『ここ』にいますよ
次話タイトルは『木津兄妹は反論する』
店の方に戻ってすぐに、奥戸は困った様子でつぐみを見つめる。
「冬野さん。そこの試着室の鏡の前に、ウエットティッシュがあるのです。持ってきてもらっていいですか? 私、手がふさがっているので」
奥戸にばかりに荷物を持たせていることに、改めてつぐみは気付く。
「すみません! 私ったら、手伝いもせずに」
「いえ。その手伝いとして、持ってきてくださると助かりますから」
「わかりました」
確かに部屋を出てすぐに、ベージュのカーテンで仕切られたスペースがある。
つぐみはカーテンを開くと、靴を脱いで中に入った。
(鏡の前に。あった、これだ!)
「奥戸さん。そのまま持っていけば、大丈夫ですかね?」
「いいえ。……そこにいてくれれば、大丈夫ですよ」
言葉の意味が理解できず、つぐみは振り返る。
開かれたカーテンの向こう側で、奥戸は彼女に向けて手のひらを広げていた。
「奥戸さ……?」
カーテンがひらりと揺れたかと思うと、カーテンテールからぶちぶちと音を立てて外れると、つぐみの上に降りかかってきた。
そのままカーテンは彼女を包んでいく。
いや、包むというレベルではない。
強く締め付けられて、呼吸すらままならないほどきつく締めあげてくる。
「あ、うあああっ」
体から軋むような音と痛み。
叫んでいる間にもカーテンは、つぐみの体を締め付けていく。
立つことも出来なくなり、そのままつぐみは床に倒れこんでしまった。
見上げた鏡に映る姿は、胸から下を布で覆われまるでミイラのような状態だ。
「わざとスマホを落として音を立てて、誘導するとは」
奥戸がつぐみの顔に触れると、その瞬間に痛みが消え失せ呼吸ができるようになる。
つぐみは浅い呼吸を繰り返しながら、奥戸を見上げる。
「白日の関係者だとはね。ここに入れたということは発動者ではないみたいですが」
「は、はくじつ? それは一体?」
つぐみの顔に浮かんだ疑問の表情と言葉に、奥戸は「違うのか?」と呟いている。
「まぁ、どちらでもいい。大事な時間を一緒に過ごしましょう。まずは部屋に案内しますね」
そう言うと彼女を抱きかかえたまま、部屋の奥の方へと向かっていく。
「どこへ連れて行くのですか? 先程の奥にある作業場とやらですか?」
「ほぅ、理解が早い。手間が省けるので助かりますよ」
奥戸は作業場と呼んでいた部屋の前に来ると、つぐみを一度おろして扉を開けた。
中は真っ暗だが、気にすることなく奥戸は彼女を再び抱えて歩き出す。
目が慣れてくるにつれ、つぐみにも少しだけ部屋の様子が分かってきた。
どうやら中央に、椅子が置いてあるようだ。
つぐみをそこへ座らせると、そのまま部屋を出て行く。
逃げ出せないだろうか?
そう思い体を動かしてみようとするが、もぞもぞと動くだけで体の自由が全くきかない。
奥戸がいないうちに、シヤに伝えようとつぐみは小声で囁く。
「シヤちゃん、ごめん。捕まっちゃった。一番奥の作業場といわれる、暗い部屋に座らされています。体を布で強く巻かれていて、自由がききません」
話しているうちに、つぐみの目からは涙があふれる。
「ううっ、嫌だ。みんなの所に帰りたい。……帰りっ、帰りたいよぉ」
「それは出来かねますね」
部屋に外からの明かりが入る。
こちらへと来る光の筋を眺めていると、手袋を着けた奥戸がつぐみの鞄を持って現れた。
そのまま彼女の横に鞄を置くと、部屋の隅に向かう。
かちりと音がして、ほんのりとした明かりが灯った。
ガラスのテーブルランプを手にした奥戸が、再びつぐみの方へとやって来る。
そうして鞄の荷物を、一つ一つ取り出していく。
「このお店に繋がるものは、全て回収させてもらいます。残りの物はすべてお返ししますね」
ヒイラギの家で見た資料が浮かぶ。
どれも所持品は無くなることなく、発見されていたのはこういうことだったのかと理解する。
「あなたの左腕のブレスレットは、後で回収しますね」
「ブレスレットを回収するって、どういうことですか? こんなにきつくされていたら、取り出せませんが?」
「あぁ、それは心配いりませんよ。全て終われば、勝手に出てきますから」
「出てくる? どういうことなのですか?」
「……あなた、意外と冷静ですね。さっきみたいに、泣き叫ぶものだと思っていましたが」
「どうせ助からないのでしょう? だったら最期まで、自分がどうなるか知ったままで私は死にたいです」
「これは、これは面白い人だ! 殺してしまうのが惜しいほどに!」
鞄を置き、奥戸はつぐみの正面へ回り込む。
両手でつぐみの顔を無理やりに上げさせ、目を合わせてきた。
「あなたにはずっと、二面性を感じていました。千堂さんから聞いていた、消極的な姿。一方では、大胆な行動をして真相を知りたがる姿。本当のあなたは、一体どちらなのですか? 謎が多い女性というのは、素晴らしく美しい。……あぁ、そうでした」
まるで歌うように手を高々と掲げると、奥戸は続ける。
「あなたの親友の千堂さん。最期の時までずっと、同じ言葉を呟き続けていましたよ。『忘れない。覚えている』とね。意味を教えてくれないまま、彼女は謎を残して消えてしまいましたが」
沙十美が、……消えた?
消えたってどういうことなの?
「……嘘だ、沙十美が消えたなんて嘘だ」
「嘘ではありませんよ。いや、そうだ! とてもいいアイデアを思いつきました」
奥戸は、そう言うと部屋を出て行く。
しばらくして再び現れた奥戸の手には、黒い水の入った小さなガラス瓶。
冷蔵庫に入っていたものだろうか。
困惑した表情のつぐみの元へ嬉しそうにやって来る。
「本当は私が頂くつもりでとっておいた最後の物です。彼女の薬はごく一部の上級の方にしか、支給されないことになりましたから。これは本当に貴重なものなのですよ」
そう言いながら、ガラス瓶の蓋をつぐみの前で開いた。
「はい! あなたの親友の千堂さんは『ここ』にいますよ」
一体、何を言ってきているのだ。
正体不明の水を見せて私の友達がいると言う。
そんなわけは、そんな事があってはならないのに。
導き出されてしまう答えは。
「い、嫌ぁぁぁぁぁ!」
答えに耐えきれず、つぐみは叫ぶ。
喉がひどく痛み、苦しさに思わずむせ返りながら奥戸を睨みつける。
沙十美? 沙十美は? いない、いない、なんで?
どうして? どうして?
私、まだ沙十美の顔を見ていない!
タルトを一緒に食べる約束をまだ、守れていない。
沙十美にぎゅって抱きついてしつこいって怒られてない。
まだ、嫌だ、だって……!
「嘘だ! そんな事があるはずがない。ふざけないで! 認めないっ、私は絶対に認めないっ!」
「あなたが認めようが認めまいが、これは事実ですよ」
つぐみの態度に全く動じることなく、奥戸は続ける。
「おや、咳き込んでいてとても苦しそうだ。水分をとった方がいいですね」
つぐみの顔を再び上に向けさせると、ガラス瓶を近づけてくる。
何をしようとしているか悟ったつぐみは、口をきつく閉じた。
「なぜです? お友達と一つになれるというのに?」
淡々と語る声に、含まれているのは苛立ちの感情。
「……仕方ないですね。強情な子には、少しは自分の立場を知って頂かないと」
その言葉が終わるや否やつぐみの髪を掴み、後ろに仰け反らせる様に強く引っ張った。
痛みと喉の圧迫感で思わずつぐみは口を開いてしまう。
「ふふ、どうぞ。あなた達が重なり合う味は、いったいどんなものでしょうね? とても楽しみです」
あぁ、駄目だ。
そう思うつぐみの口の中に、ひんやりとした液体が入ってきた。
直後にガラスの割れる音が響き、つぐみの口と鼻が押さえつけられる。
苦しい、息が出来ない。
耳の奥で、鼓膜が震えるような感覚。
もう駄目だ、……息が。
耐えられずつぐみは、口の中にあるその液体を飲み込んでしまった。
「あ、ああ! 沙十美ぃっ! 私っ、私は……!」
「良かったですね。二人は、一緒になれたのですね。美しい友情は永久に続くのでしょうね! あはははは」
おかしくてたまらないといった様子で、奥戸は笑い続けている。
つぐみはそれをただ、絶えまなく襲う悲しみと共に見ることしかできない。
ひとしきり笑うと、奥戸は彼女の方を見ながら話し始める。
「彼女やここに来た人は糧に。つまりは私達の痛み止めの薬になってもらいました」
「痛み止めの薬? 意味が、……分からない」
「簡単に言えば私達は、ある力を持っています。私で言うと『蝶』の力。その力を使う時に生じる痛みを、和らげる薬になってもらっているのです」
「蝶ってあのヒラヒラ舞っている蝶ですか? その力を持つなんて……」
信じられない。
言っていることが、つぐみには全く理解出来ない。
「あぁ、やはりいい顔をしている。この話をすると皆、同じようにとてもいい顔をしてくれるのですよ。急にある力と言っても信じがたいでしょう? ですから」
奥戸はつぐみの体に向かって、手のひらを広げる。
「実際に体験した方が分かりやすい。冬野さん、蝶のさなぎを見たことがありますよね?」
「……えぇ」
「さなぎの中ではね。一度、体を再構築するのですよ。幼虫の頃の皮膚や筋肉が溶けて、新しく成虫の体に再構成するのです」
感覚は全くない。
だが下を見ればつぐみの足の部分が、信じられないほどきつく巻かれていくのが見える。
「こうして生まれ変わったあなた方が、私達の薬になるのですよ。では私は、少し準備をしますので」
奥戸は鞄の場所まで戻ると、出した荷物を再び鞄に片付けていく。
その中でちらりと青いものがつぐみの目に入った。
(シヤちゃんのハンカチ、返せなかった。新しいものと一緒に渡して、どんな顔するか見たかったのに)
つぐみが目を閉じる度に、ぽたぽたと涙が落ちていく。
「ごめん。シヤちゃん。ハンカチ、返せなくてごめんなさい。……ごめんなさい」
つぐみにはもう、自分に出来ることがわからない。
沙十美はもう自分の手の届く場所に居ないのだ。
もう、何をしたらいいのか分からない。
(私は、……きっともうこのまま)




