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高き館の王の書  作者: 碧美安紗奈
第二部
7/12

第六章

 ――異端審問所は混乱していた。ローマに魔女の自首があったのだ。

 それも実体なき魔術師と称され、ここ十数年もの間、歴史の裏で密かに弱い魔女たちを支援してきたという、あの名高きメルリンである。


 西方教会の総本山に侵入した恐るべき破門者に、聖職者たちは俄に騒然となったが、当の魔女本人はおとなしかった。

 教会は彼が崇拝されるのを恐れたとかで、一部の高位聖職者にしか似顔絵が知られていないというメルリンは、教会関係者によって本物と確認されるや、捕まった直後のままの格好でバチカンの法廷に召致された。誰もが、畏怖すべき対象になるべくなら触れたくはないと望んでいたのである。


 幸いにして危険な装備はないと判断された魔女は、異臭のする肌にぼろを纏い、そこに辛うじて縫い付けられたフードで顔を半ば隠していた。所持品は、荒削りながら小綺麗に加工された黒曜石の御守りたる首飾りと、皮袋に入ったミルクだけ。

 注目の的となった被告が、縄で両手を縛られて審問所内の中央に立ち、面前の壇上に鎮座した裁判官と相対する。多数の聖職者たちが伝説の魔女の行く末を見定めようと詰め寄せ、二人を囲む座席はたちまち野次馬で氾濫した。


 サン・ピエトロ大聖堂に併設されたルネサンス様式の裁判所は、まだ完成しきっていない建物だった。

 根強い反対意見があるというのに、魔女狩りを推進する勢力は己が目的のため、無理やり建設を推し進めていたのだ。彼らがメルリンをここで断罪し、権威づけようと画策したのである。


 また、奇しくも魔女と同名だった推進派の指導者に因んで、この施設はメルリン裁判所と仮称されていた。


 やがて礼服に身を包んだ二人の高位聖職者が入廷し、裁判官の両隣の席におのおの座った。

 メルリンと自称すること以外、実在するという手掛かりすらなかった偉大な魔女が捕らえられたというので、彼に執着していた重役たちも裁判を見届けることになっていたのである。


「異例な裁定になりますな」

 上位の聖職者へと、恐縮しながらもそこでようやく法廷の支配者が口をきいた。

 四角い強面の男。有罪者を多く出すことで、すこぶる評判の悪い裁き手である。

「おまえが魔女のメルリンだな」

 続いて自分へともたらされた裁判官の常套句に、拘束された男は首を横に振った。


「いいえ、少なくともあなた方の定義による魔女ではありません」

 それは皮肉でもあった。


 元来、古き魔女は民間の呪い師のようなもので、占いや薬草に通じるくらいの温和な存在だったのだ。

 ところが、魔女狩りのために脚色され流布された悪しき魔女の偶像は、彼らが行使するとして仮想された黒魔術によって実像を歪められ、逆にそうした教会へ対する反逆行為を公布する結果にもなったのである。


「この期に及んで証言を変更するか」言ったのは、裁判官の左側に座る大司教だった。「口にすべきではないのかもしれんが、できればわたしもこんな真似はしたくないのだ。それでも世情というものがある。尋問を受けることになるが、よいかな?」

 司教服に司教杖。丸顔と垂れた目尻が温厚そうな印象を与える彼は、以前は東方教会の主教であったという。十数年前にある失態を犯し、鞍替えしたと噂される人物だ。


 それでも魔女は臆せずに、大司教を見据えて公言した。

「おれは真の魔女の正体を暴くために参ったのですよ。そしてそれは、あなた方のうちの一人です」


 室内を沈黙が覆い、やおらざわめきへと移行していく。

 裁判官は嵩にかかって罵った。

「異なことを申すな。くだらぬ戯言を聞いている暇はないぞ」

 次いで、彼の右側に座る司教枢機卿が横槍を入れた。

「おもしろそうではありませんか、最後の足掻きを観戦させてもらいましょう」


 階級の証である燃えるような緋い衣装。感情の起伏を見透かせない、のっぺりとした面長の顔。

 彼は特に熱心に魔女狩りに取り組んでいる人物で、二つ隣にいる大司教と共謀して、かつて助祭枢機卿であった頃にはなんらかの計略を企てていたとの噂があった。


 そんな枢機卿を援護するように、大司教も魔女へと抗議する。

「我々のうちの誰かが悪魔と盟約を結んだと? なんの利益があってそのような行為をするというのだ」


「あなた方とて人間ではありませんか」魔女メルリンは語った。「だいたいにおいて人の裁く行いは人の行い、誰しも容疑者になりえます。魔術師にとって、世界各地から教会が没収した神秘的知識とは、喉から手が出るほど欲しいものですからね」


「……ようするに、異端審問所に魔女がいれば、そうした物品を正当な理由をつけて容易く収集できるというわけか」

「ならば魔女のメルリン、証拠はあるのか」

 裁判官に指摘されて、魔女メルリンは頷いた。

「あります。あれは修行に出ていたおれが、ある夜、帰宅したときのことでした」

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