#1 不愉快な6番街へ(Unpleasant 6th Avenue)
セルロイドを纏った人工の夜が、繁華街に欠けた男のヒトガタを作り出す。月光すらも遠いSHINJUKUエリア、歌舞伎町の裏通り。ひしめく風俗店の合間から微かに届くネオンライトに照らされたのは、一見すれば、年端も行かぬ少女の装いだ。
「何処でワタシの番号知ったのか知らないケド。二度目があるだなんて、あまりにも不粋な考えだと思わない?」
白黒縞のニットセーター。その裾から伸びる、アンドロイド特有のマシンアームが一対。携帯タブレットを器用に掴む一方と、そして一方の先端で瞬く、工業用レーザーナイフの赤光。
「そぉ。そりゃ素敵なこったワネェ。 "きっかけ" に依存して以来、夜な夜な身体を求め続ける。30年前なら、そんな独り善がりな脚本でも大作映画を撮れたかもネ」
口元からちらりと覗く紅い舌には、埋め込まれた小さなボルト。甘味な闇の渦中では、キャスケットの下、整えられたボブ・ヘアーの光沢すらも不明瞭。アームの先端でぶら下がるタブレットに唇を寄せ、挑発のような吐息を一つ。細められた目線を動かし、『欠けた』男を視界に捉え、くすくす、と少女は愉快そうに笑ってみせた。
「ところで、こう言えば妬くかしら。今ネェ、アナタとは別な男と居るの」
片隅の陰りに目を凝らしてみれば、そこには首なき男の惨殺死体。雀荘の壁にもたれる彼は、文字通りに欠けており、既に人相の判別など付かない。展開されていたレーザーナイフの光が消失すると共に、純粋な夜の暗がりが、死の散らばる裏路地に訪れる。
薄く紅を引いた唇を舐め、浮かべられたのは殺しの笑み。
「くす。冗談よ、冗談」
"ただの仕事よ。それ以上でも、以下でもないワ"
この繁華街と同様に、アンドロイドは眠らない。
【西暦2121年 夏/SHINJUKUエリア 歌舞伎町】
【22世紀の必殺仕事人 薬師丸 まきな の場合】
「正直、生身の人間からすれば悪趣味極まりない」
サンドウィッチを珈琲で流し込むや否や、中年の仲介屋、エイメンは、目の前のビジネスパートナーたる少女へと苦言を呈した。
「アンドロイドの舌にはこれが合うのよ。それともアンタの小さいナニを切り取って、アクセントにでも加えた方が良かったかしら」
「勘弁してくれ。ただでさえそれが原因で夫婦仲が険悪だってのに」
「寧ろこっちが勘弁願いたいワ」
夏も深まるSHINJUKUエリアの片隅。ごった返す雑踏すらも遠い程に、辺鄙な路地に看板を出している喫茶店。脛に傷を持つ犯罪者達の会合場所としての側面を持つこの店にて、黒髪の少女とすれ違った機械仕掛けの少女、薬師丸 まきなは、向かいに腰掛けている中年の話を適度に聞き流しつつ、遅い昼食を摂っていた。
「これは、その、何だ……要は油だろう? アンドロイドはどいつもこいつもこれを口にしているが、実際飲んでみて美味いもんなのか?」
「アンタらの価値観でいう、アルコールみたいなモンよ。多少喉に引っ掛かるのと、定期的に取り入れないと手足の先が痺れてくる所までそっくりだワ」
「人目憚らず安酒を煽っているようなモンか。世論がアンドロイドの肩を持たない理由が判るよ」
「優しいお気遣いどうも。後は食事の間くらい黙ってくれたら、奥様とも "より" を戻せるんじゃないかしら。もしくはサンドウィッチにバイアグラの瓶でも挟んでみるとか」
フォークに巻かれたカルボナーラ。その傍らに鎮座する、ボトルに収まった、アンドロイドの生命線たる無色透明のマシンオイル。少しでも生身の人間に近付けようという概括の下に生み出された彼ら(アンドロイド)だが、現実は我々の肉体が毒と判断する代物に依存せざるを得ない不自然、所謂大きな『隙』が、彼らにはある。この毒を喰らいつつも、不機嫌そうに毒を吐き捨てる少女とて例外ではない。日の当たらない喫茶店の、しけた木目の洋テーブル。『隙』を隠せない女は、ナプキンで口元を拭い、つまらなさそうに紫色の目を伏せた。
「で。離婚間際の仲介屋との不倫ほど心躍る恋愛事情もないけど、生憎こちとら活動時間外に叩き出されてイラついてんのよ。とっとと話を切り上げて貰えるかしら」
「あのな。これは学生の別れ話じゃない、れっきとしたビジネスの話なんだ。切り上げるも糞もあるか。そもそも食い終わるまで待てと遮ったのはお前だろう、ジュディ」
「あらぁ、そうだったかしら。ところで、唯一無二の玄人をわざわざ呼んでおいて、掃いて捨てる程居る街の仲介屋が随分な言いぐさネェ。尊敬しちゃうワ。何ならテーブルに足でも乗せて、ワタシにしゃぶらせながらビジネスのお話でもしてみたらどうかしら」
「判った、判った! わざわざ呼び出して悪かったよ! ……ったく、性悪な女め」
空になった食器の類が乱暴に退かされ、代わりに差し出される一枚の顔写真、そして簡素な身辺情報のコピー。それを一瞥するなり、はぁ、といよいよ気乗りしない様子で溜め息を吐くまきな。
「好みじゃないワ」
「そりゃ幸運だ。また殺る前の男と一夜交えるなんて奇行に走られちゃ困るからな」
「最初の仕事の後、ワタシとの交わりが忘れられずに依存していたのは何処のどなたかしら。エイメン坊やが妬くのも無理ないワネェ」
「あれは、お前から誘ってきたんだろうが!」
「人間同士の性愛は誠実であるべきよ。カーマ・スートラを読むべきネ、既婚者サン」
「あぁそうかい、プラトニックなアンドロイドの有難い指南が染み渡るね。ところでいい加減、標的について説明しても宜しいでしょうか? ミス・唯一無二のプロフェッショナルさんよ……」
「くす。勝手にどうぞ」
暑苦しいハットに隠された目元の下で、小さく舌を打つ仲介屋。何だってアンドロイドの連中はこう、揃いも揃って皮肉ばかり吐きやがるのか。世間的に肩身の狭い思いをしている奴が大半とはいえ、この女は特に異常だ。不埒で、気紛れで、ネイルの手入れに余念のない機械人形。ジュディという名で通してはいるものの、生来の名前など誰にも判らない。だが、少なくともビジネスパートナーとしての繋がりを持つエイメンは、この不可解な『その日暮らし』の素性を知りたいとは思っていなかった。互いにいつ切れるとも判らない、ドライな無法者の仕事上の繋がり。唯一身に染みて理解し、重宝しているのは、この少女が業界内でも相当のやり手だという一点だけだ。
「今回の仕事は、不法入国の華橋に小銭を掴ませて解決出来る程単純じゃない」
「だから玄人の手口が必要なんでしょう?」
「ごもっとも。標的は隠居した元政治屋の爺さん。コイツの甥が大層恨みを買っているらしくてな」
「地元に根付く一族のコネ。よくある話ネ」
「その腐った根、取り除けそうか」
「出来る、出来ないじゃないワ。案件がどうであれ、何がなんでも遂行して成功させるのが玄人よ」
キャスケットを目深に被り、『隙』のある女は、しかしそれでも尚、それを窺わせる事はない。会計表には目もくれず、猫のように気紛れで残酷な殺し屋は、顔写真を引ったくり、怠惰な様子で席を立つ。
「確認が終わり次第、いつもの銀行に振り込んどいて。今月厳しいから、なるべく早く頼むワ」
「オーケー。言うまでもないが、俺との関与は匂わすなよ "仕事人" 。」
「仕事人。ハッ、古式ゆかしくて滑稽な通り名だと思わない?」
「現代の義賊だろう? 中々どうして、似合ってるじゃないかジュディ。これでアンドロイドの人権団体にでも籍を置いてりゃ完璧だ」
「働かずに甘い汁が吸えるなら、一考の余地アリかもネェ」
『22世紀の必殺仕事人』。誰が呼んだか、いつからか。少女、薬師丸まきなの巧妙な手口は、裏社会に於いて一種の神話を形成していると称しても過言ではない。依頼人の望む命の根を、ごく当たり前のように刈り取っては、各地のモーテルを転々とするその日暮らしのアンドロイド。表側の素性など、本質に非ず。日光の裏側で微笑む彼女の、錆び付いた笑みの魅力は、堅気の人間には決して判らないだろう。
「それじゃ、失礼するワ。ミスター・実り多き関係サン」
とある流れ者は、彼女のカラダを最高だと称し、歯の浮くような言葉で撫で回した。
とある傾奇者は、彼女の傷みを理解しているのは自分だけだと情に狂い、『ジュディ』の存在を囲おうとした。
幾千の男、女、そして罪。
その全てを沈めても尚、癒える事のない傷がふとした瞬間、錆び付いた『隙』から覗いてしまう機械人形。ジュディ、薬師丸まきなとは、そういう少女だった。
「おーお! ありがとう、ホンットありがとう!」
裏路地に差し込む日光に舌を打ちつつ喫茶店のベルを鳴らせば、店の外で目にしたのは、一見小綺麗な装いの若者である。
「……ワタシに言っているのかしら」
「テメェ以外に誰が居んだよ、水子の霊でも背負ってんのか? ン? アンドロイドの嬢ちゃんよぉ」
なんというか、まぁ。幸先が悪い。
幾ら人通りの少ない路地とはいえ、店を出て数歩で妙な輩に絡まれてしまうとは。装いこそ小綺麗だが、この男、端的に言えばおかしい。ぴっちりと七三分けで固めた頭髪は染色も崩れもなく、上下に身に付けたタキシードには皺一つ浮かんでいない。完璧なまでによそ行きの格好の男が、このような荒んだ裏路地に何の用があるというのか。
「アンドロイドには感謝ってヤツよ、えぇ? ネエチャン。俺ぁアンドロイドへの感謝へを欠かしていないんだ。爪先だってテメェには向けねえ」
「感謝される筋合いはないんだけど」
「いやいやいやッ。そぉ~でもないのよ、コレが」
装いとは裏腹な、不遜な物言いは勿論の事、いかれたスロットマシーンのようにくるくると眼球を泳ぐ小さな黒目。当たり前の如く後頭部に消火斧が突き刺さっているという、俄にも信じ難いこの光景。珍妙なこの男、ふらふらと仕事人へと歩み寄るや否や、彼女の背後から腕を回し、無遠慮にその胸を揉み始める。
「アッハッハッハ。何? 溜まってんの? 坊や」
「俺ぁシリコンを喰うんだ、スウィーティー」
ニットセーターの起伏を撫で回す、ささくれ立った男の手。相変わらず黒目が
あべこべな方向を向いたまま、男はまきなの耳元で囁く。
「歩いてるメスのアンドロイドの胸にストローぶっ刺してな、チューチュー吸う訳よ。判るかっ? ン? 俺からすりゃ足の生えたランチボックス、生命の糧なんだよテメェらは」
「そりゃ、感謝されるべきかもネェ」
「感謝だぁ? いかれてんのかテメェは? ライオンがシマウマに頭下げながら肉を喰うってか。何が感謝だ? 俺がテメェに感謝してるって? 舐めてんのか、オイ」
ぴたりと止まる掌。男の黒目が定位置に戻り、急激に雲行きは陰りを見せる。踵で男の脛を蹴り付け、ステップを踏んで距離を取る仕事人。薄く口紅を塗った口角が持ち上がり、しかし、その薄紫の目は鋭く相手を見据え、捉える。錆びた鋼鉄の軋みを鳴らしながら、ニットセーターの両側方から伸びるアンドロイドのマシンアーム。生き物の如くうねるそれを背後に、仕事人は首を切る仕草を男へと向ける。
「どうでもいいけど、ワタシも忙しいの。大人しく退いてくれない?」
「いいモンだ。2本の腕でシゴいて貰って、もう2本のマシンオイルでローションプレイと洒落込むってハラだろう? 判るぜ、おい、そうだ俺に感謝、感謝しろよ……」
『武器』を展開しても尚、ふらふらと覚束ない歩みでにじり寄る男に対し、胸中で何度目かの舌を打つまきな。白昼堂々といかれるのは結構だが、こんな奴を相手にして自警団の目を牽きたくはない。とはいえ、此処で『自衛』をしておかなくば危険は避けられそうにないこの状況。修羅場と過ごすプロフェッショナルの判断は早く、マシンアームが男の首筋に狙いを定めた瞬間――
「マーシー! おまっ、何やってんだよ!?」
不幸中の幸いとはこの事か。人気のない裏路地に、一隻の助け船である。
「親愛なるスリーディ~~~~。どうして此処に居るんだよ、オメー、バカ、クソ野郎」
「どうしてってアンタ、アンタが用足しに行くって勝手にどっか行ったから追っ掛けてきたんじゃねぇか!」
「あのな、聞けスリーディー。死にかけた象は群れを離れるモンだ。事実、俺は社会的に死にかけている」
「笑えねえよ!」
突如現れ、狂人のような七三男をたしなめる、ゴタゴタとしたB系ファッションが特徴的な黒人の青年。身なりを見る限り、どうやらTOKYO界隈で活動に勤しむシティギャング連中の一人らしいが、不機嫌な少女にとって、今、そんな事はどうでも良い。
「他人の飼い犬に噛まれるのは気持ち良いワネェ。謝礼の一つでも要求したい気分よ」
「あ、あー。何ていうか、マーシーが迷惑掛けたんだよな? 悪かった、マジで」
「俺が迷惑? スリーディー、俺が憎いのか? ン? 俺はテメェんとこの弱小ギャングが憎いよ。毎朝テメェの悪口を言わねえと昼過ぎに血を吐く程憎いんだよ判るよな? 手首でも切って見せろよ、此処でオラッ、今すぐッ!」
「やめろってのマーシー! 」
最近はSHINJUKUエリアの治安は回復傾向にあるだの聞いた気がするのだが、この男一人の存在で全く、裏切られた気分になってしまった。展開していたマシンアームを収め、苛立ち混じりに場を去ろうとする仕事人だが、黒人の青年に取り押さえられていた『マーシー』が、またも彼女を呼び止める。
「なぁ、アンドロイドにシゴいて欲しいってのはマジだ。ホットパンツフェチでもあるしな。ネエチャン、連絡先交換しようぜ」
「イイ事教えたげる。アンドロイド専門の風俗に行けば、存分に欲求を満たせるワ」
「テメェにやって貰わねえと意味がねえんだよ! 早く連絡先よこせッ、スクラップにすんぞこの鋼鉄性器が!」
「うるっさいワネェ~~」
此処で下手に無視して追われるハメになるよりは、適当な連絡先を教えて去るのが無難だろう。幾つも所有するタブレットの一つを取り出すや否や、それをずいっと男の鼻先に突き付けるまきな。
「判ったわよ。やるなら早くしてくんない?」
「交換してくれんのか? オメェいいアンドロイドだな。いつもなら、交換の前に相手の首が吹っ飛ぶのが常なんだけど。いや、ほんと有難う。君は天使だ。シゴいてくれる天使だ。寧ろシゴき人? みたいな……」
「当たらずとも遠からずって所かしら。ていうか早くしてくれる? こちとら昼間から彷徨いてるヤク中よか忙しいのよ」
「ねえちゃん、あんまマーシーに近付き過ぎんなよ。危ねえから」
程なくしてタブレットが震え、奇妙な縁の成り立ちをお節介にも知らせる効果音が裏路地に響き渡る。狂人の青年は満足したのか、未だシゴいて貰っていないにも関わらず、『悟った表情』で少女へと、深々と頭を下げる。
「冷たい都会の片隅にて、鋼鉄の縁が生まれたって訳だ。鋼鉄の女と、鋼鉄の下半身を持つ俺……なんとなく判る。オメェはやり手なんだろう」
「もう100年産まれてくるのが遅かったら、アナタ、時代の先駆者になれたかもネ」
あはは、と苦笑を浮かべつつ、足早に場を去る仕事人。夜を生きるアウトローとて、日の下での厄介事など御免被りたい所だ。自警団に同業者、そして冷たい世間の目。当然の摂理とはいえ、少女には敵が多すぎる。自らを愛した一期一会の存在達に、それこそ劣らず程に無数の敵が。
「政治屋、ネェ」
表通りへと躍り出た仕事人のインプット・メモリには、既に先程の狂人の姿はなく。今現在、刃を向けている標的への餞。玄人の手口の数々が、頭の中で渦巻いていた。