#2 限りなく売名に近いブルータル
同姓を愛するという、生産性なき性的嗜好。お嬢様然とした装いとは裏腹な、俗と暴力にまみれた内面思考。桐崎凛檎という少女は、『自然』という概念からはあまりにもかけ離れ過ぎている。東洋に浮かぶ島国の停滞した大都心、かつての東京、TOKYO CITY。この壊死した巡りの渦中に生まれ落ち、営みを続ける『不自然』な乙女の、うら若き悩み事とは一体。
「(あぁ、超だっりぃ)」
それは専ら、悪徳医師から掠め取られた腎臓の行方についてである。ずかずかと学校を抜け出すや否や、少女が向かった先は馴染みの駅である北千住ステーション。5番ホームの柱にもたれ、セーラー服姿のままで気怠げに煙草を吹かしている『不自然』の体現。体調の優れない桐崎凛檎は、今現在足を待っている真っ最中だ。
「これこれ、お嬢ちゃん。学校はいいのかい?」
「頗るよろしくってよ。お友達も先生もみんな優しくて素晴らしい学校ですわーん」
「そういう意味じゃなくてね……」
善意で話し掛けてきた老人に対しても、変顔を交えながらおちょくるこの有り様。老人も何やら危ない雰囲気を悟ったのか、これ以上深入りする事もなく、ルーシーストライクのフィルターをくわえている未成年の彼女を一瞥し、訝しげにホームの奥へと去って行くのみである。その小さな背をぼんやりと眺めつつ、ふぅ、と紫煙を吐き出し、半ば柱に身体を預ける形で深くもたれる凛檎。腎臓なんて二つあるんだし、一つぐらいなくなっても大した支障はないかと思っていたが、成る程。失ってみて、初めて判るこの虚脱感。今まで仲良くペアで働いてくれていた腎臓くんも、恋人の腎臓ちゃんを失ってさぞや辛かろう。他人の恋愛事情など犬も食わないと言ってやりたい所だが、それが自身の体内で巻き起こったとなれば、どっこい話は別である。日々健全、健康な女子高生として過ごす為に、是非とも『より』を戻して貰わなくば、臓器の主人たるこちらとて困るのだ。……尤も、その為にわざわざ学校を抜け出してきたのだが。重要なのは腎臓のノロケ話ではない。
初夏の陽光に照らされても尚、現世にくっきりと浮かび上がるホログラムの電光看板。そして人々の合間を窮屈そうに縫い、構内を忙しなく清掃して回る雇われのアンドロイド。肥えた鳩が足下に集まるのを追い払いつつ、凛檎は時刻表を示す立体の文字へと目線を移す。現代の生活に於いて当然の如く存在し、身近にある様々な各物質群。その多くはかつての21世紀、宇宙開発が進む以前は『暗黒物質』と称されていた代物なのだという。例えばこうして彼女が待っている足、都会人の生活に密着した『AGトレイン』とて、その暗黒物質を利用している一例に過ぎない。2040年代にロシアの宇宙開発局が公表し、数年の内に実用化に至った暗黒物質『反重力粒子』。特定の条件下に於いて斥力、引力を発生させるその不思議な粒子は、今や現代人の生活の基盤となっていると称しても過言ではない。前述のAGトレインをはじめ、国内での普及率は7割超を誇るAG車こと『浮遊式車両』、そして児童達が日常的に乗り回している遊具『フロートボード』。その他雑多な物も含め、反重力粒子を使用している物品は我々の身の回りに溢れている。ひとえに斥力、引力とはいうものの、手足を使う事なく、物を引き寄せたり押し出したりする力の凡庸性とは中々に幅広い。かつて怠惰な人間が渇望していた、寝転びながらにリモコンや耳掻きを引き寄せる事すらも可能な新技術は、今や当たり前のように実装され、日常的に消費されているのが現状なのだ。
傍らに据えられている灰皿にフィルターを押し付け、件の少女は「あぁ」と億劫そうに呻く。列車の到着を控え、いよいよ混み合ってきた5番ホーム内。汗を拭う中年のリーマンに、タブレットのホログラムを展開させて友人とSNSを楽しむ大学生風の若者。老若男女、様々な世代の姿が見受けられる北千住ステーション構内だが、その足が向く行き先など互い、互いに露知れず。素知らぬ他人同士、交わる事なき魂は喧騒に紛れ、景色と同調し――やがてそれらは我々のよく知る『日常』を形作るに至る。街に巣食う犯罪組織の存在により、治安は悪化する一方のTOKYO界隈。しかしながら此処に生きる善良な民間の大半は、刺激とは無縁の、平穏な生活を送れる事を常日頃から願っている。
滑稽である。
少しつつけば、待っていましたと言わんばかりに暴力沙汰が顔を出す。そんな22世紀の大都心に生を委ねながら荒唐無稽、よもや静かな暮らしを望むとはこれ如何に。各々、この狂暴な人巣食いにて生きる理由こそあれど、そもそもが滑稽なのだ。穏やかな生活? 理不尽に苛まれる事なく縁側で茶でも啜っていたい? スターベックスから漂う珈琲の香りを楽しみつつ出勤したいと? それから? ニクドナルドの萎びたパテみてえな風俗女のパイオツに顔を埋め、仕事疲れを癒して一日を終えたい、と?
「ねェよ、ボケ」
そらきた。阿呆な夢ばかり見ている民間に対する『お手本』の登場である。
「学生が学校、早引けしてさぁ。公共の場で一服ってか?」
「ね。何吸ってんの? コイツ」
「マジでねェわ。不良でも気取ってんのか」
年端にも満たぬ、それも『外見』は清廉潔白な少女とて、少しでもおかしな真似をした日には、こうして性質の悪い連中に絡まれるという、TOKYOに於ける営みのワンシーンをご覧頂こう。ジャラジャラと金物をぶら下げている厳つい男二人に、それについて回る化粧の濃い女が一人。相手は三人で囲めば見えなくなってしまいそうな程に小さな少女である。さりとて、退屈を持て余していたカラーギャング上がりの彼らには関係ない。『未成年が堂々と喫煙に興じる異彩』。この些細な理由一つで、彼らは、『街』は、不意に本性を見せ、牙を剥く。
「何処の学校だよ、オメェ」
「未成年がタバコ吸っちゃダメなの。判る? ね、聞いてる?」
「あんま絡んだらかわいそぉだってぇ」
きょろきょろ、きょろ。
切り揃えられた前髪の下、うさぎのように鮮やかな赤色の瞳を上目遣いに動かしつつ、自らを取り囲む三人を順番に視界に入れてゆく凛檎。柱にもたれたままの体勢、前方は完全に囲まれているが故、このまま無視を決め込むのは難しい。ならば誰かが助け船を出してくれるのか、と問われれば、残念ながらその可能性は限りなく低い。巡回中の『自警団』の姿は確認出来ず、前述の通り、この街の民間人達は何よりも保身を旨とする。その場その場の正義感で飯は食えないし、何よりも獣の餌場で平穏を望む彼らが、率先して厄介事に首を突っ込むなどあり得ない話だ。その証拠に、こうして周囲を窺ってみても、人々の動きに何ら変化は見られない。ベンチに腰掛け、『NEWS PAPER』のアプリケーションを起動し、タブレットから浮かび上がる立体の文字を追っている中年。前方に何があるのやら、コードレスのヘッドホンを装着したまま、頑なにこちらを見ようとしない女学生。先程からやる気のなさそうに辺りを掃いていた日雇いのアンドロイドとて、同情的な目線を一瞬だけ寄越したかと思いきや、ジャンプスーツの腰から伸びる作業用アームを引き摺りつつ、そそくさと従業員専用口へと引き返してゆく。市民達は、額に収まるように飾られた『日常』の硝子板に、今、まさにひび割れが生まれる瞬間を確信していた。悪辣なる三人に、絵になる程の少女が一人。見慣れた風景に浮かび上がる、油染みの異彩。抑揚なきアナウンスが、素知らぬ様子で列車の到着を告げる今時分――
少女、桐崎凛檎の正体を察したのは、意外にも『野生の本能』であった。
「おっ――」
次に捻り出す『殺し文句』を選んでいた最中、少女の正面でポケットに手を突っ込んでいた悪漢の、予想外に漏れた間抜けな声。突如自身の、180cmを優に越す体躯が、軽々、軽々と浮き上がったのだ。何事か、と呆けた視線を下に向けてみれば、そら。目が合った。合ってしまった。
「そのタンクトップ。皺になっていますわよ」
ぐりぃ、と胸元で捻られる小さな手。龍の如く真っ赤な眼光を携えた少女は、口元だけを歪ませつつ、確かに笑顔を見せたのだ。不届きな悪漢の胸ぐらを掴むや否や、それを力任せに持ち上げるという喧嘩に於ける定石的行為。このたおやかな、淑やかな少女が『胸ぐらを掴んだ』? なんと、見た目に反して品のない。否、否、否。何処を見ている。さあ気付け、とっとと気付け、人間達よ。そして今すぐ、命が惜しければ逃走るんだ。
ぶわり、と鼠色の羽根を散らせながら、ホームに巣食っていた鳩の群れが一斉に飛び立つ。恐ろしい瘴気に当てられたかの如く、覚束ない、まるで狂った蛇行飛行。天井に頭をぶつけた二、三羽が足下で痙攣を繰り返しているのを余所に、少女は、おもむろに男を掴んでいる腕を前方に突き出した。
「はしたないわね」
"べりぃッッ"
突き出された細腕が引き絞られるや否や、シャツが裂ける快音と共に、凄まじい速度で悪漢が『射出』された。ティッシュペーパーを破り捨てるかの如く、容易に引き裂かれるタンクトップの布地。茫然としたまま、半裸となった男が次に認識出来たのは、宙を舞う自身へと迫るAGトレインの、流線型の先端部。そして、けたたましく鳴り響く警告のサイレン――!
「あっ」
一部始終を傍観していた専業主婦が、真っ青な顔を掌で覆う。少女の手により、哀れ。線路へと投げ出された男は、このままAGトレインと接触。望まぬ身投げにより、残虐な挽肉模様で大衆のSNSを大いに盛り上げてくれるかと思いきや――どうやら彼は、到着した列車と接触するよりも早く、向かい側の6番ホームへと投げ出され、事なきを得たらしい。列車を挟んだ向かい側で、呆けた表情を浮かべたまま、男の股間に生まれる生暖かい染み。駅の喧騒に負けず劣らず、力強く、不可解な一連の少女の『妙技』に、男の連れの二人とて、空いた口が塞がらないのは同様である。
「ジャンプ」
ただただ立ち尽くすばかりの、カラーギャング出身者の二人。男と女がやっとこさ意識を取り戻したのは、件の少女に蹴りを入れられつつ、何かを促された時だった。
「ジャンプしろっつってんだよ、このタコ」
互いに顔を向かい合わせる男と女だが、ようやくその意味を察したらしく、大人しく頷くがままに財布を取り出し、黙って少女へと差し出す。それを引ったくるように受け取った凛檎は、先の騒ぎは何の事やら。周囲の目線も素知らぬ顔で、しゃなり、しゃなりとAGトレインの敷居を跨ぐ。
桐崎凛檎、齢16。
腎臓は一つ足りないものの、個人経営の小病院の院長に鉄拳をぶちかます事に関して、支障は然程なさそうな様子である。閉じられた列車の扉の向こう側で、悪漢と悪女へと「あっかんべー」を向けるお転婆振り。黒髪ぱっつんの名家出身のお嬢様が、自身の腎臓をその足で取り戻しにゆくなど、この列車に乗り合わせた人間の、誰が想像出来ようか。相も変わらず、『隣は何をする人ぞ』を地で往くTOKYO CITYの人間事情。暫くは鳩の寄り付かなさそうな北千住ステーション内、5番ホーム。残された二人と、向かい側のもう一人は、予想だにしていなかった藪蛇の牙に、未だにそこから動けずにいた。