第三章
「……気味の悪い女ね。やっぱり魔女は心が読めるのかしら」
追いついて並んだ同僚へとリフカは小さく毒づいたが、エリファスはほとんど上の空で、廊下の壁に掛かる額入り絵画の数々を鑑賞しながら先程の違和感を思索していた。
「ねえ、聞いてるの?」
リフカが小声ながら怒声を発してようやく同僚は我に返り、怒り顔の修道女と向き合った。そこでもうひとつの疑問を想起して、訊いてみる。
「そういえば、さっきのは本当か。おまえも悪魔に憑かれかけたっていうのは?」
「うん」
カトリック教徒は重そうな話題に深刻な反応が返ってくるのを覚悟したが、案外、平然とギリシャ正教徒は応じた。
「ま、あたしの霊感の才能のお蔭で、あいつ失敗したんだけどね。それで代わりにフランス王国の修道女を狙ったのよ。だからなおさら、この件はあたしが適任と判断されたわけ」
「……そう、だったのか」
「――ところで」会話を遮ったのは、先導するオードネルである。「わしは奥様ほど賢明ではありませんのでわからないのですが、お二人はあの魔術書をどうなさるおつもりで?」
「……既知のことかもしれませんが」
エリファスが説明を始めた。
「教会には本格的な魔女狩りに乗りだそうとする動きがあるのですよ。我々はそれを抑止するために参ったのです」
後をリフカが繋ぐ。
「フランス王国で女性に憑いたベルゼブブを祓う際に得た情報によれば、彼は件の書によって現世に召喚されていますが、縛られてもいるそうです。
つまり本を焚書すれば、悪魔を燻り出し地獄に帰せるだけでなく、真に対峙すべき相手が魔女とされた人間などではない、正真正銘の魔物であると人々に再認識させ、魔女狩りを終わらせられるかもしれません。そうして共通の敵を知覚すれば東西両教会、いえ、分派したあらゆる教会の和解も期待できるでしょうしね」
「なるほど。ですが、そう簡単に探し当てられるでしょうか」
どこか挑戦的な言い方をオードネルがしたとき、ちょうど一行は、廊下の突き当たりに到着した。
そこには両開きの鋼鉄扉があった。懐から鍵の束を取り出した召使が、頑丈そうな錠前を外す。
「こちらが、書庫になります」
重たい音を響かせながら扉が開かれると、内部に押し込められていた古びた紙の匂いと一緒に、広大な空間が開放された。
外観から比較すれば、書庫だけで屋敷の半分は使われているだろう。大きな窓が室内の両脇に整列して大胆に日光を招き入れ、強固な鉄扉とは対照的に不用心なようでもあったが、随所に彫り込まれた魔術的なシンボルや飾り付けられた護符によって、室内全体に厳重な結界が張られているのをエリファスは見逃さなかった。
天井に届くほどの本棚は、図書館よろしく犇めき合っている。しかも、少なくとも望める範囲では隙間なく分厚い書物が詰め込まれ、しまいきれずに溢れたものは床に積み重ねられていた。
「ま、まいったな」
思わずエリファスは溜め息をつく。
リフカも人差し指をくわえて悩むようにしながら、呆然と室内を見渡した。
「梯子が見当たりませんね。これじゃ上の段が探せないんじゃないかしら」
「以前、折れてしまいましてね」と、オードネルだ。「上の棚にはもう使わない品やさほど重要でないものばかり置くようにしているので、そのままなのです。比較的新しい書籍は届く範囲にあるはずですよ。無論、『高き館の王の書』も」
「お父さん!」
突然、元気な声が飛び込んできた。
開いたままの扉から見通せる廊下を、駆けてくる少女だった。
ラナである。
僅かに遅れてロレインが追っていた。すぐに母親は娘を捕らえると、童女の口元と身体を押さえ、客たちに頭を下げながら戻っていった。
「お父さん?」
エリファスが疑問を口にすると、リフカはすかさずオードネルに訊いた。
「あなたのお子さんなのですか?」
「い、いいえ、奥様の養子です。わしは父親代わりですので、お嬢様はあのように慕ってくださるのです」
困った顔をしながら、歯切れの悪い調子で召使が弁明する。
「……そういうことですか」
内心では納得していない様相ながら、リフカは表向きだけ承知した素振りで、エリファスの背中を叩いた。
「じゃ、奥から探しましょっか!」
「なんだ? おい。ちょ、待て!」
ギリシャ正教徒がカトリック教徒の服の裾を引っ張り、半ば引きずるように動く。
そんな二人が棚の裏に隠れてしまう寸前で、オードネルは声を投げた。
「わしはここで待っておりますので、どうぞごゆっくり」