悪魔との契約
満月の夜、心霊スポットとして有名になりつつある、とある廃教会にひとりの女が足を踏み入れた。
彼女の手には木槌、五寸釘、そして男と思しき人物が写っている写真が貼られた藁人形がある。
生気のない、そして感情というものが一切読み取れない虚ろな表情でふらふらと廃教会の祭壇へと歩を進める。
恐らくはプロテスタントの教会だったのだろうか、磔刑像やマリア像などは置かれていない。ただ、大きな十字架に見立てていたであろう柱と梁が残されている。
女は、十字架の柱に藁人形を当てると五寸釘を人形に刺して大きく木槌を振りかざす。
『待て待て待て待て待て!』
「……え……?」
唐突に、女を制止する声が廃教会内に響く。
慌てて女は振り返り、周囲を見渡す。
誰もいない。
丑の刻参りは、本来誰にも見られずに行わなければならない。
誰かに見られてしまったら、呪いは自分自身に帰ってくるのだ。
人を呪わば穴二つ、その穴は、呪う相手と呪いを行う自分自身のための墓穴だ。
呪詛返しというものは実に恐ろしい。そのことを十分に理解しながらも、女は男を呪わずにはいられなかった。
「誰かいるの……?」
『誰かいるのとかいないのとか、その前にだ。とりあえずその物騒な藁人形と木槌を床に置け』
「だ、誰?」
女の眼の前に現れたのは、山中の廃教会には似つかわしくない、非常に顔立ちの整った白いスーツの男だ。
「な、なんで、どうして、いつから」
『質問に答える前にだ。確認するぞ? お前今何をしようとしていた?』
「な、何をって、丑の刻参りで、呪いの藁人形を」
『だよな? そうだよな? で、ここはどこだ?』
「どこって……それはその、心霊スポットとして有名な教会……?」
『オーケー、そこは理解できてるな。まぁ座れ。そこに椅子があるだろ。良いから座れ。な?』
男は実に馴れ馴れしく女に席を勧めると、自身は女の前のベンチに座り、身体の向きを変えて女に顔を向ける。
「な、何? 不審者?」
『お前が言うか。この場で一番不審なのは藁人形もって廃教会にいるお前だ。俺はただの悪魔だ。不審者じゃない』
「……悪魔、っていう設定……?」
『なにが設定だ。正真正銘の悪魔だよ、ったく……ンなことよりお前、自分がどこで何をしようとしてるか、分かるか?』
悪魔を名乗る男は、大仰に両手を広げて十字架を背にした格好で、女に向き直る。
「だから、夜中に呪いの藁人形を――」
『呪いの藁人形にもだ、作法とルールってもんがあるだろう? な? ここはどこだ? ここは元々プロテスタントの新興の一派が使ってた教会だ。心霊スポットだとか言われているが、元々はある意味カルトに陥った集団が使ってた場所なんだよ』
「だったら呪いにちょうどいいじゃないですか。私はコイツを呪わなきゃいけないんです。私の貴重な、30代の5年間を弄んだコイツを、結局は若い女になびいて私を捨てたこの男を――」
『わかったからちょっと落ち着け。な? 良いか? 藁人形の呪いってのはだ。神社でやるものだ。ここは神社か?』
「似たようなものでしょ」
思い切り不機嫌な顔で男を睨みつける女の迫力は、並の男ならばその場で土下座をするか逃げ出すほどのものである。
が、男は呆れたようにうつむいて頭を振るばかりだった。
『これだから日本人の宗教観ってのは……違う。全っ然違う。結論から言うぞ? こんな場所で藁人形の呪いをやっても効かない。全く、全然、ビタ一文効かない』
「え、な、何で!?」
『何でってお前、教会で藁人形とか、文字通り宗旨が違うだろうが宗旨が。お前ら日本人ってのはなぁ、神社の中にある寺だの寺と隣接する神社だのに慣れすぎてんだよ。こういうのは、ちゃんと然るべき手順と、然るべき道具と、然るべきお作法ってのがある。そもそもおまえ、その藁人形どこで手に入れた?』
「アマゾンで……」
『その五寸釘と木槌は』
「近くのホームセンターだけど」
じろ、と白いスーツの男は再び女を睨みつける。
だんだん毒気というか迫力を削がれたのか、女は最初の鬼気迫る眼力も失せて、ただの30代後半の女の表情に戻っていた。
『あのな、お前の丑の刻参りはマナーがなってない。作法が違うだろ作法が。本来なら白装束を着て、白粉を塗って、頭の上に五徳を逆さに載せて、五徳の脚にろうそくを立てて、氏神の神社にいって御神木に藁人形を打ち付ける、これを7日間欠かさずやるんだ』
「え? 白粉? 五徳……? それ、アマゾンで売ってます?」
『知るか。悪魔がアマゾンとか使うと思うか? とにかく、お前がやってることは全ッ然理にかなってない。呪いのマナーがなってないんだよマナーが』
「……そんな……それじゃあ……あいつを呪えないの……?」
『何があったか知らんが、要は男に逃げられたってハナシだろ。忘れちまえ、忘れて次いけ次。さっさと次の男探したほうがよほど良いぞ?』
「行けるわけないじゃない! 許せないのよ! 私を弄んだあの男が! ねぇ、あんた悪魔なんでしょ? 私と契約してあいつを呪ってよ!」
『待て待て、だから落ち着け。お前、悪魔との契約を軽く考えるな』
「軽くない! あいつを呪えるなら死んだっていい!」
女の形相が次第に般若のように恐ろしく歪む。
目はカッと見開かれ、食いしばった歯の根からはギリギリという歯ぎしりの音まで聞こえてくる。
『あーもう……あのな? 今俺達の業界でも、あんまり軽々しく魂とか刈り取ったらリピーターがいなくなるってことでだ。いくつかコースがある』
「コース……?」
『お前ら日本人にもわかりやすく例えるとだ。まず竹コース。これはお手軽だ。寿命1年で相手を軽く呪う。まぁタンスの角に小指をぶつけるのを週1で繰り返すとかだな。次が梅コース。これは寿命5年でまぁまぁな不幸。死なない程度の交通事故とかSNS炎上とかだな。で、松コース。寿命10年で相手に深刻な不幸。後遺症レベルの事故に、会社をクビになる、訴えられる、多額の借金を負う、って感じだ』
「松デラックスは無いの? もっとこう……あるでしょ?」
『何だお前、俺より怖いな?』
「一番良いコースは? 何があるの?」
悪魔を名乗った男は、特大のため息を漏らして女を憐れむような目でみると、諦めたように口を開いた。
『わかったよ、松デラックスは、本人とその周囲に深刻な不幸が降りかかる。が、代償も高いぞ? 寿命30年だ』
「寿命15年にならない?」
『値切るのかよ!?』
「せめて18年」
『割引効くと思うか? ダメだ。寿命30年』
「20年」
『28年』
「22年」
『27年、これ以上はダメだ』
「じゃあ25年」
『じゃあって何だじゃあって。26年。これがギリギリだぞ』
「わかった。じゃあ、26年で契約成立ね」
『お前、俺よりよほど悪魔に向いてるな……じゃあ契約だ。お前の名と歳は?』
「宮下杏奈。37歳よ」
『良いだろう。俺は悪魔アザゼル。お前の願い、俺が聞き届けてやる』
白いスーツの悪魔、アザゼルは口元を歪めるような笑みを浮かながら、杏奈の手を取って握りしめた。
『これで、契約成立だな』
「よろしく」
杏奈の顔は、アザゼルよりも恐ろしく歪んでいた。
今日のショート・ショートは、ホラー……の皮を被ったコメディでした。
こんな感じのストーリーも大好物でよく書いてます。
ショート・ショートのほか、長編も書いていますので、よろしければ毎日公開している「光のまほう」もお楽しみください。
1話4000字、7~8分ほどでお手軽に読めるボリュームです。




