#3 ジャスビデッ(ビデ) ビデッ(ビデ) ポォウ!
唐突な話ではあるが、穏川クリニック勤務の看護師である山本は、自身の上司たる院長の死を猛烈に願っていた。それも出来る限りの惨たらしい死を、である。
院長の穏川とは、自他共に認める清々しい程の外道だ。臓器売買に、小児に対する性的暴行。揉み消された罪状を挙げれば、それこそ枚挙に暇がない。謹厳実直な山本看護師は、ふとしたきっかけから院長の『裏の顔』を目撃してしまい、それ以来、あの手この手で件の外道院長を亡き者にしようと画策してきた。くそ真面目者特有の、何かと思いつめがちな思考回路である。こうなってしまった山本看護師は、もう誰にも止められない。内なる正義の炎が燃え盛るがまま、今日も今日とて院長の枯れ枝のような腕に、大変にえげつない毒薬を注入してやろうと機を窺っていたのだが……。生憎、院長助手という彼の立場は、右も左も見れない程に余裕なき激務。それ故中々機会に恵まれる事なく、また今回も、いたずらに時間ばかりが過ぎてゆく。おお、正しき神よ、法の使者よ。なんともこの、なんだ。とかくアーメン、もどかしき事よ。
「次の方、どうぞ~」
煮え切らぬ思いを抱えたまま、同僚の看護婦の声を聞き流しつつ、自身の股間に消毒液を噴きかける山本看護師。彼は今、大変な考え事に耽っているのだ。股間と掌を間違えるなど些細な事。いや、致し方ない。
スラックスを大いに濡らしつつ、傍らに視線を移してみれば、そこにはにやにやとした笑みを浮かべ、えらく高級そうな椅子にもたれる憎たらしき上司が一人。穏川たかす(72)の姿がある。小耳に挟んだ話によれば、最近、中々の上玉の腎臓を得られて頗る機嫌が良いのだとか。この、クソ……いや、悪どいおじいさんめ。真面目な山本看護師の胸中に、黒い情念が沸々と沸き上がりはじめる。思わず傍らの注射針を手に取り、その皺垂れた瞼と眼球を縫い付けてやろうかと左手が動くが、診察室に案内された親子連れの姿を目にし、ようやく山本看護師に理性らしい理性が戻ったらしい。がしがし、と乱暴に頭を掻きつつ注射針をデスクに戻すが、当の穏川院長は何処吹く風といった様子で、マスクをした女児を舐めるように見つめている始末である。
「ンンーハイハイハイ。さて、今日はどうしたのかな? ウン?」
「先生、うちの子、何だか朝から熱っぽくて……」
「おいコラ、オメーに聞いてねえんだよクソババア! おい山本ォ! こいつ黙らせ! 早よ!」
困った癇癪癖である。金歯を光らせながら怒鳴り散らす『優しげ』な院長の思わぬ豹変に、目を丸くする母親と娘。ふぅ、と極めて同情的な溜め息を一つ吐くや否や、一介の看護師に過ぎない山本の行動は早い。同僚が母親を押さえ付けているのを尻目に、女児を抱え、そのまま傍らの無骨なベッドに寝かせる。
「おじちゃん、メイちゃんしゅじゅちゅしなくてもだいじょぶよ?」
「済まない、済まないね。先生の命令なんだ。こうするしかないんだよ」
「小児女児のしゅぢゅちゅの時間じゃああああっあああああああっあっあっああああああああああああッッヒョォオッホォーイ!!」
「ぎゃあああっ! 何するの!? うちの子に何する気なのおおおおお!!」
悪徳医師の本性が、平日の診察室にて炸裂した。白衣を脱ぎ捨てたのを皮切りに、ベルト、スーツパンツ、ブリーフと、下半身の装いを次々に、興奮混じりに剥いてゆく変態老人。そして露になったボトムズから聳えるのは、なんと物々しい改造を施された安眠棒。穏川院長の『象徴』は、もはや老人のそれとは到底かけ離れていた。機関銃の如く、股関節を埋め尽くす注射針。セラミックによるコーティングを施され、解剖鋸の埋め込まれた甲丸。そして半世紀以上に渡り使い込まれても尚、衰えを知らぬ、御歳72のそそり起つ鋼鉄の砲筒。はてさて、なにがでるかな、なにがでるかな。そんなもの、悪意に決まっている。この冷たき鋼鉄の筒から、今、まさに、穏川たかすという悪辣な老人の、汚れた情欲がブチ撒けられようとしているのだ。
「甘味療たっぷりの臨床O-ネイニーの始まりじゃあーッ!! くわえなさいッ! 私のを!」
「おじいちゃんのこれ、パパのよりおっきいよ! ママ!」
鋼鉄が擦れ合う音を立てながら、押さえつけられている女児に歩み寄る穏川。河童のように禿げた白髪頭の下の、皺枯れた口元がにやりと持ち上がる。信頼していた医師の、突然の奇行に対し、女児の母親は「うぅん」と短く呻き、思わず意識を手放してしまった。素人には原因の判らぬ様々な病状。それを的確に治療へと導く医師と患者の間には、本来ならば並々ならぬ『信頼』が存在する筈だ。健康という、金には換えられぬかけがえのないものを預かる者と、そして預ける者同士。しかしこの耄碌した悪徳医師にとって、そんな建前などは最早、関係ない。目に留まった上玉を手にした瞬間、『医療』という名の暴力は、見境なしに踊り狂う。獣じみた、血走った目で女児に迫る自身の上司を、感情のこもらない目で見つめる山本看護師。この無垢な女児は、自身が汚れた情欲を向けられているなどとは夢にも思っていないだろう。病院でお金を払い、先生に病気を治して貰う。こんな当たり前の信頼関係を、この変態上司が築けなくなったのは一体いつからなのだ? そして今、こうして頭の狂った老人の片棒を担がなくては明日の飯も食えない自らは何者だ? 堅物看護師の脳内をぐるぐると巡る、倫理観と現実。未だ彼へと囁かぬ、天使と悪魔の影。状況を理解しておらず、この穏川をあくまでも『先生』として信頼している女児の姿に、山本が歯を軋らせて下唇を噛んだ、最中――
「 W E L C O M E 」
もう一人の被害者たる変態淑女が、颯爽と診察室を訪れた。
「ウェルカム、とは妙だね。此処は私の病室だよ」
声色こそ落ち着いているものの、情事を邪魔され、静かな怒気を孕んだ穏川の口調。
「同時に、わたくしの "場" でもありますわ」
そして長い黒髪を靡かせ、自身の一部を奪った老人と対峙する凛檎。目深に被った濃紺のフェルト帽、身に纏うはセーラー服というアンバランスな出で立ち。何よりも、その端正な顔を覆っているのは、スパンコールのあしらわれたパンティである。ふがふがと息苦しそうに呼吸しつつも、少女の深紅の瞳が目の前の敵を鋭く捉える。
「診察室が医師の場でなくて、一体誰の場になるというのかね? のぉ、桐崎ン所の三女ちゃんや」
「気の狂った老人を相手に、治療などと生易しい処置を施して差し上げる程、こちとら内心穏やかではなくってよ」
びり、と手荒く破かれる顔面のパンティ。風のない診察室にぶわり、と渦が巻き起こり、少女の切り揃えられた前髪が浮かび、その白い額が顕になる。
「喧嘩売ってんだろ、このクソジジイ」
額に生まれた縦筋の血管に、紅き瞳を裂く縦長の瞳孔。面食いのレズビアンにして、ADACHIエリアの危険人物筆頭候補。桐崎凛檎の眼光が、どすの利いた低音と共に老人を威抜いた。
「ハ、ハ、ハ。そうかね、私はクソジジイか。中々本性が現れてきたようだ。これが喧嘩ならば、確かに君の場でもあるのかもね。いや、結構……」
冷や汗混じりに後退しつつ、ちらり、と傍らの看護婦へと目配せする穏川。何を企んでいるのか定かではないが、あからさまな時間稼ぎ、とばかりに、目の前で怒り狂っている少女を宥めるかのようにへつらった笑みを浮かべる。
「あ、そ、そうだ。君も一応学生の身分だろう? 受付の者はどうしたのかな? お呼びした覚えもないし、素直に通したとは考えにくいんだけど……」
「今頃、そこらで寝てるよ」
鋭い目線を絶やす事なく、悪びれる様子もなしに答える凛檎。少女がフェルト帽をすっ、と上げると、その隙間から次々と零れ、白い床へと落ちてゆく濡れそぼった下着の山。
「感度は中の下ってとこかな。テメェのとこの看護婦くらい、きちんと開発しとけ。クソ藪ジジイが」
――話は数十分前に遡る。
「どうもこんにちは。今回はどういった用件……で……」
受付へとやって来た少女の姿を一瞥するや否や、思わず目を見開いて閉口する看護婦。
「下半身がバリ疼くんですの」
そこに立っていたのは、大人しく治療を受けに来た客ではない事は一目で判る。鮮やかに輝くスパンコールのパンティで顔を覆い、傍らに抱えているのは、なんと併設の消防署から引っ張ってきた消火ホースである。異端じみた白昼の強盗、桐崎凛檎の堂々たる襲撃。思わず息を呑み、警報装置を鳴らす受付の看護婦だが、そんなものは意に介さずといった様子で、ホースをずるずると引き摺りながら待合室を進んでゆく変態パンツ黒髪。
「おんやぁ、トメさんや! なしてアンタ、死んだと思っとったのに!」
「地獄から蘇ったのよ、お爺様」
待合室の椅子に腰掛けていた老人の頭からフェルト帽をちゃっかり奪い、それを目深に被る凛檎。地獄から蘇ったトメさんの、想像を絶する復讐の刻が迫る。最中、待合室から診察室へと続く廊下が視界に入った矢先、少女の行く手を遮る看護婦の集団。
「お生憎様。穏川先生は、急患は専門外なのよ」
日本刀を模したレーザーメスに、手指に挟んだ注射針。穏川クリニックの誇る精鋭私設部隊、『メディ・スウィーツ2121』が咆哮る。
「今、死にそうな患者を救えないで、医者を名乗る資格なんてありませんわ」
凡そ、来年には2122などと名称が変わっているのだろう。ころころと姿を変えゆく『過去』に用はない。スクールバッグから取り出したタブレットを展開させるや否や、友人の葵へと素早くメールを打ち込み、送信する凛檎。
『Beat itって、ビデって聞こえるよね』
対して、友人の返信はこうである。
『知らねえよ、変態』
「成る程」
一人納得した様子で、じりじりと距離を詰めてくる看護婦軍団を尻目に、タブレットを天高く投げ捨てる凛檎。緊張感溢れ、固唾を飲む待合室に広がる『Beat it』のメロディ。不穏なSEを割って現れる、印象的なリフのイントロ。キング・オブ・ポップの偉大なる魂が、22世紀の小さな診療所にて炸裂した。
「ジャスビデッ! ポォウ!」
目深に被ったフェルト帽を掌で押さえながら、見事な摺り足で後退し、くるりと時計回りに一回転。しゃなり、しゃなりとモデル歩きをしつつ、空いた片手で指を打ち鳴らしながら接近する凛檎の姿に、思わず気圧され、後退する看護婦達。待合室で呼ばれるのを待っていた市民達も皆、この色褪せぬ偉大な魂に感化され、次々と席を立ち――少女の背後で舞踏。ポォウ!
「キング・オブ・ポップだわ……! キング・オブ・ポップが穏川クリニックに現れたのよッ!」
「落ち着きなさい! たかが小娘のまやかしよ! 出産に立ち会った経験のある者は、あの緊張感を思い出しなさい!」
ひっひっふー、ひっひっふー、ウラー!
なにくそ、百戦錬磨の看護婦達とて負けていない。酸いも甘いも経験した私設部隊数十名。ある者はメスでジャグリングをキめ、ある者は石膏をヌンチャクよろしく振り回しながら少女へと襲い掛かるが――
「動きが固いわね」
なんと、この少女はその全てをいなしている。まるで力の均衡を崩すかのような、桐崎凛檎の持つ妙技。彼女が華麗に一回転すれば、レーザーメスは宙を舞い、彼女が片足を前方に蹴り出せば、哀れ、石膏ヌンチャクは容易に砕け散る。『Beat it』のメロディと共に荒れ狂う、桐崎凛檎と背後の待ち患数十名。絶対的な力の差に青ざめる看護婦だが、ふと、その身体が持ち上げられ、宙に浮いているのに気が付く。
「えっ――」
悲鳴をあげる暇もない。看護婦の一人を腕に抱えた凛檎は、彼女のスカートとパンティをずるりと降ろし、その麗しき尻を顕にする。そして、もう片方の腕に抱えた消火ホース。悪魔の咆哮にも似た唸りをあげ、ホースが徐々に膨らみ、膨らみ――そのノズルを割って、殺人的な水圧が、成人女性の下半身を襲う!
「ジャスビデーッ(ビデーッ)、ジャスビデーッ!」
「おぎゃああっあぁあああ!!?」
まさしく尻洗い攻撃。正しく……正しく『ビデ』! 恐ろしいまでの水圧に尻を抉られ、白目を剥きながら手足をバタつかせる看護婦。座薬よりもえげつないキング・オブ・ポップの攻撃が、悪徳医師の部下を襲う。
「ビデ、ビデッ!」
「あんぎゃあああああ!!」
「しょう、はう、ふぁんきッ!」
「ひぎゃぎゃぎゃっぎゃぎゃ」
「ビデーッ」
「やべでえええええええええ!!」
後方でエアギターのライトハンドをキめている市民を尻目に、次々と熟れた桃を襲う凶悪な飛沫の礫。びくん、びくんと痙攣を繰り返す看護婦達に、既に抵抗の意思はおろか、最早起き上がる気力すらも見受けられない。床に落ちた医療用品に、何の液体か、びちゃびちゃに濡れそぼった色々。メロディの途切れ、静寂の訪れた待合室にて、パンティで顔を覆った少女が次々と看護婦軍団の下着を回収しては帽子の中へと詰めてゆく。踊りを通じ、満足げに笑い合う市民達は、治療を受けずとも疾病が完治してしまったようだ。声援に背中を叩かれながら、キング・オブ・ポップ――否、桐崎凛檎は消火ホースを投げ捨て、元凶の膝元へと、再び足を進める。
「トメさんは昔っからちっとも変わらんぇ! お転婆よのーっ」
「長生きなさってね、お爺様」
次にこの帽子を返す時が来るのならば、それはこの老人の墓前だろう。格好良く締めたのはいいものの、今、返した方が良いに決まっているのだが。ともかく凛檎はこうして、穏川の敷き詰めた包囲網を真正面から破壊し――そして今現在、対峙へと至る訳である。
「まぁ、君がこうして生きて私に顔を見せたという事は――いずれにせよ、とても良くない状況な訳だ」
「そこまで判ってんなら、とっとと腎臓返しな」
自身の私設部隊は突き崩され、窮鼠と化した変態老人、穏川たかす。しかし、山本看護師の表情なき目。――まだだ。この老人は、これで収まるようなタマではない。
「く、くくく。凛檎ちゃん。私が "嫌" だと言ったらどうするかね……?」
「首の骨へし折って、縦に振らせてやるよ」
ADACHIエリアの暴君と、下半身をさらけ出した変態院長。因縁、もとい喧嘩の火蓋が、今、切って落とされた。