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銀貨一枚亭開店・5

 宰相邸から戻ると、すぐに夜が明けた。不自然な体のおかげで一睡もしなくても特に支障は無さそうだが、スドウは大学を休む事にしたようだ。

「重要な研究課題に取り組む必要が有って」などという、わかったようなわからないような理由でも休めるらしい。スドウが設立に関連した織物組合や幾つかの加工食品のギルドなどからの寄付が大学の運営資金にもなっているそうで「自分の給料よりたくさんの寄付をしている格好になる」ので「学長だって文句を言うはずもない」らしい。


「美味ちゃんは、朝食の時間までは休んだほうがいい。簡単な何か僕が作っておくからさ」

「でも、仕込みが」

「今日のデザートが栗の甘煮を使ったクッキー生地の焼き菓子って言うのは聞いたが、メインは?」

「豆を水に浸さないで出かけてしまったので、戻さなくても使えるレンズ豆と何かを合わせてガレットに乗せる具をつくろうかなと思います」

「あー、でもたとえ一時間かそこらでも、水につけた方が美味いよ、レンズ豆も」

「そうなんですか?」

「うん。じゃあ、洗って水に浸しておくよ」

「材料を仕入れに行く時間もあまりないですよね」

「じゃあ、あるもんで良いじゃないか。今日は」

「目新しさは無いですよね」

「定番でもおいしければ、客は喜ぶと思うよ」

「そうなんでしょうが……」

「あ、じゃあ、僕が作っておいたドライトマトを使ったらどうかな? 少なくとも大半の人間はトマトを知らないから、十分目新しいだろう。レムリアならドライトマトに魚も受けると思うけど、ルテティアの連中はやっぱり肉だろうな」

「肉の在庫って、ベーコンぐらいしか無いですよね」

「今日はひね鶏がまとめて手に入るはずだから、それだけは仕入れてこよう。昨日その話を聞いてたんだけど、美味ちゃんに伝えそびれていたね」


 ひね鶏、つまり年を食って産卵しなくなった鶏の肉だが、若い鶏より歯ごたえがあって味も濃厚だ。フライドチキンや唐揚げには硬くて向かないが、煮込みや薄切りを炒めたりするには向いている。

 女子修道院ほどではないにしても、ルテティア近郊の大きな農家が、定期的に産卵用の鶏を入れ替えるのだそうだ。


「いっそのこと鶏のローストとかポトフとかをメインにして、ガレットはチーズだけとかもアリでしょうかね」

「チーズだけだとちょっと弱いかな。ガレットに乗せる物も見繕っておくよ。だからちょっとだけ寝てくれ。君のメカニズムが寝不足のせいで不調を起こすと厄介だし」


 美味は自室に追い立てられた。


「すぐに寝巻に着替えて、着替え終わったら僕に教えて」


 珍しくそんなふうにスドウがせっつく。美味はドレスを脱いで、ともかくベッド脇に立ててある人台というのか、マネキンの胴体だけのようなものにさっさと着せる。それから寝間着を着た。


「そろそろいい?」

「はい、OKです」

「じゃあ、入るよ」


 スドウはスッと近寄ってきた。そしてあの右耳後ろのメインスイッチを触った。すると、美味は酷く眠くなり、自分からベッドにもぐりこんだ。


「タニアさんが来るころに朝ごはんでもいいと思うんだ。無理は禁物だよ。おやすみ」


 次に目が覚めた時、美味の内部にあるタイマーは五時間経過した事を示していた。あわてて調理を行う身支度を整えて台所に行ってみると、大きくて美味しそうなローストチキンが三つと、大量の鶏肉つくねと澄み切った鶏のスープで煮た野菜類、柔らかく煮込まれたレンズ豆、そしてトマトペーストが有った。タニアさんはまだいない。


「すみません」

「いいのいいの。久しぶりで僕も楽しかった。今日のガレットはレンズ豆をトマト風味でまとめて、チーズを乗せたら?」

「そうします」

「デザートは手つかずだけど、朝ご飯が終わったら、美味ちゃんの指示通り一緒に作るよ。はい、試作品だけど、食べてみて」


 渡された小さな丼には鶏つくねと野菜類が入っている。

「あ、この味、なんかなつかしい感じ。醤油系と言うかお澄ましっぽいというか」

 色も醤油系ラーメンのスープのようだ。

「鶏肉問屋の傍の店で、帝国ではよく使われていた魚醤を見つけたんだ。高い値段で仕入れたけど、さっぱり売れないっていうから、値切って多めに買い取った」


 どうやら安物のワイン並みの値段になったようだ。


「あ、これって、米粉のお団子ですかね」

「どうやらタニアさんが奥に仕舞い込んじゃってたみたいだな」

「なんかなつかしい。具だくさんの御雑煮みたいで、いいですね」

「だろ?」


 美味は母が作ってくれた雑煮の話をした。


「澄まし仕立てなんです。根菜類を中心になるべく色々って感じで野菜が入っていて……そうそう、ゴボウは絶対にはずせないんですよね。子供のころはゴボウ苦手だったんですけど、いつのころからか大好きになりました」

「餅は? 角餅? 丸餅? 僕は角餅なら焼いた方が好きで、丸餅は焼かない方が好きだな」

「丸餅を焼く所、有るんですか? おじいちゃん、ていうか祖父が丸餅は焼かないって言ってたので」

「あるある。奈良とか、九州の一部とか。少数派だけどさ」


 丸餅はやはり焼かないのが主流ではあるのだそうだ。


「母は角餅を焼いて、入れてました。焼かないのも好きですけど」

「焼くと汁が濁らないのが、良いよな」

「ああ、そんな事、母も言ってました」


 気が付くと、手の甲が濡れている。


「あれ?」

「美味ちゃん……君、泣けるようになったのかい?」


 スドウが喜んでいるのか悲しんでいるのかよくわからない顔つきで、美味を見た。


「これって……涙ですかね。しょっぱくないけど」

「少なくとも眼球部の洗浄のために放出した水分、って感じじゃない。君自身が人間としてのまともな感情を持っているから、その体を制作した者が想定していなかった様な現象が起きたのかもな」

「機械というか、ロボットとしてはまずいのかもしれませんね」

「いや、そんな事は無いと思うよ。体が機械だって、美味ちゃんの人格も美味ちゃんの感情も存在するんだから……美味ちゃんは人なんだよ。一人の女の人なんだよ」

「でも、どうせ元の世界には戻れないのに……まともな女の人にもなれないのに……」


 そこから言葉が止まってしまって、美味は涙を流し続けた。そして、これまで美味自身も思ってもみなかった言葉が口をついて出た。


「私なんて、わたしなんて! スドウさんは……女の人だなんて……絶対思ってないでしょ? だってっ……体中、カチカチでっ……安物のマネキンみたいでっ……体中のつなぎ目はまるでフィギュアだしっ……時々頭の中でメカじみた変な音もするしっ……出来の悪いロボットそのものだもの!」


 スドウは無言で美味を抱きしめた。

 泣きわめいたのも、男性に抱きしめられたのも初めてだったが、美味は心地がいいと思ってしまう自分に驚いていた。それから、結局タニアさんがどっさりキノコを籠に入れて持ってくるまで、二人は無言で動かなかった。


「スドウ先生は、美味ちゃんが心配でお休みなさったのね」

 

 タニアさんは何か様子がおかしいと感じているようだったが、美味が疲れて体調がすぐれないのだというスドウの説明を受け入れたようだった。その後、美味が「デザートを作る元気もなさそうなので」スドウがキャラメルポップコーンを作った。


「まあ、トウモロコシって鶏のエサぐらいしか使い道が無いのかと思っていたけど、おいしいものが出来るのねえ」


 タニアさんの感動コメントを聞いても、スドウは言葉少なだった。美味もほとんどしゃべらず、単純な作業に没頭した。

 その日も客は百人以上訪れ、店は大盛況だった。食事時にはあまりしゃべらないのが、ルテティアの昔からの習慣だが、この店の常連たちは、初めて食べた料理の感想を声高に語り合うのが当たり前になっている。


「キノコのソテーとチーズはわかるが、この赤いソースは何かな。美味い。癖になる味だ」

「お前さんは、いつも『癖になる味』だな。確かにその通りだが」


 具だくさんのスープの中の鶏のつくねも目新しかったようだが、味付けにどうやらガルムと呼ばれるレムリアの高級な魚醤が使われているようだと食通を自任しているらしい常連が分析し、その分析に回りの幾人かは感心したりうなづいたりした。だが、客の大半はただひたすら、盛大な咀嚼音を立てて食べる事に集中したのだった。


「これからこのお菓子、絶対に流行ると思うわ。私が保証してあげる」

 

 そんな風に言うタニアさんのために、おみやげ用のキャラメルポップコーンをスドウはせっせと作り、美味はひたすら食器の片づけと掃除に励んだ。そうした強烈に単調な作業が全く苦痛にならないのは、恐らく自分がロボット化しているからだろうと美味は思うのだが、そうでもないのだろうか?


「美味ちゃんが掃除するようになって、ここの柱、ツヤが良くなってきたわ。床もピカピカだし。これだけ綺麗にしてもらうと、ここで暮らしてきた私としては、とっても嬉しいわ。ありがとう。毎日お客が来てくれるのは、料理がおいしいってのがまず一番の理由だろうけど、清潔で気持ちがいいいって事も大きいと思うのよ。何というか、美味ちゃんのお店を大切に思う気持ちが、人を呼ぶのね」


 タニアさんに思ってもみなかった事を言われて、美味は考えてしまった。


「どうしたの? 何か思う事があったら、吐き出す事も必要だよ」

「あ、すみません」

「それとも、どこか調子が悪いかい?」


 タニアさんが帰った後、美味が雑巾を手に持ったまましばらく動かなかったので、スドウは何事かと心配になったようだ。


「タニアさんに『ありがとう』って言われたんです。自分の住んでいた家を綺麗にしてくれてうれしいって」

「良かったね。なあ、思ったんだが、美味ちゃん……二人しか居ない時は、折角日本語で話をしているんだから、もっと、その、ざっくばらんなというか、家族同士って感じの言葉遣いでもいいんじゃないかと、僕は思うんだ。その、丁寧な言葉っていうのは……時に距離を作るところが有るからさ、美味ちゃんだって本音を出しにくいだろう?」


 スドウはいらない事は言わない人だ。それはとてもありがたい。だが、自分が欲しい言葉を与えてほしいとまで願うのは、いけない事なのだろうと美味は思っている。


「でも、そんなことをしたら、私……」


 美味は自分の気持ちを、どう伝えるべきか、よくわからないのだった。

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