星詠みの導き
頭上、夜空を飲み込む程の巨大な隕石が地球に近づき、轟音が鳴り響く。地響きが足元を揺るがし、大小様々な大きさの隕石が炎を纏いながら頭上から降り注ぐ。夜だというのに空は昼間のように明るかった。
そんな世界の終わりが近づく中、僕は丘の上に立っていた。
「如月……」
僕の視線の先、彼女が空を眺めている。その横顔は世界の終わりを感じさせないほど、穏やかで、だけど悲しげで、碧い瞳は透き通っていた。
彼女の亜麻色の髪の毛と、水色のワンピースが風に揺れる。
「ついに来ちゃったなぁ……」
そんな呟きが聞こえた。
微かに震える声が僕の耳を打った。声色に込められた寂寥は僕の心の中で波紋のように広がり、心を波打つ。
視界が揺れた。世界が歪み、彼女の姿が、星空が、滲む。
「如月……」
彼女と出会ってから一年。結局、僕は彼女を救うことが出来なかった。一年の時があったのに、終わりがあると初めから知らされていたのに、僕は彼女との日々が永遠に続くと錯覚し、現実逃避してしまった。
そして、その結果が今、目の前の状況だ。今となってはどうすることもできない後悔が涙となって視界を波打った。
「如月……」
「もう、何回も言わなくても聞こえてるって」
彼女が僕の方を向き、ふっと微笑んだ。微笑みは、一瞬でも目を逸らせば消えてしまいそうで、刻一刻と迫る彼女との別れを感じさせる。
「如月、本当に……」
最後まで言葉が続かなかった。未だ信じられなかった。いや、信じたくなかった。彼女が消えるなんて。
「うん、私は消える。──それが私が地球に来た使命だから」
「……」
「もう、そんな顔しないの。大丈夫、またいつか会えるよ」
「いつかって……」
「さぁ、いつだろうね。楽しみにしてて」
悪戯に如月が笑う。
「でも安心して?」
「……」
「君が何処にいようと私が何処にいようと私は君を導いてあげる」
「……」
「──だって私は星詠みだから」
彼女は満面の笑みで笑った。それは頭上で輝くどの星よりも綺麗で明るかった。
そしてその言葉を最後に如月の体は光に包まれていき──
星詠みは隕石と共に消えた。
*
『続いてのニュースです。一年前に起こった隕石衝突の危機、それから今日で丁度一年の刻が経過します。一年を記念して各地では危機脱出を祝して、祝福の花火や祭りなどの様々なイベントが行われる予定です。また、今夜、午後十時頃、西の空に蠍座流星群が通過する模様であり──』
「もうあれから一年が経つのね……」
重たい目蓋を擦り、箸を片手にテレビを見ているとキッチンの方からそんな声がした。
「あ、うん。そうだね」
ぼぅとしながら僕は母の言葉に適当に返事をした。
──隕石衝突。一年前、前触れもなく突如として地球を襲った大危機の名であり、地球を飲み込み、破滅へと導こうとした出来事である。
世界政府が衝突危機を認識、発見したのは衝突予定の一週間前。衝突の予兆すらなかったため、抵抗手段は皆無。もし、事前に衝突が分かっていたとしても、対策があったかは分からないが、当時、地球の存続は絶望的だった。
──しかし、地球の大気圏突入寸前、脅威は突如として消えた。すべてが幻と思えるほど跡形もなく。
人々はそれを奇跡と呼び、地球と自らの命の存続を誰もが喜んだ──と認識している。
「ほら陽太、もう学校行く時間よ。早く食べなさい」
母の声にはっとし、時計を見るとあと五分で出発の時間だった。僕は急いでご飯を食べた。
「ごちそうさまでした」
歯を磨き、荷物を肩に背負って玄関に向かう。リビングから母が見送りに出てきた。
「お弁当持った?忘れ物ない?」
「うん、大丈夫」
「いってらっしゃい」
靴を履き、扉を開ける。朝日の眩しい光が扉を開けた瞬間に入ってきた。
「……ねぇ母さん」
「何?」
「如月霧花って知ってる?」
母の方を振り向かずに聞く。玄関、母との間に沈黙が流れた。外で鳴く烏の声がやけに五月蝿く感じた。
あの日から丁度一年が経った。何かが変わっているかもしれない。そんな希望が沈黙の後の母の言葉に託されて──
「ごめん、覚えてないわ」
何も変わっていなかった。
「……そう、ありがと。……行ってきます」
感謝を言い、扉を閉める。
自分以外、彼女との記憶が隕石と共に消えた世界、僕は学校へと歩き始めた。
*
二年前のある日──。
亜麻色の髪の毛と碧い瞳。人間離れした特徴を二つ持った彼女は僕の学校にやって来た。
「──ねぇ、ここが君の部室?何か地味だね。埃が舞って汚いし」
「来て最初に言う言葉がそれかよ」
部室に入って早々、文句を言った彼女。その言葉に眉をひそめながら、僕は部室の真ん中、机を挟んで右手にある、唯一埃の被っていない椅子に座った。
「はぁ……なんでこんな汚いの……」
宙に舞う埃に顔をしかめ、彼女が溜め息をする。その小さな息ですら埃が舞う原因となり、彼女はより不機嫌そうに眉を寄せる。
彼女の名前は如月霧花。一週間前、僕のクラスにやってきた転校生だ。天真爛漫、好奇心旺盛、それを体現したかのような性格で、外見の特異性もあってか、クラスでは転校初日から注目の的だった。
教室での席は僕の右隣。そのせいで、授業中、休み時間、昼休みと所構わず絡んでくる。
さらには今のように放課後の部活の時間まで付きまとってくることもしかり。我が儘を言うことも多かった。正直、面倒くさい。
彼女──如月は口を手で抑えながら、僕の向かいにある椅子を引き──
「ねぇ、埃被ってて制服が汚れるんだけど」
座面を見て早々、文句を言った。目を細め、此方を睨んでくる。
「いやなら立ってれば?」
「いや。席変わって。ほら早く」
「え、なんで?」
「何で君が座っていて、私が立つことになるの?」
「君が急に来たからじゃない?」
「じゃあ、来るって事前に言っておけば、綺麗にしてたの?」
「ううん」
「じゃあ関係ないじゃない」
そう言って彼女は座る僕の近くまで移動し、
「ほら、早くどいて?」
仁王立ちで圧をかけてくる。
「……はぁ」
僕は彼女に聞こえるように大きく溜め息をついた。しかし、溜め息をつかれた当の本人は全く気にしてない様子で、僕が椅子から立つや否や、椅子を奪うように勢いよく座った。
「はぁ…」
僕はもう一度、溜め息をつき、向かいの椅子に座った。勿論、埃は払って。
今、僕と彼女がいるのはある部室、学校の離れ校舎の二階、一番奥の教室だった。教室のドアには『天体観測部』と書かれた張り紙が貼られている。
そして僕は天体観測部、唯一の部員だった。
そう、部員は僕一人だけ。他は誰もいない。
一年の頃、星を見るのが好きで入部した。当時はほどほどに人数がいたが、時間が経つにつれて、『あれ?今日、人数少ないなぁ』『あれ、先輩ってこんな少なかったっけ?』『あれ、今日、誰も部活来ないの?』
気付けば部員は僕だけだった。皆、何処に行ったんだろう。僕の中では天体観測部の部員が何者かに次々に連れ去られているという一種の超常現象が起きていると仮説している。
あれ?じゃあ何で一年近く僕だけ連れ去られないんだ?
そんなこんなで僕は校舎の隅で一人、のんびりと部活に勤しんでいた。
ここ最近は部活動らしき部活もしていない。部活としても先生の情けで成り立っているようなものだった。
──と、それは一週間前までの話で、目の前に座る彼女──如月が来てからは、僕の大切な余生ライフも終わりを告げていた。
「それにしても天体観測部か……。いかにも君みたいな陰キャじゃ……」
「陰キャじゃない」
「わぁ、反応早い」
あはは、と如月が笑う。
──僕は陰キャじゃない……はず。クラスメイトとも程よく仲良くしていると自負している。今日だって授業が終わった後、『夏目君、ちょっといい?さっき星宮先生が探してたよ』って同じクラスの女子と喋ったし。
「それってただの業務連絡じゃない?」
僕の心を読んだのか如月がそう言った。
「うるせぇ」
「図星?……っていうか今日喋った会話で一番初めに思い付く会話がそれって……」
如月が僕の方を見る。
何でそんな憐れむ目で僕を見るんだ?
「……ていうかさっき、世界中の天体観測している人達のことを陰キャって言ったこと、謝れ」
「いや、安心して、大丈夫」
「何が大丈夫なんだよ」
「だってさっきの続き、いかにも君みたいな陰キャじゃ天体観測部に釣り合わないね、って言おうとしてたから」
「逆かよ」
「当たり前じゃん。君が天体観測なんて、神聖な星を観察する部活に釣り合う訳ないじゃん。百年早い。自意識過剰だよ。出直してきな」
そこまで言われるのか。内心傷つきながらも僕は鞄からスマホを取り出す。
「──で、今日は何するの?」
椅子の座り心地を確かめながら如月が聞いた。
「別に何もしないけど?」
今日の予定は特にない。だらだらと過ごすだけだ。
先輩がいた頃は、よく一緒に 星を観測しに行ったが、先輩がいなくなってからはそういう機会もなくなった。
星は今も好きだが、一人で行くとなると、あまり気持ちも乗らなかった。
だからこの部室も実質、僕専用の自習室のような使い方になっている。
部屋の隅にある望遠鏡、机の上に投げ出された小型望遠鏡など、今になっては飾りだった。
本当、連れ去った奴は早く先輩を返してほしい。
「──ねぇ、なんかしようよ。私、星詠みだよ?一年後、いなくなっちゃうんだよ?」
「なら尚更ここにいちゃ駄目なんじゃないか?」
「逆に、残り少ない私の時間を有意義に過ごさせるっていう気が君にはないの?私、星詠みだよ?」
──星詠み。この一週間、彼女の口から事あるごとに出てくる言葉だった。
彼女によると一年後、巨大は隕石が突然、地球に降り注ぐらしい。
そして彼女いわく、それを阻止するのが自分の天命であり、この学校に来た意味なのだという。自分は人間ではない、とも言っている。
『地球の皆を未来に導くのが私の天命だから』
正直、何処までが本当か、嘘かなんて分からない。亜麻色の髪や碧色の瞳は珍しいが西欧などで探せば何人かいるはずだ。人間ではないとは言っているが、外見や仕草、行動からどう見ても人間にしか見えない。
だからと言って彼女が嘘をついている、そんな感覚は全くせず──
「ん、どうした?」
正面、何もすることがなく、頬を膨らませていた如月と目が合う。
「いや、別に」
僕はスマホを再び触りだした。
「……」
前方から何やら圧力を感じるが、無視する。
すると前から「はぁ」と溜め息が聞こえてきた。そして、
「もう、分かった!私が天体観測部の一員として、ちゃんと部活動してあげる!ほらついてきて!」
如月が両手で机を叩き、勢いよく立ち上がった。
「ちょっ、埃立つからやめて」
「うるさい!ほら、立って!」
如月は僕の手からスマホを奪い取り、僕の手を引いた。
「何、急に……」
「だってほら、天体観測部としてちゃんと活動しないと!」
「そういう如月は入部届け出してないけど?」
「うるさい!ほら行くよ!あっ、その望遠鏡持ってきて!」
如月は部屋の隅に立て掛けてある望遠鏡を指差した。
「え、この大きいやつ?」
「うん!早く持って!行くよ!」
まじか、これ持つのか。僕は如月に強引に手を引かれながら、望遠鏡を持って部室を出た。
*
「──で、何処に向かってるんだ」
如月に手を引かれたまま、学校を出て数分。電車に乗り、揺られること数十分。そして最後には数分徒歩で移動し、現在、僕と如月は山を登っていた。駅近くの喧騒は歩く内に消え、静寂の中、けたたましく鳴く虫の声だけが山の中で響いていた。
「ほら、早く来て!」
呑気に鼻歌を歌いながら、山道を先に行く如月が言う。
「はぁ。なら、これ持ってくれよ……」
此方を待たず、どんどんと先を行く彼女の姿に呆れ、溜め息が出た。
僕の腕には天体観測部の象徴である望遠鏡が抱えられている。
勿論、重い。如月は早く、なんて軽々しく言うが、望遠鏡本体としては数キロある。そんな簡単に持ち運べる訳がない。っていうか望遠鏡なんて手で持ち運ぶ物じゃないだろ。それに、こんな山奥に来るなんて聞いていない。
心の中で不満を言い、如月の背を見失わないように必死についていった。何でこんなことに……。
「もう、そんな不機嫌そうな顔しないでよ。ほら、これ登ったら目的地だから、頑張って」
「……おい、本当にこれ上るのか……?」
目の前の景色に僕は絶望していた。百段はゆうに越えていそうなほど先まで続く終わりの見えない階段、本当にこれを登るのかと。
「努力して、壁を越えてこそ、美しい景色が待ってるんだよ」
「今、苦労してないやつがそんなこと言っても説得力ねぇよ……」
如月は身軽に一段飛ばしで階段を上っていく。そして、そのまま、てっぺんまで上がると此方を向いて手を振り、「早くー!」と無理難題を言う。
「はぁ……」
僕は望遠鏡を階段にぶつけないように気をつけながら階段を上った。一応、学校の部品だ。もし傷つけた場合は弁償の可能性もある。慎重に上るが、二十段を上ったくらいで息が上がり、階段の踏面に座る。
「もう、早く、早くー」
此方の苦労を考えず、呑気に手を振る如月。その姿に内心怒りを募らせ、僕は再び立ち上がった。そしてまた一歩一歩上る。
息を切らし、立ち止まり、休憩して、また上る、このサイクルを何回か続けていき、やがて最後の一段になり──
「──ほら、見て?」
「……うわぁ」
階段を登った先にあったのはオレンジ色の金木犀が一面に咲いた広大な丘だった。遥か遠くまで続く金木犀が続いている。
そして頭上、顔を上げると、星が輝く夜空が広がっていた。
その絶景に自然と声が漏れ出た。さっきまでの苛々も疲労も、夜風に一瞬で吹き飛ばされた。
「どう?」
星を見上げ、如月が言う。
「……まぁ、凄いな」
目の前の景色に圧倒され、そんな言葉しか出なかった。
鼻をくすぐる金木犀の香りも、耳を彩る風の音色も、目に焼き付くような星の輝きも、全てがそう、圧倒的だった。
そして星空の下、佇む如月の姿を見ると──
「……」
夜空に輝く星を見る彼女。さっきまで感じていた五感が全て彼女に感覚が奪われた。息が詰まる。
──その美しさは……そう、星だった。
夜空に輝く無数の星。碧い瞳と亜麻色の髪、それが夜空を表していて、夜空と一体化しているような、美しさ。
確固たる意志が瞳に宿っていて、だが、触れてしまえば一瞬で崩れてしまいそうなくらい脆く、儚い存在。それが今の如月だった。
「……」
そして、その姿は彼女が『星詠み』だということを信じる根拠としては十分だった。
「ん?」
僕の視線に気づいた如月が首を傾げ僕を見返す。僕は如月に無意識に目を奪われていたことに気づき、慌てて目を逸らした。
しかし、如月は僕の不審な動揺に勘づいた。ニヤニヤとしながら如月が下から覗き込む。
「私に惚れた?」
「……いや?」
「ちょっと間があったけど?」
「気のせいだ」
「ふーん」
「……」
「ふふ。──ほら、早く天体観測始めるよ」
ニヤニヤしながら如月が望遠鏡を操作し始める。
一年ぶりの天体観測。懐かしい。
金木犀の香りがむず痒かった。
*
それから半年。如月との日常は続いた。放課後は五時頃まで部室で喋り、その後、一度家に帰ってから、あの丘の上で会う。気づけばそれが約束になっていた。
集合時刻は未定。集合場所は丘の上。僕が先に着くこともあったし、如月が先に居る時もある。まぁ大体如月の方が早かったが。
そこに行けば相手に会える、そんなの信頼があった。
勿論、あの丘に行く理由は天体観測をするためである。断じて、如月と会うことが目的ではない。断じて違う。断じて──(略)
放課後の堕落した時間は如月が来たことによって充実へと変化していた。
「──で、何してるんだ?」
ある日の夜。望遠鏡を設置し終わり、望遠鏡のピントを合わせていると、レンズの先の視界、夜空を防ぐようにして如月が割り込んできた。レンズの先の如月は何やらどや顔でポーズを決めていた。
「見て、この服。可愛くない?新しく買ったんだ!」
そう言って如月はその場で一回転した。ふわりとワンピースが巻き上がる。そして一回転すると此方を向いて「いえーい!」とピースをした。
如月は無邪気にはしゃぎ、星空と金木犀をバックにどや顔で次々とポーズをする。
「ほら、可愛いでしょ?」
「あーそうだな」
「棒読みじゃん」
「それよりもちょっとそこどいてくれ。星が見えない」
さっきから如月がレンズの前を何回も横切って望遠鏡の視界を防ぐせいでピントがうまく合わない。早く天体観測したいのに、如月が何度も邪魔をしていた。
「可愛いって言ってくれるまでどかない」
望遠鏡の前に如月が立ち塞がる。
「あー、可愛い可愛い」
「もっと心こめて」
「あー、可愛い可愛い」
「さっきと変わってない」
「あー、可愛い可愛い」
「だから変わってないって」
腰に手を当て如月が睨んだ。その行動を無視し、望遠鏡を再び操作し始めると、「あっそ、もういい!」と如月は大股で何処かに行ってしまった。
片目を瞑り、望遠鏡の倍率を少しずつ、変えていく。やがて何度か倍率を上げ下げしていくうちに、ぼやけは段々と取れていき、レンズが星の形を捉えた。
「よし」
準備が完了した。望遠鏡から目を離し、辺りを見渡す。金木犀の花を踏まないように気を付けながら、彼女を探す。
「……別にいいし、君の為に買った訳じゃないし」
数メートル先、金木犀に囲まれ、此方に背を向けて座っていた。明らかに拗ねていた。金木犀を弄りながら、ぶつぶつと独り言を言っていた。
「如月、準備できたぞ」
「……」
「聞いているのか?」
「……」
「……まぁ、似合ってるんじゃないか?」
変わらず無視を決め込む如月。彼女との間に流れる空気に気まずくなり、僕はとりあえず、如月のワンピースを褒めた。
「もう遅いから。……さっき褒めてくれなかったくせに」
「それはごめん……。でもまぁ、本当に似合ってるぞ」
「別に君のために買ったわけじゃないから」
「あっそ。でも似合ってるのは本当だからな」
自分で言ってて頬が熱くなった。恥ずかしい。
「……だから君の為に買った訳じゃないって言ってるじゃん」
「うん、分かったって。でもまぁ、本当に似合っているし」
「……ふーん。まぁ、今さらそんなこと言ったって遅いけど……。でもまぁ、ありがと」
ちょろい。
「なんか今の台詞ってラブコメのツンデレ系ヒロインが言いそうな台詞だな」
「うるさい。私の機嫌が良くなったからって調子乗らないで」
「その台詞もツンデレ系ヒロインが……」
「うるさい」
「ていうか、褒められて機嫌良くなったのか。嬉しかったんだな」
「殴るよ?」
「ごめん」
さすがにからかいすぎた。真顔で拳を振り上げる如月に僕はすぐさま謝った。
「……」
「……」
「……星綺麗だな」
「何急に?」
「いや、綺麗だなって思ってさ」
沈黙が気まずくなり、初デートで会話に困った時の常套句を口にしてしまった。天気いいね、みたいな。
「……」
「……何で黙るんだよ」
「えっ、終わり?」
「終わりだけど?何を期待してたんだよ」
「いや、君のほうが綺麗だよって言葉待ってたんだけど……」
「そんなキザな台詞言えるかよ」
「逆にそんな気のきいた台詞も言えないの?だから君は陰キャ──」
「陰キャじゃない」
そこだけは聞き逃せず、素早くツッコむ。僕の反応に如月はクスッと笑った。
初めは刺々しかった如月の声も段々と棘がなくなり、丸くなったように感じられた。その声色に内心、ほっとし、僕は目を瞑って丘の上を吹く秋風を感じた。丘の上に寝転がる。
「……」
「……」
風が気持ちよかった。
横を見ると如月も僕と同じように、目を瞑って仰向けになっていた。
彼女の呼吸だけが聞こえる。規則正しい温かみが心地いい。
さっきとは違い、沈黙が心地よかった。
「ねぇ、もし今、星にお願いするとしたら何お願いする?」
風が頬をくすぐる感覚を楽しんでいると如月がそんなことを聞いてきた。
「さぁな」
僕は星を見つめたまま、そう返した。
「え、願い事ないの?」
「そういう非現実的なこと、信じてないんだよ。星に願っただけで叶う訳ないし」
実際に自分の目で見たことしか信じない、それが僕の中でのスタンスだった。
えっ、じゃあ何で天体観測部の部員が連れ去られたっていう現象を信じているかって?
それは、実際に部員が消えているからだ。それに超常現象とでも言わないと先輩達が消えた理由が他に見当たらない。
「それ、星詠みの私の前で言う?」
「だってそんな都合のいい話があるわけ……」
「あるよ」
僕の言葉を遮って如月がそう断言した。その力強さに彼女の方を見る。碧い瞳と目が合う。
周りの空気が一変した。先程までとは違う。空気が、風が、夜空が、全ての存在が如月に吸い込まれた。
碧い瞳に視線が奪われる。
その輝きは『如月霧花』ではなく『星詠み』の眼差しだった。
「流れ星ってあるでしょ?」
「あぁ」
「人々は星に願いを託す。そして願いを背負い過ぎた星は流れる。──それが流れ星だよ」
「それは随分とご都合主義だな」
「だってそうでしょ?星が流れるくらい強い思いだったってことだから。──それに私と君なら宇宙だって越えられるよ」
「宇宙って大袈裟な……」
「大袈裟じゃない。太陽も、月も、星も、他の惑星も、人の願いは邪魔出来ない。強い願いなら尚更ね。逆に叶えるために手助けしてくれるかもよ?」
「……」
何も言うことが出来なかった。
言葉を迷っていると、如月はふっと優しく微笑んで立ち上がった。そして視線の先、夜空で一番輝く北極星を見つめながら──
「君も何か本気で願いたいことがあったら星に願ってみるといいよ」
「だから僕はそんな非現実的な……」
「もう、そんなに頑固にならないの。大丈夫だって、星は誰も見捨てないから」
「……」
「分かった?」
「……」
何といえばいいのか、分からなかった。ただ単に分かった、と答えるのは何となく癪で、プライドが許さなかった。
「まぁ、本当に叶えてほしいことがあったらな」
結果、曖昧な答え方しかできなかった。
僕の答えに、如月は溜め息をつき──
「これだからプライドの高い陰──」
「陰キャじゃない」
如月の笑い声が満天の星空の下、響いた。
そしてまた半年後。如月は隕石と共に消えた。
*
「はぁ、一年か……」
電車に揺られながら窓から星空を眺める。日は落ち、空は染まっている。
月が静かな街を照らし、星が空を彩っていた。星々が自らの存在を主張するように自信満々に輝いている。
窓から流れる景色は一瞬で過ぎていく。しかし、その頭上にある星空は変化することなく、地平線まで続いていて、永遠の美しさを感じさせた。
夜空に輝く星々。今見えている星の中に彼女はいるのだろうか。そんなことを自然と考えてしまう。
彼女は今、何をしているのだろうか。星となって天から僕のことを見ているのだろうか。それとも星詠みとして他の惑星を救っているのだろうか。
今思えば、彼女と過ごした一年間、それは僕の中で一番楽しかった思い出のように感じられる。まぁ、彼女に振り回されることがほとんどだったが。しかし、今ではそれすらも懐かしく──そして、空虚だった。
どれだけ彼女との記憶を辿っても、もう彼女はいない。『如月霧花』という最も大切なかけらが消えた思い出はどこか色褪せていた。
そんな風に彼女への感慨に耽って星空を眺めていると、電車が止まった。駅に着いたようだ。
数秒の汽笛音の後、扉がゆっくりと開く。僕は電車から降りた。
夜九時だというのに駅内は多くの人々でごった返していた。大半は仕事終わりらしきスーツを着た男性や女性が殆どだったが、中には制服を着た高校生もいた。
僕は人混みに揉まれながらも改札を抜け、駅を出た。
駅の外はさっきまでの喧騒が嘘だったかのように静かだった。
駅前の停留所では多くの人々が列をなして並び、バスを待っている。その横ではスーツを着たサラリーマンが星空を眺めながら、煙草をふかしていた。
そんな彼らの横を通り過ぎていき──
「なんだ、あれ──隕石か?」
直前、煙草をふかしていた男性がそんなことを言った。無意識に足が止まった。──今、隕石って言ったか?
はっとして男性の方を向くと、彼は煙草を左手に持ったまま、僕の後方──今さっき出てきた駅の出口上空の夜空を見つめていて──
「……え?」
夜空には変わらず無数の星が輝いている。しかし、電車から見た景色と、今見つめている景色、二つには明らかに違う点が一つあった。そしてそれは──
「……隕石」
そう、隕石だった。あの日、彼女と共に消えた隕石。大きさはあの時の比ではないが、光に包まれ空を通過するその塊は、紛れもない隕石だった。
そして瞳に映るそれは、今も尚動き続け極光を纏って、高度を落としていく。その光の残像を目で追っていき──やがて、墜ちた。
そして、それが墜ちた方向は──
*
一年の内、九月から十月にかけて花を咲かす金木犀。
金木犀には三つの花言葉が存在する。
謙遜、真実、そして初恋。
一般的にはその三つが有名であり、多くの人々に知られている。
しかし、もう一つ、金木犀には隠された花言葉がある。それは──
──『隠世』
『君が何処にいようと私が何処にいようと私は君を導いてあげる』
星詠みとしての天命を終え、星に戻った一人の女と、星の導きを失い、光のない世界を生きる一人の男。
二人の想いは現世と隠世を越え、一年の時を経て、紡がれる。
──紡がれる。
*
「はぁ、はぁ……」
もうすぐあの場所だ。──丘が見えてくる。
荒く鼓動する心臓。苦しさを必死に耐えながら階段を上る。一刻も早く、階段の先へ。悲鳴をあげる全身の痛みを無視し、階段を一つ飛ばしで上る。そして最後の一段を上り終え──
目の前に広がったのは丘一面に咲き誇る金木犀。風に揺れ、丘の緑をオレンジ色に染め上げている。
──そこまではいい。さっきと同じ光景だ。
違うのは、その金木犀の中、中心に立つ一つの影。丘の真ん中、誰かが立っている。
距離はまだ遠く、朧気な輪郭しか分からない。
しかし、それが誰かなんて分かりきっている。
靴裏から伝わってくる地面の感触。それの固さを大切にしながら、一歩、一歩、ゆっくりと近づく。そうしないと、瞬きした次の瞬間には消えてしまってそうで。
やがて距離が近づき、その輪郭が鮮明に、はっきりとしてくる。
──彼女は後ろで手を組み、星空を眺めていた。
その横顔から見える瞳は一年前と変わらず、碧く、透き通って、周りの丘に咲き誇る金木犀や星空ですら一瞬で霞む程の存在感を示していた。
『──太陽も、月も、星も、他の惑星も、人の願いは邪魔出来ない。強い願いなら尚更ね』
いつだろうか、そんな彼女の台詞が脳をよぎった。
ふわり、あの時と同じ水色のワンピースが浮き上がり、亜麻色の髪の毛が風に靡く。
あの時と同じように丘の上を咲き誇る季節外れの金木犀。ほのかに甘い香りが風に乗って漂ってくる。それは僕と彼女の再会を祝杯しているようで──
「如月……」
彼女の名前を呼んだ瞬間、心臓の鼓動が速くなった。落ち着いたはずの鼓動が急加速し始める。体温が一気に上昇し、体が火のように熱くなった。
彼女がゆっくりと振り向いた。
目が合う。その透き通った碧い瞳に全身の感覚が吸い込まれて──
「言ったでしょ、陽太。私が君を導いてあげるって」
彼女が満天の笑顔で笑う。
止まっていた時間が動き出す。
*
「──ねぇ、もし今、星にお願いするとしたら何お願いする?」
「さぁな」
*
その時は願いなんてなかった。でもあの日、如月が消え、一人になった世界。心の中に願いが一つできた。そして彼女が消えてから毎日、この場所に来て、願い続けた。
──君にもう一度会いたい。
夜空、一筋の流星が地球に墜ちた。