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居場所・5

 調節はどうにか無事に済み、十日ほどが過ぎた。美味は家から一歩も出てはいないが、慣れるべき事や知っておきたい事が色々有って、それなりに忙しかった。複雑で面倒なこの世界の女の子の服装になれるだけでも大変だったのだ。

 スドウに「将来の希望」について尋ねられた美味は、食べ物の店がやりたい。それも菓子を作る事が可能ならなお嬉しい、と伝えた。


「やはり……大きな街に引っ越そう。この町はのどかだが、よそ者に対しては排他的だ。菓子を作る材料を手に入れるのも難しい。さらに言えば、菓子を日常的に食べる客層も存在しない」

「いきなり引っ越すなんて……良いのですか?」

「菓子作りに不可欠な砂糖が比較的簡単に手に入る場所は、この世界では限られている。幸い、僕は幾つかの街にも住まいを持っているし、暮らす手立てもある。そうだな、この大陸で最大の都市ルテティアなら人口は十万人ほどはある」


 スドウの説明によると、この大陸には人口が九万人を超す街は四つしかなく、その中でも今一番勢いのあるネウストリア王国の首都ルテティアは、様々な地域から人が集まってきているのだそうな。


「ネウストリアの王族は甘いモノ好きらしい。おかげで他の地域ではまだまだ希少な砂糖が、普通に手に入る状況のようだし、上を見習って庶民も菓子を食べるようになってきている。何より豊かな農業地帯の中心都市だから、食糧需給が安定している」


 スドウが何をやってこの世界で暮らしているのか、美味には全く見当がつかなかったが、ほぼ毎日二時間ほど留守にすると、後は大半の時間を美味のために費やしてくれている。二時間と言うのは、美味の体内に設定されたタイマー機能らしき物から読み取った数値だ。一般的なこの世界の家庭には、時計などと言う物は無いらしい。

 少なくともこの十日ほどの様子で見る限りでは、スドウにはこの世界での家族はいないようだ。それでも気にはなったので、一度だけ美味はスドウの家族について聞いた。


「いわゆる父子家庭ってやつだった。母が早くに病死したんでね。父は僕が高校に入学したころから職場の女性と付き合うようになっていたから、再婚したんじゃないかな」

「こちらの世界では、お一人なんですか?」

「今はね」


 その際、スドウが少し困ったように美味には見えたので、家族の話題は避けている。


 美味は最初に寝かされていた寝室を自室として割り当ててもらっている。家主のスドウは屋根裏部屋を使っている。家の中で一番見晴らしが利き、何かと好都合なのだそうだが、何やら自分が追い出したようで、美味は申し訳なく思っていた。


「ここは暖炉が有りますけど、屋根裏は寒くないですか?」

「僕も不自然な体だから暖炉は実用的な意味では、あまり必要無いんだ。居間の暖炉の煙突の熱気が壁伝いに直接届く構造になっているから、大丈夫だよ。冬になっても部屋につららが出来たりさえしなければ、僕の体の機能を円滑に維持するには十分なんだ」


 このネイメンという町は地球で言うと北ヨーロッパに相当する地域だとかで、冬は非常に寒く、鼻水や涙が凍るのは当たり前だ、とスドウは説明した。


「今の私って、涙も鼻水も出ないんですよね」

「異物を洗い流す機能は有るから、必要に応じて出そうと思えば出せる」

「へえ、そうなんですか」


 洗浄を目的として水分を出すというのは、悲しいから泣くとか寒いから鼻水が出たとか言うのとは随分と違う、と美味は思った。自分が正常な人間とは違う奇妙な存在になったという事態をまだ、美味は受け止めきれない。

 スドウは事実は事実として受け止めろと言いたいのかもしれないし、一人で勝手に傷ついたって現実は変わらないと言いたいのかもしれないし、ただ単に事実を正確に伝えようとしているだけかもしれないし、その全部なのかもしれない。あるいはそこまで美味の気持ちなんか考えてはいないかもしれない。美味はスドウの言葉を色々分析しても無駄だと思いつつ、今の所、唯一の話し相手であるだけに、つい気にしてしまう。

 この十日ばかりの間に、美味の体から涙も汗も出ないばかりか、人にはつきものの排泄物も出なかった。それでも「体の表面についた異物類を洗浄して、セルフメンテナンスをした方が安全だろう」というスドウの方針で、入浴は毎日する。だが、上下水道も都市ガスも電気も無い世界で、恐らく入浴する事自体、かなり贅沢なのだろうという察しは、美味にもつく。

 スドウなりに配慮してくれているのは十分わかる。だが、入浴するたびに、自分の体の異常な状況を再認識させられるのは美味には辛い。人間の女の子としての暖かい柔らかい体とは程遠い、マネキンの形をした機械を洗う感覚に、まだ、慣れる事が出来ない。


「あれ? 君だってもう、自分の機能の調整方法とか読み取れるようになっただろう?」

「ええっと……説明が英語みたいで、私、全然わかんないんです」

「ええ? そうなの?」


 スドウは驚いた様子だった。


「日本語にも変換できるだろ……って君の場合、変換は基本機能に含まれてないのか。ふーむ。ちょっと確認してみなくちゃな」


 それからスドウは目をつぶって、自分の脳内で読み取れる情報を読み始めたようだ。


「あ、方法はわかった……けど、嫌だろうな、君は」

「え? どんな方法ですか?」

「君の唇と口腔内の複数ポイントを一度に圧迫しつつ、僕の内部の変換済みの資料を君の内部に送信するんだが……」

「唇とコウクウナイ?」

「唇と口の中だな」


 スドウが言うには、美味の上唇・下唇・上あご内部・下あご内部それぞれのある特定のポイントを押しながら、資料をダウンロードさせる感じらしい。


「送信側と受信側双方の脳が至近距離にある方が、成功率は高いようだ」

「どうやってその四つのポイントを押すんですか?」

「多分、君の体を設計した者の趣味も入っている所為だろうと思うんだが……そのう……いわゆる大人のキスと言うか、ベロちゅうというか、そういう体制を取れって事のようだ。その図解も出ているよ。英語のマニュアルのままでも、図解は共通じゃないのか? 君も深呼吸して目をつぶって、脳内にある情報を確かめてごらん」


 言われた通り、椅子に腰かけたままで、美味は目をつぶり深呼吸して脳内に意識を向けた。


「あ……」


 美味は真面目な高校生だ。いや、だった。英語はどちらかといえば不得意な科目だった。調理に関する言い回しや語彙以外は気にしていなかったからかもしれないし、単に勉強量が足りないからかもしれない。長たらしい英語と言うだけで、実はそれまで一度も文書を見ていなかった美味は、スドウの言う「図解」らしき箇所を見つけて、固まってしまった。


「真面目な高校生だった君には、高過ぎるハードルだよな。この画像もさ、センス無いし」


 確かに画像はスドウの指摘するように、センスが無い。センスと言うよりデリカシーが無いというべきかもしれない。これではまるで不出来な漫画のエロシーンのようだ、と美味は思った。思ったが、口にするのもはばかられ、何も言えない。この際、問題は英語力ではなく「真面目な高校生だった」という点なのだと、ようやく美味は理解した。

 実際の今の美味の体は形だけは少女っぽいが、金属の上にシリコンの塊でも乗せたような硬さと感触なのだ。男に抱かれる体勢を取ったからといって、エロい感じになりようが無い。そう思った次の瞬間、そうでもないのかな? と言う疑問もわく。この体の制作者が色々と残念な人物なら、美味からすると理解不能で不快な妄想を持っていたかもしれない。いや、きっと持っていただろう。


「うわっ!」


 その後、幾つもの残念なエロマンガ的な画像が出て来て、美味は腰を抜かしそうになった。ベロちゅうどころではない。胸糞が悪くなって、美味は一言も発する事が出来なくなった。人間の体なら、恐らく冷や汗を流していただろうが、今は一種のフリーズ状態に陥ったようだった。


「ちょっとまてよ……もっといい方法が有る……ただし、君のメカとしてのメインスイッチを切る必要が有るんだが」


 スドウの説明によれば、メインスイッチを切ると、収納用にこの体を変形して折りたたむ事が出来るらしい。だが、そうなると、美味の意識も途切れてしまうのだと言う。


「そうだなあ……人間の体なら不可能な方向でもすべての関節が動かせるから、ちょっとした荷物の中に隠してルテティアまで移動できる。何しろ最低でも七つの国境を超えるんだし、用心した方が良い」


 美味を突き落とした山賊達のような連中が、それぞれの国境付近に多数いるらしい。


「じゃあ、善は急げだ。さっそく旅の支度をしよう」


 唐突な展開に、美味は驚いた。そして、言葉を発する事が出来ないままに、思わずスドウの顔を凝視した。すると、スドウは思いのほか強い視線で、美味のまなざしを受け止めた。


「僕を信じてくれ。君の希望する仕事につく為には最良の選択肢だと、断言したって良い」


 体が機械で中身は高校生に過ぎない美味に、庇護者である大人の男に逆らう術は無かった。結局は言われるままに首をさしのべ、スイッチを切られる事を受け入れるしかなかった。

次回から、いよいよ本筋です

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