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ドミニクちゃん・3

「あんこが開発できたら、どら焼きより先に、利休饅頭を作りませんか?」

「ああ、黒糖入りの皮の蒸し饅頭か! あれ、皮は小麦粉だったね」


 次の瞬間、急にスドウは言葉をサリカ語に切り替えた。


「どら焼きよりも、まずは単価が安くできる蒸し饅頭で営業してみようか? レンズ豆でも餡に出来るなら、簡単に量も確保できるよ」


 美味もサリカ語にするが、和菓子の製造工程がうまく翻訳できるのか、いささか疑問だ。


「渋切りがどの程度必要でしょうかねえ」


やっぱり「渋切り」という単語は「シブキリ」になってしまう。


「軽く茹でれば大丈夫じゃなかろうか?」

「しっかり洗って、ごく軽く茹でる方がいいかもしれませんね」

「ふむふむ」

「彩も大事だと思うんですよ。この辺で一番多い色のレンズ豆だと、おそらくあんこの色は黄色系だろうと思います。白い色もほしいから、白インゲンの餡なら十分行けると思います」

「外の皮の色合いも、二種類ぐらい作る?」

「黒砂糖の色がはっきり出ているタイプと、もっと淡い色とかでしょうか?」

「そうだね。あと……和菓子としては邪道かもしれないが、餡にナッツとか生姜とか入れてバリエーションつけるのも有りじゃないか? そうだ……」


 まだ、ぶんむくれて突っ立っていたドミニクちゃんに、スドウはニッコリして「作業しやすい服にお着替えして来たら、菓子の試作を手伝わせてあげても良いよ」というと、表情が途端ににこやかになり、「はい、大至急着替えます」と来た。

 幾度も手を打ち鳴らして、侍女を呼んだのには美味はちょっと驚いたが、スドウに言わせると侍女が一人きりと言うのは宰相の令嬢としては「質素な暮らしぶり」であるらしい。


「二階に上がって廊下の突き当りが一番まともな客室だから、使いなさい」

「ありがとうございます」


 礼は優雅に、だが次の瞬間、勢いよく駆け出した「お嬢様」の後を追いかけようとするぽっちゃりした侍女役の女の子を、スドウはすかさず呼び止めた。


「君も台所に来るかい? それとも暖炉のそばで座って待っている事にする?」

「お許しいただければ、暖炉のそばで」

「何なら長椅子で寝ていても構わないよ」

「まさかそのようなわけには、行きませんが」

「台所仕事が長くなるかもしれないから、ムリしない方が良いよ」


 するととんがった美少女の声が降ってきた。


「ハンナ! どうしたの?」

「はい! ただ今」


 ぽっちゃり可愛い侍女が美少女にひどく叱られないか美味は気になったが、スドウによれば、一瞬不機嫌なだけで「実害は無いさ。そのへんの呼吸は侍女のハンナって子もわかっているよ」との事だ。


 それからスドウによれば「本式のドレスからのお着替えとしては驚異的に短い時間で」簡素なドレスに白いエプロンという格好のドミニクちゃんが息せき切って降りてきた。


 台所ではレンズ豆の水洗いが終わっている。美味もスドウもそれなりに調理の経験とスキルが有るので、何も言わなくても次はレンズ豆の下茹でを済ませて、さらに煮込みながら、並行して黒砂糖の糖蜜と重曹を小麦粉に合わせて皮を練っていく。その皮を寝かせている間に、煮込んでいるレンズ豆に蜂蜜を投入して甘さを決めていく。

 張り切っていたドミニクちゃんは手持無沙汰で、困り顔だ。だが、ちゃんと美味たちの作業を観察はしている。さすがにノートは取らないが。そこでスドウが声をかける。


「ドミニクちゃんが味を見ながら、蜂蜜の量を決めなさい。ちゃんと使った量はチェックするんだよ」

「この、匙で何倍という感じで良いのでしょうか?」

「うん。それでいい」

「火加減はあくまで弱火で、焦がさないように丁寧に頼むよ。ジャムを作ったろう? その要領でやってみればいいさ」


 餡が煮込まれている間に、美味は蒸し器を用意する。この国には蒸すという調理法自体存在しなかったので、当然ながら特注品だ。最初、スドウは鍋もすのこも金属製の特殊な鍋を頼んだのだが、美味は既存の良くある植物のつるで編んだザルがうまく乗っかってはまる様な鍋を注文した。美味のやり方の方がはるかに安く、蒸気のあたりも具合が良いので、今後は植物性のザルを使うタイプばかり買い足す予定だ。


「木べらで底の方まできちんと混ぜてね。焦る必要は無いけれど、煮詰まってきたら焦げやすいので良く気を付けて。焦がしたら鍋の分全部が使い物にならなくなるから」


 手つきは多少危なっかしいが、懸命に豆をかきまぜている様子はスドウの言うように「大真面目」だし、美味のいう事をきちんと守ろうとしているのが十分伝わってくる。


「あつっ!」


 熱くなった餡が爆ぜて飛んだのだ。


「急いで火から鍋を外してっ!」


 恐らく餡のせいで手に小さな火傷が出来てしまったのだろう。瞬間的にではあるがパニック状態になったようだ。そこで美味は横から割って入り、鍋を素手でつかんで火から外した。すると、ドミニクちゃんは魂消たようだ。


「餡が全部ダメになるかと焦ったわ」

 美味は別にいじわるを言ったつもりは無い。ほんのわずかな不注意でやったことが全部無駄になるのは事実なのだ。

「あ、あの、すみません」


 おそらくは餡が焦げる事を一瞬では有るが、完全に忘れていたのだろう。そのことに、自分でもガックリきたのかもしれない。


「手は大丈夫かな? すぐにこの水に浸して冷やしなさい」


 スドウは別の鍋に井戸から水をくみいれて、ドミニクちゃんを促した。

 やっぱり甘い、と思ったが、美味はそれを口にはしなかった。調理の仕事をする者なら、小さな火傷などいちいち構っておれないのだが……それに考えてみれば、今の美味は火傷という状態になりようが無いのだ。そのために火の熱さに対して、生身の人間が持つ恐れの感覚を失ってもいるのだ。だから、スドウの口から熱い鍋をわしづかみした美味を気遣うような言葉は出ない。

 何か大損をしているような、ちょっと落ち込んだ気分になる。


「美味ちゃん、餡は無事だった?」

「ええ。大丈夫です。ちょうど良い加減に煮詰まりましたよ」


 一瞬ウジウジと落ち込んだ気分になったのを、スドウには悟られたくない。だから明るい声で応じるが、ちょっとわざとらしいだろうか? そんな疑問が美味の頭の隅をよぎる。


「そうか。ああ、いい感じだね」

 

 スドウが美味の「もやっ」とした不快感を感じ取ったのかどうかは、解らずじまいだった。


「ドミニクちゃんの甘みの付け具合が、ちょうどいい感じです」


 技術は本人に意欲があればやがては身につくのに対して、味のセンスの良し悪しはどうにもならない部分がある。ドミニクちゃんの場合、センスの方は心配無用らしい。微妙な甘みの変化をきちんと感じ取っているように思われた。


 餡を均等に分ける。それに合わせて、黒糖入りの小麦粉の生地を切り分け丸める。


「こんな感じで、餡の玉を生地で包むのだけど……生地を軽くつぶして、そう、ああ……真中は薄目というか、くぼませ気味にね、ふちは厚めに、そう、大きさはこのぐらいでいいわ」


 ドミニクちゃんの手つきは、なかなか良い。


「餡の玉を窪ませた中央に乗せます。そうよ。ここからが肝心でちょっと難しいから、よく私の手元を見てちょうだい。この外側の生地を押し延ばすような具合にして、餡の玉を壊さないように包んでね」

 美味の実演つき解説は、それなりに理解されてはいるようだが……


「あ、なんか……」


 力加減を間違えた為に、餡の玉が欠けて押し付けた生地とおかしな具合に混ざってしまったのだ。


「何かおかしいと思ったら、作業を進めるのではなく、一度手をとめた方が良いよ」


 スドウの声は、穏やかだ。やっぱり甘い……なんかズルい……そうは思うものの、スドウの言う事は正しいのだろうとは思う。


 祖父に言わせると、昔の店では失敗すると先輩からすぐに拳骨が飛んできたそうだ。師匠で雇い主でもある店の主人は新入りを殴ったりはしないが、先輩が新入りをポカリとやる事は「当たり前」だったらしい。殴られる回数の減らない者は、そのうち店を止める。そういうものだったらしい。

 祖父は自分の店では新入りを殴る事は止めさせたそうだが、気合いの足らないやつに「喝を入れる」ぐらいの事は「普通」という認識だった。祖父の普段の声は決して大きくはないが、一喝すると何とも言えずドスが利いているのだ。甘やかして育ててしまった父が、祖父の職場での指導法になじめなかったのは、無理もないような気もする。

 美味は「ダメなお父さん」みたいにはなりたくなかったのだ。だから、高校の調理課程に入学すると、必死に勉強したし、実技も懸命に習得した。そのおかげで、二年生の内から全国大会出場メンバーの学内選抜コンテストにエントリーを許された。

 連日必死で練習に励んでいた日の事を思い出した。美味を推薦してくれた教師は熱心で、色々な助言もくれたが、今思えば、いささか暴力的だった。道具の扱いがいい加減だと言ってはビンタ、材料のアク抜きが不十分だと言ってはビンタ、盛り付けが不適切だと言ってはビンタ、そんな具合だった。暴力教師と呼んで嫌悪する同級生も多かった。だが、当時の美味はその暴力すら特別な指導、あるいは恩恵であるかのように感じていた。

 だが、そのビンタを食らわす教師は、美味の指導期間が終わらない内に、学校の外で何がしかの暴力事件を起こし、学校をやめてしまった。そのあとは学内の誰もが辞めた教師の話題を避けた。

 指導教官が急にいなくなってしまった美味は、微妙な立場になった。そして、いじめというわけではなったが「あの問題の先生のお気に入りだった人」といういわれ方をするようになり、微妙な疎外感を味あわされる場面が増えた。 


「通信課程の高校で勉強しながら、調理師免許を取ってしまう? 私の店の手伝いをしてくれているから、受験に必要な二年の実務経験は十分だと思うし」


 そんな事を母が言い出すほど、美味はふさぎ込んで見えたらしい。だが、まだ学校に愛着があったし、料理の話ができる数人の友人たちとの関係は良好だったから、真面目に学校に通い続けた。

 その後に行われたクラス全体の製菓実習で、この利休饅頭を作った際、成績優秀者の美味は慣行通りに女子生徒のまとめ役をした。


「ほら、鬼軍曹が睨んでるって。皮の綴じ目をもっとちゃんとしなよ」

「売りもんじゃないんだし、こんなもんでもOKじゃね?」

「ねえ、あんたがそんなダレた事言うから、鬼軍曹、眉間にしわ寄せちゃったよ」


 数人の女子が餡を生地にくるみながら、美味の顔をチラチラ見て、勝手な噂をしていたのだ。自分が鬼軍曹と呼ばれているらしいとは気づいていたが、自分の言う事が間違っているとは思わなかった。


「鬼軍曹さ、言う事が正しいんだから、逆らうのは許さん、て感じだよね」

「そうそう。同じ注意するにしても、言い方ってもんがあるのにさ、空気読めないっていうか」

「だよねー。ムダに言い方がキツイ」


 ドミニクちゃんに注意する際「ムダに言い方がキツイ」と言われた事が、ずっと引っかかっていた。

 ヒソヒソ噂していた同級生たちは「店をやっている親に言われて」「普通科の学校に入っても特にやりたいことも無い」連中で、美味から見ると覚悟が足りないのだ。将来プロとしてやって行こうとするなら、商品価値のないものを適当に作っていても役に立たないと美味は思う。


「ドミニクちゃんは、店で商売が出来るぐらいまで修行したいのですか? それとも適当に作り方を覚えれば十分なんですか?」


 美味はやはり確かめずにはおれない気分だったのだ。お遊びなら、付き合いきれない。優雅にお菓子の「お教室」だか「サロン」だかいうのは、自分には似合わないとも美味は思う。


 ドミニクちゃんは、はっとしたような顔になった。スドウの目は笑ってはいないが、怒ってもいないように見える。


「美味ちゃんは、嘘偽りのない希望と言うか、正直な考えというか、そんなものを聞いておきたいんだろうと思うよ。だからドミニクちゃんは、大きく深呼吸でもして、落ち着いて答えなさい」


 どこまでもスドウの声は柔らかい。こんな柔らかな雰囲気で話す事が出来たなら、美味も「鬼軍曹」呼ばわりをされずに済んだのかもしれない。


 ドミニクちゃんは、大きく息を吸って、ゆっくり吐き出した。そして、勿忘草を思わせる青い目が美味の方に向けられた。

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