銀貨一枚亭開店・1
「カリッと焼けた部分も香ばしくて美味いが、このベーコンの脂と玉ねぎの旨味が一緒になった部分、こたえられないな」
「ソバでもうまいものが出来るんだな。飢饉のときに食わされた糞不味い焼き団子とは大違いだ」
「使ってるバターが上等だよな。さっき、この店のオバちゃんが言ってたけどさ、女子修道院のバターらしいぞ」
「へえええ、そりゃあすごい」
「昼に銀貨一枚は、ちょっと贅沢な気もしたが、色々入っているスープに肉の入った団子みたいなのも、すげえ美味いから、まあ、安いのかもしれん」
「お前さんがベーコンの脂が美味いって言ったが、先代の王様がお好きだった品物らしいぜ」
「そりゃあ、豪勢じゃねえか」
「昼間っから、酒がグイグイ飲みたくなるのが玉にきずだが」
「そういやあ、酒の値段が高めだな」
「良いワインしか置いてないようだぜ。ひしゃく一杯分で銀貨一枚なのが一番安い酒みたいだ。上物はひしゃく半分でやっぱり銀貨一枚だとさ」
「何を頼んでも銀貨一枚になるようにしてるんだな」
「確かに、どの品でも同じ値段なら勘定は楽だ。ウチの店でも、考えてみてもいいな」
「ワイン以外の飲み物は、リンゴ酒か。特製生姜入りジュースはおかわり自由だそうだぜ」
「ちょっとうまそうなジュースだが、銀貨一枚払うのは、ちょっともったいねえ気がする」
「俺はタダで飲めるこの、麦湯で十分だ。昼飯の後もまだまだ仕事があるから」
店が開くと、パラパラと客がやってきた。顔ぶれを見ると市場の一帯で店を経営している店主クラスの人たちだった。それぞれが食べたものに関する感想を色々しゃべっていたが、概ね評判は良いようであった。だが、近所の店の偵察、といったことなのかもしれず、明日も来てくれる保証は無い。
それでも美味にできるのは、うまいものを作る事だけだ。
時刻を知らせる鐘楼の鐘が正午を知らせるころには、どうやら満席になった。その後も入れ替わり立ち代わり客がやってくる。
店を開けている間は、目の前の仕事をこなすだけで必死だったが、後から思い返してみると、客のほぼ全員が見るからにある程度暮らしに余裕のある男たちばかりで、女の客は居なかった。
それでも一応、予定時間内に用意した百食分は売り切れたのだ。初日としてはまずまずなのだろう。
「女の人が一人もいなかったわね」
「よその街は知らないけれど、ルテティアでは外の店で昼ご飯を食べる女の人なんて、ほとんど居ないわよ」
タニアさんに言わせれば、外で平気で昼ご飯を食べるのは「あのはしたないレムリアの女たちぐらいの物じゃない?」とのことだった。
なぜ、古い都だというレムリアの女の人が引き合いに出されるのか、また、なぜタニアさんが軽蔑したような調子で「はしたないレムリアの女たち」と言うのか、美味には訳が分からなかった。
ともかくもタニアさんと二人で、きれいに店も調理場も掃除をして隅々まで磨き上げ、タニアさんが帰った後は、スドウに念押しされたように完全に戸締りをしてから売り上げを勘定して、帳簿をつけた。ペンはあのスドウのくれたガラスペンを使っている。
スドウはレムリアに長く住んでいたそうで、愛着もあるらしい。そのスドウならタニアさんのある種の偏見めいた言い方が、何によるものなのか見当がつくだろう、と思い至った。
夕刻に帰宅したスドウに早速疑問をぶつけると、スドウは口を歪めて肩をすくめた。
「まあ、ルテティアとは色々習慣も違うからな。かつてのレムリア帝国では貴族階級の女性同士で食事したり、買い物したりするのが普通だったんだ。その伝統は今も生きていて、昼間なら仲の良い女同士で外食したり、買い物したりと言うのは、ごく当たり前の事なんだ。まあ、タニアさんは、レムリアの女性たちの自由な恋愛を非難してるんだろうと見当はつくがね」
そういえばこのルテティアでは、親の決めた相手と結婚するのが普通なのだという話は、美味も聞いていた。
「スドウさんは長い間レムリアに住んでいたそうですけれど、どのぐらい前からの事なんですか?」
「途中で、よそに移ったり、色々有ったが……僕が初めてレムリアの街に入ったのは、ざっと1500年前の話だ」
「え?」
美味は驚きすぎて、思考がストップした。
「びっくりしたみたいだけど、僕の肉体はアンドロイドなんだって、忘れていた?」
「あ、いや……忘れてませんが……1500年て、すごすぎて、わけわかんない感じ」
スドウはその美味の正直な感想に、苦笑した。
「僕は最初、レムリアでは奴隷だったんだよ」
「そう? なんですか?」
「ああ。女奴隷を増やす種付け役」
「え?」
またそこで美味はショックを受けた。種付け? 種付けって、種付けって、種牛とか種馬とか?
「そうそう。まさに、種牛とか種馬の役目だよ。美人な女奴隷を妊娠させる役目だったわけさ」
「え?あ? 私、今、そんな話、しましたっけ?」
「うん」
スドウはおかしそうにクスクス笑った。どうやら美味はパニックに陥って「種牛」とか「種馬」とか口走ったらしい。
「美しくて健康な奴隷は、高額商品だったから、奴隷の種付けも、当時は一種のビジネスって感じだったんだよ」
「えっと、あのあの、アンドロイドなのに……子供って、出来るんですか?」
「なぜか、僕の場合は可能だったんだ。というか並みの人間より効率が良かったりした」
「そ、そうなんですか」
「はっきりした理由はわからないけど、ある種の遺伝子操作とか、遺伝的な病気の発生を抑える目的で僕の肉体は作られたのかもしれない」
「そ、そうですか」
「僕もはっきりとは知らない。何しろこの肉体の製作者の制作意図を僕は知る事が出来ないんでね。長い間この肉体と付き合ってきて、僕なりの仮説を色々考えて組み立てただけの事さ」
美味も、自分のロボットっぽい肉体の制作者の制作意図が何なのか、時折考える。
「という事は、レムリアにはスドウさんの子孫の人がたくさんいるんですか?」
「この国にもたくさんいるよ。一時期、この辺の地方官をやったし、色々なつながりも有って、縁が出来た女性もいた訳だよ」
「そのう、子孫の人たちって、スドウさんの事、今も生きてるって知ってるんですか?」
「知らないはずだが、一部の子孫の家には言い伝えは残ってるようだ。だが、そんな言い伝えを信じている者はいないだろう」
「じゃあ、あの、ええっと……」
「何?」
「あ、やっぱり、いいです」
「何だよ。言いかけて、止めたりして。かえって気分悪いよ」
「もし答えにくい質問だったら、ノーコメントで、その、十分ですんで」
「だから、何?」
「い、今は、その、特別な女性って、おられるんですか?」
「他ならぬ君と、一つ屋根の下に暮らしているわけだけど?」
「いえ、その、私はこんな体ですし、妹設定ですし」
「ああ、子供が出来るような仲の女性がいるかってこと?」
「え、ええ」
「いないよ。自分の遺伝子の影響が薄まるまで、様子を見た方が良いと思って、意識的に女性との付き合いを止めていたんだ。僕の遺伝子を受け継いだ人間は、各地で支配者層の中心になってしまっているケースが多いんでね、何というか、行く末がいろいろ心配だったりするんだ。場合によっては、その国なりその地域の産業なりの健全な発展に、陰ながら手を貸したりしてきたんだ」
「寂しくなかったですか?」
「忙しかったからねえ。可愛い子孫たちのためだと思うと、頑張れたし。寂しがっている時間も無かったというのが、正直な所かな」
「今も、実はお忙しかったりするんですか?」
「うん。この国の貴族層の派閥争いやら、王家内部のゴタゴタやら、色々火種を抱えているんだ。それがもとで内戦状態になったら、皆が大いに苦しめられるのは目に見えている。だから、色々と目配りをして、大きな争いが起きないようにしているよ」
「この国の王様も、子孫なんですよね?」
「うん。まあね」
「そういえば、前に油断ならないと言っていたニコラさんでしたっけ? 宰相の人は、どうなんですか? 子孫じゃないんですか?」
「宰相のニコラ・ヌムールは曾祖父が外国人で金貸しだった。祖父の代からこのネウストリア王国に住み着いた。父親は僕が今籍を置いているルテティア大学で「大秀才」と言われた人物で、大学の人脈のおかげで貴族の仲間入りを果たした。先先代の国王にスカウトされて、財務の担当者になったのさ。ニコラはそのおやじさんに、厳しく仕込まれた。まあ、出来のいい息子って事になるだろう」
「じゃあ、宰相さんは……子孫じゃないんですね?」
「ニコラは違う」
微妙な言い方だなと思ったら、ニコラ・ヌムールには腹違いの弟がいるらしい。
「ニコラの父親は五回結婚した。ニコラは最初の妻の産んだ子で、弟のラウルは五人目の妻の子だ」
その五人目の妻となった女性は王族の庶子であるそうで、ニコラの父親の死後、ヌムール家の家督は王家の血を受けた弟に譲るべきだなどという連中のせいで、兄弟仲もおかしくなったらしい。
「それを苦にしたラウルは、元来体が弱かった所為もあって、ふとした病で亡くなった。身籠った新婚の妻を残してね」
やがて生まれた娘はニコラが引き取り、ラウルの妻であった人はあの女子修道院に入ったという。
「で、そのニコラに育てられた娘っていうのが、色々と話題に事欠かないんだよなあ」
なぜかスドウは苦笑いを浮かべている。




