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第十五話



ラ・ヴォーギュヨン公の指示を受けたフランス兵が動き出したのは年も明けた1775年2月に入ってからのことであった。


未明に行軍を開始したフランス軍歩兵部隊はパリへ向けて三方向から侵入を試みる。


その総数は途中で離脱する歩兵が多く最大でも一個師団半に達しなかった。




「正気かな連隊長…………」


「陛下が出てきたらすっ飛んで逃げるぜ、オレは」


「オレもだ」




冷害による凶作にもかかわらずなんとかパリが飢えずにすんでいるのは国王のおかげだということを兵たちは知っている。


滞りがちであった兵士の給金も、オーギュストが即位してからは………厳密にいうならばオーギュストが育成した軍務官僚が軍財政を切り盛りするようになってからは


支払いが滞るようなことはなかった。


史実においてフランス軍兵士の士気の低さはこの賃金の未払いによるところが大きい。


中間搾取によって全額が手に入ることは少なかったが、それでも自弁に装備を整えなければならない兵士にとって定期的な給金が保障されているということは大きいのだった。


だからこそそうした内政改革を成し遂げた国王に対する平民兵士たちの信頼は高いのである。




しかしながら中間管理職である貴族にとって現国王は必ずしも名君ではない。


いまだ貴族に対する課税はないが、すでに労役や関税が排除されており、国王の肝入りで行政機関の一翼を担う平民官僚によって賄賂横領もやりにくくなった。


フランス貴族にとって国王はあくまでも神輿であり、これまでの王家ももとをただせば同じ貴族の一員であった事実を考えれば絶対王政的な忠誠心を養うことは難しい。


すなわち王権が強大になることは貴族の不利益なのであった。


土地が肥え、既得権の多いうえに侵略の危機感の少ないフランス貴族独特のこの政治感覚はブルボン王家にとって長く大きな政治的課題とされてきた。


かの太陽王ルイ14世ですら貴族の不服従には生涯にわたって苦しめられている。


世に絶対王政と歴史は語るが、この時代の専制君主はそれほどに政治的なフリーハンドを得てはいない。


イングランドのエリザベス1世は対外危機と国内の結束を維持するために生涯独身を貫かねばならず、スペインハプスブルグ家のフェリペ2世は地域派閥を抑え込むために


他国への侵略を続けなければならなかった。


スペインという国家は事実上カスティリヤ王国とアラゴン王国、ナバーラ王国の連合王国であり、アラゴン系である王家に対するカスティリヤ派貴族の抵抗は大きかったのだ。


所詮絶対王政などと言っても各国の国王は国内政治をまとめるのに四苦八苦していたのである。


ましてブルボン王朝はヴァロワ朝に対して新教徒として反逆したという過去がある。


ブルボン朝において国王の暗殺やフロンドの乱のような反乱が多いのはその始まりに遠因があるのであった。




「オーストリア女を追い出してフランスを古き良き体制に戻さなくては…………」




貴族たちの間でシャルロットは格好の怨嗟の的になりつつあった。


オーギュストが進歩派貴族とともに経済優先の政策を推し進めていることは彼らにもわかっている。


しかしそこで経済の余剰が貴族ではなく平民に恩恵が向いているのが不満なのだ。


直接国王を非難することが躊躇われるなかでシャルロットの聡明さと国王に対する影響力はちょうど良い矛先なのであった。










「やる気があるのか、連中」


ケレルマンは望遠鏡を覗きながら苦笑した。


よほどこちらを舐めているのか、はたまた練度が低いのかあるいはその両方か。


彼らにとってパリの掌握は時間との勝負のはずだ。


まさか歩兵が土足でベルサイユ宮殿に踏み込めるはずがないし、それでなくともパリは広く防御力も高い。


国王に味方する諸侯も多いことを考えれば市街戦で時間をとられるのは論外なのである。


にもかかわらず足並みも揃わずやる気も感じられない鈍い行軍はそのまま兵の士気を表しているとも言えた。




すでに彼らの侵攻ルートには一か所あたり50門以上の大砲が準備され、その多くにはブドウ弾が装填されていた。


百年戦争におけるリッシュモンの集中運用以来砲兵はフランス軍の花形である。


しかしパリに進軍中の歩兵部隊に随伴する砲兵はいない。


彼らは攻城戦のような長期戦を戦うつもりが最初からないからだ。


士気の低い歩兵が砲兵の支援なしに砲兵援護下の敵と戦えばどうなるか、残念なことにラ・ヴォーギュイヨンの腰ぎんちゃくでそれを理解できるものはいなかった。


指揮官である貴族たちはラ・ヴォーギュイヨンから聞いた近衛は発砲すればすぐ逃げ出すような柔弱な部隊であるという言葉をただ幼子のように信じていた。




本来払暁を期して突入するはずであった反乱軍がパリへ突入したのはすでに太陽もあがった朝7時過ぎのことであった。


このときなってもなお反乱軍指揮官は楽観を崩さずにいた。


少なくともこの時まで国王に対する傭兵や援軍が到着したという情報はない。


戦力とも呼べない近衛二個大隊(一個大隊はまだ訓練中)だけで一個師団半に及ぶ大軍は止められまい。


そう信じていた彼らが意気揚々と見通しの良い大通りへと達したとき破局は訪れた。




ズラリと並んだ大砲から立て続けにブドウ弾が発射される。


人間の拳ほどもある鉄塊はその運動エネルギーで反乱軍歩兵を血にまみれた肉塊へと変えていった。


奇襲するつもりでいた彼らはようやく自分たちこそが奇襲の餌食になろうとしていることを理解したが、近距離で無防備に浴びる大砲50門の斉射は彼らに立ち直る隙を与えては


くれなかった。




「目をやられた………助けてくれ!」


「冗談じゃねえ!話が違う!」


「ばかな………ばかな………!!」




辻のあちこちで阿鼻叫喚の地獄絵図が生まれようとしていた。


兵の多寡は問題にならないことをケレルマンが確信していたのは兵の士気の低さと指揮官の能力不足を知っていたからだ。


今反乱軍にデュマのような有能な指揮官がいて数にものを言わせて突撃してきたならばまだ勝敗はわからなかった。


これが7年戦争を戦った古強者であればもっとケレルマンも警戒したであろう。


プロイセンの勝利で幕を閉じたあの戦争では火力と機動を重視する近代戦の萌芽がすでに芽生えていた。


しかしそうした貴重な戦訓を生かせる指揮官は反乱軍にはいない。




「進むか退くかはっきりしないか…………愚か者め」




砲兵の近距離火力支援というものは倍の敵を楽に蹴散らすほどに効果的だが、敵の数は四倍以上に達しているのである。


いかに鍛え上げられたとはいえ歩兵同士の肉弾戦となれば、いまだ勝敗は五分と五分といったところなのにうろたえて指示を出せずにいるとは兵が哀れだ。


しかしここで手加減をする愚は許されない。




「続けて撃て」




だが貴族指揮官が自らの命を賭して突撃することなどありえなかったし、それに歩兵が追随するとも思えなかった。


混乱する反乱軍のどてっ腹に再びブドウ弾が撃ちこまれ、数百におよぶ肉塊が量産され勝利を確信したそのとき、ケレルマンにとっても完全に予想外の事件は起きた。










一部貴族が国王を退位させ、権力を握り第三身分へ増税しようと画策している。


そんな噂がパリに流れ始めたのはつい先日のことであった。


オーギュストが即位して以来国民の生活は緩やかではあるが向上していた。


こんなところで時計の針を逆にまわされてはたまらない。


とりわけ国内関税の廃止や労役の撤廃により流通の円滑化の恩恵にあずかっているブルジョワジーにとっては決して容認できない話であった。




「苦境に陥っている国王を助けよう!国王こそ人民の擁護者だ!」




誰かがそう叫び賛同の環が広がるまでにそう長い時間はかからなかった。


過激化する民衆のなかにはどこから流れてきたのか旧式の銃が供給されはじめ、長年虐げられてきた貴族への復讐を誓うものまで出始めた。


彼らは明らかに貴族に対する武装闘争を決意しかけていた。




「おそらく奴らが事を起こすのは2月の半ばになるだろう。そのときまでに覚悟を決めておけ」




袋一杯に入った金貨を放り投げ、下卑た笑いとともに金貨を拾い集める男たちを冷たい目で見つめながらカルノーは口元を歪めた。










ブルジョワジーの台頭とともに貴族に対する不平不満はくすぶっていた。


彼らの敵意を国王に向かわせないために、暴力のはけ口は正しく用意されていなくてはならない。


シャルロットがそう言いきったときの嫣然とした天使のような微笑みをカルノーは思い出す。


愚かな貴族の身勝手な要求を暴露し、国民の敵意を引き受けてもらうと同時に、危険な煽動家にはこの際反乱軍との戦闘で死んでもらう。


貴族と人民側のテロリスト予備軍をまとめて一掃してしまおうというシャルロットの計略は一挙両得とも言うべきものであった。


もちろんこうした謀略はもろ刃の刃でもある。


失敗すれば人民が武装闘争に対する自信を深めて革命を誘因する原因にもなりかねない。


また不正規兵の乱入によってケレルマン率いる王室近衛がその力を十全に発揮できない可能性は高かった。




「しかし成功すればもはや貴族たちも陛下を掣肘することはできまい………」




フロンドの乱を鎮めたルイ14世のように、オーギュストは国政に大ナタを振るうことが出来るはずである。


いかに行政の中枢を握る貴族といえども人口の99パーセントを占める人民を正面から敵に回すのは避けたいはずであった。


確かに百年前であればその計略は当たっていただろう。


しかしハプスブルグの生んだ政治的怪物といえども加速する時代の流れを完全に見極めることは出来なかった。






同じ事物を見た場合、政治家としてはシャルロットのほうが正しいかもしれない。


しかしオーギュストに見えてシャルロットには見えないものがあるのだ。




――――――それは未来であった。








「くそっ!砲兵、射撃やめ!歩兵着剣っ!進め!」




思わぬ市民の乱入により混沌とした戦場で、市民ごと射撃することをケレルマンは認めることはできなかった。


ならば銃剣突撃により直接反乱軍を押し返すよりほかにない。


しかし射撃戦に徹していれば圧勝できたはずが、肉弾戦になれば損害が増えることは避けられない。


ケレルマンは内心忸怩たるものを覚えつつ、それでも市民を守るために前進を命じないわけにはいかなかった。


王室近衛は市民を守るために隊伍を整え筒先を並べて錯綜する乱戦の巷へと突撃を開始した。






反乱軍が逃亡するか降伏し市民の歓声がパリに轟くまでさらに半日近い時間が必要であった。


勝利に抱き合う市民のなかに、指揮をとった市民煽動家の姿はなかったという。


煽動家の間で広まりつつあった一人の少年の名も、彼らの生命とともに永久に失われたのだった。










「よくやった、ケレルマン。すまんがそのままラ・ヴォーギュイヨン領の接収の指揮を取れ」




「御意」




オーギュストは嘆息しながらどっかりと椅子に腰を下ろした。


彼にとってここでの市民の介入は予定外であった。


市民が貴族を駆逐したという事実は時を追うに従って市民の間で確固たる対決の意思を産むだろう。


そして市民が国王を守ったという事実もまた貴族と市民の対立に拍車をかけさせるに違いない。


オーギュストとしては貴族との最終的対立はさらに数年、できれば10年以上は先延ばしにするつもりでいた。


ここで国王と市民対貴族という図式が表面化すればオーギュストの進める改革は10年は遅れるかもしれなかった。


貴族が抱える資産と領土、利権はフランス王国のなかでまだまだ巨大な割合を占めているのだから。






オーギュストの不安は的中する。


経済改革には同意していても身分制度改革には消極的であったショワズール公が反国王派に転じ、少なくない進歩派貴族が同調した。


さらに市民のなかに国王がいれば貴族はもういらないのではないか、と主張する急進派が現れる。


役に立ったかどうかはともかく国王を支援したのは市民であり、国王に謀反したのが貴族なのは事実であるからだ。


もっともオーギュストに現状の市民に権力を持たせる気は毛頭ない。


国内だけを考えるならばいっそこのまま貴族と対決するという選択肢もあったかもしれなかった。


だが………………。






ラ・ヴォーギュイヨンの反乱からわずか二カ月後の1775年4月19日、アメリカで独立戦争が開始されることを現在オーギュストだけが知っていた。





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