第七章
彼が目にしたのは、深紅の池に横たわる家族たちだった。
けれども正確な記憶には、失われたもうひとつの影が潜んでいたのだ。
黒檀の柄の短刀を手にした男である。そいつだけが生き生きとして血の海の中央に立ち、周りにメルリンの愛する者たちが倒れていたのだった。
魔術師は悲鳴を上げて家族たちを抱き起こそうとしたが、望みは叶わなかった。
闇に浮かぶおぼろげな灯火を直視してしまったからだ。
侵入者に生えた三つ目の腕首、切り落とされ、生気を失った死人の手が、拳から人差し指をつき立てるオブジェ。絞首刑に処せられた人間の手首を素材とする禍々しき魔術道具、〝栄光の手〟だ。
脂肪を燃焼させて灯る魔術的な火は、通常の液体や方法では消せず、ぞっとするような材料による特製の軟膏で防御しない限りは、目撃した者を金縛りに遭わせることができる。
硬直して震えるメルリンをよそに、男はまだ息のある娘の髪をつかんで顔を上げさせ、白い喉に刃を突きつけて脅迫した。
――放置すればいずれ死ぬ。貴様がこうした窮地を脱する魔術を発明したのは調査済みだ。大いなる悪魔を自由にしかねないがために、恐れ戦いて破棄しようとしたことも。それを作製せよ。家族の御霊を繋ぎとめるのだ、と。
こうしてメルリンは魔術書を創らされ、賊の乗ってきた魔女の箒で大海を臨む崖に連行されて、そいつが儀式を試行する一部始終を見せつけられたのである。
「家族を実験台にして彼は術の効能を試し、用済みとなったおれを海へと突き落としたのです。ですが、魔術書には細工を施しておきました。製本の間、犯人に見張られていたのでたいしたことはできませんでしたが」
「どうやったのだ?」
興味深げに裁判官が尋ねた。
「マンドラゴラの隣に置いていた銀貨を仕込んだのです。民話に着想を得た魔術でして、貨幣はなくしても帰ってくるようになる。娘の遊び道具として作ったのですが、それを表紙の月齢の紋章の裏に編み込んでおきました。
加えて、家を出るときに転んだふりをして、用心のために玄関に制作途上であったゲッシュを応用した結界を仕上げたのです。もっと急いで完成させていれば家族を守護できたのに、おれが未熟であったばかりに……」
深い嘆きを湛えながら告解したメルリンは、そこでぼそりと付言した。
「ただこうした行動は、予期せぬ事態をも引き起こしましたが」
「どういうことだ」
不機嫌そうに裁判官が首を捻りつつ問うと、メルリンは返答した。
「魔術書は一時的に陰府を惑わし微少に洩れさせた悪魔の力で怪我や病を治療するだけで、それ以上の効能はないはずでした……」
メルリンが言い淀むと、待ちきれなくなったように枢機卿が一蹴した。
「よくできた挿話だが、どうでもいいな。我々が聴きたいのは、君ら魔女による悪魔との係わりの実態だ」
メルリンは、一呼吸おいてから発言した。
「いいでしょう。では、おれを魔女として名指ししてみてください」