開店準備・4
大抵の豆は前日から水に浸して戻さないと料理には使えないのだが、この家の台所には他の料理に使って少し残った豆が五種類も残っていて、美味はちょっと驚いた。豆ごとの特性に合わせて、調理方法を変えるなどと言う事はどうやら、最初から考えてもいないようだ。ただ単に、いろんな豆を取り合わせた方が体に良いとされているらしい。数種類の豆を野菜や肉と一緒に放り込んで、ずっと暖炉の火にかけておけば、そこそこ味の良いスープになるという使い方が主流のようだ。つまりはぜーんぶクタクタにしてしまって、見た目はさほど気にしないというわけだ。
「ポークビーンズと言うより、変則的なカスレみたいなもんだろうな」
スドウの言うカスレというフランスの料理を、美味は豆料理だとしか知らなかったが、本来白いんげんを何種類かの肉やソーセージや野菜と合わせて、長時間煮込んで作るものなのだそうだ。
「下処理で、肉類は焼く事にします」
「いいんじゃないかな。肉を焼くと同時に、パンの塊をコンロの傍らで温める準備もした方が良いよ」
「あ、はい。ライムギ主体のパンのようですね」
「これ、パンを温める専用鍋だよ。焦げると厄介だから、余熱程度で十分だ」
スドウが分厚い鉄製の平鍋を持ってきた。他の料理をする脇に置いておいて、パンを温めるようだ。肉を焼いたり、豆を煮込んだ後の余熱を活用すれば十分なのだという。
胡椒は「恐ろしく高価」なので、王侯貴族か大富豪の邸でもない限り常備はしてないものらしい。そのかわりローズマリーやセージやオレガノは生の物があるので、うまく使う事にすれば大丈夫そうだ。
「ニンニクは有りますか?」
中庭の手入れを始めたタニアさんに聞くと、半乾き状態のニンニクを五個ほど持ってきてくれた。それからは、中庭の事は忘れたようで、美味のやる事を観察すると決めたらしい。
「野菜もベーコンもそんなに細かく切るの?」
タニアさんは、野菜もぶつ切りか丸のままで煮込む事しかしてこなかったらしい。
美味はベーコンも野菜類も戻した豆の大きさに合わせて手早くカットし、まずはベーコンだけ炒めてから、野菜類、さらに豆を加え、暖炉に掛けてある大なべから湯を取り分けて鍋に入れ、ハーブの束を加えて煮込む。
その隣で、「昨日の残り」の鴨の肉と、これまたちょっと残った仔羊の肉を一口大にカットして、タイム・ローリエ・ニンニクを使って軽く焼いた。この世界では肉も「どーん」と丸ごと鍋に放り込むか、丸焼きにする事が多いので、加熱する前に肉を一口大にカットした美味のやり方は、タニアさんには物珍しかったようだ。
「その切った肉も、結局は同じ鍋に入れるのに。何というか、手が込んでいるのねえ」
タニアさんは、最初から全部一緒に放り込んでも大差ないと思っているようだ。
「この生のソラマメはどうするの?」
「油で揚げますが、焼き肉用の細めの串とか、貸していただけますか?」
タニアさんは串の使い道が見当もつかないらしい。
「はい、どうぞ。あら、穴をあけるの?」
「ちょっとだけですけど」
上質のオリーブ油を熱し、そこに破裂防止用の穴をあけた生のソラマメを投入する。
「あらあ、すぐにキレイな緑色になるのね」
「ええ。これで引き揚げて、塩を振っておきます」
「まあ、そうなの」
野菜の素揚げ自体、タニアさんには未知の調理法であったようだ。
スープの方は野菜の中にビーツが入っている所為で、かなりしっかり赤い。トマトとはまた違う赤紫っぽい色合いだ。美味がアクを取りながらスープを煮込んでいるのが、これまた物珍しいらしい。
「なぜ、その浮かんだあぶくを捨てるの?」
「おいしくない物、あまり体に良くない物が浮かんでくるので、すくって取るのです。その方が味がすっきりして、おいしさが引き立つんですよ」
「まあ、そう? そんな話、初めて聞くわ」
タニアさんは、アク取りの必要性は理解できなかったらしい。それでも、やめろとは言わず、一応美味のやりたいようにさせようとしてくれている。
「さて、これで、煮込みは終わりです」
せいぜい十五分かそこらで煮込みが終わったのも、タニアさんには驚きであったらしい。
「あれだけの肉と野菜なら、もっと時間をかけないと熱が通らないと思うけど、最初から小さく切れば、早く火が通る、そういう事なの?」
「はい。そうです」
「へええ、お味がどうなのかはわからないけれど、香りと見た目は良さそうね」
「味見、お願いいたします。アントニエッタ先生のお好みの塩加減にした方が良いでしょうから」
「良いの? では、ちょっと……どれどれ……まあ!おいしい!」
そこへスドウが間に割って入って、こう言った。
「僕も味見するかな。うん、チョッとだけパセリのみじん切りを盛る時に振ったらいい。そのソラマメは、一緒に盛るの? 添えるの?」
「最後に乗っけようかなと……」
「良いんじゃないか。恐らく、ちょうど良い塩加減だと感じてくれるだろう」
美味は火を消して煮込んだ鍋をおろし、入れ替わりにパンを温める鉄の器を乗せた。スドウの言葉通りすぐに余熱で温まったパンは、木製の大皿に清潔な白い布を敷いて盛った。
何かと目配りの細かいスドウは、ちょうど赤いスープが映えるような白っぽい焼きの厚手の器を見つけてきて、並べて置いてくれていた。抹茶茶碗でこんなのが家に有ったな、と美味は思った。
「ちょっと志野焼きっぽいだろう? 熱いものを盛っても冷めにくいし、スプーンで中身をすくいやすい形だし、良いと思わないか?」
「確かに良い感じですね。では、盛り付けます」
美味は深い赤色に仕上がった具だくさんの煮込みを盛り、その上にフレッシュなパセリのみじん切りと緑の鮮やかな素揚げのソラマメをのせた。
「まあ、きれい!」
タニアさんは、嬉しげに声を上げた。赤と緑の色の対比は、やはり目をひくのだ。 美味が煮込みとパンを食堂兼居間だという部屋に持ちこんで並べる間に、スドウが見事な手つきで素早くオレンジとリンゴをカットして美しく盛り合わせ、ワインを添える。
「まああ、なんて素敵なんでしょう。こんなに優雅なオレンジとリンゴは見た事が無いわ」
アントニエッタ先生は大喜びだ。
「あ、でも、肝心のお料理の味はまだ、わからないわね。でも綺麗な赤と緑ねえ」
折り目正しく皆で食前の祈りを捧げた後は、皆、無言でひたすら食べている。何の感想も聞かせてもらえないので、美味は心配になってアントニエッタ先生とタニアさんの顔を見た。すると、スドウが心配ないという感じで、軽く美味の肩を叩いてニッコリした。確かに、二人の女性は口元に笑みが浮かんでいる。後で知ったのだが、このあたりの習慣では、食事の時にしゃべったりしないらしい。ひたすら食べる事に集中すべきだとされているようなのだ。
「まあ、もう、空っぽね。ものすごくおいしかったわよ。また是非ごちそうになりたいわ」
「では、この子をギルドに御推薦頂けますか?」
「ええ、もちろんですとも。妹さんだけでなく、あなたも御推薦しましょうか? 先ほどのリンゴとオレンジの切り方と盛り付け、優雅で本当に素晴らしかったわ」
「是非お願いしたいところですが……大学がどういいますか……そうだなあ、学長の許可が取れましたら、お願いできましょうか?」
「学長先生は私の又従兄にあたりますから、お願いできないわけでもなさそうですわよ。そうね、ぜひ、お話をしてみます。だって、素敵じゃないですか、あなた方のようなおいしくて優雅な御食事を作ってくださる方が、ここでお店を出されるのは」
先生の口ぶりからすると、どうやらここで店を出す事になりそうだ。
「実はあと一件、店を出す候補地が有るのですが……断った方が良さそうですね」
スドウは気まずそうに、目を伏せる。
「どちらなの? その場所は」
「この先の、女子修道院の向かい側です。女の子が安全に暮らすには、良い場所かなとは思ったんですよね。それに、あの修道院の農場で取れる牛乳やら卵やらが魅力的ですから。この子が一番作りたがっているお菓子を作るには、ぜひ欲しいものなので」
「確かに、女子修道院の素晴らしい牛乳と卵は、ご近所にお住まいで、ある程度の寄進をした方しか手に入れられないのよね」
「そうです」
「それをお店用に使うお許しを頂いたの?」
「はい。先祖がまとまった寄進をしたようですので」
「じゃあ、由緒ある御家柄なのね。実は王様の隠れた御親戚だったりしませんこと?」
「さあ、どうなんですかね」
スドウにしては珍しく、焦っているようだ。