第2話 受け渡しと引き渡し
「サンドラ、お店を閉めるって本当?」
「ええ。亭主に離婚を言い渡されたから」
「待って、身一つで出るってこと?」
「そうよ」
「そうよ、じゃないでしょう!」
カウンターで憤慨しているのは、依頼していたアクセサリーを受け取りに来たトゥーナだ。彼女を通じて、彼女の友人からもちょくちょく制作や修理の依頼が舞い込んできていた、いわばお得意様である。
「あんた、ちょっとは抵抗しなかったの!?」
「結婚直後に小言で一発貰ったから。それに、離婚されるのはやぶさかじゃなかったし」
「それには同意だけどさあー……」
なおも不満そうな顔をするトゥーナに、サンドラは紅茶を勧める。依頼の前後で紅茶を提供するのは、彼女のルーティーンであった。
「ろくでなしとはいえ、他人の旦那を奪う人よ。あちらもどうせろくでもないし、破綻するのは目に見えている。その時私が近くにいたら、また押し付けられるかもしれないでしょう?」
「たしかにねー」
「だから、隣国に逃げようと思って」
「……マジで?」
目を見開くトゥーナに、サンドラは頷いた。
「近隣の村や町だと足がつくでしょう? 新天地で一から始めようと思ったの」
「それはまた、思い切ったことをするねえ」
トゥーナは感心したように頷いて、カウンターに突っ伏した。
「ってことは、実質もう会えないのかー。あたし、ここでお茶するの楽しみだったのにー」
「それはごめんなさい。まあ、無駄に紅茶をねだる人がいなくなって、静かに作業に集中できるかもしれないわね」
「ひどーい!」
またも憤慨するトゥーナだが、先ほどと違ってその声音はむしろ楽しんでいる。サンドラも言ったことは半分本気だが、口下手な自分が気兼ねなく話せる友人を失うのは、少し寂しかった。
「向こうでの生活が落ち着いたら、手紙を書くかもしれないわ」
「待ってるわね。あっちの景色が描かれた絵があったら、もっと嬉しいわ」
「覚えていたら同封してあげる」
トゥーナは紅茶を飲むと、
「じゃ、みんなにも伝えておくわね!」
と言って店を後にした。
何気にトゥーナの人脈は広い。あっという間に旦那たちの醜聞は広まるだろう。
「……乗り込まれる前に片付けちゃおう」
オリンドはこちらが口答えしなければ手を出す男ではない。が、訳の分からない逆上で家具や仕事道具が吹っ飛んだのは一度や二度ではなかった。
幸い、依頼されていたものの修理はすべて終えてある。あとは荷造りと指輪の制作だけだ。
引き出しから真鍮の棒を取り出す。オリンドたちの指のサイズから気持ち短めに切る。
炉の上で一つずつ熱し、柔らかくしたら金型に押し付け、木槌で叩いて伸ばす。
作業に集中し始めると、他のことを考えなくて済むからサンドラは好きだった。
手の中で少しずつ真鍮が形を変える。今回作るのは、シンプルな甲丸リングだ。シンプルなので作りやすく、それゆえに職人の腕が試される一品。
タダで結婚指輪を作れなんて馬鹿馬鹿しい。それにデザインの注文もなかったのだから、サンドラの好きに作らせてもらう。
丸かった真鍮が半月になった。サンドラは二本のそれをテーブルに置くと、引き出しから木箱を取り出した。
中に入っていたのは一本のタガネ。赤いベルベットのクッションに収められたそれは、柄は血を含んだように錆びた色をしていて、刃もどこか禍々しい黒に染まっていた。
「儀式の時間よ」
サンドラの口から漏れた言葉は、タガネに呼びかけているようにも、自分へ言い聞かせているようにも響いた。
幅わずか二ミリの真鍮を押さえ、タガネで彫り込んでいく。研磨のことを考えると深く彫った方がいい。でも深すぎると表に出てしまうから慎重に。その微妙なさじ加減で真鍮を彫る。
削られて浮かび上がるのは、象形文字に似たものだった。しかしその意味を素人は解読できない。そうなるように作られた文字なのだ。
削りながらサンドラは小さく呟く。
「呪いよ呪い、私の願いを叶えておくれ。刻んだとおりに。願いの通りに。二人の幸せが尽きる時、二人の指を食いちぎっておくれ」
耳を澄ませなければ聞こえないほど小さな声。しかしそれに呼応するかのように、タガネは鈍い光を帯びた。文字が鼓動するように、ぼんやりと明滅する。
「呪いよ呪い、私の願いを叶えておくれ……」
二人分の文字を刻み終えるまで、サンドラはその呟きを絶やさなかった。
◆ ◆ ◆
「こちらが約束の品になります」
指輪の受け渡し日、そしてサンドラが出て行く日。
サンドラは工房のカウンターに一つの木箱を差し出した。
女が訝し気に箱とサンドラを交互に見る。
「一つだけ? もう一つは?」
「この中に二つとも入っております。ご確認を」
言われた通り、女が木箱を開ける。
クッションに差し込まれた真鍮のシンプルな指輪が二つ、仲睦まじそうに並んでいた。
「あら、意外と貧相なのね」
「精一杯やらせていただきました。お気に召さなければ、こちらで処分いたしますが」
「いやね、いらないなんて言っていないわ」
女は大きい方を手に取ると、オリンドの方を見た。
「ほら、あなた」
「ああ」
この日は酒を抜いてきたのか、血色が戻ったオリンドが左手を差し出す。
薬指にはなにもはまっていない。サンドラが作った指輪だったが、酔った拍子に捨てたと結婚して間もない頃に言われたのだ。
そこに、改めて指輪が差し込まれる。
「じゃあ、ウルリカ」
オリンドが木箱に残っていた指輪を手に取る。
女の左手薬指に指輪がはまっていくのを見ながら、サンドラは自身の薬指から指輪を外した。
「では、私はこれで失礼します」
「あ、この箱も処分しといて」
女に言いつけられて、先ほどまで指輪が入っていた木箱を受け取る。
衣類や仕事道具は、大きな鞄一つで収まった。そこに指輪や木箱も放り込んで、サンドラは長年の住居を後にした。
「清々したな」
「これでワインに使われるお金が減るわね」
なんて声が後ろから聞こえたが無視する。
「サンドラさん!」
表通りに出ると、わっと人に囲まれた。
「本当にこの国を出て行くのかい?」
「はい」
「仕事のアテはあるのかい!?」
「ギルドを頼ります。また一から始めるだけですよ」
「これ、餞別! 持ってって!」
「あ、ありがとうございます」
誰かがパンを渡すと、我も我もと食べ物や古着を押し付けていく。
「こ、こんなに入りません」
と言うと、どこからかもう一つ大きな鞄を押し付けられた。餞別品はすべてそこに入れて、サンドラはほうとため息をつく。
「では……みなさま、お世話になりました。どうぞお元気で」
深々と頭を下げる。
「元気でね」
「手紙、待ってるよ」
「あいつらはちゃんと監視しとくから!」
なんだか物騒な言葉が聞こえた気がしたが、温かな声が多かった。
サンドラはつんと痛くなった鼻を押さえ、もう一度頭を下げてから歩き出した。
オリンドに金を全額巻き上げられないよう、売り上げの一部は隠し金庫に貯蔵しておいた。おかげで旅の資金もまかなえる。
国を越える人は多い。その人たちに紛れて馬車に乗りこんだ。
事前にこの国の彫金師ギルドへの挨拶は済ませてある。ついでに隣国へ行く旨も話しておいたから、あちらに着いたらスムーズに仕事が貰えるはずだ。
急なことになってしまったが、今はちょっとした休暇だと思おう。
(あの〝呪い〟、早くて一ヵ月後に発動するかしらね)
心の内でひとりごちながら、サンドラは鞄の上からその中にある赤いタガネを撫でた。
「イネトニシュ王国行き、出発しまーす」
馬車が動き出す。
夏のからりとした日差しの中、涼しげな風がサンドラの髪を撫でた。




