ドミニクちゃん・4
「決して、生半可な気持ちではございません。でも、そのヨシミ先生にご納得頂けるように考えをまとめる時間を下さい」
すると、スドウがクスクス笑いだした。
「何か、おかしい事が?」
「ふさわしい言葉が見つからなかったら、時間を稼げって僕が教えたんだ。どうだろう? 生地のふくらみ加減もあるし、蒸し器の湯気も立ってきたから、先に饅頭を完成させてから、この件について話してもらうってのは?」
「確かに、それで十分ですけど」
「だってさ。よかったな、ドミニクちゃん」
ザルに硬く絞ったまっ白い布を敷きこんで、饅頭を並べて行く。そのザルを白い湯気の上がった蒸し器に乗せる。かたづけと、飲み物の用意をしている内に甘い香りが漂うようになり、出来上がりだ。
「飲み物は麦茶が良いんじゃないかと思います」
「お茶の葉っぱが手に入らない中で選択するとなると、確かに一番ふさわしいよな」
「お茶って、やっぱり無いんですよね」
「レムリアのどこかに、ちょっぴり残っているはずなんだがな……あと、もしかしたらアルビオンの南端部にあるかもしれない」
「ペンブルックシャー、ですね」
「どこだっけ、それ」
「ウェールズの南西部の長い入り江に面した街で、アメリカのワシントン州と並んでお茶栽培の最北端の場所だったと思います」
するとスドウが、ウェールズ地方に相当するエリアは、アルビオン王国の王太子直轄領だという話をする。
「ふーん、じゃあ、こちらでも王太子はプリンスオブウェールズだったりするんですか?」
「ウェールズという地名は無いけどね、まんまエリアは被る。こっちでも王太子の直轄領だよ」
アツアツの饅頭を皿にとりわけ、麦茶を注ぐ。メイドのハンナの所にも、美味は饅頭と麦茶を運んだ。ぽっちゃりメイドは暖炉脇の長椅子でうとうとしていたようだが、しっかり目をさまし、美味に礼をした。
「ゆっくり召し上がれ」
美味が声をかけると、更に幾度も礼をしたが、喜んでくれているように見えた。美味が台所に戻ると、美少女とスドウが極めて真剣な様子で語り合っている。割って入る気にもなれなかった美味は、黙って追加の麦茶を用意することにした。
「先ほどお二人は、デハイバーズの事を話しておられたのですか?」
「ああ、そうだ。ドミニクちゃんにこっそり会いに来たんだろう? デハイバーズ大公が」
「と、申しますか、デハイバーズ大公はルテティア大学で学ばれるそうで、我が国王陛下と大公の父君との間でお話は決まっているようです」
「それって、ドミニクちゃんの縁談とまんま繋がっている話だよね?」
「父は……そのように申しますが、お会いした際に大公御自身からそのようなお話は特にございませんでした。ただ……」
「ただ?」
「教授に是非、直接ご教示いただきたい事がございますとか」
「何だろうか? 聞いてないの?」
「はい。父も伺ってはいないようでした」
「ああ、美味ちゃん、戻ったか」
「はい。ああ、お二人とも、追加の麦茶、いかがですか」
「ありがとう」
スドウはごく自然に受けるが、美少女は緊張している。
「あのう……先ほどのお話ですが」
一瞬何の話だったか、美味は思い出せなかった。
「あ、ああ。どの程度本気で修行するかって話ね」
「はい。私は、恐らく自分で店を出す事は無いでしょうが、嫁ぎ先でその土地の皆様に美味しいお菓子の作り方をお教えする事が出来るようになりたいです。それがその土地の方々の暮らしがより良いものになる事につながると思いますし、新しい特産なども出来るきっかけになるかもしれません。そのためには、食べる人たちに喜んでもらえるようなお菓子が出来なくてはいけない、そう思います」
スドウは黙って頷いている。
「店を出して商売をするだけが、立派な目的とは確かに思わないわよ。でも、食べる人を確実に喜ばせるお菓子を作るのは、それなりの技術と知識が無いと難しいわよね。土地ごとの事情に添った物じゃないと、結局は受け入れられないだろうし……」
そこまで言ったところで、美味は考え込んでしまった。
「どうした? 美味ちゃん」
「いえ。私だって、もともとが一介の学生に過ぎないわけですし、どこかの王妃様だか大公妃殿下だかになる人に教えるほどの技術も経験も有るとも思えませんから……なんか、自信なくなっちゃって」
「ともかくも、美味ちゃんなりに製菓技術の基礎と言うか、基本形をこの子に教えてやればいいじゃないか。地域ごとの事情に合わせたカスタマイズは、ドミニクちゃんが地域の人と知恵を出し合って工夫すればいいんだ。そうは思わないかい?」
「それもそうですね。じゃあ……間違いなくこの国でもできる平鍋菓子と小麦を主に使った蒸し菓子あたりが中心でいいでしょうかね」
「平鍋菓子? 何だそれ?」
「和菓子業界では、菓子を焼くための鉄板を平鍋っていうんですよ。和菓子でも鯛焼きみたいな流し込み型物、オーブンや密閉した窯で焼く物なんかも有るので、区別する言い方です。どら焼き・金つばあたりが代表的な平鍋菓子ですね」
「あれ? オーブンで焼く和菓子なんて、ある? 抹茶を使ったりするケーキは和菓子なのか? ひょっとして、カステラとか?」
「カステラも確かにオーブンを使う作り方が一般的ですが、他にも桃山とか……」
「桃山って、なんだっけ?」
「桃山は白餡に卵黄・みじん粉・砂糖なんかを合わせて、丸めたり茶巾絞りしたり、時には型にいれたりしてして形を整えてから、オーブンで焼いたものですね」
「ごめん、そのミジンコがわかんない。動物性プランクトン、じゃないわな」
「無論プランクトンじゃないです」
「美味ちゃん、笑わないな」
「笑った方が良かったですか?」
「いや、無理しなくていい」
「そうですか。そのみじん粉ですけど、もち米を餅にしてから、焦がさないように白く焼いて砕いた粉です。寒梅粉とも言います」
「なんだ! 寒梅粉ならわかる」
「関東がみじん粉、関西が寒梅粉、だと思いますけど、ほぼ同じ物だと思います。この国では寒天が手に入らないですから、羊羹だの琥珀羹だのはあきらめなくちゃいけませんね」
「寒天は鋭意開発中。具合のよさげな紅藻類が見つかってね。近いうちに試作品も届くはずだ」
寒天はテングサという赤紫色の海藻が原料なわけだが、代替品が見つかったという事らしい。
「へええ、スドウさんて、そんなこともやってるんですか?」
「もともとは、僕がトコロテンを食べたかっただけなんだが、寒天を開発できれば色々応用も効くかなと思い至ってさ」
美少女は呆然としている。訳の分からない言葉が多すぎた様だ。
「あーあ、ごめん。ドミニクちゃん、何が何やら、わけわかんないよな」
「そうですね。ごめんなさい」
美味も配慮が足りなかった様な気がして、頭を下げた。すると美少女はちょっとびっくりしたような顔になって目を見張り、それからニッコリした。
「そういえば私、カンテンというものについては、お話をうかがった事がございました。ネウストリア国内だけではなく、海の向こうのアルビオンでも教授の御指導で、何やら海藻を集めて煮たりしている村があると聞きました」
「そうそう。デハイバーズ大公殿下には色々ご協力いただいてるよ」
「なるほど、そうなんですのね。では、大公殿下が先生に伺いたいお話って、そのカンテンとやらの事なのでしょうか……ですけど、そのカンテンという物は、何に使いますの?」
「カンテンがあれば色々なお菓子や、うまいものが出来るようになるんだ」
「ヨシミ先生、例えばどのようなものが考えられますか?」
「寒天自体は味らしい味も無いんだけど、色々な食材を柔らかく固めたり、つやをつけたり、いろんな働きもするから……お菓子作りの幅が大いに広がるというか……といっても、現物が無いとあまり実感としてわからないかもねえ」
美味が説明に困っていたところ、急に家の入り口で呼ばわる男の声がした。
「恐れ入ります、どなたかおられませんか?」
この家には使用人も何もいないから、美味かスドウが出て行くしか無いわけなのだが、どちらにしても、必ず覗き窓から十分に様子をうかがってからドアを開ける事になっている。今日は以前宰相邸の使いが来た時とは違って、まだ周囲が十分明るい。まずは覗き窓からスドウ、美味、そしてドミニクちゃんの順で、かわるがわる様子を観察した。
「なあ、あれは王宮からの迎えかなあ」
「宰相さんの所の人じゃないですものね。立派な馬車が止まってますけど、家紋が見当たりません。それって、わざとですよね?」
美味の疑問に、ドミニクちゃんも同じような事を感じたらしい。
「高貴な方のおしのび用でしょうか?」
「それだな、ドミニクちゃん」
スドウはうなづいた。
「誰が乗っているのかわかんないけどさ」
「先ずは、返事だけして、反応を見ますか?」
美味としては正体不明の相手のために戸を開けるのは、ちょっとためらう。
「そうだな。僕が応答してみよう」
スドウがうなずいたところで、再び外の男が戸を叩いた。
「はい、どちら様でいらっしゃいますか?」
「こちらはスドウ教授のお宅でしょうか?」
「そうですが、どのような御用件で」
「我が主が申しますには『赤い髪の黄金の子がお話を伺いたい、とお伝えせよ』との事です」
「当家は、青い瞳のお若い女性の客人がおいでだが、御一緒で構わないのならば、ぜひ」
「青い瞳のお若い女性ですな」
「さよう」
男は美しい馬四頭をつけた飾りを省いた馬車に駆け寄り、馬車の中の人物に事の次第を報告しているようだった。
「ドミニクちゃんは、デハイバーズ大公殿下本人がここに来たら、どうする? 顔を合わせたくないなら、今のうちに勝手口から帰るか?」
「いえ、構いません」
「いいの? 話が先に進んじゃうかもしれないよ? ん? やっぱりな。じゃあ、良いんだよね」
美少女はスドウに対して、無言でうなづきながら、顔が赤らんでいる。あの馬車の中の人物が家の中に入ると、美少女の結婚の「話が進んじゃう」可能性が高いとスドウは見ているらしい。それに対して、美少女が真っ赤だという事は、本人は乗り気という事なのだろうと美味は思った。
やがて、黒いマントに身を包んだ燃えるように赤い髪の若い男性が馬車から降りてきた。が、そのあとに宰相ニコラ・ヌムールが続いたのには、スドウもドミニクちゃんも予想外であったようだ。
「良く来たねギレンソン。ジョージは元気かい?」
「はい。おかげ様で。教授、御婦人方のご紹介を願います」
「ああ、わかった。宰相殿もようこそ。紹介とはいっても、ドミニクちゃんは知ってるよね」
「はい。こちらの国王陛下の所で、お会いしました」
「そうか。では、はじめましてなのは、この子だね。こちらは僕の妹の美味だよ」
「さようですか。初めまして、美味殿。私は教授とは浅からぬ御縁のあるギレンソンと申すものです。一応現在はアルビオン国王の第一王位継承者となっております」
「確かに、一応だよな」
事情が呑み込めていない美味にスドウは、大まかに説明してくれた。
その説明自体、関係者以外秘密厳守な内容だからだろう。赤毛の大公と宰相は迷惑そうな顔を一瞬したが、スドウの様子から、美味は情報を共有すべき存在とどうにか認識してくれたようだ。
「このギレンソンの親父さんは二男だったのだが、長男が亡くなったので国王になった。その時点で長男、つまり先の王太子には子供はいないと思われていたんだが、最近になって実は父親の亡くなった時点で母である先の王太子妃の胎内に息子がいたという話が出てきて、ややこしいんだ」
その元王太子妃だった女性は、ザンブル王国の王女だそうで、夫と死別してすぐにザンブルの首都ベルゲの郊外にある離宮に移って暮らしていたらしい。
「ザンブルっていうと……」
美味が口走ったことに対して、スドウは人差し指を口元に持っていき「しーっ」と言うようなジェスチャーをして、日本語で「言うな」とやけにはっきりと口パクでやって見せた。一連の動きは宰相と赤毛大公に背中を向けて行われたので、何らかの事情があるのだろうという察しは、美味にもついた。
「ジョージに送った手紙にも書いておいたが、問題の子供は髪の毛が黒に近い褐色だし、母親である先の王太子妃ヘルガも『亡き夫の子ではない』と言っているんだよ」
「それは、まことで? ザンブル国王イヴァル・サムセーの親書では幼子は我がアルビオンの血統に相違ないとの事でしたが」
「ヘルガは兄であるイヴァル・サムセーとは、あまり良好な関係に無いようだ。子供の実父と再婚しようとしたら、兄に阻まれたとも言っていたからね」
「ヘルガ殿は……教授には正直なお話をした……とみて良いでしょうか?」
問いかける赤毛の大公殿下は、そういえばスドウとどこか顔が似ている。
「まあ、嘘つかれてもすぐにわかっちゃう程度には、ヘルガ自身にも僕の血が色濃く流れているからね」
「ふむ。さようですか。野心家だというイヴァル・サムセーがアルビオンに介入しようと、あれこれ捏造して画策した、そう考えて良いのでしょうか?」
「基本的な理解としては、そんなもので良いだろう」
美味には細かな事情は分からないが、何やら深刻な事態であるらしい事は、赤毛の大公と宰相の顔を見れば明白だった。




