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開店準備・5

 アントニエッタ先生からギルド会員へ美味を推薦する約束は取りつけたものの、別れる間際はちょっとばかり気まずい雰囲気だった。だが「次の約束の時間が迫っている」とスドウが言うので、急いで馬車に戻り、女子修道院へ向かった。


 灰色の石で出来た建物は、まるで堅固な要塞のようで、入り口の門には物々しい武装をした兵士が守っている。そこでスドウが修道院長のサイン入りの通行許可証を見せると、ようやく跳ね橋がおろされ、水をたたえた掘を超えて、敷地内に入る事が出来た。

 馬車は跳ね橋を超えてすぐの大門前を守る兵士から、迂回して入り口付近で待つように命じられた。

 スドウと美味はそこからは歩いて第三の門へ進んだ。そこからは兵士の姿は無い。顔をすっかり灰色のベールで隠した尼僧らしき人が、無言で門を開けただけであった。


 中に入ると地球のキリスト教の教会のような通路と座席の配置の部屋になっていてる。部屋の大きさは平成の日本なら、学校の体育館程度というところか。全く人気も火の気も感じられず、冷え冷えとしている。巨大な祭壇らしき部分の下は、高さが二メートル程度の金属製の檻か籠の様な状態になっているのが見て取れる。金属の網は優美な唐草模様の金色の飾りが施されている。おそらくは女子修道院側の人間が、部屋の内部の人間を監視ないしは観察するための設備なのだろう。御丁寧にもその籠と言うか檻のすぐ手前には柵まで立っているのだ。折や柵の飾りが優美であってもものものしいには違いない。柵越しに檻の奥の方で明りが灯っているのは確認できるものの、内部は暗く、様子がはっきりとはわからない。だが、奥の方で扉が開閉するような音が聞こえたと思ったら、かすかに香木を燻らせたような香りがして、誰かが一人で入ってきた気配だけは、どうにか感じられた。その人物は籠というか檻というかの内部から、どうやらこちらに視線を向けたようであった。


「スドウ様と妹君ですね」


 いささか唐突な感じでかけられた声は、アルトの、耳に心地よい響きの声だった。


「はい。本日は修道院長直々に、妹に御面談いただけるとの御手紙を頂戴いたしましたので、兄の私が付き添ってまいりました」

「私が修道院長です。本来なら多大な御支援に対して、直接御礼申し上げるべきですが、戒律を守るためにこのような仕儀と相成ります事、お許し下さいませ」

「私は何も存じませんが、何やらこちらとは先祖以来のお付き合いが色々有るようですね」

「それは、妹君もそのように御理解なさっている……という受け止め方でよろしいのでしょうか?」

「ええっと、それは……どのような意味合いでおっしゃっているのか、僕には理解できませんが」

「初代の院長から受け継がれている品で、さるお方の肖像画があるのですけれど」

「はあ」

「そのお方は若々しい御姿のまま、永遠に生き続けられるのだと言われております」


 スドウは無言だ。


「とうに滅んでしまった古い帝国のころの貴人の御姿で描かれておりますが、そのお顔が、あなたに大層似ておいでですの。この修道院が創立以来、数多の戦乱の中でも無事であり続けるのは、そのお方のおかげです。その方の残された門外不出の古文書の御筆跡と、スドウ様の御手紙の文字が大層似ておりましたから、古くからの申し送りに従い、破格の条件ですが、御希望にお応えせねばならないだろうと考えてはおりましたが……髪と目の色が異なるとはいえ、これほどにお顔立ちが瓜二つでいらっしゃるのは、まさに天のお導きでしょう」

「では、牛乳と卵の件は、お許し願えますか」

「ええ。フフッ」


 修道院長を名乗る女の声は、妙に浮き立っているように美味には感じられた。


「本当に、不死の聖人様御本人がおいでになったかと思いましたわ」

「そんなに、そっくりなのですか?」


 美味は興味が抑えられなかった。その聖人様というのは、スドウ本人かもしれない。


「ええ。妹君はこちらからお入りいただけますわ。中においでになって、祭壇の中に飾られている肖像画を御覧になりますか?」

「よろしいのですか?」

「本当は……かなり修行を積み、外部の世界と交わりを絶った者にしか見せない当修道院の秘宝ですけれど、院長の判断で例外的にお見せする場合も無いわけではありません。御覧になった後も秘密を守ってくださる方と言う条件は外せませんが……いかがなさいます?」

「見たいです!」

「ふふっ、まあ、可愛い方ですね。では、こちらの戸をお開けいたします。どうぞ」


 修道院長が手に燭台を持っていなかったら、内部は真っ暗だろう。


「お足もとに気を付けて下さいな。ここはかつて、岩山を彫りぬいた洞窟だった部分でして、歩きにくいですわよ」


 その言葉どおり、細い洞窟が続く。入口から二百歩入った所で、左に曲がった。すると、そこには外光を取り込んだドーム状の空間が広がっていた。


「高い位置に天窓が有るんですね」

「ここは大きな岩山を深く彫り込んだ部分ですから、よけいにそう感じますわね。さあ、ここです」


 指し示された場所は外光がかすかに感じられ、岩壁に四角く窪んだまっ白い大理石がはめ込まれている。白大理石の窪みには、金色の正方形の小さな額が掛かっていた。


「小さくて美しい絵ですね」


 大きさは、ちょうど折り紙程度だろうか。細密なタッチで彩色は鮮やかだ。黄金を紡いだような髪と深い泉のような碧の目が目をひく。だが、確かにこの絵はスドウ本人だろうと、美味も感じた。いわゆるバストショットなので、胸より上しか描かれていないが、古代ギリシャかローマの人のような服装も似合っている。


「その肖像画は、一つの言葉とともに伝えられて来ました」

「それはどのような?」

「色はかりそめに過ぎず、真の姿こそ見つめるべきものなり」

「どういう意味でしょう?」

「さあ。私も存じません」


 そういってクスクス笑う修道院長は、絶対に嘘をついていると美味は思った。


「ねえ、下世話な興味ですけれど、差し支えなければお答えいただけません?」

「何でしょうか?」

「あなたは、本当にあの方の妹君ですの?」

「ご想像にお任せします」

「まあ……でも、妻とか恋人というわけでもなさそうですけど」

「はい。違います」

「では、どのような御関係かしら?」

「保護していただいている、と言うのが正しいでしょうね」

「なぜなのかしら?」

「さあ、それはわからないのですけれど」

「あなたは、どこのお生まれですの? もしかして、聖人様と同じ様に、別世界からいらした方だったりしません」


 美味は困ってしまって、言葉に詰まる。


「事情がお有りの様ね。どうぞ悪くお取りにならないで」


 確かに立ち入った話をし過ぎたかもしれない。


「この祭壇の下に誰かと一緒に来ると、つい秘密の話をしたくなるというのは、この修道院の者にとってはある種の常識みたいなものですの」


 修道院長を失望させたのは確かなようだったが、怒らせた訳ではないらしい。

 先ほどの入口に戻ると、スドウは檻越しに一人の修道女と熱心に話し合っていた。しわがれ気味の声の感じからすると、院長よりも相当年が上なのではないと思われる。心なしか座った姿も背骨が曲がっているようだ。


「我が姉妹よ、随分と熱のこもったお話しぶりですね」

「これは院長様、ただ今、買い取り価格や出荷量の条件を詰めておりました」

「私がそうした帳簿上の事は不案内なので、我が姉妹には御苦労をおかけします。この方には格別な配慮をお願いしますね」

「承知いたしております」


 その様子は、お嬢様にお仕えする忠実な婆やとか、乳母とか、そんな雰囲気がする。目と眉以外の大半を灰色の布で覆っているのに、修道院長の雰囲気は華やかで、動作は優雅だ。もとは本当にどこかのお嬢様、あるいはどこかのお姫様なのかもしれないと美味は思った。

 

 美味が檻の外に出た後も、スドウは祭壇下の机状の台の上で紙に何かを書き込みながら、修道女と話を続けている。院長は既に奥に引っ込んでしまったようだ。手持無沙汰の美味は広い部屋の内部をぐるっと一蹴したが、目を引くものは無かった。ただ、部屋の内部の壁面の装飾が、あの肖像画の髪の色と目の色を使って仕上げられているようだと感じただけだ。


 しばらくして、ギシギシと金属がきしむ音がして、檻の正面に郵便ポストの差込口ぐらいの長方形の穴が開いた。修道女がそこから一冊の古めかしい本のようなものが差し出し、受け取ったスドウはその一ページを開いた。そしてそこに何かを書き込み、太い金の指輪の中央部をハンコの様に押し付けた。 その後、修道女とスドウは互いに短い挨拶をすると、祭壇下から人の気配が消えた。


「やれやれ、これで良質の卵と牛乳の仕入れは心配なくなった」

「お疲れ様でした」

「冷蔵庫が無いから、一番気がかりだったんだよね」


 外に出ると、大きな修道院の旗が壁面に掲げられているのが目についた。白地に金色と碧色のラインが中央に入り、緑の部分には何か文字が縫い取りされている。


「この文字って、何て読むんですか?」

「黄金の髪と碧の目の修道女会。今はそんな名前でここを呼ぶ人はいないけどな」


 スドウが一瞬、遠いものを見つめる様な目をした事が、美味には妙に気になったのだった。

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