店のコンセプト・3
美味はひっこして以来連日、タニアさんと一緒に市場の中を回っている。
市場の外延部は、一般人も商品を購入が許されている小規模の仲買人の店やちょっとした食堂や惣菜屋などが集まっており、ルテティアの住民、あるいは市内へ通じる検問を通過できた者なら誰でも出入り自由だ。だが、中央部は原則的には食品ギルドの構成員しか入ることが認められていない。
「でも、実際は食品ギルドの人間じゃない者が、かなり紛れ込んでいるわねえ」
タニアさんによれば、食品ギルドの中央委員会に一定額の上納金を納めれば、中央部での商いも可能なのだそうな。美味がメンバーになることを認められたルテティア食品ギルドは、本人がルテティアに住み、ルテティアに居住して正業に従事する保証人が有り、なおかつ古参会員の推薦を受けた場合にのみ、入会が認められる。
美味の場合はスドウが保証人で、古参会員であるアントニエッタ先生が推薦人というわけだ。
ルテティア食品ギルドは他の地域のギルドとは異なり、食料の生産者・商人・料理人全ての領域を網羅するもので、国王から下々の貧民に至るまで、食糧に関するすべての権益を握っている。
「役人に逆う事は有っても、ギルドには逆らうな」などと言われるのも、無理はないのだ。
ギルドの運営は、加入十年以上の古参会員の互選で決まった十人の委員が行う。委員への立候補は出来ないのだそうだ。重要なのは自己評価ではなく、他人の評価だという事なんだそうな。
そうは言っても、ぜひ委員になりたい人間はいる。様々な形での事前運動があるようだが、他人に暴力を振るったり、事実に反する噂を広めたりするのでなければ、収賄と見なされるような活動もOKらしい。ギルドメンバーの感覚では「収賄も能力の内」なのだ。
従って委員選出の時期になると方々で宴会が開かれ、贈り物が飛び交うらしい。それがまた商業の活性化につながるから、全然かまわない。そういう話を以前スドウから聞いて美味は仰天したものだが、タニアさんにとっては「自明の理」のようだ。
「皆の話題になるような素晴らしい御馳走を用意できる人は、それだけでも大いに評判が上がるわ。有力委員が大切なお客たちのもてなしに使った料理は、街のあちこちで話題になるし、作った料理人は人気者になるの」
「そういう料理人は、皆、店を持っているのですか?」
「格式ばった料理を御馳走するなら、王族や貴族にお仕えする料理人さんが普通だけど、最近人気の、気軽に思い切り御馳走を食べる宴会だと、店を開いている人が任される事も有るわね。どっちにしたって、おいしい事が何より大事なのよ」
口の肥えたギルドの有力メンバーを感動させるような御馳走を作るのは「並み大抵の事ではない」ので、「ロクに料理らしい料理も無いような国から着た連中」がギルドのメンバーになるのは、非常に難しいのだそうだ。
少なくともタニアさんによれば、ルテティア住民以外で素晴らしいごちそうを作る能力が有るのは「帝国の伝統が残されているレムリア」と「大アルビオン島のアルバン」の出身者だけだ、というのが常識らしい。他の地域には「料理らしい料理は無い」と見なされているのだ。
資金力は十分あっても、ギルドの入会条件を満たす事が出来ない外国の商人などは、上納金を納めて中央部に店を持ち、入会条件を満たせるチャンスを待つものらしい。そうした連中が市場に出入りするのは当たり前のような気もするが……
「それなら一応規則の内だから良いのよ。どうやら、もっと胡散臭い連中が増えたのが気になるわ」
タニアさん自体もギルドの古いメンバーなだけに、色々気になるようだ。言葉が不自由で服装も周囲とは異質な、一目で外国人と解る連中については「胡散臭い」としか思えないらしい。スドウが常々言うように、この世界では異文化や異人種を受け入れられる人間の方が少ないのだろう。
タニアさんの分類では「料理の味もわからない連中」イコール「ギルドに全くふさわしくない」つまり胡散臭い連中という事になるのだ。
中央部は王室や特権を持つ御用商人しか入手できないような特殊な商品の店や、穀類・食用油・乳製品・食肉・酒・塩・蜂蜜・砂糖といった国の食料政策の基本となるような物資の卸業者の事務所などが集まっている。これらの事業所なり店なりは、原則的には店などで商売をやるギルドのメンバーが顧客なのだ。これまで商売とは無縁であったタニアさんは、もう長い間中央部には足を踏み入れていなかったらしい。
「家で使う分をちょっと買うだけなら、面倒のない外延部で十分だけど、商売用なら、中央部で良いものを安く仕入れないと」
ギルドのメンバーなら、中央部で行われる国が行う穀物や酒類の入札や、外国からの贈答品であったり、王室が直に買い付けたりした高額で珍しい品物のオークションにも参加資格がある。大規模入札以外に、国庫や王室に納める条件から外れた品物の、小規模なセリなども頻繁に行われる。
「地方からの献上品や王家の農園からルテティアに届いたものの、王様ご一家がお使いにならないので余ってしまった肉類とか穀類なんかは、さすがに良いものばかりよ」
タニアさんが言うには、先代国王は脂が多いベーコンや血入りのソーセージが好きだったが、その息子である今の国王は牛肉の赤身やスモークチキンが好きらしい。チーズの好みもワインの好みも先代と現国王では違うので、今の王宮で人気の無い食品は、上質な品であってもギルド会員なら格安で手に入るのだそうだ。
「何しろ王家の御用を勤めたような所の品を、そこらの店におろす訳にもいかないのよね」
ギルドの会員にのみ販売を認める事で、王家御用達のブランドを守っているようだ。あるいは、一般に出すほど数量が確保できないという事なのかもしれない。
「御用達の品を使った料理は、それだけでも人気が有るわよ」
厳しい居住条件などもあるためか、ルテティア市民は「偉大な王国の中心」の住民と言う意識が強く、ブランドが好きで権威に弱い傾向もあるように美味には感じられた。
連日タニアさんと市場周辺を探索した後は、市場で仕入れた素材で試作も兼ねて、二人で遅めの昼食と早めのおやつにしている。おやつはいつも多めに作り、タニアさんに持ち帰ってもらう。先生や先生の所に手伝いに来る人に食べてもらって、意見や感想を聞くためだ。
「昨日のケーキのふわふわした感じは目新しかったけれど、もっとしっかり甘い味の方が、良かったのかもしれないわ」
タニアさんの甘みに対する感覚は、和菓子が基準の美味とは違う。はっきりした強い甘みが、この地域では好まれるようだ。そのため、取引されるようになってまだ歴史の浅い砂糖は人気商品なのだ。
「じゃあ、ふわふわの生地に、果物を蜂蜜で煮たジャムを挟んで、乾煎りしたクルミを刻んだのと黒砂糖の粉をちょっとづつかけたらどうでしょうか?」
この国では砂糖はまだまだ高価な品物であって、特に白砂糖は貴重品だ。だが、黒砂糖ならどうにか手が出せる値段になってきている。庶民の間でも「身近なぜいたく」として黒砂糖を使った菓子類が受け入れられるようになっては来ている。
「そのやり方なら、黒砂糖をたくさん使わなくても、ちゃんと甘くなりそうね」
タニアさんは、美味の提案を受け入れてくれた。前日とほぼ同じスポンジケーキではあったが、味付けを変えた事で印象は大いに変わったようだ。
「果物のジャムとクルミの使い方が斬新で、良い感じねえ。これなら先生も喜んで下さるわ」
その日焼いたスポンジケーキは全てジャムとクルミで味付けし、タニアさんが残らず持ち帰った。
帰宅したスドウにその話をすると、一冊のノートとペンをくれた。上手くいった料理のレシピを整理するのに使え、という事らしい。
「このペン、キラキラして、すごくきれいですね」
「新開発のガラスペンだよ。遠いレムリアの腕利きのガラス職人しか作る事が出来ない品だが、そのうち、このルテティアでも大ヒットすると思うな」
スドウの説明によると、このガラスペンは明治時代の日本の職人さんが作ったものをまねたのだそうだ。毛細管現象をうまく使っていて、ペン先をインクに浸すだけでかなり連続して書く事が出来る。
ペンは便利になった一方で、ノートの方は薄い紙が存在しないために、どうしても厚ぼったい。貰ったノートも表紙は革製で、まるで製本したスケッチブックの様な感じで、持ち歩くには重い。それでも皮の表紙は鮮やかなワインレッドで、金色のつる草の模様が美しいので、特別な贈り物をもらったという感じがする。
それからはいつものように、美味とスドウは並んで台所に立って夕食を作るのだ。二人の関係を何と言うべきか美味にはよくわからないが、少なくとも「家族」であるのは確かだと思っている。




