着地点・1
美味を見送って以降、スドウは幾度も美味との最後の別れの日の出来事を思い返さずにはいられなかった。
そのこと自体、自分でも予想外でスドウは自分にとって、あのバカ正直でいささか不器用だが愛すべき女子高校生が思いの他、自分の中で重い存在になっていたのだと思い知らされた。ろくに手も握らずキスひとつまともに交わさない相手をこのように感じるなどと言う経験は、スドウも初めてだった。
美味の作る料理は、どれもうまかった。自分が作っても別にまずくは無いのだが、美味の作り出す味は、かゆいところに手が届くというか「ああ、これこれ」と思わせる物だった。
「具だくさんの野菜スープが良いんだよな。オムレツのうまさも抜群だったし……」
スドウにしては珍しく、独り言を言った。そして朝食用のスープを作る気にもオムレツを焼く気にもなれず、再びベッドで一人丸くなった。
美味を送り出した後は、何もかもが面倒に感じられる。今更各方面に別れの挨拶を済ませてしまったルテティアに戻る気にもなれず、最初に美味と過ごしたネイメンの町の小ぶりな木造の家に引きこもっているのだった。
「だが、あれでよかったんだ」
スドウはまた、独り言を言った。
どうやら独り言の多かった美味に似てしまったかもしれない。
あの日の夜、スドウは美味の体の代用品であるロボットを収めた鞄を背負ったまま、夜の山道を駆け抜けていた。かつてレムリア帝国が絶大なる勢力を誇った時代の軍事用道路の名残だが、今は荒れ果て、山賊でもなければまず誰も通らないような状態になっている。更にその道を外れて、傾斜のきつい山間部の森を上り続けると、上部がテーブルのように平らな巨岩が現れた。その岩の上がメルヤ・アホの指定した場所だったのだ。
荷物を背負ったまま、人間離れした跳躍でスドウは岩に飛び乗った。乗ってみると上部が不自然に平板で表面が滑らかだった。天然の巨岩に見せかけた人工的な構造物なのは間違いないようだった。
試みにスドウは素手で岩に触れてみた。普段は手で触れた対象の情報を集めるセンサー機能はオフにしているのだが、一人で遠距離を移動する際はオンにするようにしている。
「超小型飛行艇発着フィールド。二十三世紀型から二十七世紀型まで、幅広いタイプの機種に対応可能。巨岩に偽装中……」
その後は岩に見せかけた物体の組成とか、磁場の発生状況などなど今のスドウには大して関係も無さそうな情報が多数読み取れたが、無視した。
つまりはカモフラージュされてはいるが、未来人が移動用に使っている小型飛行艇の発着場所なのだ。真夏にこんなところに生身の人間が乗ればステーキにでもなってしまいそうだが、冬場の、それも夜となると非常に冷えこむ。
スドウは背負った荷物を下すと、中から美味の肉体の代用物であるロボットを取り出し、スイッチを入れた。
「量産型家庭用ロボット。二十五世紀の地球で開発されたタイプの改良型。家事労働モード以外に主に男性向けのペットモードを発動させることも可能。ペットモード発動時は、家事能力は通常の半分程度まで低下するのは避けられない……」
嫌でも手から情報が入り込んでくる感じなのだが、あの夜、スドウは初めてその事が「不快」だと感じた。
そう。
美味の体の代用品のロボットには、二十五世紀におけるさびしい男たちの「お友達」的な機能も搭載されていたのだ。体の硬さも「固い」から「肉感的柔らかさ」まで変化させる事も可能だ。更には隠しモードではあるが、すべての家事機能を犠牲にすれば「特定の疑似臓器」を起動させることが可能になる。それも「理想的な温かさと柔軟性・収縮性を保持」しており、「様々な状況で快適に使用できる」極めて高性能な「疑似臓器」なんだそうな。
だが、持ち主であったメルヤ・アホには当然ながらそんなニーズは全く無かった。だからペット機能は全てオフにして、家事モードの中でも一番機能が充実した「ハイレベル家内労働モード」に設定されていたのだった。スドウは一度もそのモードを操作した事は無い。だから美味の「肉体の代用品」は、メルヤ・アホが設定したように、体は固く、料理に必要な味覚・嗅覚は鋭い状態のままだったのだ。
スドウにはダッチワイフのような扱いをする気は毛頭なかったから、設定変更の必要性を感じなかったが、美味が「胸まで固いロボットそのものの体」を苦にしていたのは知っていた。だが、本来の目的が目的であるだけに、美味に「肉感的柔らかさモード」の話はしにくかったのだ。
美味が地球に帰れば、こんな不自然な肉体とは縁が切れるのだ。
それは、美味にとって最良の選択肢であるはずだというスドウの考えに、今も変わりは無い。
だが……
あの最後の月の夜に、明らかに無機質の人形であったものが、一人の人間に変化する様は、感動的ですらあった。理屈は一応理解しているし、目撃するのも初めてではないのに、スドウは目が離せなかったのだった。あれ以来、人と機械の境目、あるいは人と人工生命体の境目はどこにあるのか……などとつい考え込んでしまう。
美味は本人が一番気に入っていた濃紺のベルベットのドレスに同じ素材の小さなボンネットをかぶっていた。ロボットとしては男から見ても「可愛い」と感じられるような顔に設計されているわけだが、それとは別に、美味という人間本来の人格を感じさせる真っ直ぐな視線がスドウには好もしく感じられていたのだ。自分を信頼してくれている。心理が読める状態には無いはずなのに、そう確信できた。そのことが、まるで初心な中学生のように、うれしかった。
「着いたのですか?」
開口一番、美味は静かにスドウにそう問うたのだ。
月の光に濡れたように光るその顔は、本来無機質な物体であるはずなのに、そうは見えなかった。少し前の自分であったなら、思わずキスしたかもしれない。そう思わせるには十分な少女らしい無垢な愛らしさと、意志の強さがないまぜになった魅力的な表情だった。
「ああ。恐らく約束の時間より多少早いんだろうと思うが、あちらは定時到着なんだろうな」
「月がきれいですね。地球から見える月と同じように見えますけど……」
「質量を調節した人工の衛星なんだとさ。地球とほとんど同じ重力や磁場を発生させるために必要だったらしい」
この少女が自分に向けてくれた感情の一端を知らないでは無かったが、やはり無視した方がいいのだろうとスドウは思って来たのだが、別れを目前にすると揺れ動くものが有った。
「へええ。その情報って……寝ている間に送り込まれてきたんですか?」
「あ、ああ、まあね」
自分に向かって様々な情報を「勝手に」送りつけてくる「製作者」との関係性も明らかではない段階で、この無垢な少女を余計に混乱させるような言動は控えたかった。
スドウの「製作者」はメルヤ・アホ達の属する社会や文明より遥かに高度な段階の人工知能であるようだが、人工知能であるだけに人間の感情の機微などというものまで理解できているとは思えない。
スドウの言葉が終わるやいなや、中空にいきなり巨大な光の玉が現れた。更にその玉が見る間に縮むと、中から銀色のラグビーボールのような形の小型飛行艇らしき物が現れた。どういう原理なのか一切の音がしないのだ。そのラグビーボールはしばらくホバリングしたと思ったら、フワリと巨大な岩の上に止まった。
「何というか、ワゴン車か軽トラックぐらいの大きさですね。一人乗りなんでしょうか?」
思いの他、美味は落ち着いていた。少なくともスドウには、そう見えた。
「おそらくは。巨大な宇宙船とかステーションとか、そんな所から出発してるんだろうけどな」
「へええ。いいなあ。乗ってみたい」
「美味ちゃんは、これから乗る事になるんだろうけどな」
「そうなんですか?」
「ああ」
二人はしばし無言になった。
乗り物にはドアらしきものが確認できない。いきなり円形の穴が開いたと思ったら、そこからほっそりした人物が姿を見せた。頭部全体をフルフェイスヘルメット状のもので完全に覆い、銀色の、ノーマルスーツとかプラグスーツとか呼びたくなるような密着度の高い衣服を着用している。ヘルメットを外すとスドウには見覚えのある顔が現れた。メルヤ・アホ本人だ。ダークヘアというか暗い茶系のショートヘアで幼さの残る顔立ちをしているが、実年齢が幾つになるのか、本人もあやふやであるらしい。
それまでスドウと穏やかに話していた美味だが、メルヤ・アホが姿を見せると、明らかに激しく不機嫌になった。そして「初めまして」だの「よろしくお願い致します」だの「このたびはとんだご迷惑をおかけいたしまして」などという挨拶はそこそこに、尖った声でこう言った。
「あなたね、どういうミスなのか知らないけれど一度ならず二度までも、人の人生を無茶苦茶にする権利なんて無いはずよ!」
メルヤ・アホは目をぱちくりさせて、自分に投げつけられた言葉の意味を考えていたが、やがておもむろに口を開いた。
「本当に申し訳ございません。当方で可能なことは全て、やらせていただきます」
まるで平成日本の企業の「お客様サービスセンター」のおねえさんかよ、と言いたくなるような「型通り」の低姿勢だ。美味には言わなかったし、秘密の事実ではあるが、メルヤ・アホが耳に装着している超小型の通信機材から上司である「隊長」の支持が伝えられているのだ。骨伝導の原理を応用した機材のようで外部への音漏れなしに当事者にだけ音声が伝わる仕組みなのだが、スドウにはその会話の一部始終が「ダダ漏れ」なのである。
「おい、そこは声の調子にも気を付けろ。古代人を激昂させないように細心の注意を払え。頭を下げろ、いいか、頭を下げるんだ!もっと深く!」
出来の悪い部下に幾度も煮え湯を飲まされてきたらしい隊長の声はいらだっており、ほとんど怒鳴り声に近かった。「もっと深く!」と言われた瞬間に、メルヤ・アホが米つきバッタのようにペコペコ頭を下げたのには、スドウも苦笑するしかなかった。
「なぜ? なぜなんです? 私はまだ良しとしましょう。スドウさんは、あなたのせいで長い長い間、この星で暮らさざるを得なかったのですし、これから地球に戻れる当ても無いんですよ。もっとちゃんと、理由を説明してください!」
美味は酷く感情的にメルヤ・アホに詰め寄った。たじたじとなったメルヤ・アホはどのような過程で自分のミスが発生したのか説明しようとして「その、異次元間航行の際のですね……」などとボソボソ口ごもったのだが、すかさず上司が「説明など無駄だ。どのみちお前の初歩的な凡ミスが大惨事につながってしまったというだけの事なんだから。平成年間の日本人に説明するなら道路標識を見間違えて高速道路を逆走して追突事故起こしました、とでもたとえるべきなんだろうが,そんな説明をしたってますます怒らせるだけの事だぞ」などとぶつくさ言っている。どうやらスドウと製作者のような思念を使った意思の疎通方法は実用段階に無いようで、メルヤ・アホの方は口に言葉を出す以外、反論の方法は無いらしい。
「なんで、説明できないんですか!」
「すみません。本当にすみません」
頭をペコペコと下げ、すみませんを繰り返すメルヤ・アホは本気で反省はしているようだったが……「隊長は冷たい……私が実の娘だって知らないんだろうけど……っていうか知っていても知らないふりしたいのかな、私が馬鹿だから」などという言葉というか思念が飛び込んできたので、スドウは少し驚いたのだった。では隊長の方はどうなのかと気になって、ぶつくさ言っている声の方に意識を向けて「ハイレベルサーチ」というこれまでスドウ自身使用したことのなかった機能を使ってみた。すると、様々な情景が飛び込んできて、それがすぐさまスドウの脳内で一つの情報項目に変化したのだ。
つまり、こんな状況だった。
隊長とメルヤ・アホの母はかつて共に暮らした仲だったが、色々あって共同生活を解消したらしい。その時点で、メルヤ・アホは母の胎内に存在していたが、その事実は父に知らされなかった。その共同生活が結婚に相当するのか同棲なのかは不明だが、始める時も解消する時も何のセレモニーも周囲への告知も無いのだ。証となるのは共同生活をした住居の使用状況のデーターだけらしい。
隊長は身上調査からメルヤ・アホが実の娘だと知ったようだ。「早めに適性が低い事を自覚させて、辞めさせた方が良いかもしれない」などと悩んでいる最中らしい。
察するに、隊長の所属する組織は未来の一時期において「憧れのエリート集団」であるらしい。
メルヤ・アホ自身、自分が落ちこぼれという自覚はあって、どうにかしようとしているのだが、焦れば焦るほど空回り状態となる……というのは未来の社会でも平成の日本と大差はないらしい。
美味は怒っている。重大な過失を犯した当事者のくせに、誠意ある謝罪の姿勢が見られないと感じているようだ。メルヤ・アホは怒りの感情を浴びせられると、それで思考が停止してしまうようだ。
「ものすごく馬鹿げた凡ミスなんで、美味ちゃんに説明するのも恥ずかしいし、さりとて異次元間航行の基礎的知識の無い平成の人間に、どう説明すればいいのか途方に暮れちゃったみたいだよ」
「そうなんですか?」
「うん。それに、その子、怒られると脳の働きが悪くなるみたいだ。今なんか、一種のフリーズ状態に陥っている。もっと穏やかに話した方が、美味ちゃんの希望もスムーズに通せると思うよ」
「私、そんなに怖いですか?」
「僕は怖くないが、メルヤ・アホさんは怖いみたいだよ。な」
すると、メルヤ・アホはスドウの顔を見て、コクリとうなずいた。そのしぐさがひどく子供じみていて、スドウ自身も多大な迷惑をかけられた当の相手ではあるけれど、怒る気になれなかった。
「そんなあ」
美味は心外だと言いたげな口調だった。
「僕は、美味ちゃんが思いやりのある人だって知っているけど、その子は知らないからね。美味ちゃん、一度深呼吸して、それからゆっくり落ち着いて話そう。な?」
素直に美味はその言葉に従い、今度はもっと穏やかなトーンで話を始めることが出来た。
「私の記憶の事なんですけど、可能な限り残して欲しいのです。お願いできますね?」
「は、はい。御希望に添えるように、最大限の努力をさせていただきます」
努力も何も、隊長が現場の状況を見ながら残存率を決定するのだ。使い走りのメルヤ・アホには何の権限も無い。その事実を承知しているスドウはちょっとイラついて、一言言わずにはいられなかった。




