木津ヒイラギと奥戸透の場合
次話タイトルは『靭惟之は懐う』
「どういうことだ?」
目の前で起こっている出来事に奥戸は思わず呟く。
突然つぐみの手のひらに淡い青い光が灯ったかと思うと、そこから部屋の外へ向けて光が線を引くように繋がっていく。
光の行方を追い扉の方へ目を向けてすぐ、邪魔が入らないように作っておいた障壁の一つ。
扉に仕掛けていた方の障壁に何者かが触れている。
発動者ではない薄い反応を感知したことで、奥戸は一般人が扉を開けたのだと悟る。
さらにその直後に店の前に施しておいたもう一つの壁が破壊されていくではないか。
相当に強力に作っておいた壁が容易く砕かれたことで、奥戸は屈辱に拳を強く握り締める。
「白日の仕業か」
だが奥戸は、まだ自分が有利であることを確信する。
ここは、明かりの入らない真っ暗な部屋。
自分自身はこの部屋に先に入っているので、かなり闇に目が慣れているのだ。
相手はこの暗さの中、ぐったりとしているつぐみの元へ、まずは向かっていくであろう。
「どんな相手だか知らないが、入ってきたらそのすきに逃げるなり、場合によっては相手を片付けてしま……」
ダン! という音と共に扉が大きく開き、若い男の声が響く。
「な、真っ暗? 冬野っ、どこだ! 返事をしろっ!」
あまりに早い相手の登場に驚きながらも、奥戸は相手の様子を窺う。
一人の少年が青い光を伝って、つぐみに向かっていくのを彼は部屋の隅で見守る。
「いた! おいっ!」
相手が背を向けていることに奥戸は笑みを浮かべた。
彼は部屋に彼女しかいないと勘違いしている。
つぐみに気を取られて、背後にいる奥戸を全く振り返る様子はない。
必死に彼女を助けようとしている彼の後ろに、奥戸は静かに近づいていく。
必死な少年の姿は、実に勇ましく健気に奥戸には映る。
ならばせめて苦しまずに、次の世界への扉を開けてやるべきだ。
労りに近い感情を抱き、奥戸は胸ポケットからそっとケースに入った、十センチほどの長さの針を取り出す。
針に塗られているのは、蝶の毒。
本来の毒は嘔吐程度のもの。
だがこれは改良を施され、最初に刺された痛みだけを感じて命を消すことが出来る針。
奥戸は心で少年に別れを告げると、彼の首に向かって振りかぶった針を思い切り突き立てた。
――はずだったのに、奥戸の手は空を切る。
少年が立っていた所には誰もおらず、目の前には気を失ったつぐみがいるだけ。
「そんな、……馬鹿な」
奥戸が呟いた次の瞬間。
「馬鹿はお前だよ。ばーか」
後ろからの声に奥戸は振り返ると、いきなりの衝撃で体が横へと吹き飛ばされた。
床に倒れこみながら奥戸が感じるのは頬の痛み。
反射的に頬を押さえながら、ようやく殴られたのだと気づく。
「そんな! おかしいだろう?」
目の前にいたはずの人間が消えたと思えば、後ろに回り込まれていたなんて。
混乱が収まらない奥戸に、上から少年の声が降ってくる。
「お前のことは後で考える。とりあえずは寝とけよ」
暗闇の中でほんのりと光る青い光が、少年の足元を照らす。
「私が。……この私が、こんな少年に見下ろされているだと? なぜこんな屈辱を受けねばならないのだ!」
怒りを胸に奥戸は立ち上がろうとする。
だがその肝心の足が動かず、彼はそのまま転んでしまう。
驚いて見た自身の足に奥戸は「なっ! これは一体」と叫ぶ。
奥戸の足首からふくらはぎにかけて、何重にも革紐が巻かれていた。
この紐は、彼が店で商品に使用している革紐ではないか。
「あ、それ向こうの部屋にあったから借りた。さんきゅ。じゃあな、おっさん」
つぐみを抱えながら出て行く少年を、奥戸は見送ることしか出来ない。
静かに閉まりゆく扉が、視界を徐々に塗りつぶしていく。
奥戸はそれをただ、見ていることしか出来なかった。




