にホワイトクリスマスを提供してくれている。
まだ、雪は降っていない。空気は十分に冷たくなっているのだが。
クリスマスは、幕を開けたばかりなのだから。