行方不明とタルト
次話タイトルは『そこは小さな雑貨店』
「よかった、席は空いているって!」
電話を切ると、つぐみは興奮気味に沙十美に伝える。
夏休みも間近なある日、つぐみはかつて二人で通っていた喫茶店に沙十美を誘ってみた。
いつもは満席で入れないことが多いのだが、今日は空席があるという。
「なんだか機嫌がいいわね?」
「うん! だって久しぶりに沙十美と一緒だからね」
誘いを受けてもらえた嬉しさから、つぐみはその場でくるりと一回転する。
それを見た沙十美は、口元に小さく笑みを浮かべた。
「ばかねぇ、つぐみは」
「えー、ばかじゃないよぅ」
嬉しさと同時にこみ上げる感情を、つぐみはぐっとこらえる。
(あぁ、かつては毎日のように交わしていた会話だ。今は、……もうないな)
隠しきれなかった寂しさが、顔を出してしまったようだ。
沙十美がつぐみをのぞき込む。
「つぐみ?」
「……あ! いやぁ、今月の新作のタルトがイチジクとマンゴーらしいの。どちらを選べばいいか、さっきからすごく悩んでいて」
慌てて口を開くつぐみを、沙十美は呆れたように見た。
「そんなの二つよ! あなたは二つ頼めばいいのよ! ちなみに私はチョコタルト一択だから。あと、その新作は一口ずつ頂戴。どうせあなた両方いけるでしょ?」
「はい、いけます。なんならチョコタルトを一口ください」
「欲張るんじゃありません」
二人でくすくす笑いながら歩いている横を、一台のパトカーが通過していく。
パトカーから二人の警官が降りると同時に、学校の入り口にある守衛室から慌てて守衛が飛び出して来た。
そのまま二、三分ほど話をすると、警官は一礼をしてパトカーに戻る。
その場でUターンをすると、再び二人の横を通り過ぎ去っていった。
「どうしたのかしら?」
「さぁ。でも中まで入らなかったから、ただの注意喚起かな?」
その言葉に沙十美は「あっ!」と大きな声を出した。
「私、聞いたことがある! 最近この周辺で行方不明の子達がいるって!」
彼女の話に、驚きながらつぐみが言葉を返す。
「行方不明? そんな話は聞いたことがないけど」
「えぇ。私も変な話だなって思っていたのよ。しかもこの話が更にとんでもないの」
沙十美が唇に人差し指を当て小声で言う。
「その行方不明になった子の服だけがね。いなくなってから二、三日後に見つかるの。それでその服に、必ず黒い水がべっとりと付いているって」
「で、でもおかしいよね? 行方不明やら黒い水なんてニュースでも見たことない。第一それなら学校から、何か注意喚起なり来ているよね?」
「うん。だから多分これは都市伝説的な話だと思う。夏の怪談的な? ごめんね、あなた怖い話は苦手だったわね」
ぎゅっと抱かれ、頭を撫でられる。
その行動につぐみは嬉しさを隠すために、大声で叫んだ。
「ちっ、小さな子供ではないので。あやされなくても大丈夫です!」
「はいはい、わかりましたよ。あっ、確かあのお店、テイクアウト出来たわよね? 私も持ち帰りしようかな?」
大学からその店までは、歩いて十分ほどだ。
強めの風が吹くので、声が聞こえないと言ってはつぐみは沙十美の方を何度も見つめる。
「あなた、ずいぶんお年寄りになったみたいね。強い風が吹いているけどね。人もいないから十分に聞こえているはずだけど?」
「いやいや、人もいないっていうけど、……ほら! 後ろに人いるよ?」
つぐみは慌てて自分達の後ろを歩いている、二人組の高校生くらいの子達を指差した。
「……あの子達とは三、四十メートルは離れているわよ。どういうことかしら?」
つぐみは思わずごまかしの咳をする。
沙十美は仕方がないなぁという顔をしながらも、ふわりと笑ってつぐみを見つめる。
汗をハンカチで拭いつぐみを見つめる姿は前と全く変わらない。
以前と違うのは、つぐみを見る瞳は眼鏡のレンズ越しではなくなったこと。
自分と一緒に過ごさなかった時間に、コンタクトに変えたのだということを。
それを伝えてもらえなかった事実を、その瞳はつぐみに見せつけてくるのだ。
ほどなくして吹いてきた強風で、乱れた髪を沙十美はかきあげる。
その耳には、見たことのない蝶のピアスが輝いていた。
切り絵のような美しく黄金に輝くピアスは、彼女の耳で踊るように揺れている。
「あ、新しいアクセサリーだね? ならまたキャッチフレーズがあるの? だったら教え……」
「いいじゃない! そんなことは!」
沙十美が、鋭い声でつぐみへと言葉を放つ。
動揺するつぐみを見る沙十美の瞳に、怒りが宿る。
「……やっぱり私、つぐみとは合わなくなってきているみたいね」
「あ、私……」
沙十美の言葉がつぐみの耳を、心をも貫く。
いつもと違う口調に、つぐみは呆然と彼女を見つめることしか出来ない。
心に生まれいくのは、動揺。告げられた言葉の意味を受け入れられない。
その心が、口を開くことを恐れている。
言葉を紡ぎたいのに、喉が苦しくてたまらないのだ。
「今日は帰るわ」
沙十美は、つぐみを一度も見ることなく去っていく。
声を掛けることもできず、つぐみはただその場に立っていることしかできなかった。