店のコンセプト・2
スドウがなぜ「怖い」といったのか、美味も考えないではなかったが、考えてもわかるはずのない事に頭を悩ませるのは止めた。まずは自分なりに納得のできる店を作る事に集中しようと思ったのだ。
すでにアントニエッタ先生はあの市場の傍の家から、スドウが所有しているらしい街外れの広い庭が有る家に移っている。
「市場の傍の家は僕が分割払いで買う格好になっている」のだそうで、先生が気に入って引っ越した街外れの家は、先生が生きている限り賃料などを取らずに済む事を認めるようだ。
「分割払いのお金は、先生の生活費になるんでしょうね」
「うん。毎年一回、全部で二十回の分割払いだよ。利子は無い代わりに、僕が持っている家にタダで済んでもらうってことだな。街の商業地としては一番良い条件の場所で、あれだけしっかりした建物だと、総額は大きな額になるから、一括払いは僕もキツイ」
スドウの収入の一部が土地や家の賃借料だという事は、つい最近になって美味も知ったのだが、他にも色々な収入があるらしい。大学の教師としての報酬や、色々な商会や職人ギルドの顧問のような事もやっていて、金だけではなく、酒や保存食や衣類などの現物で報酬を受け取る場合もあるようだ。
「織物ギルドのよこす大量の厚手のウールとか白い麻布なんて、僕一人じゃ使いきれないからね、幾つかの修道院に寄付している。すると今度は寄付した修道院から、酒とか保存食なんかの名産品を年末に送ってくる。どの修道院も手抜きしないで、いい仕事をするから、僕は美味いものにありつける」
あの女子修道院の場合は、そのままでは硬いが、溶けると美味しいチーズを寄越すらしい。
「修道院の傍の場所って、門番の人がいる向かいの空き地ですよね?」
「うん。市場の傍の家よりデカい建物も十分立ちそうな面積だな」
「となると……周りにも家も無い所に、ポツンと建てる感じですね」
「うん。ただ、あそこはルテティアを目指してくる多くの旅人や馬車が通過する場所で、かつてはあそこに水飲み場と、ちょっとした休憩所みたいなものもあって、ちょっとした食べ物を売る露店なんかもでていた。だから、それなりに商売のやりようもある。だが、今の段階じゃあ、荷が重いかもな」
「今の段階での第一候補は、アントニエッタ先生が住んでいた家ですよね?」
「そうだ」
「店をやるにあたって、改装とか仕入れとか、お金がかかりますよね? だって、アントニエッタ先生からあの家を買うのは、分割払いでしょう? やりくりは大変じゃないですか?」
「一括払いもできないわけじゃない。だが、あちこちに預けたり投資したりした資金を動かすのは面倒だし、先生も年金形式で必要な生活費が来る格好の方が都合がいいっていう事だったから、分割払いでって話になったんだ。改装なら大して金は要らない。美味ちゃんが気にしなくても大丈夫だ」
「となると、資金計画はスドウさん任せですから……つまり、スドウさんは店のオーナーさんで、私は従業員と考えればいいのでしょうか?」
「僕は確かに出資者だが、店は美味ちゃんに任せる」
そんな風に言われてしまうと、美味としては責任を感じる。
修道院を訪問した後、三番目の候補地である門前の土地を確認してきたが、水質の良い泉が湧き出ているほかは、特に何もない。場合によっては建物を建ててもいい、とスドウはいうが、街道沿いとはいえ、周りは修道院の農場や牧場だけなのだ。とても客相手の商売が成り立つとは美味には思えない。
「昔は、あそこに旅人が休憩する茶店兼料理兼宿屋みたいなものが有って、繁盛していたんだ」
「うちの先祖も街道筋の茶店をやっていたみたいですけど、本当にお団子とお茶ぐらいしか出さない小さな店だったようです。宿屋さんまで兼ねるとなると、かなりの人手が必要だったでしょうね」
「確かにな」
「やっぱり最初は、小さな商売を手堅くやるべきかなと思います」
女子修道院から格安で譲られるという卵と牛乳は、手に入る量が日によってかなり違うらしい。鶏や牛の体調なども季節の変化による影響を強く受け、近代的な農園とは違って、収量は安定しないらしい。更には修道院で儀式がある日には、大半の卵や牛乳を内部で使うため、出荷は望めないそうだ。
「じゃあ、卵と牛乳は店の『売り』には出来ないですね」
「そうでもないと思う。修道院の重要な祭日は、このルテティアの住民にとっても特別な日なんだから、宣伝効果は大きいよ」
スドウによれば、修道院の卵と牛乳と言うだけで、街の人間は皆、ありがたがるらしい。
「それでも、何か、安定的に売れる定番は必要ですよね」
「人は、雇わないのかい?」
「タニアさんが手伝ってくださるようですから、お願いしたいのですが……」
「良いんじゃないか」
「スドウさんて、人の考えが読み取れるって話でしたけど、タニアさんやアントニエッタ先生が、私をどう思っているか、わかりますか?」
「うん。好意的だよ。先生は美味ちゃんは商売をやるより、やんごとない方の御邸で行儀見習いをやるべきだと思ったりもしたようだが、美味ちゃんの料理は美味かったらしい。だからテストケース的にギルドに推薦したらしい。タニアさんは、君と一緒に働きたいと感じた様だ」
「そうですか」
「女性が職業を持って独立する事が、まだ、一般的じゃないんだ、この社会は」
スドウはそんな風潮を変えるべきだと思っているようだ。
「学校では『飲食店のコンセプトは5W2Hではっきりさせよう』と習いました」
「5W1Hとどこが違うわけ?」
「そうですね。Why・なぜ店を持ちたいか、What・どんな商品や料理を店で出すか、Whom・誰にというか主な客層はだれか、Where・どこに店を出すか、When・いつから店を始めるか、この五つが5Wです」
「へえ、確かに大事なポイントだね。じゃあ、後の一つはHow muchだったりする?」
「そうです。How muchで予算がいくらか、で、残りはHow toで店の営業形態です。ジャンルとかスタイルとか店の規模とか具体的に詰めなくちゃいけないって事ですね」
「僕はそんな風に考えたことも無かったな。さすがに立地と資金は考えたけどさ。あ、あと買ってくれそうというか、客になりそうな人間がどの程度いそうかと言う見通しはつけたけど」
「スドウさんは、食べ物屋さんを経営した経験も、有ります?」
「考えてみれば、無いなあ。農場経営とか新商品を開発して、権利を人に譲ったり製法を教えたりって事は、結構やった。料理人みたいな事をやった経験はあるが、食べ物屋の店は未経験だ。ああ、出来る人材を発掘して、流行る店のオーナーをやった事は有るけどな」
「じゃあ、今度もオーナーさんで、良いんでしょうか?」
「美味ちゃんが、そのほうが納得できるなら、それでいい」
「じゃあ、スドウさんがオーナーで、私は店長という事で」
スドウは何か言いかけたが、言うのをやめたようだ。
もしかすると美味が思っているより、スドウはずっと金持ちなのかもしれない。だから美味が儲けても儲けられなくても、さほど気にはならないのかもしれない。しかしそれでは、美味自身が嫌なのだ。
「私、この国の物の価値とか、物価とか、そのあたりの感覚がさっぱりわからないですし、店のお客になりそうな人たちの金銭感覚もわかっていません。どうすればいいでしょう? その辺の事情がわからないと、他の要素も固められない気がします」
「そっか……じゃあ、早めにあの市場の傍の家に越して、タニアさんについてもらって、市場で色んな食材を買ったり試作品を作ったり、しばらくやってみたら、どう? 市場調査も売れ筋商品の分析も、自分でやるしか無い状況だし……でも、くれぐれも君の体の秘密は知られないように、よく気を付けるんだよ」
今の体が普通では無い事を、つい、美味は忘れていた。どこかの料理屋でアルバイト的に働いてみたかったのだが、スドウは止めろと言いそうだ。あの山賊たちの酷い暴力や、かなり目立つ球体関節の事を考えると、危ないのかもしれない。
「タニアさんは……私の手や指の関節が変だって、気が付いたかもしれませんね」
「関節の形が普通では無い事に気が付いているが、『そういう生まれつき』だと考えているようだ。タニアさん自身、生まれつき左右の足の長さがかなり違うし、右耳の耳たぶがほとんど無いという人だから、通常の人より、受け止め方が寛容なんだろう」
「ええ? タニアさんが? そうなんですか?」
「足と耳の事、気が付かなかったか?」
「ええ、全然」
「美味ちゃんとは相性がいいのかもしれないな。タニアさんは軽い言葉の障害もあるようだが、美味ちゃん相手だと、なぜか滑らかに話す事が出来たらしい。だから、めったな事で君に不利になりそうな話はしないだろう。先生は目が悪くて、至近距離の物しかちゃんと見ることは難しいし、たとえタニアさんから何か聞いたって、他人にそんな話はしないさ」
「ふう。よかった。これから出かけるときは、前よりも用心して、関節を隠すような手袋をするようにします」
そんな話をして十日と経たないうちに、美味は市場のそばの家に移った。スドウは当然のように、一緒に移り住んだ。これまでより大学に通うのが不便だと美味は思うのだが、「全く問題無い」らしい。
移り住んですぐに、ギルドからの認定も貰った。
タニアさんは、アントニエッタ先生の食事の準備を済ませて、昼少し前からおやつの時刻まで、毎日通ってくれる事になった。移った先の近所にもアントニエッタ先生の元の弟子達がいて、何かと助けれくれるので、タニアさんは安心して外出できるらしい。




