幼馴染宛てのラブレターを間違えて受け取ってしまった……
『好きです。俺と付き合って下さい』
放課後、下駄箱を開けると中にそう書かれた手紙が入っていた。
手紙を読んだ俺・相良幸一がまず思ったのは、「何言ってんだ、こいつ?」だ。
一人称が「俺」であることから、手紙の差出人は男である可能性が高い。つまり我が校の男子生徒が、同じ男子生徒である俺にラブレターを渡したということで。
別にいけないことじゃないし、何らおかしなことでもないんだけど……初めての告白が同性からとなると、少々ハードルが高いように感じる。
一体誰がこのラブレターを書いたのだろうか? 確認してみると、差出人欄には『川上天治』と記名されていた。
川上って……確か同じのクラスの男子生徒の名前だったよな?
勉強が出来て運動が出来て、背も高くその上人当たりも良い。まさに非の打ち所がない、爽やかイケメンだ。
女子からも、沢山告白されている。そんな彼が……どうして俺みたいな平凡な男を、好きになるのだろうか?
最初は悪戯かと思った。
しかし悪戯だとしたら、わざわざ名前を書く必要はない。何も知らずに必死で差出人を探す俺を、遠くから笑っていれば良いだけで。
つまり、このラブレターは悪戯ではなく本物だということだ。
恋愛感情の有無はさて置き、確かに川上は魅力的な男の子だ。だけど俺は、彼の気持ちに応えることが出来ない。
なぜなら――俺は幼馴染の相模沙知が好きなのだから。
……川上には悪いが、明日にでも彼を呼び出して「ごめんなさい」と返事をするとしよう。
そんな風に思いながら、ラブレターを鞄の中にしまおうとする。しかし……思わず手が滑り、俺はラブレターを落としてしまった。
「……ん?」
ラブレターは地面に落ちたと同時に裏返る。その時、俺はラブレターの裏に何やら文字が書いてあるのに気が付いた。
ラブレターの裏に書いてあったのは、宛名だった。
恐らく川上は、手紙を谷折りにしようと考えていたのだろう。
そうすれば本来宛名の部分が一番に目に入る筈なのだが……どうやら川上は折るのを忘れていたらしく、それ故俺も今の今まで宛名の存在に気が付かなかったのだ。
手紙を拾い、宛名を見て俺は驚く。
なんとそこには……『相模沙知さんへ』と、幼馴染の名前が書かれていたのだ。
俺の苗字は「相良」。対して沙知の苗字は「相模」。俺たち二人の下駄箱は隣同士で、きっと川上は入れる下駄箱を間違えたんだと思う。
ラブレターを入れ間違えるとか、そんなミスを現実でする奴がいるとは驚きだ。
これが沙知宛のラブレターとなれば、状況は一変する。
え? 川上みたいなイケメンが、沙知のことが好き? そして今、ラブレターという媒体を用いて彼女に告白している?
全校女子の憧れ・川上天治から告白されたとなれば、まず間違いなくOKするだろう。沙知であっても、恐らくそれは変わらない。
沙知と川上が付き合うということ、それはつまり俺の失恋を意味していて。
……ふざけんなよ。
こっちは誰よりも長く沙知の隣にいて、誰よりも長く沙知を想い続けているんだぞ? 高校に入っていきなり現れたイケメンなんかに、横取りされてたまるかよ。
川上は勇気を出してこのラブレターを書いた。そんなことは、重々理解している。
だから俺にはこのラブレターを沙知に届ける義務があるわけだけど……
「……」
このラブレターを沙知に渡せば、俺の失恋は確定する。
自分で自分の首を絞めるなんて、俺にはそんな度胸はない。
……第一、入れる下駄箱を間違えた川上が悪いんじゃないか。だから俺は悪くない(完全に正当化である)。
俺はラブレターを鞄の奥底に突っ込む。
そして何事もなかったように、下校するのだった。
◇
翌朝。
自宅を出ると、門のところで沙知と出会した。丁度彼女も、登校するところだったみたいだ。
「おはよ、幸一」
「あぁ、おはよう。……ふあーあ」
俺が大あくびをすると、沙知は呆れたように溜め息を吐く。
「ったく、なんて顔をしているのよ。どうせまた、徹夜でゲームをしたんでしょう?」
いつもならそうだが、昨晩は違う。川上のラブレターのことを考えたら、眠れなかったのだ。
しかし真実を語るということは、ラブレターの存在を沙知に伝えるということに他ならない。たとえどんな誤解を生んだとしても、それだけは回避しなければならない。
だから俺は、沙知の指摘を否定しなかった。
俺の答えに、沙知は再びの溜め息で返す。
「猫背にもなってるし、本当に情けない。ほら、シャキッとする!」
沙知は俺の背中を、思いっきり叩く。
「痛っ! ……力強すぎだっての」
「でも、気合い入ったでしょう?」
「それは……まぁ」
いつもそうだ。
沙知はこんなだらしない俺を支えてくれている。
そんな彼女だから、ずっと隣にいて欲しいと願うわけで。
色々と思いを巡らせながら沙知と二人で登校していると、いきなり背後から川上が声をかけてきた。
「相模さん、おはよう。あと、相良くんも」
人をオマケみたいに呼ぶんじゃない。実際川上にとっては、俺はオマケみたいなものなんだろうけど。
爽やかな笑みを浮かべる川上は、成る程、朝から相変わらずのイケメンである。眠たそうな目&猫背の俺とは、大違いだ。
川上はさり気ない動作で、沙知の隣に並ぶ。
ここで無理矢理俺と沙知の間に割り込もうとしないところが、なんだか余裕を見せつけられているようでムカつく。
そしてこんな風に考える俺は、川上と比べて圧倒的に器が小さかった。
「それで相模さん、昨日の件は考えてくれたかな?」
「昨日の件?」
「何のことかしら?」。沙知は首を傾げる。
同様に川上も、「あれ?」と言いながら頭にはてなマークを浮かべていた。
二人の会話が噛み合わないのも、無理はない。
川上が渡したと思っているラブレターの存在を、沙知はまだ知らないのだから。
ラブレターは、まだ俺の鞄の底に眠っている。
川上への罪悪感を抱きながらも、それでも俺はラブレターを取り出そうともしなかった。
「えーと……もしかして、俺のこと揶揄ってる?」
「いいえ。そんなつもりはないわ」
「だったら、それが「答え」というわけか。……わかったよ。これ以上この件について、触れるつもりはないから」
沙知のおとぼけを交際拒否だと勘違いした川上は、あっさりと身を引く。
……チッ。
最後の最後までカッコ良い奴だ。これがイケメンに備わっているポテンシャルだというのか。
俺が内心舌打ちをしていると、沙知が尋ねてくる。
「ねぇ。川上くんは、一体何のことを言っていたのかしら? 確認する暇もなく、自己完結させちゃったみたいだけど」
「……さあ? 俺は川上じゃないから、わからないな」
嘘だ。
本当は、俺だけ全てを把握している。
しかし心が醜い俺は、沙知に「わからない」と嘘をついた。
……こんなんじゃ、どれだけ努力したってイケメンになれるわけないよな。
日中、沙知と話す機会が何度もあったのに、結局彼女に川上からのラブレターを渡すことが出来なかった。
そして――思い切ってラブレターを破り捨てることも、ヘタレな俺には出来なかったのだ。
◇
学校が終わった。
俺は帰宅するなり、鞄の中から例のラブレターを取り出す。
1日以上鞄の奥底で眠っていたせいで、所々しわくちゃになっている。
俺は手でしわを伸ばすと、ラブレターを読み返した。
『好きです。俺と付き合って下さい』
このたった二言を書くのに、川上はどれだけの時間を費やしたのだろうか?
俺は自分に置き換えて考えてみる。俺だったらきっと……一晩かけて、このラブレターを書くんだろうな。
好きな人に想いを伝えるというのは、それだけ勇気がいることで。イケメンだろうが猫背のヘタレ野郎だろうが、そのことに変わりはない。
俺は今朝、失恋したと勘違いした時の川上の顔を思い出す。……本当に、悪いことをしたよな。
沙知を取られてしまう恐怖と同じくらい、俺の中で川上への罪悪感が大きくなっていた。
「……やっぱり俺がこれを持っていたら、ダメだよな」
俺はラブレターを沙知に渡す決心をする。
もし沙知が川上の想いに応えたとしたら……その時はその時だ。あの爽やかイケメンから、意地でも沙知を奪ってやる!
心変わりしない内に、俺は沙知にメッセージを送る。
『急で悪いんだが……今から会えないか?』
返信はすぐにきた。
OKというスタンプ1つだった。
幼馴染で家が近所の俺たちからしたら、「今から会いたい」というのは文字通りの意味になる。
玄関から出ると、同じタイミングで沙知も外に出てきた。
「明日小テストがあるから、手短かにお願いしたいんだけど……何?」
「……小テスト?」
「えぇ。数学の時間、先生が言っていたじゃない」
今日の授業内容はほとんど頭に入っていないからな。当然小テストに関しても、実質初耳だ。
「私よりよっぽど勉強しないといけないというのに、あなたという人は……。で、1秒でも長く勉強時間を確保しないといけないあなたは、一体何の用事で私を呼び出したのかしら?」
「それは……こいつをお前に渡そうと思って」
俺は沙知に、ラブレターを差し出す。
「もしかして……ラブレター!?」
「……そうだ」
心なしか、沙知の声が弾んでいるように思えた。
……まぁ、誰でもラブレターを貰ったら嬉しいか。しかも差出人が川上ともなれば、歓喜は更に大きくなるだろう。
「こうして会うんなら、ラブレターじゃなくて直接言ってくれても良いのに」
「そういうわけにもいかないだろ? 川上の告白を、俺が代弁するわけにはいかない」
「川上くんって……え?」
キョトンとする沙知。
奪うように俺からラブレターを受け取ると、その内容を読み始める。そして盛大に溜め息を吐いた。
「……まさに天国から地獄に突き落とされた気分よ」
あの川上からラブレターを貰って、「地獄」という表現はないだろうに。
沙知の考えが、よくわからない。
沙知の思考や気持ちがわからなくても、俺は彼女に謝罪しなければならないことがある。
「そのラブレター、間違えて俺の下駄箱に入っていたんだ。本当はその時お前の下駄箱に移し替えるべきだったんだけど……俺にはそんな勇気がなくて」
「勇気? ラブレターを移し替えるのに、どうして勇気がいるのかしら?」
「それは……お前が川上と付き合うんじゃないかと、不安に思っちまって」
「……」
沙知は再び、目を丸くしていた。
「ねぇ、幸一。勘違いだったら申し訳ないんだけど……あなた、私のこと好きなのかしら?」
「そうだ。好きだから、川上のラブレターを隠した。川上にお前を取られたくないから……こうしてお前に告白した」
今更かもしれないが、卑怯者の俺ともヘタレの俺ともお別れだ。
超ハイスペックなイケメンと、正々堂々勝負してやる。
勝算は……低いかな。
俺に有利な点は、「幼馴染」という肩書きくらいしかない。
基本値が違いすぎるのだから、フラれた時泣いて縋るくらい許して欲しいものだ。
果たして、沙知の返事はというと――
「……少し、考えさせてくれるかしら」
……普通に考えて、OKなんて貰えないよな。
ただまぁ、速攻フラれなかっただけ良しとするか。
◇
沙知からの返事は、翌日の朝も貰えなかった。
「おはよ、幸一」
昨夜のことがなかったかのように、沙知はいつも通り挨拶をする。告白を忘れるなんてことは、ないと思うんだけど……。
学校での沙知もいつもと変わらず、やはり告白についての話題は出ない。
……確かに、「少し考える」と言っていたしな。昨日の今日で返事がないということは、俺にもまだ可能性が残っているということだ。
一縷の望みを抱いて、気長に待つとしよう。
しかし期待と不安の入り混じった俺の恋心は、放課後になるやいなや終わりを迎える。
下校しようと思い下駄箱を開けると、中にラブレターが入っていた。
また誰か間違えたのか?
前回の反省を生かし、まず宛名を確認すると……確かに俺の名前が書かれている。
そして差出人欄には――沙知の名前が書いてあった。
ラブレターには、一言こう書かれている。
『私も好きです』、と。
「これって……」
「ラブレターよ。正真正銘、私から幸一宛の、ね」
理解が追い付いていなかった俺に、昇降口で待ち伏せしていた沙知が言う。
「実を言うとね、幸一の告白に対する答えはすぐに出ていたの。だって私は昔から、あなたのことが大好きなんですもの。だけどどうせなら、あなたを驚かせようと思って。ちょっとした仕返しも兼ねてね」
「仕返しって、何に対してだよ?」
「そりゃあ勿論、ラブレターを渡した時きちんと「川上くんから」って言わなかったことに対してよ。幸一からのラブレターだと勘違いした私が、どれだけ喜んだことか」
そうだったのか。
あの時沙知は嬉しそうにしていたが、それは単にラブレターを貰ったからではなく、俺からラブレターを貰ったのだと思ったからだったのか。
しかしそれでも一つ、わからないことがある。
「沙知も俺を好きでいてくれているのなら、これ程幸せなことはない。でも……どうして俺なんだ?」
俺なんかより川上の方が、ずっと良い男だというのに。
「ねぇ、覚えてる? 子供の頃、私っていじめられていたわよね?」
「お前って妙に融通きかないところがあるからな。そこが疎まれて、みんなに無視されていたっけ」
「そう。友達もいない、話し相手もいない。だけど……あなただけは、ずっと私の隣にいてくれた。それがどれだけ救いだったことか」
俺が沙知を好きになったのは、中学生の頃だ。
少女から大人の女性へ成長していく彼女に、惹かれてしまった。
だけど沙知は俺なんかよりずっと前から、俺に好意を寄せていてくれたらしい。
沙知の気持ちに気付かないで、一人で嫉妬して、苦悩して。情けない限りである。
「それじゃあ、帰りましょうか。愛しの彼氏くん」
沙知の彼氏になれたことは、俺にとって大きな自信になる。
彼女に相応しい男になる為に、シャキッとするとしよう。
俺は猫背になっていた背筋を、ピンと伸ばすのだった。