店のコンセプト・5
「ランチタイム営業を中心に考えています」
「そうだな。夜の営業は、当分は止めた方が良いんじゃないかと僕は思うよ」
スドウはちょっと言いにくそうな口調で「理由は安全上の問題だよ」と言い添えた。
もとより美味は夜の営業は考えていなかった。そもそも協力者のタニアさんは夕方までしか店で働けない。他に人を雇うとなると、給料も出さねばいけないし、教育もしなくてはいけない。そこまで自分で管理できる気がしないので、当然ながら長時間の営業は無理だ。
だが、スドウが一番気にしたのは、そんな事では無いようだった。
「市場の一帯は日のある内は、活気もあるし、別に女の人が独り歩きしてもさほど危険も無いんだが、二つばかり通りを挟んだ先の一帯がなあ……」
スドウは美味の顔を見て、また言い澱んだ。
「タニアさんに教えてもらいました。夜になるとにぎやかになるけど、女の子には危ない場所があるって。ラクテア街っていうんですって?」
「うん。そうだ。喧嘩や暴力沙汰も多いし、胡散臭い連中も多い。可能な限り近づかない方が良いよ」
タニアさんもスドウも、そのラクテア街で起こっていると思われる事柄に関しては、言葉を濁してきちんと説明してくれない。もしかしたら風俗系なのではないか? と美味は見当をつけた。
「色街とか、風俗街とか、そんな場所ですか?」
美味が言うと、スドウは一瞬ほっとしたような表情をしてから、また困惑したような表情に戻った。
「あ? ああ。まあ、そうなんだが……」
「スドウさんは、行く事も有ります?」
一番気になるのは、やはりその点だ。すると、スドウの視線が一瞬泳いだ。
「今は全く無い」
きっぱりとしているというか、やけにそっけない言いかただった。ひょっとするとスドウにはスドウなりの、何か大人な事情が有るのかもしれない。嫌悪感むき出しで、いかにも汚らわしいという感じで眉をしかめたタニアさんとは、かなり様子が違う。「今は」という事は、以前はそうでもなかった……という事だろうか?
あまり突っ込むと、雰囲気が険悪になりそうだったので、美味はそれ以上の質問を控えた。
美味はソバ粉のガレットの他に、具が多めのスープを添えたセットを昼食用に設定してみた。
当初スープは予定していなかったが「馴染みの薄いガレット一枚だけじゃ、あまりお客は来ないと思うわ」とタニアさんの指摘を受けて、急遽考えた物だ。
値段は周辺の食べ物屋や露店の価格設定を横にらみして、銀貨一枚分とした。平成の日本で言うと、五百円硬貨一枚程度の価値なのではないか、と美味は思っている。
さて、そのスープがなかなかに難しい。さほど裕福ではない人々でも、「うまそうなスープ」の香りが立ち上れば、つられて色々注文する可能性が高い、というのがタニアさんとスドウに共通した意見だ。ならば、試験営業とはいえ成功するかどうかは、スープの出来にかかっていると言っても良いのかもしれない。
「美味しそうな匂いですか……ベーコンとニンニクを炒めて、更にネギ類も炒めてからハーブと水で戻した豆と鶏ガラスープを入れて、煮たらどうでしょう? 豆と野菜は、時期ごとに手に入りやすいものを使おうと思います」
「あの、鶏がらスープってのも、おいしいわね。しかも安いし」
「多少面倒ですけどね、でも、スープを作った後に骨からはがせる肉は、また他の料理に回せますから、作り甲斐は有ると思ってます」
既製品のスープの元もブイヨンキューブも、何もありはしない世界なのだから、自分で手づくりする以外に方法は無い。タニアさんは、鶏ガラと季節ごとの野菜を暖炉の火に懸けた鍋に放り込んで丸一日煮る……などと言う非常に素朴な使い方以外した事が無かったようだ。だから、鶏ガラと風味付けのくず野菜とハーブを放り込んで、そこから「基本のスープ」を作るという方法自体、驚いたらしい。
豆も野菜も前日の仕入れ価格で一番安かったものを主に使い、アントニエッタ先生が今住んでいる家の周りの畑の収穫物や庭で取ったハーブ類も合わせて、うまく使い回す事が出来そうだと美味は考えていた。
「鶏のガラから取れた肉も、何か使えないかしら?」
「じゃあ、安く手に入る米の粉と一緒に練って,小さな揚げ物を作ってみましょうか」
「ええ? 何々?」
開店初日に向けた仕込みの時に思いついて作った米粉と鶏ガラから外した肉の揚げ団子は、予想以上においしく出来上がり、タニアさんはえらく感動してくれた。
「でも、お客さん、来てくれるでしょうか? 初日から期待しすぎてもいけないでしょうけど」
美味は席数が三十人分の店で、百食分も用意するのはどんなものかと思ったが、タニアさんは「そのぐらい必要よ」と譲らない。
もしも余れば、スドウの言うように一番最初に下見に行った屋敷町の中の石造りの家の前で、売ってみてもいいかも知れない。どうやらスドウは、あの国王の秘密の愛人の棲家だったという家に多少手を入れた様だ。次の貸し手を探すにしても、水回り部分を明るく使いやすくした方が良い、とか言っていたような気がする。
用意周到なスドウの事だ。何か秘策でもあるのかもしれない。宰相からの回し者だとか何とか言っていた男が務めている貸馬車屋とは、特別な契約でもしたらしく、市場にも有るあの貸馬車屋の出店に連絡すると、すぐに馬車を出してくれる手筈が出来ている。
貸馬車はスドウが大学に出かけるとき以外に、大家さん稼業や、実業家的な活動にも使っているようだ。実を言えば、スドウが毎日実際何をしているのか、美味はよく知らないし、聞きもしない。スドウも美味にあまり細かい事を聞かないのだが、色々な筋から情報が入るようで、時折、助言をしてくれたり、必要な便宜を払ってくれたりする。
考えてみれば、薪や照明用油や、屋根や井戸の補修も、スドウが手配してくれたのだ。いつもどこかでスドウの力を当てにして、甘えているような今の状態で良いとは思えない美味だが、取りあえず店を軌道に乗せなければ恩返しも出来ないとも思っているのだった。
「明日の昼時はきっと大忙しよ。市場を回るたびに宣伝もしてきたし、これだけおいしいのだもの。大丈夫よ」
タニアさんは、胸を叩いてそう言うが、美味はそこまで楽天的には考えられなかった。
一夜明けて、開店当日、仕込んでおいた鶏ガラスープの出来は上々だ。水に浸しておいた豆も下ごしらえが出来た。卵も牛乳も無事に届いたし、朝どりの野菜も洗いあがっている。あとはタニアさんが到着したら調理にかかろう、そう思った矢先、見慣れない男たちが五人ばかりドヤドヤと開店前の店に入り込んできた。全員腰に剣を下げ、うらぶれた傭兵風と言うか、物騒な雰囲気を漂わせている。
「おうおう、俺様たちに無断で新しい店をおっぱじめるたあ、いい度胸じゃねえか、ネエちゃん」
「小娘が取り仕切るにしちゃあ、場所が良すぎらあな」
「俺たちの所に挨拶がねえのは、どういうことだい?え?」
これは、いわゆる「みかじめ料」の請求か何かだろうか?
「金の出どころは誰なんだ? え?」
「大学で教師をやっております兄が出してくれました」
「へーっ! お偉いお偉い大学の学者先生が、妹に食堂やらせるってのか? よせやい」
「本当の兄貴のわけはないさ」
「ちょいと訳ありみたいで、おもしれえな」
男たちは勝手に店内で一番値の張るワインの樽を開いて、飲み始めた。
「ネエちゃんのお兄上様とやらと話が着くまで、ここで飲む事にするぜ」
「酒のつまみぐらい、何か出せや!」
「おうおう、随分とまあ、きれいなおべべを着てるじゃねえか。お兄上様に可愛がられてんな?」
そこで、なぜか下卑た感じの笑い声が一斉におこる。
「ネエちゃん、つまみが無理なら、あんたのお酌でもいいぜ」
美味は逃げ出そうと思ったが、恐らくこういう事をしなれている連中なのだろう。表側も勝手口への通路も、ふさがれて、身動きが取れないのだ。
目つぶしに熱湯でもぶっかけるか、粉でも撒くかして、逃げ出せないか……美味がそう考え始めたその時、馬車が店の前で急停車し、降りてきた肥満体の老人が店に入るやいなや、怒声を発した。老人の両脇には屈強な二人の男がにらみを利かせている。
「てめえら! 俺の御恩人の御家族に何をしやがる!」
老人は手にしたステッキで、ワインを飲み始めていた男の頭を殴った。
「よくも、よくも、俺の顔に泥を塗りやがって!」
他の二人の男の頭も立て続けに殴った。すると、最初にワインの樽を開けた、ふてぶてしい顔つきの男が老人の前に這いつくばった。
「お、おやじさん、おやじさんの御顔に泥を塗るなんて、そんなつもりは」
「じゃあ、てめえらのしでかしているこたあ、なんだ! ケチなたかりじゃねえか」
「へ、へい」
すると、そこへ、大学の黒いガウン姿のスドウが息せき切って現れた。
「ヴァラキさん! 妹は、無事ですか?」
「ああ、先生、こいつら、勝手にワインの樽を開けたようです。それに……おい、お前ら、きっちりお詫び申し上げて、隅々まで掃除しろい!」
どやしつけられた男たちは、さっきまでとは打って変わり、卑屈なまでにペコペコしながら、掃除をするつもりでやってきたタニアさんが驚くほどの手際の良さで、店内を綺麗に磨き上げた。よほど老人が恐ろしいらしい。
老人とスドウは何事かヒソヒソ語り合っていた。タニアさんが言うには、レムリアの方の言葉を使っているらしく、美味には話の内容はまるで聞き取れなかった。だが、老人がスドウに敬意を払っているのは十二分に感じられた。
どうやら、難癖をつけに来た五人にもレムリアの言葉はわからないらしく、気遣わしげにチラチラと様子をうかがいながらも「サッパリわからねえや」などとぶつくさ言っているのが妙に可笑しい。
店がきれいに片付き、開店準備が出来た所で、そのヴァラキという老人は、勝手に開けられたワインよりずっと良い品を二樽置いて去って行ったのだった。




