#4 It's Hard To Be A Saint In The City
Cybernetic Organism Ability(サイバーネティック・オルガニズム・アビリティ)とは、細胞の妙である。
人体の補助――即ち新たな『器官』を有する事により、先天的な障害や、後天的な怪我による後遺症等から身体機能を補助するという名目ではあるが、政府がこの補助を義務付けた真意は定かではない。真意の程はともかくとして、通常『COA』と略されるこの特異な人工細胞は、2010年代に政府が新生児への接種を義務付けて以来、すっかりと停滞した現代人の文化の中に溶け込んでいる、数少ない『異端』なのである。
現代人ならば体内に有していて当たり前、その概括は身体機能の補助。体細胞に紛れ、実生活を送る上では気にも留まらぬ何気ないもの。では、その補助細胞が『異端』とまでに称される理由としては、如何なるものが存在するのだろうか。
――その好例が、今、まさに許されざる悪漢と火花を散らしている少女。桐崎凛檎である。
「こちとら、オムツ履いてた頃の君を知ってる身だよ。凛檎チャン」
診療室の隅に追いやられるがまま、しかしそれでも尚、冷や汗の浮かんだ顔に笑みを浮かべつつ、穏川が口を開く。
「すっかり淑やかに丸まったと思やあ、何だかんだちっちゃい頃から変わらんもんだ。初めて会った時からお転婆だったよねぇ。開業してから随分経つが、挨拶代わりに医者の瞼を千切る患者だなんて、後にも先にも君しかいないだろうさ」
「面白いわ。続けて」
じり、と迫るローファーの爪先。渇いた笑いを吐き捨て、穏川は更に続ける。
「優秀な "細胞" を持つが故に、君は不遜極まりない。表面で澄ましていようが、腹ン中は煮えくり返っとる」
「誰かさんに腎臓を盗られたせいで、燃やす物にも難儀してるけどね。はいはい、そのまま続けて」
「いずれにせよ、穏やかではない」
「あらぁ。此処らで時間稼ぎは終わりかしら? それなら、かなり痛い目にあって貰うわよ」
苛立ちを大いに含んだ歩幅。凡そヒトの醸すものとは思えない、桐崎凛檎の紅い眼光、可憐な容姿に見合わぬ威圧。目線の先に捉えた穏川が、冷や汗の浮かんだ顔に、へらりとした笑みを浮かべたまま、こちらへとローバックチェアを蹴り寄越す。
「掛けたまえ」
「私が客人として此処に来たとでも?」
「判らんかなぁ。医者である私が、此処を訪れた君に対し、診察が必要、と判断しているのだッ。有無は言わさん、掛けたまえ。掛けるんだ、ガキめ」
語気を強め、突如として捲し立てる穏川。腹の内までは知る由もないが、あからさまに見え隠れする、悪徳医師の碌でもない『手腕』の影。単なる時間稼ぎにしてはどうにも回りくどいが、少女としては先程の穏川の滅茶苦茶な言い分に対し、一応は納得したらしい。額に迸っていた血管の縦筋は一旦の収まりを見せ、ふぅ、と溜め息を一つ。
「一理あるわ」
診療椅子にもたれ掛かり、桐崎凛檎、意外にもこれを承諾。
「いい子だ」
猛獣を宥めた穏川が、スーツパンツを纏い直しつつ、腹の中で嗤った。 風のない診察室、小窓から覗く、暑さに茹だる広葉樹の葉。聞こえるのは、無垢なる女児の微かな寝息と、遠くで響き渡る蝉のふるえ。事の一部始終を目にしていた山本看護師が、柱の陰で生唾を飲み込んだ。
「飲酒に喫煙、過度の糖分摂取。……にも関わらず健康体を維持しているのは、やはり "細胞" の優秀さが故か。しかし、君の問題はその反社会性にあるのだよ」
「臓器ブローカーのぺドクソジジイが、社会性について恥ずかしげもなくお説教。これは五臓六腑に染み渡りますわね。内臓沙汰なだけに」
「そいつは減らず口だな」
不機嫌そうに長い脚を組み直し、髪を掻き上げる凛檎。手持ち無沙汰そうに忙しなく指を弄りながら、穏川の視線が何かを待っているかのように泳ぐ。
「リスクに身を晒せば、それだけ早死にの危険性が高まるというものだ。ましてや君は私とは違い、まだまだ若い。2年前の "クズリ" とのいざこざ以来、すっかり丸くなったとは聞いていたが……いやはや。どうなんだい、そこん所。人並みに暮らし、将来、普通にお嫁さんとして慎ましやかに生涯を送るとか、そういう事は考え」
「ちょっとプライベートに踏み込み過ぎじゃねえかなァ。そろそろ立ち上がってもいいんだけど……」
「まッ、待て待て! せめて診察が終わるまで大人しくしてなさい! 私を叩きのめすのは、それからでも遅くはない筈だッ。戦場の医者は逃げない、コレ格言」
「どうだか」
長々と続く茶番に、辟易を隠さずに眉根を潜める凛檎。高まる緊張感に溜め息を吐き、穏川が上目がちに少女を見据える。
「実際、どうだ。私とて、この街での営みを苦痛に感じる事もザラだ。さぞや生き難かろう。君の性格、性質では」
「社会性がどうのこうのの時点で言い出すべきだったけど、これはもう診察じゃないわ」
「桐崎、凛檎。 "時代" は、君のように原始的な存在を求めていないのだよ」
「はい、おしまい」
ぐしゃり、と、砕け散る椅子の破片と共に、穏川が白い床に尻餅を着いた。予備動作もなしに二本の脚で立ち上がり、目の前のステンレスを易々と砕くその妙技。縦に額を引き裂く血管、そして爬虫類を思わせる縦長の瞳孔。桐崎凛檎の内に潜む『細胞』が、再び煮えたぎり、牙を剥かんと騒ぎ立てる。
「返さないなら返さないで結構。骨の数本でも砕いた後で、ゆっくりと院内を荒らさせて貰うから」
「ハ、ハハハハハ。クヒッ、ヒヒヒ」
状況に見合わぬ乾いた笑いが、老人の金歯を縫って漏れる。怪訝な顔を浮かべる凛檎だが、突如として背後に感じた強大な膂力に為すすべもなく床に叩きつけられ、思わず顔をしかめる。
「あ、痛い痛いマジで痛い。折れるっ。何しくさった、このクソジジイめ」
「はぁ、全く。間一髪だよ。ヒヒッヒヒヒ。崖っぷちの私が、悠長に女子高生の人生相談タイムを満喫しているとでも?」
「確かにそうね。あ痛っ、あ、そこちょっと気持ちいかも。肩甲骨の辺り」
首を目一杯に動かし、自らを押さえ付ける憎き存在を確認してみれば、なんとまあ。そこに佇んでいたのは、緑色の毒々しい皮膚に、筋肉の塊のような身体を覆う、アンバランスなナース服。目測凡そ3m超、凄まじい巨躯を誇る『看護婦さん』が、これまた巨大な掌で少女と床を縫い付けていたのである。
「時代に迎合するというのは、こういう事なのだよ愚か者めッ。この稼業を続けて幾星霜、ありとあらゆる臓器と "死筋遺産" を元に生み出した働き者ッ! 注射液も滴るイイ女、ナマの超兵器 "マコちゃんGT" じゃぁああッああぁぁあああッッヒョッホォーイ!!」
「メス、ガキ、ころす。せんせいのため、おくにのためにひっひっふー」
「おげぁーっ!!」
めきめき、めき。骨の軋む音と、凛檎のお上品とは言い難い呻き声。頭上で掌を打ち鳴らし、猿の如く狂喜する変態医師のズボンが再びずり落ち、老獪なおセンチがぼろんと露出する。
「ばぁーか!! ばッッッッッッッッッッッかなガキ!! めっさ油断してやんの!! ぶふぅー!! なんか椅子に座っちゃってるし!! こちとら既にスタンディングオベーションだっつぅぅーの!! もはやスタンディングマスターおベーションみたいな? ブッハー!!」
「こンンのクッソジジイがぁー!!」
「ひっひっ、ふー」
「おぅげっええええ! もう一つの腎臓も出ちゃう!」
哀れ、この街の営みは世知辛い。弱味を見せればつけ込まれ、強気に出れば、文字通りに潰される。すっかりと逆転してしまった形勢に、ようやく本性を現した穏川院長。臓器売買という闇を抱えた老人の欲望は、若き芽を押さえ付け、更に加速する。
「ほれッ、なんとか言ってみい! ワシん事どうすんだってェ? ほれ、ほれ! ほっぺた触っちゃろ。うっへほ」
「男は触んなーッ」
うにょうにょと凛檎の頬を引っ張り、悦に浸る穏川。その背後で静かに怒りを燃やすのは……何を隠そう、あのクソ真面目な山本看護師である。
「こっ、こんな事が許されてたまるかッ」
怒りに打ち震える拳を握り締め、ずかずかと同僚(?)のマコちゃんGTへと歩み寄る山本看護師。この少女が如何なる粗相をしたとて、医者が診察を行うべき相手に対し、このような狼藉を働くなど。もう、もう我慢ならん。この腐れ薮は此処で息の根を止めるしかあるまい。医療業界の為、健全な社会の為、今、誠実が物言わねば、誰がこの悪夢を終わらせられる!?
「君、手を離したまえッ! この少女は――」
ぐしゃ。ぷちっ、ぐちょっ。
正義に燃える男が、それを行使する暇もなく。この巨大な看護婦が少しばかり身動ぎしただけで、『誠実』は潰れたトマトのようになってしまった。合掌。
「あらま」
床を転がる目玉を見つめながら、極めて同情的に呟く凛檎。部下の死に悲観、どころか気付いてもいない様子で、穏川が白い巨搭をぶらつかせ、下卑た笑みを浮かべる。
「此処で潰しちまうのは勿体ないが、生憎、君相手に手を離しちまうのも危険でのぉ。凛檎チャンや、思えば長い付き合いだったが、腎臓は是非ともワシのコレクション、通称臓これとして……」
「危険が何だって?」
ずいっ。
力任せに頭上から押さえ付けているにも関わらず、凛檎が軽く上体を起こすだけで、ぐらりと体勢を崩す巨躯の看護婦。
「ひ、ひっひっ、ふー?」
「うるせえよ、このタコ」
ぐい、ぐいっ。幾ら押し付けてやっても、先程までは容易に組伏せられていたこの少女が――一向に床に触れない。一体、何が起こっているのだ。冷や汗をだらだらと零し、ずり落ちた眼鏡もそのままに、穏川が下半身を露出させたまま後退る。
「マッ、マコちゃん! 何手ェ抜いてんの! 今月分のステロイドはもう投与した筈だよ! きちんとワシの為に粉骨砕身ひっひっふーで……」
「全く以て、お生憎様ねぇ。先生」
最早――最早、『押さえ付ける』どころの話ではない。この少女、必死にこちらを組伏せようと肩や頭を押さえ込む怪護婦を余所に、今や、しっかりと二本の脚で以て立ち上がっているのだ。びり、と独りでに破けるナース服の袖部分。岩石のような筋肉を更に膨張させ、緑色のフランケンシュタインが今度こそと言わんばかりに力を込めるものの――
「聞こえなかったかしら。 "カワイイ" 女性以外が私に触れるのは許さない、って」
ぽろぽろと零れ落ちる緑色の指先が、白い床に広がる血溜まりに沈んでゆく。少女の指先が摘まんでいるのは、自身の流麗なる黒髪の内の、輪っか状にした一本。僅かに血の滴る毛髪が物語るのは――この屈強な怪物の指を一閃、かろうじて目視出来る程に細い髪の毛で切断してみせたという、俄にも信じ難い事実、芸当である。
「然程のブランクはあれど、こちとらまだまだ現役な訳よ。さっきまでは欠けた腎臓の所為で調子出なかったけど、ようやくマシになってきた感じかしら」
「あっ、は、ハハハ。だよね。ウン。そうだよねぇ~」
巨躯の怪物が雄叫びをあげ、のたうち回る傍らで、白々しく引きつった顔で口角を上げる穏川。がし、とマコちゃんの襟首を掴むや否や、数100kgは下らないその巨体を易々と引き摺りつつ、にこにこと穏やかな笑みを携え、桐崎凛檎、再び変態医師の御前に立つ。
「れっみっしーゆぁーすまぃ♪ どんぎっみーぐらんびたーふぇい♪」
「……?」
「いっそーてりーぼぅ♪ てりーぼぅ♪」
「……」
「歌えやぁーッ!!」
「ぎゃぼぉおおッ!?」
掴んだままの看護婦を振り回し、凄まじい勢いで穏川の横っ面に叩き付ける凛檎。小柄な老人はデスクを破壊しながら吹っ飛んでゆき、そのまま診察室の隅に頭をぶつける。
「オメーんトコの診療所、ドバイで撮ったCMだかでこんなん流してたじゃねえか! 歌え、オラッ歌えやクソジジイ!」
「ギャアアーッ!! 歌います、歌も歌うし踊りも踊りますから痛いのやめっええぇえホゲーッ!!」
理不尽である。老人を掌握したお嬢様は、どうやら完全にご立腹の様子。やれ声帯が粉になるまで歌えだの、頭蓋骨が露出するまでブレイクダンスをしろだの、様々な無茶振りをぶつけ続ける事30分。穏川がめそめそと泣き出した辺りで、ようやく気が済んだのか、本題を持ち出す凛檎。
「で、腎臓は? まさか食ったとか言わねえよな?」
「グスッ……ひっ、ち、ぢがしづ、でしゅ。グスッ。もうやべでぐだざぃ。ほんどかんべんしでぐだざ、ヒッ、グスッ」
既にボロ雑巾に為り果てている穏川を余所に、ようやく凛檎の表情に安堵の表情が浮かぶ。十分に気は済んだし、後はカワイイ腎臓ちゃんを持って帰るだけ。……なのだが、気になる事がもう一つ。
「あそこに寝てるちっちゃい子。あれは何なの?」
「えっ、はっ、あ、あぁハイッ。あ、あれはですね……」
同姓には、否、寧ろ同姓にのみ向けられる過剰な愛情意識。今の凛檎に対し、この状況を下手に釈明するのは即ち、死を意味する。散々一暴れし、ようやくこの暴君も腹の虫を収め始めた所。穏川の目の前に展開される、目には見えぬ人生の分岐たるカードの数々。この凶悪な少女に対し、もはや失策は許されないだろう。さあ、どう出る穏川。分厚いキャリアに華々しき経歴。老獪な自身の経験が告げる、『此処はこう言っとけ!』の天啓。まるで爆弾を扱うかの如く、穏川が恐る恐る口にしたのは――
「私のムスメです、ハイ」
診察室に、股間を砕かれた穏川の絶叫が響き渡った瞬間であった。
「しっかし、派手にやったモンだよなぁ」
既に夕刻を回った時分。件の穏川クリニックの前では、調査を進める自警団員の中年が、後輩と呆れたように顔を見合わせていた。
「きれーなおねえちゃんが、メイちゃんとおかーさんをたすけてくれたのっ」
「うーん……名前までは判らないんだよね?」
「うん!」
事情聴取を受けているのは、変態院長の被害者たる女児とその母親である。夕刻の闇が迫り、しかし、人々の喧騒は陰りを見せぬADACHIエリアの小さな騒動。一連の暴力沙汰の後、こっそりと凛檎の『いたずら』を受けた事は、母親にも言えぬ、女児だけの秘密である。
「おねえちゃん、10ねんたったらまたあいにきなさいって!」
「10年? 何で?」
団員の疑念は余所に、場所は変わり、北千住ステーション改札前。幾分か和らいだ外の暑さも、ひしめく人々の熱気で未だ健在であるこの屑かごの中で、再び二人の少女がぶつかった。
「いやん。後免あそばせ」
「痛いワネェ。……って、いつぞやのアナタじゃないの」
アイスコーヒーを片手にスターベックスから現れた凛檎と、思わず目を丸くする、いつぞやのアンドロイドの少女。酷い偶然もあったものだが、この邂逅は、果たして偶然によるものなのか否か。
「あぁ、あの時の。どーも」
「くす。甘い匂いに紛れて、意外と色々やってるらしいわネ」
軽く会釈して立ち去ろうとした凛檎を引き留めた、機械仕掛けの氷の一言。
「仕事柄、こういうの敏感なのよ。アナタ、血の匂いが消せてないワ」
次に振り替える頃には、あのアンドロイドの少女の姿は見えず。代わり、視界に広がるのはいつもの人混み、いつもの営み。
「……香水を変えるべきかしら」
行儀悪くアイスコーヒーを一飲みにすると、空いたカップを寝そべる浮浪者の頭に乗せ、鼻歌混じりに少女は改札の奥へと消える。夕刻を過ぎればまた、この街は新たな顔を覗かせる。ネオンの毒に、初夏の雨上がりにも似た麝香。記憶が薄れるよりも早く、それを埋め尽くしてゆく新たなる出会いの数々。
「……カマ、掛けてみたんだけど。案外当たってたらしいわネ」
北千住ステーションを後にする、アンドロイドの少女。薬師丸 まきなは、あの流れるような黒髪の姿を反芻しつつ、笑みを湛えていた。
Next TREND → 【Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine】
To Be Continued...