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第二話



「オーギュスト殿下!お気を確かにっ!オーギュスト殿下!」




…………いったい誰だ………?




ひどく取り乱した女の悲鳴を聞きながら私は不審の念を禁じえなかった。


致命傷とばかり思っていたがどうやら生き延びることができたらしい………しかし状況は致命的だ。


凶弾に倒れ病臥に伏した宰相になどについてくる酔狂な人間はいないだろう。


あるいは冷静さを保てるだけの有能な側近は皆愛想をつかして出て行ってしまったのかもしれなかった。




「ああ………神よ!どうかフランスの次代をお助けください!!」




残念だが神がフランスを救うことはない。


フランスを救うことが出来るのはただ人民の覚悟と優良な政治あるのみなのだ。




「ジョセフ殿下ばかりか王太子殿下まで亡くなったばかりだというのに………いったい王家は………フランスはどうなってしまうのでしょう………」




聞き捨てならない話が聞こえたような気がする。


私の記憶が正しければ女の言に該当する事案はひとつしかない。


すなわち、ルイ15世治世下のフランスで1765年王太子ルイ・フェルディナンドが36歳の若さで死去したのがそれにあたる。


長子であり父を相続するはずであったはずのルイ・ジョセフは1761年病いによってすでに死去していた。


するとオーギュストとはあのルイ・オーギュスト………すなわち後のルイ16世ということになろうか………。




私はもしかして気が狂ってしまったのだろうか?


それとも18世紀末を舞台にした芝居でも目の前で行われているとでも言うのだろうか………?




埒もない想像に苦笑を浮かべつつ私は瞳を開いた。


すでに最悪の事態など通り越している。


むしろ気が狂ってしまったほうがよほど幸せであるのかもしれなかった。




「お気がつかれましたか殿下!おお神よ!感謝いたします!」




慎ましやかな美貌の侍女が視界に飛び込んでくると同時に、脳内をもうひとつの記憶が狂奔する。


処理能力を超えた記憶の奔流に私はこみかみを押えて思わず呻いた。




「ああ、ご無理をなさってはいけません殿下。そのままお休みになられてくださいませ」




膨大な時間


もうひとつの人生


孤独な少年の底知れぬ嘆き


二つの記憶が交じり合う……それは魂がウィルスによって徐々に侵食されていく様にも似ていた。


ことここにいたっては流石に認めぬわけにはいかなかった。


私ルイ・ニコラ・クファールはいまや同時にルイ・オーギュストでもあるのだ、と。














オーギュストは両親に疎まれていた。


それは長男であるルイ・ジョセフが偏愛されていたためでもあり、またオーギュストが内向的で口下手な少年であったためとも言う。


いずれにしろ父フェルディナンドはオーギュストを愛してはおらず、出来うることならばジョセフが死んだ今、至尊の位を三男のルイ・スタニスラフへ譲りたいと考えるようになっていた。


しかし王国の慣習上、長子相続は絶対である。


心優しい温厚な少年であったオーギュストではあるが、宮廷内で自らの死を望む動きがあることは正しく自覚していた。


それが理解できてしまうほどに、両親の予想を超えてルイ・オーギュストは聡明な少年であったのである。


幼いことから忠実に仕えてくれた家臣が自らの代わりに毒に倒れた時、オーギュストは決意した。


すなわち、父や弟と骨肉の争いに明け暮れるくらいならばいっそ自ら人生の幕を引こうと。


ひそかに手に入れた毒杯を呷ってオーギュストはその悪しき人生から解き放たれたかに見えた。






しかし侍女による発見が早かったためかオーギュストは一命を取り留めていた。


だからといって命の危険が去ったわけではない。


依然としてオーギュストの意識は戻らずにいたし、この機会にオーギュストを亡き者にしようと蠢動する人間は両手に余るほどいたのである。


ところがことの全ての元凶でもある王太子ルイ・フェルディナンドが急な病に倒れたのはまさにそのときであった。


高熱が続き治療の甲斐なくルイ・フェルディナンドは死去。


天然痘のせいであったとも、ちょっとしたケガがもとの破傷風であったとも言う。


いずれにしろ次代の王位継承権は本人の意思に反してルイ・オーギュストの手に委ねられたのである。












…………神は私に何を為せというのか………。








無神論者の私ではあるが、こんな超常現象を前にしてはさすがに何らかの作為を疑わざるをえない。


しかも私があのルイ16世だと…………?


そう考えた瞬間死の間際、痛切に捉われたひとつの思いが再び甦る。




―――――愚かなり、愚かなるかなフランス――汝はなぜかくも愚かに成り下がったのか――――!








ああ、もしかしたら






革命で失われた神と王権への信頼が生き残ることができたならばフランスは変わるのだろうか。


一度は死んだこの身にもし使命があるとしたら、国民の国家への帰属心の支柱として王家を後世に残すことではないのか?


立憲君主として王家が存続した場合、政府の自浄機能と国民との利害調整に大きな役割を果たせる可能性は高い。










知らず口元に皮肉気な笑みが浮かぶ。


まるで冗談のような難題であることに気づいたからだ。


あのロベスピエールやフーシェ、フランス史上最大の英雄とも言えるナポレオンを相手に王家を防衛する?


それはあの日のフランスをデフォルトから救済することより難しいことのように思われた。


だがそんな不安よりも胸の奥から湧き上がる愉悦を抑えることができない。








ああ――――痛快だ。






所詮一度死んだ身である。


どうせならばよりよい未来を掴んでみせる。


そうすることがあの絶望に対する何よりの復讐であるかに思われた。


もう無力感に苛まれて妥協に妥協を重ねるようなことだけは繰り返すつもりはない。






自由の名の下にどれほどの血が流れされたことか。


今さら私の介入が何滴かの血が量を増やしたところで大差はあるまい。










今こそ私は歓喜に身を震わせていた。


もう一度フランスを生まれ変わらせて見せる。


そして世界に冠たる世界帝国フランスを21世紀へと繋ぐのだ。


たとえこれが死ぬ間際に見せる一睡の夢なのだとしても構うことはない。


私がどう生きようと結局死は平等に訪れるものなのだから。






―――――もう少し早くこの心境に達していたならばあのとき私はフランスを救えたのだろうか…………。








忘れえぬ悔恨が胸を灼く。


だからこそ諾々と運命に流されるままギロチンの露へと消えるつもりはない。


たとえ幾千幾万の民をギロチンへかけようとも、この世にフランスの栄華を築く覚悟はとうに固まっていた。








―――――――血と薔薇は咲き乱れるくらいが最も美しいのだ。





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