#3 Satisfaction
新たなる文化の到来を、老人達は何よりも恐れた。忌むべきは高潔なる魂である。産まれて初めて土に触れ、肉親の愛情を知り、Aを経てBに至り、やがては子供を育むC。時の間に間に街の風。若者は、そうして自立を知ってゆく。
ひとりでに歩み出す『高潔なる魂』は、いつの時代も新たな流動を求め、そして生み出してきた。自立により確固たる意志を持った若者達の前には、老人の戯言などまるで意味を為さない。偉大なる先人の、かつての『高潔なる魂』に積み重なり、我々の基盤となる文化は誕生する。人類は、かつて風を感じていた。新たなる世代、即ち、自立した若者達。『高潔なる魂』が運んでくる――心地良い風の感触を。
しかし、何時からか。
時は、流動は、『風』は、凍り付いたかの如くぴたりと止んでしまった。淘汰を拒んだ古き悪習は、文化の巡りをきつく締め付け、すっかりと腐らせてしまったのだ。老人達は若者を、『高潔なる魂』を恐れ、そして閉じ込めた。時の間に間に街の風。その『風』すらも感じられぬ程に暗く、深い、時代の狭間という檻の中へと。
(その檻を合間をすり抜け、監禁を免れた魂は、)
虚構に生きる、かつての赤子の濁った瞳。
(いつしか『未来』を形作る)
そして孤独に叫び、雨に打たれていた若き勇者。
(『流動』と『停滞』が混在せし、歪な近未来の性なるABC)
鬱血し、壊死した文化のもたらした『風』とは、一体如何なるものなのか。
(少しばかり待たせたが、これからご覧に入れよう)
フロム 2121。
(ようこそ、かつての『東京』へ)
――Welcome to The TOKYO CITY.
【西暦2121年 初夏/ADACHIエリア 某所】
【突発性超暴力主義女子高生 桐崎 凛檎の場合】
「オニーサンオニーサンッ! 今からお帰り? 安くしとっからこっちおいで!」
夕闇を彩るホログラムのネオンが毒々しく輝く、TOKYO CITY 23AREAが一角、ADACHIエリア繁華街。帰宅途中のリーマンが風俗店の呼び込みを無言であしらい、すっかりと疲れきった様子で帰路につく傍ら――友人と談笑しつつ、同じように帰路を歩む女子高生の姿。
「んじゃ、また明日ね」
コンビニエンスストアの前で別れた友人に対し、桐崎 凛檎は微笑んで返した。ファーストフード店で気の済むまで駄弁り続け、既に夕刻を迎えてしまった時刻。健全な女子高生ライフの一環とはいえ、些か喋りすぎたような気がしなくもない。もう7時か、と展開していたタブレットのホログラムを収め、少女はスクールバッグの中へとそれを仕舞い込み、そして再び歩き始める。
腰の辺りまで伸ばした――この暑い時期には不釣り合いなものの、少女の動きに合わせて流麗に踊る長く、美しい黒髪。セーラー服の詰襟を風に晒しながら、桐崎凛檎は形の良い耳にコードレスのイヤホンを嵌め込む。街の喧騒は消え失せ、代わり、自らに流れ込む流行りのバンドサウンド。ローリング・ストーンズの『Satisfaction』をBGMに、友人と楽しい時を過ごしたばかりの少女の足取りは、いつもよりも幾分か軽快だった。
「誰か来てッ、誰か来てぇ~ッ!」
角を曲がった辺りで、悲鳴を上げる女性とすれ違う。どうやら突発的な『賭博闘技』がこの界隈で行われているらしい。だが、ほくほくとした心持ちの少女の耳には、それが届く訳もなく。ビルの合間に響き渡る、互いの肉を打ち合う鈍い音。思わず両掌で顔を覆う女性を、暴走するトラック型の浮遊式車両が轢き潰し、悲鳴は更に加速してゆく。
「ふん、ふん」
鼻唄を交え、あくまでも桐崎凛檎の足取りは軽快である。血飛沫の散る道路を挟んだ向こう側では、痴情のもつれからか、アンドロイドの娼婦と若い男が互いを口汚く罵っているのが目に入る。
「だからテメェみてぇな機械人形は信用出来ねえんだよ! 俺の金は!?」
「知らないってばぁ~。もうやだぁ~」
やがて口論は暴力へと変わり、日に焼けた顔を真っ赤にしながらアンドロイドの首を締め上げるヒモ男。周囲の人々が迷惑な二人を避けて道路を行き交う中、黒髪を翻し、駅への近道である裏路地に足を踏み入れる凛檎。喧騒と光届かぬ闇の中、ふと、自身とぶつかる小さな人影の姿。
「あらま。御免あそばせ」
「痛いわネェ。お目目が後ろに付いているのかしら」
イヤホンジャックを外して見下ろしてみれば、そこにはもふもふとしたブラウンのキャスケットに、年端もいかぬ白髪の少女。凛檎を見上げ、ぺろりと悪戯っぽく出された舌先には、埋め込まれた小さなボルトが一つ。どうやらこの少女はアンドロイドらしい。
「綺麗な顔してるわね、アナタ。ネェ、ワタシと遊ばない?」
「はいはい、飴ちゃんあげるから良い子にするザマスですわ」
見た目とは裏腹な、妖艶な笑み。
そんなアンドロイドの少女の口にキャンディを突っ込むが早く、彼女の傍らをさっさと通り抜けてゆく凛檎。目を丸くして自身とぶつかった黒髪少女の背を眺めるアンドロイドだが、一呼吸置いて子供扱いされた事に気が付き、ぷんすかと憤りつつ飴を舐め、裏路地を後にする。
『Satisfaction』のメロディが、静寂の裏路地にて微かに響き渡る。アスファルトに張り付いた広告の紙面、打ち捨てられたリサイクルボックスに群がる蝿の群れ。ご機嫌な少女が壁にもたれる乞食の老人の傍らを横切った辺りで、突如、薄闇の空間を引き裂くけたたましいサイレンの音。
「自警団だっ! 無駄な抵抗は止めて大人しく――」
「鷹宮クン、よく見て。犯人は此処にはいないから」
裏路地の角から飛び出す青年と、そして遅れて顔を出すスーツ姿の女性。威勢良く拳銃を構えて飛び出したはいいものの、この場に居るのは眠りこけているホームレスと鼠の番くらいのものである。がっくりと肩を落とす新人の自警団員に溜め息を吐きつつ、屑篭から覗く老人の姿に訝しげな目線を送る先輩団員。
「鷹宮クン。既にやられてるっぽい」
「んぇ?」
ぐい、と老人の肩を掴み、彼の身体を引き上げてやれば――成る程、人体にしては軽過ぎる訳にも納得がゆく。眠っていたと思われていたこの老人、なんと胸から下が綺麗に切り取られている。平然とホームレスの変死体を調査する先輩団員、そして思わず卒倒してしまい、勢い良く裏路地の壁面に後頭部を打つ新人団員。
「臓器ブローカー、か」
その呟きは裏路地の闇に紛れ、誰に届く事もなく。泡を噴いて倒れている後輩に蹴りを入れつつ、ルドベキアの紋様の刻まれた専用タブレットを展開し、本部へと連絡を入れる先輩団員。彼女が通信障害に眉根を寄せ、小さく舌を打つ最中――件のご機嫌な女子高生は、駅前で路上演奏に興じるミュージシャンの目の前で立ち止まり、ふと、気紛れから彼の歌を聴いていた。
「随分と昔の歌だが、お気に召したかな」
アコースティックギターから手を離し、唯一の聴衆である凛檎を見上げるミュージシャンの青年。夕刻に溶け合う郷愁の旋律が奏でていたのは、今となっては遥か昔の、しかし同時に日本人の胸を満たすメロディ。『東京ブギウギ』の弾き語りである。
帰路を行き交う様々な人々の最中、駅前に佇む二人の魂。黒髪を湛えた少女、そしてハットの唾に隠された青年の、何処か儚げな表情。TOKYO CITYでの一連の『日常』を謳歌し、先程まで脳内を満たしていたロック・ミュージックを反芻しながら、青年に対する少女の答えは既に決まっていた。
にっこりと笑みを見せる凛檎。僅かに口角を上げつつ、得意気にEコードを鳴らしてみせるミュージシャンの青年。白い歯を見せつつ、桐崎凛檎は満面の笑顔で青年の『東京ブギウギ』へと答えた。
「30点」
悪びれる様子もなく言い放った少女の後ろ姿を、目を丸くしながら呆然と見送る青年。再び『Satisfaction』のメロディを脳内に響かせつつ、彼女はやはりご機嫌な様子だった。
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To Be Continued...