店のコンセプト・1
「店づくりはコンセプトづくりから」
美味はそんな言葉を高校の授業で習った記憶はある。
「私は調理科の二年生でしたし、家も食べ物屋でしたから『店舗経営』とか『店のコンセプト』って言葉には、普通の高校生よりは馴染んでいるわけなんですが、自分でその『コンセプト』を作るなんて、考えたこともやったことも無くて……」
スドウにはそんな風な話をしたが、考えてこなかったのには理由がある。
「豊原さん、あんたは何も考えていないから失敗した。まともにコンセプトを組立てもしないで、出鱈目に金をつぎ込んで、その金が回収できませんでしたって、当たり前じゃないですか! ふざけないでいただきたい」
父が返済の猶予を頼み込んだ折に、家に来た銀行員は青筋を立ててそんな事をわめきながら、机を拳で叩いていた。あれは小学五年生の年のクリスマスの直前の出来事だったはずだ。
生まれて初めて聞いたコンセプトと言う言葉ではあったが、何となく意味合いは理解できた。
「お父さんって、腕は悪くないし人柄も悪くは無いんだけど、何でも詰めが甘いのよね」
母はよくそんな事を言っていた。
結婚直後にも父は大きな借金をしたそうで、その時の原因は過大な設備投資をしたケーキ店がつぶれたかららしい。
「輸入品のオーブンに最新型の大型冷蔵庫にクリームマシン、ショーケースでしょ、調理器具も本格派にこだわっちゃって高いもので揃えたし、内装まで輸入タイルに輸入壁紙を使っちゃうって具合だったからねえ」
そうまでして作った店だったが、ケーキの売れ行きはさっぱりで、すぐに閉店に追い込まれた。
「おいしいのに、見事に売れなかったわね。値段が高いと思われたんでしょう。妥協しないで本格的な素材を使ったのが裏目に出たのね。ケーキを作れば作るほど赤字は大きくなったわ」
その後、父は幾つかの洋菓子店で働いたが、周囲と揉め事をおこして店を飛び出すという事を繰り返していて、いつまでたっても大して稼げるようにはならなかったらしい。
母は、美味を産んですぐから昼も夜も身を粉にして働き、十年以上かかって、ようやく借金を完済した。だがその直後に、父はまた無謀な借金を勝手にして店を作り、短期間でつぶしたのだった。二度目の借金の額は十年がかりで母が返した額を上回ったそうで、既に家を出ていた母は、父との離婚に踏み切ったのだ。
美味には「お母さんと一緒に暮らさない?」と言う誘いは有ったが、生まれてからずっと住んできた土地を出る気にはなれなかった。
借金返済のために昼夜を問わず働きづめだった母に代わって美味を育ててくれたのは、和菓子職人の祖父だった。美味は祖父の作る上用まんじゅうが大好きだが、羊羹などの棹物や季節の上生菓子も大変おいしい。腕利きの和菓子職人として県から表彰されたり、作った菓子が来県した国賓や有名人に買い上げられたりした祖父だが、父にはずっと悩まされてきた。
「こんなみすぼらしい、くすんだような饅頭屋を継ぐなんて、嫌なこった」
父は度々そんな事を言い、祖父にはずっと反抗的だった。洋菓子を目指したのも、本当に洋菓子が好きだからなのか、単に祖父に逆らいたいからなのか、美味にはよくわからない。
父の嫌う「くすんだような饅頭屋」は、ほとんど祖父一人で切り盛りする小さな店だが、長年のお得意様と地域の人々に支えられ、安定した売り上げが有った。
母によれば「昔はお弟子さんも三人ばかりいた」そうだが、父の無茶な借金のせいで迷惑をかけたくないという理由で、他の店に移って貰ったらしい。
その弟子たちは義理堅い人たちで、元の師匠が忙しい時は何かと助けてくれるのだが「いつまでも甘えてはいられない」と言うのが祖父の悩みだったらしい。それでも四代続いた家業を途絶えさせていいものかどうか、気持ちは揺れていたようだ。
店の行く末について悩んでいたところに、父の二度目の無茶な借金にショックを受けて、祖父は倒れてしまい、その後半年近い入院生活が続いた。そしてその費用は、しっかり者の母が祖父に勧めて加入していた医療保険と、母自身の稼ぎから出たのだった。
母は祖父の入院した大学病院のある街で小料理屋を営んでおり、その店は有名なガイドブックにも掲載されるような人気店になっていたのだ。
祖父が入院してからは、美味も母の住まいに移る決心がつき、そこから中学と高校に通うようになった。母は祖父が退院した後も、実の親子のような親身な世話を続けていた。
「私はおじいちゃんの作るお菓子が大好きだし、職人さんとして尊敬しているし、美味を育てて下さった御恩もあるもの」というのが、離婚した夫の父親の面倒を見る母なりの理由であるようだった。
銀行員に罵倒された父は、二度目の大失敗でようやく洋菓子職人としての道を断念した。今は建設関係の寮の住み込み料理人をやりながら、借金返済に務めているはずだ。
「だいたい銀行の担当さんも、お父さんなんかにお金を貸す前に、コンセプトとやらについて、もっと真剣に問いただしてくれたら、二度目の借金は無かったかもしれないのに」
母の言うように、銀行のチェックも甘かったのだろう。
「最初の借金の返済計画なんて、私に丸投げだからねえ。私もおじいちゃんも、お父さんには甘くしすぎたかもしれない」
父を憎んでいるのかと思い切って美味が聞くと、母は苦笑いしてこう言った。
「あの人はハンサムだし、笑うと愛嬌があるから、面と向かってしまうときつい事が言えないのよ。お金の事は無茶苦茶だけど、腕は悪くないし、本物の味もわかっている人だわ。私にもっと甲斐性が有れば、離婚しないで済んだんだろうけどね」
母に言わせると、祖父も早死にした祖母に良く似た父を「可愛がり過ぎた」のだという。
「写真と近所のうわさでしか知らないけれど、お祖母ちゃんって、見るからにお上品で優雅な感じの美人さんだったようね」
祖母は創業三百年だか四百年だかの有名な菓子店の娘で、祖父から見れば師匠の娘にあたるらしい。初恋を実らせて結婚できたのもつかの間、父を産んだ後、祖母はすぐに亡くなってしまったという。
「子供のころのお父さんの写真、見た? 可愛いでしょう? おじいちゃんにしてみれば、大事な人の残してくれた、たった一人の大事な息子なんだし、ついつい甘くなったっていうのはわかるのよね」
今頃、母はどうしているのだろう? 祖父は元気だろうか? 父は……
「美味ちゃん、どうした?」
「え?」
「なんか、深刻な顔つきで考え込んでいるからさ」
「コンセプトって、いい加減に考えると、お店も上手くいきませんよね」
「まあね。でも、最初は大きな事は考えず、出来る範囲で地道にやればいいんじゃないのかなあ」
「はい」
スドウは探るような視線を美味に向けた。
「何か辛い事があるんじゃないかい? まあ、わけのわからない世界に放り込まれて、体まで機械的なものになってしまっているんだし、それだけでも十分辛いだろうけど……」
「スドウさんは、日本の御家族の事って考えませんか?」
「僕は……諦めた。こっちの世界が随分長くなってしまったし、責任も出来てしまったと感じているし、今さら日本に戻ったからってどうなんだって気もするし」
「……そうですか」
「美味ちゃんは、戻りたいよな?」
「……ええ」
「僕なりに手を尽くしてみるよ」
「戻る方法なんて、有るんですか?」
「僕も確信は持てないんだが、君の意識がその機械的な体と結びついているのは、誰かのミスかも知れない、そんな気がする」
「誰かって?」
「平成の日本人じゃ無いのは確かなんだが、人間には違いない。そうだな、多分未来人とか、そんな存在じゃないかと思うんだ」
「そんな人に会った事が有るんですか?」
「うん。ある。ごくまれに、この世界にもパトロールか観察か研究かは知らないが、やってくる事がある。そういう人間なら、君の現状をどうにか出来るのかもしれない」
以前遭遇した未来人らしき人物の意識に、スドウは呼びかけてみるという。
「そんな、エスパーかなんかみたいな事、できるんですか?」
「まあね。生身の体を持った人間なら、大抵の場合、僕は意識を読みとる事が出来るんだ」
「そうなんですか?」
「でもね、美味ちゃんの感情や意識は読み取れない。ボディーの表面温度とか、エネルギーの充填度とかは解るんだけどね」
「私の体が……メカだからでしょうか?」
「理由はわからないが、全然読み取れないのは本当だ。だから……」
スドウは悲しげな眼をして、笑みを浮かべた。
「辛い事があるなら、どんな些細な事でも教えてほしい。君の気持ちは読めないから……怖いんだ」




