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高き館の王の書  作者: 碧美安紗奈
第一部
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第四章

「怪しいわ! あの老人こそロレインの夫なんじゃないの?」

 書庫の最深のくすんだ壁まで相方を誘導すると、リフカが悪態をついた。


 つかまれて乱された衣服を整えながらも、エリファスが同意する。

「隠し事をしている気色はあるな」

 しゃべりながら、彼は遠慮がちに手近な本を抜き出してみた。

「錬金術、ヘルメス学、カバラ……、ありふれた教本だ。たいしたものではない」


「あれはなにかしら」

 同様にそこらを探りだしたリフカは、やや離れたところの棚におかしなものを発見した。


 二人が近寄ってみると、本の間に挟まれたそいつは装飾の施された小箱だった。

 蓋を外すと、葉っぱのついた珍妙な植物が絹布に包まれて納まっている。太い根は人の下半身に似た形状で、二股に分かれていた。


「マンドラゴラだな」自慢げに、エリファスが蘊蓄を披露する。「呪術に用いられる植物だよ、地中海地方で採れる。そこいらではアルラウネともいわれる代物だ」


 関連する民話を想起させられた彼は、それを語りだした。


 ヒルデスハイムのある女が、アルラウネを納めた箱の隣に銀貨を置くようにしていると、その金は買い物をして支払う度に女の後を付いて戻ってくるようになったという。だがやがては不審がられ、店の主人に気付かれてしまった。このため店主は銀貨を板に打ちつけたが、貨幣の帰巣本能は強大で、板ごと女の家に帰ったそうだ。さすがに魔術がばれた彼女は、怒った店主に財産を没収されたという。


「ふーん」

 民間伝承には興味がないらしく、リフカはそんな感想だけでさっさと箱に蓋をすると、もとの位置に戻しながら推理した。

「〝高所の王〟だけに高いところにあるんじゃないの。それならあの虚言にも得心がいくでしょ。たぶん、梯子もどこかにしまってあるんだわ」


 ほとんど無視されたエリファスは、少々むっとしながらも意見した。

「じゃあ、麓の村からでも梯子を借用するか」


「いいえ」リフカは、相棒の態度など意に介さない。「あたし達が借りに行けば、隙をついて彼らは魔術書を隠すんじゃないかしら」


「だったらどうするんだよ。彼らを行かせるのか、それともおれたちの片方が残るのか」


 質問が終わるのを待たず、そればかりか捲れるカソックも気にせずに、リフカは大股開きで壁際の棚を登ろうとした。ところが下段に足が掛かるや、体重でぐらつく本棚から書物が零れそうになる。

 諦めてそこから距離を置いた彼女は、手に付着した埃を払いながら提案した。


「上のを調べましょう。まずは届く範囲のを下ろすの」

 案自体には賛同できたので、エリファスは不満を抱きながらも、リフカと共になるべく収蔵数の少ない棚を選び、低い箇所の本を取って静かに足元に置きだした。

「いーい? ゆっくり傾けるのよ」

 あらかた片付けるとリフカが書棚と対峙して、あまり膨らみのない胸を張りつつ偉そうに指示する。


「あのな」そこでついに頭にきたエリファスは、肩を落としながら主張した。「おれは別におまえの部下じゃないんだ。発案者なんだから、面倒な仕事は自分でやったらどうだ」

 彼にとっては仕返しのつもりだったが、リフカは唇を尖らせた。

「えー、こんなか弱い乙女に力仕事をやれだなんて……酷いっ」

「どこがか弱いんだよ」

 反射的にエリファスは相手を軽く小突いたが、実際、力仕事の適任は自分に思えたので、不平をぶつぶつ呟きながらも、仕方なくリフカの命令に従うはめになった。


 選択された棚は、上のほうには数冊の本しかないようだった。それらを滑らせて落とそうという算段だ。

 相棒の合図に従って、エリファスが慎重に、倒れない範囲で棚を傾ける。二冊ほどが落ちたところで、一旦もとに戻す。ドルイドの儀式で刈り取ったヤドリギを布に受けるように、リフカはカソックの前面を摘んで広げ、そこに本を迎えた。

 なるべくたくさん調べようというリフカの訴えで、また本棚が傾けられる。まもなく、死角にあったものを含めた数冊が一挙に雪崩れ落ちた。

 リフカは慌てながらも半分くらいを器用に受けたが、残りは派手に転がった。


「どうかなさいましたか?」

 入口のほうから、オードネルが声を響かせる。


「ちょ、ちょっと手が滑って。本を落としてしまっただけです、大丈夫」

 平静を装ってエリファスがごまかすと、オードネルが近付いてくる気配はなかった。ほっとした二人は、さっそく上のほうにあった書物を開いてみた。


「下にあるものとさして変わりないか」

 適当に上段と下段のものを比べた限りではエリファスのぼやき通りだったが、ある瞬間にリフカは小声で叫んでいた。

「いいえ、著者よ! アルフォンス、とあるわ」


「……こっちもだ!」

 表紙を確認してエリファスも声を上げた。


 他の本とも照らし合わせてみたが、下段のものはいずれもどこからか仕入れてきた商品らしく、エリファスには見覚えのある品物ばかりだったのだ。対する上段のものは自著が中心なようで、魔女の名前を含む、〝|Alphonse Jesse Braunアルフォンス・ジェシー・ブラウン〟なる男性名が署名として明記されていた。


 しばらく書物同士を対照したあと、リフカはある推測に帰結する。

「そうか、魔女は男なのよ」


 一般的には魔女という名詞は女性を連想させ、魔女狩りの対象となるのも女魔法使いが多かったが、男の魔法使いも魔女と称される。そもそもジェシーという名前自体、男女両性に適用できるものだ。


「ではアルフォンスというのは……」


 独白したエリファスが思考を巡らす傍らで、リフカは隅にあった備え付けの机に寄ると、引き出しに手をかけた。なかには束ねた羊皮紙が貯えられており、彼女は躊躇せずに一枚を拝借した。


「なにをするつもりだ」

「アナグラムじゃないかな、と思ってね。とっさに名前を偽ったなら、綴りが似るかもしれないでしょ」


 魔術師の名前の語感からはそんな印象を受けなかったので、エリファスにはリフカの閃きが疑問だったが、ギリシャ正教徒は机上にあった羽根ペンとインクを借りて、もう紙面になにやら書き始めていた。

 ところが〝Eli〟と刻んだところで手を止めて、文字を塗り潰そうとする。


「あーもう、間違えたわ。改宗したけどユダヤ人なの、癖なのよ」

 リフカの腕はエリファスによって押さえられた。怪訝そうにユダヤ人が隣人を窺うと、カトリック教徒は目を見開いて羊皮紙の文字を凝視していた。


「待て、そのまま書いてくれ」

「ヘブライ語の読みだけど?」

「頼む」


 リフカは不審がりながらも、しつこくエリファスに要求されて、続きを紡ぎだした。

 すると羊の皮に浮かぶ黒い道標は、たちまち〝Eliphas(エリファス)〟と刻印していった。


「これって……、そういえば、アルフォンスはヘブライ語読みでエリファスね。偶然かしら?」

「いや、どこかおかしい」


 衝撃を受けているリフカの傍らで、エリファスは硬直した。激情が胸の底でうずきだしたのだ。

 途端に、彼は頭を抱えると、苦悶して仰け反った。


 忌まわしい過去が襲ってきたのである。


 修行の旅から帰ったエリファスを迎えた惨状。血の海と化した床に横たわる瀕死の家族たち。

 あまりのことに動転し、悪魔に魂を売ってでも彼らを蘇らせようとした自分。月影の映える崖の頂で祈りを捧げ、人間の限界を超えた儀式に体力を使い果たし、海へと転落したときにできた額の傷。

 漂着した海岸で巡礼に救われ、教会で養ってもらったエリファスは、記憶を喪失していた。


 もう、数年前のことである。


 そう、あの新月の晩、呪文は唱えられたのだ。


「タリタ、クミ!」


 追懐の幕切れの残響を、彼は口ずさんでいた。それから、愕然としたのだった。


「……おれが、アルフォンスだ」

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