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奥戸透と室映士の場合

次話タイトルは『井出明日人』

「くっ! 早くここから出なければ」


 奥戸は這いながらようやく扉までたどり着いた。

 何とか扉を開けると広がる光に視界を奪われる。

 思わず目を閉じ、しばらく待ちゆっくりと目を開いた。

 明るい世界と共に彼の目の前にあったのは、ネイビーのスラックスにライトブラウンの革靴。

 驚いて見上げた先にいたのは。


「む、室さん。どうして!」

「私を見ると皆、どうしてから始まるのだな」


 少々不服そうに言うと、室は奥戸を引き起こした。

 なんとかテーブルにたどり着き、ペン立てに差し込んでいたハサミで奥戸は革紐を切る。


「ありがとうございます。おかげで動けるようになりました。今日はどうしてこちらに?」

「来るからには用事がある。そういうことだが」


 そう言いながら、室は煙草(たばこ)に火をつける。


「すみません。前も言った通り、薬があるので煙草はちょっと」


 奥戸としては先程の襲撃で、くすぶった怒りや屈辱がまだ残ったままだ。

 つい、棘のある言い回しになってしまう。


「……お前の言葉を借りるならば。前に『あちらの組織に気を付けろ』と言ったはずだが?」


 室の言葉に奥戸の本能が一歩、後ろへと足を下がらせた。


「人の話を聞いて、長居せずにここを出ていればよかったのにな。残念だ」


 処刑人と呼ばれる人物が彼の前にいる、それはつまり。


「私を罰しに来たのですか?」

「罰する? 私が? そんな大それたことを私が出来るとでも?」

「では、なぜ……?」

「この国では最大の罰が極刑。つまり死刑になるわけだが」


 被せるように唐突に語られる内容に、奥戸は戸惑う。


「では死は罰か? だとしたら私達が生きるのは、罰に近づくということなのか? 奥戸、お前はどう思う?」


 おそらくここで答えを間違えれば、処刑されるのだろう。

 だが、室の望みに近い答えを出せれば、まだチャンスはあるということではないのだろうか。

 ごくりとつばを飲み込み、奥戸は言葉を選んでいく。


「……私は、死ぬことが罰になるのかと問われたら。一概には、そう言えないのではないかと。死んだ後の人間に、罰を受けてどう感じているか。それを確かめる術がありませんから」


 切った革紐を拾い集め、ゴミ箱へ捨てるために、室から背を向ける。

 同時に再び毒針を準備すると、奥戸は左の手のひらの上に乗せそっと握っておいた。


「犯した罪に心を痛め、悔い続けるというのも罰なのではないかと考えます」


 一縷(いちる)の望みをかけた言葉を発し、室の様子を(うかが)う。


「なるほど、お前の考えは分かった。ここからは、私の考えだ」


 室は煙草を一口だけ吸うと、表情を変えることなく紫煙を吐き出して話を続けた。


「私はとても小さな人間だ。そんな人間がお前に罰を与えるなど、おこがましいではないか」


 煙草をそのまま床に落とし、室は奥戸へと歩み寄ると、静かに奥戸の左肩に軽く手を置いた。


「だからお前が、罰に近づく動きを止めてやるという結論にたどり着いた。これはいわば私が出来る慈悲と言えるのでないか?」


 室の手が触れている自分の肩がおかしいことに奥戸は気づく。

 ただ触れられているだけなのに。

 そこから体の自由が奪われていくような感覚。


 一歩下がり同時に右手で室の手首を掴み上げ、左の手のひらに隠していた針を親指で押し出しながら、彼の手のひらを引っかくように振り抜く。

 室の皮膚を、針がなぞっていく小さな振動が左手に伝わってきた。

 そのまま数歩さがり針を握ったまま、顔の前に手を持ってくる。


 ――そのつもりだった。


 下がった後に奥戸は足をうまく動かせずによろめき、尻もちをつくように座り込んでしまう。

 奥戸の両腕がだらりと下がり、針が手のひらから静かに落ちて転がっていく。

 室は自身の右手首から手のひらにかけて出来た傷を無表情に見つめている。


「毒か?」

「……はい。即効性のはずですが、効きませんでしたね。無念です」

「最期に聞いておきたい。なぜ最初の警告の時点で、ここを出なかった?」

「最初はそのつもりでした。ところがあの特別な薬の元になった千堂さんという女性の親友が、ここに来ました。それで彼女を薬にしようとしている最中に、白日にここが発覚して連れていかれました」


(……あぁ。冬野さんで作る薬は、どんな味になったのだろう)


 じき命が失われるのに、最期に考えているのが薬かと、奥戸は自身の思考に苦笑する。


「その女性の名前を、確認しておきたい」

「冬野つぐみさんと言います。千堂さんと同じ、鳥海大学の生徒の、はずです」

「その子が白日の関係者であると?」

「恐らくは、違うと思います。扉を、ふ、普通に開けて、きましたから」

「そうか。今までのお前の組織への忠誠に感謝する」

「いいえ。私こそ、あなたが最期の話し、……相手で良か、……で」


 話すことすらままならない。

 そんな奥戸の目の前で、ぐらりと室が揺れる。

 いや、違う。

 自身が倒れているのだと奥戸は気付く。

 もはや全ての感覚が失われているようで、何も感じない。

 動かなくなった体。

 奥戸の狭い視界の中で天井と室のみが映し出されていた。

 室は奥戸の体を仰向けにして、胸の上で両手の指を組ませている。

 最期まで、律儀な人間だと奥戸は室に対して。

 自らの命を奪った人間に対して思う。


 ――ならば私は、あなたに最期にして、私にできる感謝を。



◇◇◇◇◇



 室の目の前に転がっている一つの体。

 少し前まで奥戸と呼ばれていた男は、なぜか最期に室へと微笑んでから逝った。

 どんな意図があったのかは分からないし、知る必要もないだろう。

 倒れた際に外れかけた奥戸の眼鏡を静かにかけ直し、室はその男の顔をしばし見つめる。

 煙草を一本とり出し、火をつける。

 一度だけ吸い込むと、そのまま奥戸の隣に静かに置いた。

 真っ直ぐに立ち上る煙を見つめながら、片膝を立てて床に座る。

 奥戸の毒がまだ効いているようで、体が少し動かし辛いのだ。

 だから。

 この煙が消えたら、自分はこの店を出ることにしよう。

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