表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無愛想彫金師はまじなう  作者: 長久保いずみ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/4

第4話 身支度

 物置部屋の掃除を済ませた翌朝、サンドラは窓から差し込む光で目を覚ました。

 上半身を起こしたまま、しばらくぼーっと部屋を見回す。

 質素だけれど清潔な部屋。長年、寝るだけに使っていた部屋とは違う。

「……あー、ここ宿か」

 頭が回り始めて、ようやく理解する。

 酔っ払いの面倒を見なくていい朝というのは快適だ。大きく伸びをして、ゆっくりと着替える。

 素泊まりなので、食事は自分で調達する必要があった。出発前にもらった大量の餞別のおかげで、お金は思った以上に確保できている。

「朝ご飯はどこがいいだろう」

 できるだけ安くて美味しいところがいい。解呪の仕事は一度取り掛かるとなかなか休憩が取り辛い。腹持ちの良いものをいくつか買っておく必要もあった。

「ベーグルってこっちにもあるかしら」

 ひとりごちる。仕事中はベーグル一つで持ちこたえられた。今回は少なくとも三つ欲しい。

 受付に聞けばわかるだろう。サンドラは鞄の奥に隠しておいた金庫を手に取った。

 市販の金庫だけど、彫金師の腕を利用して複雑なパズルの錠前を取り付けてある。自分で作った錠前だから、開錠も簡単だ。売り上げの一部をここに隠しておいたから、サンドラは簡単に国外に脱出できた。

 金庫から財布にお金を移し、それを持ってフロントに向かう。

「すみません、今の時間からやっているパン屋はありますか」

 フロントにいた老婆が、宿の入り口を指さした。

「向かいに一軒、通りの左右にも一軒ずつあるよ」

「ありがとうございます。今日はもしかしたら帰れないかもしれないので、部屋の掃除等はいりません」

「あっそう。気を付けてね」

 ぶっきらぼうな老婆に一礼して、サンドラは宿を出た。

 町も目を覚ましたばかりだろうか。人通りは少ない。けれど、軒先を出している店は何軒かあった。そのうちの一軒、宿の斜め右側から、小麦の焼けるいい匂いが漂ってくる。

 匂いにつられるように歩いていけば、パン屋に辿り着いた。すでにお客が何人か入っている。

「いらっしゃいませ」

 サンドラが中に入れば、店員が挨拶してくれた。

 焼きたてのパンが並ぶ中、ベーグルを見つける。

「すみません、ベーグルを三つ、いえ四つください」

「はい、銅貨二十枚ね」

 紙袋にベーグルを入れてもらい、銅貨と交換する。

「あんた、見ない顔だね。ここに来たのは初めて?」

「はい。昨日こちらに入国しました」

「へえ。住処は?」

「探しているところです。今日の仕事はあるので、それ次第では住居を斡旋してもらえます」

「いいじゃん。どんな仕事をしてるの?」

「彫金です。アクセサリーの修理から制作まで、なんでも承ります」

「本当? 住むところが決まったら教えてよ。うちの旦那が指輪を壊しちゃってさ」

 指輪、と聞いてサンドラはドキッとする。だが店員はそれに構わず続けた。

「新しく指輪を作ってもらいたいんだよ。いや、いっそ腕輪の方がいいかな?」

「それは、旦那さんとご相談ください。指輪も腕輪も、どちらも承りますので」

「助かるよ。住むところが決まったらまた来てね。ていうか、パンがなくなったらいつでも来てよ」

「ありがとうございます」

 サンドラは礼をして店を後にした。

 まだ心臓がうるさい。離婚を言い渡された時は清々しい気分だったのに、今になって動揺が襲ってくる。

 紙袋の中のベーグルはまだ温かい。焼きたてを入れてくれたのだろう。

 それがありがたくて、すこし惨めだった。

「……大丈夫」

 サンドラは自分に言い聞かせる。ここはエラティカではない。イネトニシュ王国のオーカイムだ。あの甲斐性なしにここまで追ってこられるだけのお金はない。度胸もない。

 だから、大丈夫。

「あの、大丈夫ですか?」

 不意に男の声が降ってきて、サンドラは飛び上がった。

「す、すみません」

 そう謝ってきたのは、いつのまにか目の前に立っていた若い男だった。青年と呼んでも差し支えないだろう。身なりがいい。高い役職に就いているように見えた。

「その、泣きそうな顔をしているように見えたので」

「……そうでしたか?」

 サンドラは呆然とする。

 生まれてこの方、鉄面皮と言われるほど顔の筋肉が動いたことがない。表情筋が動くだけで周りが珍しがるくらいだ。

 だから、他人にわかりやすいと言われたのは、これが初めてだった。

「はい。……あの、なにか悩みごとですか? お話くらい聞きますよ?」

 丁寧な物腰だが、言っていることはナンパそのもの。一瞬でサンドラに警戒心が戻った。

「いいえ、ありがとう。これから仕事だから、失礼します」

「あっ……」

 男がなにか言う前に、サンドラは足早にその場を立ち去った。

(危ない、危ない)

 ああいう手合いは、一度絆されるとなかなか縁が切れない。そういうのはしばらく遠慮させてもらいたい。

(というか、年齢的にもう結婚は無理ね)

 なにせサンドラは今年で二十九歳。行き遅れ――とは微妙に違うが、よほどのもの好きでなければ再婚なんて申し込めない。

(格好いいと思ったのは否定しないけど)

 心の中で負け惜しみを呟く。

 一目見て、爽やかな好青年だと思った。

 だからこそ、こんな年増よりも、もっと似合う子がいるはずだ。

(さあ、仕事の準備よ)

 彫金師ギルドの隣にある工房へ入る。

「おはようございます」

「おはよう、サンドラさん!」

 工房にはエリカがすでに待機していた。

「早いね~」

「時間がかかると思ったので」

「そっか。あ、通りのベーグル? あれ美味しいんだよね」

「そうなんですか? まだ食べていないので楽しみです」

「飲み物はいる?」

「はい。……あの、厚かましいお願いなんですが」

「うん、なに?」

 サンドラは勇気を振り絞って言った。

「牛乳をピッチャーでお願いできますか? 仕事が始まったら、誰も入れたくないんです」

 エリカの顔が強張った。

「……話は聞いていたけど、そんなにヤバいやつなの?」

「はい」

「わかった。念のためピッチャーを二つ用意しとく。ご飯は?」

「ベーグルを四つ買いました」

「それだけで大丈夫? お肉は?」

「ごめんなさい、シンプルな味の方が集中力が切れなくていいんです」

「……そっか。うん、わかった」

 エリカが何度も頷く。

「牛乳は用意しとくよ。仕事が始まったら、立ち入り禁止の張り紙、出しとくね」

「ありがとうございます」

 準備は整った。

 エリカが居住スペースで牛乳を用意している間、サンドラは朝食としてベーグルを一つ頬張る。

 もっちりした生地の中に小麦の味がしっかりと広がる。たしかに美味しい。あの店は今後も贔屓にしよう。

「さあ、みんな」

 昨日のうちに運び込んでいた仕事道具たちをテーブルに広げる。

「仕事の時間よ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ