私はあなたのママじゃない。
長編に引き伸ばす気はないので、1話ですっきり読みきれるようしています。
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「私はあなたのママじゃない!」
遂に言ってしまった。前世からずっと、心の奥底に圧し留めてきた気持ちだった。その激情ぶりは、まさしく人生2回分というべき絶叫だった。
眼前の男は辟易した表情で耳を塞ぐ。「急に大声出すなよぉ」
切っ掛けは、夕食の席で彼のコップに水を注がなかったことを、彼が批難がましく茶化したからだ。水のポットは彼の手にも届くところに置いているのに。
彼は私と共に旅をして、魔王を打ち破り「救世主様」と称揚された勇者だった。そして私は彼を支える魔法使いとして、同じように「大聖女様」と囃された。旅の途中で愛を育み、魔王を倒し帰還すると、世界中の人々から祝福されて結婚した。彼が初恋で、はじめてのパートナーだった。今世では。
私には前世の記憶がある。魔法のない世界の日本という国で、いわゆる派遣社員として事務をしていた。スキルの必要のない誰にでもできる仕事だった。達成感のない、まるで面白くない、本当に食べるためだけにしていた仕事だった。昔から、何をやっても人並み以上にはできなかった。ずっと軽んじられて、安く使い捨てられてきた。だからせめて恋愛だけでもと思ったけれど、それもうまくはいかなかった。付き合うことと付き合いはじめは概ねうまくいく。きっと、女はそこまでなら男よりも構造的に平易なのだと思う。でもそれ以後となると、話が変わってしまう。関係性が安定してしまうと、途端に男は変わってしまう。まるでそれまでお姫様扱いをしてあげたお礼をしてよと言わんばかりに、母親や家政婦のような態度を求めてくる。それを直接に言葉にする訳じゃない、俺との関係を続けたいなら分かるだろ? と行動で示してくるのだ。
彼はあっけらかんと言う。「何が気にくわないんだよ? ほら、言ってくれたら直すからさ?」
私はそれに応えない。その言葉が一時的なものでしかないというのを、私は散々に味わってきている。私はその言葉に幾度と欺かれてきた。前世でも今世でも。時間を掛けたものは容易には手放せない、改善の可能性を提示され続けたら尚更に。男どもはそれをよく知っている。そして、そのギリギリを攻めることに快感すら覚えている節すらある。私は前世でそのゲームに5回巻き込まれた。その最後には浮気までされた。私が借りて当時のパートナーと同棲していた部屋で情事が行われた。私はその現場にある日かち合ってしまったのだ。彼は最初泣いて謝った。浮気相手の女は終始目を伏せて黙っていた。2人の行為に私が態度を軟化させると、彼はすかさず言ってきた、
「最近の君の態度が冷たくて寂しかったんだ」って。
私は遂に堪忍袋の緒が切れて、近くにあるものを手にして彼に殴りかかった。やがて掴み合いの状態になり、後頭部に衝撃を感じた後意識が遠退いていった。きっと家具かインテリアの角で頭をぶつけたのだろう。それが前世の私の憐れな末期だった。
確かに私は、これまで異性との付き合いはじめには色々とお姫様扱いをしてもらった。相手が自らそれを提供してくれるからと、なにとはなしに受け取ってきた。でも、だからといって、その対価として何故それ以後の召使的扱いを受け入れなければならないのか。私は、それだけは理解できないのだ。
彼はようやっと気付いたように言う。「ごめん、きっと水のことだよね。それくらいで君に文句を言って悪かったよ。もうこんなこと言わないからさ、ご飯に戻ろうよ。冷めてしまったら勿体ないよ」
こいつも同じだ。異世界の勇者様なら大丈夫だと思ってた。世界最高の魔法使いと言われるいまの私なら、相手から常に尊重され続けると思ってた。でも、それは間違ってた。変わらなかった。変わらないといけないのは私なんだ。
私は毅然として言う。「飲み水だけの話じゃない。私はずっと溜め込んできたの。それはあなたも気付いていたでしょ? でもあなたはずっとずっと、その場限りの言葉を並べて私を煙に巻いてきた。きっとあなたのそういったところは根本的に変わらないんだと思う。だから、もう別れましょう。それがお互いのためなのよ」
「なんだよ、やめてくれよ、そんなこと言わないでくれよ」彼は涙ぐむ、作為的に。「気に入らないところは直すからさ。それにさ、完璧な関係なんてないんだよ。お互いの至らぬところを都度指摘しあって、関係ってのは深まっていくんじゃないかな? 君だって少し冷静になれば分かるはずだよ。いま君は、頭に血が上っているだけなんだ」
「指摘するだけが関係じゃない、改善までできて関係なのよ。あなたはその改善をしてきたの? 指摘された直後は少しましになって、時間が経てばもとに戻るだけじゃない? もしかしたら、あなたは今後は改善までしてくれるかもしれない。でも、その可能性を信用するには、私はあなたに対して冷めすぎてしまったの。だから私、いまから出ていくわ」
「なぁ、本当に冷静になれよ。俺たちは自分の好き勝手に離婚をするには有名になりすぎた。このことが世間に出たらいろんな噂をされるぞ、面白いほどに脚色されて。特に女の君は大変だぞ、それを分かってるのか?」
「あなたの恥で私を縛ろうとしないで。あなたが心配しているのは自分のプライドと、自分の身の回りの世話を誰がするのかってことよ。魔王を倒した後、私たちは国から定期的に給金を貰い、要請があればそれぞれに人助けの仕事をしてきた。そこに優劣はないはずよ。でも、家事は常に私がメインでしてきたわ。得意な方がやるのが1番いいじゃんって、あなたは尤もらしくいったわね? あなたは家事が不得意なんかじゃない、やる気がないだけよ、旅の時からずっと。必要になればすぐにできるようになるわ、私と同じようにね」
「なあ、考え直してくれよ? 俺には君が必要なんだよ」彼は言葉を濁らせて、涙を流す。「俺はずっと君のことを想ってるんだよ」
「――私のことを想ってるなら、私を自由にして。誰かと一緒にいるのは素晴らしいことよ。でもそれは、自分1人でも生きられるという状態ではじめて健全に成り立つことなのよ。私も、これまで1人でも生きられることに自信がなかった。大魔法使いと言われるようになってもね。だからこそ、いま自分でそれを証明する必要があるの。あなたも頑張りなさい。万が一にでも変わることができたなら、その時には友達くらいには戻れるかもね」
「なぁ、待ってくれよ」
「もうこれ以上、私に喋り掛けないで。あなたがトドメを刺す前に魔王に致命傷を与えた獄炎の魔法を、あなたに向けて放つわよ」
そう言って冷たくて睨み付けると、彼はもうなにも言わなくなった。
30分くらいで荷物を纏めて、私は彼の家を出た。15分くらい歩くと街に出る。満月が照らす街中で、ふと私は思った。もしも子供がいれば彼も違ったのかもしれない、と。前世でも今世でも、私は子宝には恵まれなかった。彼との結婚は5年も続いたけど、駄目だった。いや、それでよかったのかもしれない。子供がいても彼らが同じままだったら、私はミスリルよりも硬い鎖で彼らに束縛されていたと思う。子供の存在を盾にして。きっと、これでよかったのだ。
私は変装をして街の宿をとり、宿泊する部屋のベッドに腰かけた。そして以前の旅の仲間に彼と別れたことを一応報告するために通信することにした。彼に先に好き勝手に吹き込まれるのも癪だからね。
私はまず、僧侶の男に連絡を取った。




