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銀貨一枚亭開店・3

「三日連続だが、今日も美味い」

「毎回乗っている物が違うから、楽しみだな」

「エビにかけた緑のソースは、ハーブを使ったようだが、爽やかだな」

「この野菜はシャキシャキとして、なかなかうまいな」

「これはレムリアでは良く食べられる野菜だ。プンタレッラといったかな」

「ほほう、ならばやはりここの料理はレムリア仕込みなのだな」


 美味はタニアさんが育てたバジルに、ニンニク、アーモンド、クルミ、塩、削った硬いチーズ、上質のオリーブオイルを投入して、思い切りすりつぶし、バジルソースというかジェノベーゼソースのようなものを作った。以前の美味なら、フードプロセッサーも無いような環境で生のバジルの葉っぱを完全にすりつぶす事など、考えもしなかった。だが、今は,不自然極まりない体のおかげで、石でできたすり鉢と乳棒を高速回転させても手の疲れも感じないし、出来上がる早さもフードプロセッサー並みだ。

 そのジェノベーゼもどきでローズマリーの風味をつけて焼いたエビを和え、アスパラガスチコリのアンチョビドレッシング和えと一緒に、そば粉のガレットに乗せた。

 美味は学校のイタリア料理の実習でたった一度だけアスパラガスチコリを扱った経験が有ったのだが、タニアさんはずいぶん昔から育てていて、アントニエッタ先生と「こっそり楽しんで食べていた」のだそうだ。学校では「ローマあたりではプンタレッラと呼んで、冬から春にかけて良く食べる」と習ったが、その「プンタレッラ」という呼び名は、そのままこちらでも通用するらしい。

 細く割いて水にさらすとクルンとした巻き毛のような形になる、面白い野菜だ。

「プンタレッラにはアンチョビというのがレムリアでは定番」などとスドウも言っていたが、炒めたりしてもシャキシャキ感は消えないらしい。

「胡麻油を使って、ニンニクをきかせて小エビやカキと炒めたりするのも美味いよ」

 そんなふうに教えてくれたスドウの顔つきからすると、炒めものも研究する価値がありそうだ。


「僕はプンタレッラなんて日本にいたころは知らなかったけどな、へええ、そうか美味ちゃんはアンチョビソースで和えたサラダを作った経験があったのか」

 朝食の合間に美味が実習で一度だけプンタレッラを調理した話をして、サラダを勧めると、スドウは「本気で」感心してくれたように見えた。いつも美味の料理を褒めてはくれるが、いつにない本気さが、美味にはうれしかった。


 スドウという人は、決して人を不愉快にさせない気配りが身についている。美味が何を言っても、いつも反応が大人と言うか無難と言うか、感情を露わにする事が無い。

 一緒に暮らしていて、美味が不愉快だと感じる事はこれまでほとんど何も無かった。唯一の不愉快だった出来事は、最初にいたネイメンの街から移動する際にメインスイッチを切られてしまった事だが、あの時のスドウの判断は、恐らく妥当なものだったのだろうと今では思っている。


 三日目のデザートは餃子の皮とリンゴを使った簡単な焼き菓子にした。そもそも餃子自体がこの国には存在しない料理だから、日本なら「なんちゃって料理」扱いだろうが、そこそこ評価してもらえたようだ。


「まるで風車のような面白い形のパイだ」

「中身はトロッして甘く、皮がパリッとしていて、実にこたえられんな」

「また、いくらでも食べられると言いたいのだろう?」

「おお、そうだ。よくわかったな」


 餃子の皮を少し工夫して、四つの羽根状に見えるような形にリンゴの具を包んだ。餃子の皮は上質の小麦粉と塩が有れば、十分できる。リンゴはバターで炒め、柑橘類の皮を加え蜂蜜で煮込んだ。平成の日本ならシナモンと白砂糖を使うところだろうが、どちらもこの国ではまだまだ高価だ。リンゴは日本で食べていたものより果肉が硬く甘みが少ないが、爽やかな酸味が肉料理の後には合うと美味は感じている。

 ともかくも三日目の営業も、滞りなく終えた。連日大繁盛だ。夕方帰宅したスドウにも、餃子の皮とリンゴのパイ風焼き菓子を食べてもらった。そして価格の安いリンゴを使った簡単なデザートのアイデアについて相談した。


「餃子の皮を作ったんだから、今度は春巻きの皮でも使ったら?」

「そうですね!」


 春巻きの皮は小麦粉と水を同量で混ぜたものを、薄く鉄板などに塗り、さっと焼けば出来る。焼くコツさえつかめば、生地を寝かせる必要のある餃子の皮よりずっと短い時間でできる。スドウは見る間に鮮やかな手つきで、綺麗な春巻きの皮を二枚焼いた。


「角切りしたリンゴを、クリーム系とアオカビ系のチーズを混ぜた中に入れて、クルミとかレーズンとか入れて、この皮でくるむってのはどうかな?」

「リンゴは何センチ角ぐらいですか?」

「五センチ、いや七センチでいいか」


 美味はリンゴをさっさと角切りにして、クリーム状にしたチーズの中に投入する。


「この具なら、バターで焼くのが良いですよね」

「そうだな。レーズンはワインにちょっと漬け込むか」

「バターで焼くなら、平たい感じに巻きますか?」

「うん。そうだな。こんなかんじでどう?」

「あ、、いいですね」

「両面をきつね色に焼くといいよな」

 

 たっぷりバターを溶かした平鍋で、スドウは二つの春巻きの両面を焼いた。


「良い感じですね。最後に蜂蜜をかけるのは、どうですか?」

「この国の連中はしっかり甘い方が好きだから、蜂蜜、良いんじゃないか?」


 十分かそこらで試作品が完成した。早速二人で試食する。


「何と言うか、ワインに合いそうな大人の感じの味ですね」

「赤が案外合いそうだよな」

「リンゴのお酒なんかもいいんでしょうけど、この国では見ないですね」

「リンゴ酒も一時期、かなり商売として上手くいったんだが、戦争やら凶作やら飢饉やら有って、いつの間にか醸造元が途絶えちゃったな」


 スドウによれば、今では細々とリンゴ酒を作る村が残る程度で、とても大都市に商品として出荷できるレベルではないらしい。


「先ずはジャガイモの栽培を軌道に乗せたいし、東方諸国との交易もぼつぼつ考えて良いかなと思う」


 どのぐらいの期間スドウが帝国の奴隷であったのか、いつ自由になったのか、そういった細かな事情は知らないが、ふとした縁でこの世界のアジアにあたる地域に移り住んだ時期があったそうだ。


「中国に相当する大陸と国家は、ちゃんと存在していたし、日本に相当する島国も有った」らしい。そうした東方の地域で暮らした際も、色々な産業や食料生産に関わったらしい。

「白い米の飯と味噌汁、なんて、こっちじゃ無理な話だよね。お茶もないし」

「えっと、味噌汁って、日本だと室町時代に出来たんでしたっけ?」 

「そうだったっけ。ああ、その前は焼き味噌なんかで食べていたんだったか

「ええ」

「中国に相当する国にたどり着いたときに、味噌を見つけて、早速味噌汁を作ったもんだよ。出汁は魚のアラから取ったな」

「鰹節とか昆布は、今は出来ていたりしますか?」

「いや、無理だ。鰹節用に安定的に鰹を大量確保できるほどの漁法も確立していないはずだし、カビ付けその他の高度な手法も知られていないだろう。昆布は存在も認識されてない」


「鰹節も昆布も無いような状態だったので、東洋の国々に未練はさほど無いよ」などと笑うスドウのその気持ちが、いったいどのようなものなのか、美味には窺い知れない。東洋にも子孫にあたる人たちがいるのだろうが、その話は一切出なかった。


「久しぶりに戻ったら、こっちじゃレムリア帝国が滅ぶ寸前でね。もう手の施しようが無かった」のだそうだ。滅ぶ寸前の帝国に戻ったころから、大学に籍を置いて各地を巡るという暮らしぶりになったそうだ。学者が一番行動の自由を確保しやすいから、というのが理由らしい。

「そういえば、この世界では魔女狩りなんか無いのでしょうか? 」

「有る。普通じゃない能力を持つ、と見なされた女性が魔女の疑いをかけられて酷い目にあわされるという事が頻繁に起こる土地があって、君を最初に見つけたネイメン一帯は深刻な魔女裁判騒ぎが有った土地だ。だが、このルテティアでは少なくともこれまでは、そのような事件は起きた事が無い」

「ああ……だから、急いでこの街に移動したんですか?」

「それもあるけど、僕自身がネイメンの顔役に魔術使い的な存在として疑われ出したから、さっさと逃げたのさ」

「魔術、ですか?」

「この世界の人間が知らない医学的な知識で、幾人かの親しくなった人を助けたのがきっかけでね。それにいくら調べても、どこの誰の息子であるのか、生まれはどこか、という基本情報を得られなかったのが、余計に疑われたんだな」

「それは……このルテティアでも変わりないんじゃ?」

「一応、この国での洗礼証明書やら出生届やらは有るから、たぶん大丈夫さ。それはそうと、明日は栗のお菓子にするのかい?」

「ええ。栗の甘煮を一個づつ入れたクッキー風の生地の焼き菓子です」

「栗饅頭みたいだな」

「本当は緑茶で、栗饅頭と行きたいところですけど」

「そうだな」


 二人共、日本の緑茶の味を懐かしく思い返していたところに、いきなり烈しくドアを叩く音がした。


「こちらは、スドウ教授の御自宅ですか? さるお方からの御依頼をお伝えに参りました。至急ここをお開け下さい」

 

 スドウは美味を手で制すると、勝手口の覗き窓から、声のする方を確かめたようだった。スドウは夜でも鮮明に相手の姿が見えるらしい。


「ニコラ・ヌムールの家紋のついた馬車を待たせているな。夕食時を過ぎて、いきなりなんだ? 犯罪者扱いって訳でも無さそうだが……」


 スドウにも理由がわからないのだ。美味には何が何やら、まるで訳が分からないのだった。



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