蝶の力
次話投稿は17:40。次話タイトルは『人出品子は悔やむ』
「どうか、彼女を見逃してほしい。代償は、……私の命を以って」
目の前の女性が凛とした表情で自分に伝えるのを室は黙って聞いていた。
足の骨は折れているはずなのに、彼女はその痛みなど見せることなく。
背筋を伸ばし膝をきちんと合わせ、そんなものなどないようにふるまっている。
相当な覚悟だと室は感じ取る。
確かに冬野つぐみの件は、室と奥戸しか知らない。
(本来なら一蹴するところではあるが。この状況はあの時を思い出させる)
「お前は。……十年前のマキエの関係者か?」
彼の問いかけに、品子は小さくうなずく。
「私はマキエ様の姪に当たる。私の母とマキエ様の配偶者である方は兄妹だ」
なるほどそういうことか、と室は合点がいく。
彼女は十年前の出来事を再現しているのだ。
だが……。
「しかしあの時と今では状況が全く違う。前回はマキエ以外の他の人間を見逃すことに我らにもメリットがあった。だが、今回のお前の命でと言うのは釣り合わない」
室の発言に、品子に驚きの表情が浮かびあがる。
十年前、交わされたある密約。
彼女はその事情を知らなかったのだと室は悟る。
「なっ、では、どうして。……まさか!」
自身の発言に彼女が何か悟ったのだと室は知る。
だが彼には、その真相を教える義理もない。
死ぬ前に真相に近づいたことは、彼女にとって幸か不幸か。
「お前のような存在を失くしてしまうのは惜しい気もするが。せめて苦しまずに眠ってくれ」
近づいて来る室に品子は叫ぶ。
「ならば、冬野君は!」
「お前の後を追ってもらうことになるだろう」
「お願いだ! あの子は本当に何も知らない! 我々に関わっていた訳ではない。頼む!」
(……死を決意した女性というものは、美しいものなのだな)
すがるような目つきで、室を見上げる品子は。
世のほとんどの男性が、願えば叶えてしまうであろう美しさを湛えている。
だが今の室には、そのような美しさも些末なこと。
室は自身の右手に集中し発動の完了を待つ。
だがどうしたことか、発動が全く起ころうとしない。
思わず彼は自分の右手を見つめる。
いつもと同じようにしか見えないのに、力の発動が出来ないのだ。
それどころか、体の自由がきかなくなっている。
驚く室の体の中から、声が響いてくる。
『駄目だから』
その声は。
どうしたことか室の体の中から、女の声が響く。
『させない。あの子には絶対に危害を加えさせない!』
「体の中からだと? お前は、……誰だ?」
品子が、突然の室の声に驚いて彼を見つめる。
それにより室は、謎の女の声が自身にしか聞こえていないということに気付く。
『あんたが勝手に飲んでおいて、その言い草ってないわ』
「勝手に飲んだ? ならばお前は」
思い当たるのは、先程の薬。
『つぐみには、あの子には絶対にあんたなんか近寄らせない!』
「お前は、……渇望の娘か?」
『そうよ、あんたたちの言う特別なお薬の元の女よ』
「なぜこんなことをする? いや、なぜこんなことが出来る?」
『そんなの知らないわよ。私はただ強く願っただけ』
その言葉と同時に室の足が勝手に動き出していく。
「一体、……これは?」
『なんか蝶道っていうらしいわよ。あんたは私と楽しくお散歩の時間』
「蝶道だと? それは奥戸の……」
◇◇◇◇◇
一体、何が起こっているのだろう。
相手からの交渉決裂を聞き、品子は死を覚悟した。
だが一向に変化がなく、見上げれば室は一人で何か呟いているではないか。
「お前は渇望の娘か?」
その発言に、品子は千堂沙十美の姿が思い浮かぶ。
だが周りを見渡しても、自分と室の他に人の姿はない。
さらに室は品子など目に入らない様子で、ぎこちない動きをしながらこの場から離れていく。
『体を操られて、どこかへ移動させられているようです』
かつてシヤが、つぐみから受けた報告で言っていた行動を品子は思い出した。
「蝶道だと? それは奥戸の……」
室からも動揺した声が聞こえる。
(いけない! 呆けている場合はない)
この状態は沙十美により作られているのだと品子は察する。
理由は分からないが、彼女が奥戸の能力を手に入れた。
そうして室を体の中から操り、移動させているのだろう。
この機会を逃すわけにはいかないと品子は立ち上がる。
動き出したことで、再びきしむような痛みが品子を襲った。
「ぐっ、くそっ。こんなところで時間を食っている場合じゃない」
沙十美の采配により、ビルとは別方向に室は歩かされている。
じりじりと移動をしながら、品子は目的地へと歩んでいく。
数歩目で無意識に右足に少し力が入り、痛みにバランスを崩し品子は転倒する。
打ち付けた痛みに、声を上げそうになりながらもなんとかこらえ、両手と左足で這いながら、品子は少しずつ前進していく。
(……見苦しいこと、この上ないな)
今の自分の姿を想像し、口の端が上げる品子の目の前を何かが横切った。
思わず目を向ければ、手の甲に蝶が静かに降り立つ。
ちくりと、蝶の止まった個所に小さな痛みが走る。
するとどうだろう、体が勝手に立ち上がろうとするではないか。
どうしたことかあれほど感じていた足の痛みは消えていた。
つぐみや室と同様に、自身もふらふらとした動きながら歩けるようになっている。
ただ彼女らと違い、自身の意思で行きたい場所に行けるようだ。
一縷の望みをかけて話をしてみる。
「千堂君、君は居るのかい?」
返事は、……ない。
諦めきれず、品子は再び声を掛けてみた。
「冬野君を助けてくれたのは、君だろうか?」
返って来たのは返答ではなく、沈黙。
(でも、もう一度。もう一度だけ!)
「……ありがとう、あの子を助けてくれて」
自己満足かもしれない。
だが品子はそれだけは伝えたかったのだ。
『違います。私はあの子を助けていません。それどころか、巻き込みました』
品子の後ろから声がする。
『あいつはもうここには来ません。つぐみのことも他言させません。どうかあの子に……』
思わず品子は周りを見回すが誰もいない。
だが「何か」がいることは感じられるのだ。
『許されないとはわかっています。あの子を助けたくても私にはもう出来ない。せめて、あの子にごめんなさいと……』
その声が途切れると同時に、再び襲う痛み。
急に生じた苦痛に耐えられず、品子は無様にそのまま倒れこむ。
その衝撃に、思わず声を上げてしまう。
倒れた音と声が聞こえたのか、扉が開きシヤが姿を現し品子の方へと駆け寄ってくる。
「し、シヤ。……ただいま。部屋まで連れて行ってくれるかい」
そう言って品子は近づいて来るシヤへと手を伸ばすのだった。
お読みいただきありがとうございます。
もしも面白いと思ったらブックマークと、この下の星を感じたままの数だけ入れていただけると、とても励みになります。




