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思案のしどころ・3

 その後、スドウも美味も淡々と旅の支度をした。

 銀貨一枚亭は当分休業だが、一月しても美味が戻らなかった場合は、全面的にタニアさんに運営を任せる事とした。所有権はスドウの物ではあるが、家賃も取らずに自由に店を使う事を認めている。破格の条件と言っていいだろう。


「急に私の都合で店を休むので、これまでの売り上げのうち、私の取り分をタニアさんにお渡しします。私が居ない間の仕入れに使って下さい」


 美味が異世界に戻る可能性について何の説明もしなかった所為か、タニアさんからも付き合っているらしい穀物商の男に関する話は一切無かった。

 スドウは美味が残す金について「使い道をキチンとした証文を残して指定した方が良い。相手の男の商売に使われてしまう恐れがあるから」などと言ったが、美味は「そうならそうで、構いません」と答えた。


 タニアさんの金を当てにするような情けない男でも、タニアさんがその男が好きで、その男の役に立ちたいのなら、それでもいいのではないかと美味は思ったのだ。


「相手の男の人は、タニアさんをだますつもりで付き合っているわけじゃ無いんですよね?」

「たちの悪い男ではないようだ。タニアさんと結婚できたらいいと本気で思ってもいるようだし」

「それなら……場合によっては結婚資金になるのかもしれませんね」

「そうだな」

「ともかく、タニアさんへの迷惑料の意味もありますから、お役に立つならそれで私は気にしません」


 スドウは他にも色々と手続きやら段取りやらが有るようだった。不動産や事業関係が色々と大変であるらしかったが、大学の方は簡単に済むらしい。


「大学は無期限の休職だよ」

「そんなことが出来るんですか?」

「うん。大学で教えることのできる人間が少ない世界なんで、どこの大学でも簡単に再就職もできる」

「理由の説明は?」

「研究のため、でOKさ。長い旅をすると言ってあるから、行き先も細かく詮索される事もない」

「王様や宰相さんへは?」

「あの二人には、本当の話をしておいた。戻る事が出来れば戻るし、何かあれば戻れないとも言っておいたよ」


 互いに旅支度に関する話はするが、相手の気持ちに立ち入るような話はしない。美味は自分の気持ちや感情の整理がうまく出来なかった。地球へは戻りたいのだ。だが、スドウとはやはり別れたくない。だが、そのスドウは恐らく地球へ戻れないのだ。


「私が元の体に戻ったら、スドウさんはどう思うのかな」


 寂しいと思ってくれるのだろうか? 恐らくしばらくの間は寂しがってくれるだろうが……


「でもそのうち……私の事なんて忘れちゃうよね」


 昼食用のパスタの生地をこねながら、美味がつぶやくと、台所に入ってきたスドウがこう応じた。


「いや、僕の方は見聞きしたすべてがデーターとして残されて蓄積するから、忘れるって事自体、まず普通は有り得ない。何らかの方法で無理やり消すと、色々ダメージを背負うみたいで、試してみた事はないんだ……こりゃあいい感じの蕪だねえ。緑の葉っぱの方も彩りであとから刻もう」


 スドウはパスタのソースを作るつもりらしい。逆の場合もあるが、二人の間ではごく自然に互いが互いの作業を補完して、うまい具合に料理ができていく。


「蕪とキャベツとキノコがちょっと残っているし、塩漬けの豚バラと合わせて、クリーム系ソースでいい?」

「あ、いいですね」

「麺はどんな形にするの?」

「まったりしたクリーム系ソースなら、もちもち感が強めで幅も広めの……」

「パッパルデッレって感じでいいんじゃないか?」

「そうですね。そうします」


 パスタマシンなどというものはないので、綿棒だけで薄さが2ミリよりも薄くなる程度に、均一に生地を伸ばす。そしてその生地を切りそろえるというやり方なので、断面の丸いスパゲッティなどはできない。タリエリーニ、タリアテッレ、フィットチーネ、一番幅広のパッパルデッレといったいずれも断面が四角い麺に限られる。


 タリアテッレとフィットチーネの呼び方は地方の違いが関係しているそうで、専門家の間でも混乱している。美味もフィットチーネのほうが太目、程度の認識しかない。おおむね4ミリを割るような幅の狭いのがタリエリーニで、幅が二センチを超すようなリボン状だとパルパルデッレと言っておけば大丈夫、という感じだ。


「きしめんとか、ほうとうとか、ひもかわうどん、とかでもいいんだけどさ、やっぱり醤油も味噌も無い状態じゃ、違和感あるしなあ」

「卵が生地に入ってますし、生地を踏み込んだりしませんから、やっぱりうどんとは違いますよね」

「美味ちゃん、戻ったら味噌汁が飲めるし、うどんが食べられるね。いいなあ。やっぱ、東の国々に行って、早く醤油が輸出できるように色々やってみようかな。どうもまだ、地球での中国に該当するエリアで味噌がどうにか安定生産できる程度らしいんだよね。醤油作りはまだまだ、確立できてはいないようだ」

「私じゃ、お手伝い出来ないんでしょうか?」

「どれだけ時間がかかるかわかりゃしないよ。僕は死ぬに死ねない身の上だし、この星で生きるしかないらしいから、そうするわけなんだが……美味ちゃんは戻れるようだし、お母さんが待ってるじゃないか……おっと、蕪はこんな感じでいいかな」


 蕪はキノコと一緒に豚の旨みをまとって、湯気を立てている。蕪の葉っぱの方は色よく茹でられて、すでに細かく刻まれている。最後におろしチーズをかける前に、パスタにのせるのだろう。スドウが銅製の小鍋をせわしくかき回して作っているホワイトソースも、いい感じにできてきた。

 美味も湯を沸かした大鍋に出来上がった幅広のパスタを投入する。


「ソースは完了」

「パスタは、今、ざるにあげますね」

「最後におろしたチーズをかけような」

「そうですね」


 スドウの中で、美味との別れは「確定している」らしい。だが、美味はまだ、受け入れられずにいる。


「私の事は抜きにして、スドウさん自身は、本当はどうしたいんですか? 地球に戻れたら戻りたいですか?」

「それを聞いて、どうするの?」

「私にとっては、大事な事なんです」

「なぜ?」


 美味はうまく説明できなかった。だが、スドウがそれほど地球に戻ることに執着が無いのなら、自分も一緒に残った方が良いのではないか、そんな気がするというと、スドウは「ダメだよ」とつぶやいた。


「なぜダメなんですか?」

「行きがかり上、僕は美味ちゃんと一緒に暮らす事になっただけで、それ以上の意味は無いんだ」

「そうですか?」

「美味ちゃんが、もとの世界に戻れば、普通の女の子としての幸せが得られる。だけど、こっちじゃそんな保証は無い。今のその体は、どこかに持っていって検査だか研究だかするって決まったようだし、どうしたって、美味ちゃんはもう、この世界を出ていく事になっているんだよ」

「じゃあ、メルヤ・アホとかいう人に文句を言う事にします。地球に戻る選択を私は望まないって。この体をどこかで検査するなら、別のもっと高性能なロボットの体を提供してくれって言います」

「やめろ、そんな馬鹿な事は」


 スドウはため息交じりで、本当に呆れた様子だった。


「バカですか? 私としては良い考えだと思ったんですけど」

「僕と君の関係は、同じ屋根の下でしばらく暮らしたが、それだけの関係だ。そりゃあ……料理好きな共同生活者がいる状態というのは、楽しかった事は認めるが……最初から限定的で一時的なものになるだろうと、僕は思ってきたし、事実そうだろう? 違うか?」

「でも、ロボットの体なら、普通の人間の女の人よりずっと長い間、スドウさんと一緒にいる事ができます。それにお手伝いも」

「美味ちゃんは、体がロボットになってしまった事を、嫌がっていたじゃないか。地球に戻って、ただの共同生活者に過ぎない僕の事なんてきれいに忘れたら、また新しい道が開けるし、幸せだって手に入れられるさ」

「嫌です、やっぱり」

「地球に戻って、お母さんと仲良く暮らして、誰か美味ちゃんの良さがちゃんとわかる男と結婚して、健全な家庭を築く。それが正解だよ。僕の事なんて、きれいさっぱり忘れた方がいい」


 美味が地球に帰るかどうかについては、いつも話が堂々巡りになってしまう。

 パスタは実にいい感じに出来上がった。スモークチーズとワイン、焼きりんごを添えて昼食だ。


「うまいねえ」

「ええ、いい感じにできましたね」


 食事を食べる間は、もめそうな話はしない。それが二人の間の暗黙のルールとなっている。だが、料理をしながらかなり突っ込んだ話をしたせいか、スドウは食事中ほとんど口をきかなかった。


「美味しかった。ごちそうさま」


 スドウが席を立った瞬間、美味は声をかけた。


「やっぱり、私を東の国に連れて行ってください」

「何を言うんだ。ダメだよ。この星はほとんど地球と同じ地形で、途中は大砂漠やジャングルやヒマラヤに該当する大山脈やら、いろいろあるんだよ。女の子を連れてなんて行けない」

「私の体はロボットなんですから、折りたたんで荷物と一緒に運んでくれればいいじゃないですか。スドウさんは実は力持ちなんだし、核爆発でも壊れないような丈夫な体なんだし、本当は何も食べなくても土や空気からも活動エネルギーを補充できるんだし……それに、スドウさんに付き合いたい女性ができて、私が邪魔なら、その時はスイッチを切っておけばいいんだし」

「お、おいおい、何を無茶な事を言うんだ」

「無茶ですか? でも、スドウさんの体って、実際色々特殊機能つきですよね?」

「確かに、僕の体の機能は、色々普通じゃないけど」

「だったら、何が無茶ですか? そもそもロボットの私なら、死にませんよ。人間なら寿命が来たら死にますけど、スドウさんの邪魔にはならないと思います」


 スドウは無言だ。美味に言いたいだけ言わせようという事かもしれない。


「スドウさんは、こっちの大陸じゃ王様やら大貴族やらの御先祖様になっちゃってますから、中国に当たる国に住み着いたら、皇帝かなんかになっちゃっても不思議はないと思ってます。だから、そのう、一夫多妻というか、後宮だかハレムだかも必要なんでしょうし、そういう女の人が沢山できたって、しかたないと思ってます」


 スドウは理解不能な生き物を観察するような、そんな目つきで美味を見ている。


「私が邪魔なら、スイッチを切って、必要な時だけ私を使えばいいんです。私は死なないわけですから、色々とつかえるはずです。きっとお役に立てると思います。だから、私も東の国に連れて行って下さい」

「バカな事を言うもんじゃない。それに後宮とかハレムとか、飛躍しすぎだ」

「私はバカでしょうけど、でも、役には立てると思います」

「そんな風に、自分を卑下しなくていい」

「でも、私を地球に返したいのは、私が役に立たないと思うからじゃないんですか?」

「役に立つとか立たないとか、そんな風に考えた事は、一度も無いよ。それに、たとえ役に立つとしても、美味ちゃんは地球に帰るべきだと僕は思う」

「でも……二度と会えないなんて、絶対嫌なんです」

「嫌でも別れは何時かは来るもんだ。今なら、まだ全部やり直せる。一時の感傷で、バカな事を言うもんじゃない」

「私が寂しくて悲しいと思う気持ちも、スドウさんが寂しいと言ってくれた気持ちも『一時の感傷』で片づけちゃうんですか?」

「ああ。そうに違いないからさ」

「なんでそう、決めつけるんですか? 私のこの辛い寂しい気持ちが、そんな一時的なものだなんて、絶対ありえないと思います……ああ、そうか、スドウさんは幾度も親しい人の死に立ち会って、沢山の人たちを見送ってきたんですよね。だからそんな風に言うんですか?」

「男と付き合った事も無ければ子供を持った事も無い女の子に、何がわかるって言うんだ」


 美味はスドウを本気で怒らせてしまったようだった。


「確かに、私はただの高校生で、色々解ってない子供なんだと思います。でも、でも、私のこの今の気持ちが本物か、そうじゃないかぐらいはわかります」

「美味ちゃんの気持ちが本物だろうが一時の感傷だろうが、そんな事はどうだってイイんだ」

「そうでしょうか? 私の気持ちが本物であるって事は、とても重要、いや、一番何より私にとって大切な事だと思ってます」

「たとえ本物だろうが何だろうが、人の気持ちなんて揺れ動いて、歳月と共に薄れるものだ」

「本当にそうですか? スドウさんと大切だって思った人たちとの出会いって、そんな、歳月で薄れちゃうようなものだったんですか? そうじゃ無いように私には見えたんですけど」

「よくわかりもしないのに、勝手に人の気持ちに踏み込んで、ああだこうだと言うもんじゃない」

「でも、スドウさんだって、似たようなもんじゃないですか」


 すると、スドウはため息をついた。


「一緒に過ごせる日数は、おそらくもう限られているのに……美味ちゃんは、毎日、こんな言い争いを続けたいのか?」

「そうじゃありません。でも、私の気持ちは本物なんだって、わかって貰いたいんです」

「そんな借り物の体に閉じ込められた状態で居続けるのは、やっぱり間違っているよ。やり直せるんだから、やり直すべきだ」

「でも、それじゃ、スドウさんと離れる事になるじゃないですか」

「僕は、単に一時的な共同生活者だ。それ以上の存在じゃ有り得ない」

「それって、私の事が厄介で、面倒だから出て行ってほしい、そういう事ですか? それなら諦めますけど」

「どうして、そう、無茶苦茶な方向に話がぶれるんだ?」

「だって、だって……私はスドウさんが好きなんです」

「大抵の人は、そこそこ円満に暮らしてきた共同生活者には愛着を持つものさ。僕だって美味ちゃんが好きだからね」

「違うんです。私の言いたい好きって気持ちは……男の人としてスドウさんが好きなんです、きっと。でもスドウさんは違う。そういう事なら、あきらめられます。これって、いわゆる失恋、ですよね。私は、バカですけど、さすがにそのぐらいの事は、わかります」

「いきなり……地雷を踏み抜かなくても……いいと思うんだけどな」

「地雷ですか? そうですよね」

「思い切り不器用で真っ直ぐな告白、と言うべきかな」

「すみません、うまい方法がわかんなくて。だって、スドウさん、いつも逃げてばっかりで……聞いてくれないんだもん」

「逃げていたつもりは無いよ」

「そうですか?」

「それと……ハーレムとか後宮って、厄介でさ、本当に面倒なんだ。だから全力で避けたい」

「そういうもんなんですか?」

「そういうもんだ」

「男の夢じゃないんですか?」

「なまじっか、中途半端に相手の気持ちの本音が読み取れちゃったりするから、女の嫉妬ってホントに怖いと思う事が色々有ったよ」

「へええ。やっぱり体験済みなんですね」

「まあね。でもさ、美味ちゃんの気持ちは読めないから……それに、自分からそんな真っ直ぐすぎる告白する人も初めてだし……その……失恋じゃないと思うよ」

「スドウさん、優しいですね」

「いや、だから、違うんだって」


 何がどう違うのか、美味にはサッパリ訳が分からなかった。

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