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居場所・1

 薪のはじける音がした。

 かなり気温は低いのだろう。

 若い女はおそるおそる薄目を開けた。

うっすらと残る記憶によれば幾人もの男たちにいきなり殴るけるの暴行を受け、どこかに突き落とされたはずなのだ。だが、体のどこにも痛みは感じらず、女は戸惑っていた。

 部屋は薄暗い。

 暖炉らしき場所で赤々と燃えている薪以外、照明器具らしいものが見当たらない。


「あ、おいしそうな匂い」


 恐らくはたっぷりの野菜と一緒に、鶏肉か何かを煮込んでいる。

 スープだろうか? 煮物だろうか? あれ? ローズマリーにタイム、それにローリエか? ハーブを使いこなしたレベルの高い味付けみたいだ、などと「おいしそうな匂い」について女は分析する。

 液体をかき混ぜる気配がして、鍋の蓋が閉じられた。音からすると、重い鋳物の鍋のようだと見当がつく。こちらに向かってくる足音がする。


「目が覚めたかい? 何か食べる?」

「あ、はい」


 先ほどのつぶやきを聞いたのだろう。声をかけた男が女の方に近づいてきた。穏やかな声のトーンと自然な日本語に安堵して、女は上半身を起こした。


「あのう……」


 女の言葉が止まった。というのも、その男の髪は明らかに赤い色で、顔だちも全く日本風では無い事に驚いたのだ。


「僕に答えられる範囲なら、何でも質問してくれていいよ」

「ここはどこなんですか?」

「君や僕が生まれ育った地球じゃない。別の惑星だと思う」 

 その言葉に一瞬驚いたが、どこかで「ああ、やっぱり」とも感じた。

「地球からは、遠いんですか?」

「僕もそのあたりの情報はつかんでいない。ともかくも、この世界の地形や自然条件は地球にそっくりだって事以外は、まだわからないんだ。どうして地球そっくりなのかという理由も含めて、僕にもわからない事は多い」


  

 男は一流ホテルのウェイターのような無駄のない、それでいてどこか優雅な動作で、大ぶりのカフェオレボウルというか、小さめのどんぶりというか、そんな形の器に具たくさんのスープを注いで、小さな木製のお盆に乗せて持ってきた。


「まあ、まずはこれを食べながら、気分をおちつけて話をしようか」


 木製の丸い盆には木製の匙と、プラムらしい果物とパンらしき物も一個づつ乗っている。

 男は女の寝ているベッドの脇に置いてあったスツールというか、背もたれもひじ掛けも無い椅子に腰かけた。着ているのは何の飾りも無いざっくりした灰色の生地の上着に黒いズボンなのに、どこか華やいだ雰囲気が有って、目がひきつけられる。単に容姿が整っているという以上の存在感がある。だが、男が女に向けた微笑みの威力は、それ以上だったようだ。女は一瞬ドギマギしたものの、話をしたい気分の方が戸惑いを上回ったのだった。


「助けていただいて、ありがとうございます」

「たまたま、通りかかっただけだけど、あの三人は以前からたちが悪い事で知られていた男たちだから、縛り上げて道に転がしておいた。薪取りをしていた御老人が村の長に報告に行ったはずだから、今頃は村の牢に入れられているんじゃないかな」

「ええっっと、その、私はその怖い人たちに縛られたり、たたかれたり、ええっと、その、色々ひどい事をいきなりされて、どこかに突き落とされたように思うのですが……言葉もわからないし、何が何やら意味不明で……」

「この辺の治安は悪くない方なんだが、時折、街道沿いに暴れている山賊とか、たちの悪い女衒に遭遇する事もあるんだ。あの三人は時々山賊で女衒もやるって具合だな」

「ぜ、ぜげん、って、何ですか?」

「んー、女衒って聞いた事がないかい?」 

「何か悪者って、感じはしますが」

「君がこっちに来る直前の元号は、何だった? 昭和? 平成?」

「平成です」

「まあ、わからないのも、無理ないか。遊女とか娼婦にするために女の子を売り買いする連中、っていえば分かるかな?」

「そういう仕事は、法律違反じゃないんですか?」

「親に無断でさらったりするのは犯罪だが、親の了解を取って、相場の金を払って買い取った場合は問題がないことになっている」

「もしかして、ここでは奴隷とか普通にいるんですか?」

「奴隷制度は、一応廃止された事にはなっている。でも、色々難しい問題は残ったままだ。おや、器がからっぽだね。おかわりはどうかな?」

「これ、むちゃくちゃおいしいですね。ニンニクの隠し味と、キノコの旨みがいい感じに効いてますし」

「お、それがわかる君は、ただものじゃないな」

「調理師を目指して、学校に通ってます」 


 あ、通っていましたっていうべきだったかと女は思った。日本に戻るあては無いのだから……


「なるほど! 僕は料理系のブログをやったり、料理コンテストに応募したりしていたが、専門的に料理を学んだ経験は無かった。それはそうとして、君の名前を教えてくれないかな。それとも何か希望の呼び名でもあるかい?」 

「ええっと苗字は豊かな原っぱと書いて豊原で、名前の方は美しい味と書いて、よしみと読みます。おじいちゃんや両親は美味って呼びますが、友達はみんな『ヨッシー』って呼びます」

「豊原美味さんが本来の名前で、愛称はヨッシーという理解でいいんだよね」

「そうです」

「僕のことは、スドウと呼んでくれ。ちなみにこの国では、かなりややこしい身分じゃないと姓というか苗字は無いんだ」

「ややこしいって?」

「まあ、古い由緒があるとされる特別な家柄の出とか、王侯貴族とかじゃないと……苗字を名乗るのは分不相応って見られて、この小さな街道沿いの町じゃあ暮らしにくい。つい最近、この町一番の豪商の男が、お上に大量の献金をして苗字を名乗る許しを得たんだが、町の連中は『成金が見栄を張っている』というような見方をしてるな」


 スドウの説明によれば、この国は地球でいうと中世のヨーロッパ的な状況らしい。古代から続いた大帝国が完全に崩壊して百年ばかり経った段階だとも説明されたが、あまり世界史的な知識が無い美味には、スドウの説明を聞いても特に何も思い浮かばない。


「でもね、ジャガイモとトマトとトウモロコシはこの世界にも有る。まだ、十分に活用はされていないが」


 ジャガイモは小麦などができにくい寒い土地で良く栽培されるようにはなっているそうだが、生活に余裕がある人たちからは「毛嫌いされている」とスドウは説明した。


「上流階級の人たちは芋を食べないで、花を楽しんでいるんだ。花を取った後の芋の部分を食べるのは、身分卑しい者たちって感覚みたいだね」


 トマトは大きな実の品種は無いようだ。全部がミニトマトっぽい大きさらしい。鮮やかな赤い色のせいか「毒があるに違ない」と思われていて、貧しい人ですら食べようとしないらしい。


「トウモロコシは、この三つの作物の中では一番人気がある。粉にして練って、茹でて団子にするのが一般的だ。若い実を茹でたり焼いたりするのは、あまり知られていないかもな」

「醤油を塗って、香ばしく焼いたのを丸かじりって、無理ですか」

「醤油が無茶苦茶高価なんだよ。東方の珍奇な調味料って位置づけだし……でも、しょっつるとか塩辛って感じのものなら割と簡単に手に入るから、工夫すれば醤油に近い風味も出せるかもしれない」


 そこまで大まじめにスドウは答えてから「いや、そんな事より、もっと大事な話がある。聞いてくれ」と、沈んだ声の調子で話を始めた。


「君にはつらい事実という事になるだろうけど、後で知るよりマシだと思うんだ」


 もうすでに美味は訳のわからない場所にいて、理解できないおかしな状況に置かれている。それなのに、この上一体全体どのようなとんでもない事が有るというのか、皆目見当がつかなかった。他ならぬ自分の身に降りかかっている災難であるらしいのに、今の状況そのものに現実味が薄くて、奇妙な夢の中にでもいるような気がしているのだった。そしてスドウの額を見つめながら「ハンサムな人のおでこの縦じわって、何だか劇的な雰囲気を放つんだなあ」などと思ったのだった。

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