#2 RYDEEN 79/21
「CM明けまーす」
番組ADの気怠げに間延びした3カウント。その切れ間を皮切りに、スタジオ内の冷えた空気が動き出す。30秒程に集約された『脳幹矯正機』の虚構は幕を閉じ、代わり、場を訪れるは現実の風景。TVカメラを介し、お茶の間に映し出される人気情報番組『トミーモン太の朝ゲボッ! うっげぇえオボロロロロ!』。スタジオの司会たるトミーモン太が爽やかなCMの余韻を余所に、油っこい顔面をメインカメラへと向ける。
「さっきのね、さっきの話題。ロシアの宇宙局が新しい物質を見つけただのでやいのやいのと騒いでるけどねぇ、お嬢さん。これが本当に我々にとって必要なモノなのか、って事ですよ」
神妙そうに眉間に皺を寄せ、時折アシスタントの女性の尻を撫でつつスタジオ内を彷徨く司会。どうやら今日の議題は、先日ロシア当局により発表されたばかりの『新物質』についてらしい。2021年現在、やたらと鋭角になった人類の科学技術が熱い視線を送っている件の新物質とやらの正体は、詰まるところ遥か天空ーー宇宙空間内に無数に点在する『暗黒物質』である。それらを発見、そして解明し、我々の生活圏たる文化に落とし込むべくして行われる宇宙開発こそが、今現在の流行なのだ。
「いや、ねぇ。コレ色んな意見はあるにせよ、未だに莫大なお金かかるわけでしょ? 宇宙開発。生活豊かになるとはいえ、もう十分! って気もするけどねぇ、私は……」
釈然としない面持ちのまま、番組のゲストたるコメンテーターへと視線を移す脂取り紙。単に流行とは言うものの、この現代に於ける一般意見とは、考えるのも嫌になる程無数に枝分かれしているのが現状な訳で。故に揚げ物司会が口にした通り、誰も彼もがこの発達した科学技術を歓迎している訳ではない。耄碌した老人なんぞは激しく移り変わる世間的流行性に難色を示す傍ら、未来ある若者達は、刺激的な変化にこそ好色を示す。随分と極端な典型例だが、この芸能界で長い事やってきた大トミー司会殿はその高齢に違わず、判りやすい程の前者……即ち保守派であるらしい。
「いいじゃない、宇宙開発。どんどん開発しまくって、終いには宇宙のケツ穴まで開発すりゃいいんだ」
さて。司会の視線が向けられるや否や、お茶の間の品評も無視して下品に口走るこの男。過激派で知られるコメンテーター、勝川氏である。
「さっきブン殴った政治屋のボウズもトミーさんもさぁ、保守的過ぎるんだわ! どんどんやっちまえばいいんだよ。環境に悪い訳でもなけりゃ、長い目で見りゃ金の巡りだって良くなるんだから。開発資金なんざ要は投資よ、投資!」
行儀悪く傍らの空席に足を乗せ、ゲスト用の特別席からジェスチャーを交えつつ、ひとりでにヒートアップしてゆく勝川氏。隣の空席に欠けた歯や血液が散乱している辺り、どうやらCMの最中に酷く暴れたご様子である。テーブルに置かれた『杉森イタイ蔵』というネームプレートが、何とも虚しく佇んでいる。
芸能界の重鎮ことトミーモン太。確かに彼は保守的思想ではあるものの、この些か暴れん坊なゲストたる勝川氏は、それこそ彼とは対照的、且つ典型的な改革派思想である。世代こそ然程の違いがない両者だが、「もう十分」と「まだまだ変革の余地はある」の間に存在する垣根とは思いの外曖昧だ。停滞か、さもなくば訪れし変化に身を委ねるか。宗教戦争なんぞにも代表されるように、『一般意見』の拗れとは得てして厄介なものである。大抵の人間は、自らの持つ意見こそが一般的なものだと自負しているのだから。
「勝川さんねぇ。アンタ、長い目って言っても世論がそれを許さなきゃどうしようもないでしょうに。悠長に開発するのは結構だけど、それにどんどん税金が注ぎ込まれた日には……」
「だーかーらぁ我々の血税を後々の世代への投資にする事に抵抗持つのがおかしいんだって! トミーさん、アンタもう60過ぎだろう? いつまでも俺らの時代じゃねえんだわ。未来ある若者の為にも……」
「いやいや、未来とは言うけどねぇ……」
「あーだこーだ喧しいわこの煤け野郎! サラダ油に浸けた韓国海苔みてェなツラしやがって、このクソジジイ!」
「ジジイって! アンタこそジジイでしょうがっ!」
「毎晩毎晩銀座のクラブで豪遊しやがって! テメェみてぇなのが真っ先に脱税するんだよ!」
「言わせておけばこのクソだらぁーッ!」
「いっぺん死ねやぁーッ!」
どたんばたん。
途端に熱を帯びるスタジオの議論に、登校を控えたお茶の間の若者達は大いにドン引きである。「ちょっとカメラ止めろ」と青い顔で老人二人の乱闘を止めに入るADに、滅茶苦茶な方向に回るカメラの首。トミーの突然の狼藉に対し、おろおろとするばかりの新人アシスタントだが、裏方から緊急速報が入ったという旨のメモを手渡され、目を白黒させながらそのニュースを読み始める。
「あ、え、えーっと。たった今、救急病院に搬送された杉森イタイ蔵議員の死亡が確認された模様ですっ」
おあとがよろしいようで。
同時刻、梅雨時期真っ只中のぐずり雨止まぬ新宿アルタ前交差点。垂れ落ちる唾の如く不快な湿度の中、一人の若者が、そこで主張を続けていた。
「もう終わりだよォォォォん!! 俺らぁ皆さんもう終わりでええええええすッ! あああああああ! おあああああああああああ」
灰暗いパーカー、そのフードが巧みに顔を覆っているものの、彼は酷く悲観ている。くしゃくしゃに歪ませた上も、チャックを開けたジーンズからはみ出ている下すらもが悲しみに暮れ、涙をひたすらに流している。……そう。彼は号泣しながら、この交通量の多い交差点内で一心不乱に『シゴいて』いるのだ。
「俺の血ッ! もう終わり! 希望なんて見えねェよぉ! はぁぁああんッ! 残さなくちゃ、血を、遺伝子を! 俺の血ィィィィィィッッ」
盛大に吹き荒れるクラクションと罵声の嵐、そして対照的に、冷やかな目線を以て彼を被写体としてタブレットに収めてゆく民間人達。この悲観する若者の焦熱的激情に対し、現代の『目』はあまりにも冷たく、理解し難い。彼個人の、否――若者達の破滅が刻一刻と迫っているのだ。彼は遺そうとしている。自らの破滅を悟った瞬間に決意した、街に対する『種付け』を――!
「東京、今までアリガトウッ! アリガトウゴザイマシタッ! 最高の地元、俺にとっての全て! だから――受け取ってくれッ! 俺の愛! 俺の想い!」
混濁の雨間に、今、白濁が舞った。
湿気の中に純粋一閃、凡そ一億の息子の死。自らの遺伝子を、この東京という巨大な都心に遺した、偉大なる若き魂を称賛する声はなく。耳を叩くのは、ただただ喧しいばかりのクラクション、そして、錆び付いた雲間から覗く落雷の兆候。それだけである。
「――終わったんだ。たった今。続きがあるとか、明日があるとか、そんなんじゃないんだ」
"紛れもねェ、完全な死だ――"
彼の勇姿を見届けたかの如く、裂けた曇天から降り注ぐ閃光。偶然か、否か。突然の落雷は若者の身体を穿ち、引き裂き――神の御業は、勇者を物言わぬ肉塊へと変え、それきり、それきりだった。
落雷の衝撃に動揺する民間人達には、既に若者の姿が見えていなかった。至近距離の雷光に目を焼かれた東京の羊達は、今や、誰も彼もが瞼を押さえて慌てふためいている。既にクラクションの騒音はなく、しとしととフロントガラスを滑る水の滴。やがては消されゆく、アスファルトに広がる白濁。
西暦2021年、気怠い真夏の早朝の一角。
若者が腕に巻いていたアナログの腕時計は、主を失っても尚――時を刻み続けていた。