触れられたくないもの
次話タイトルは『帰ろう』
「なぁ、わざとだろ。冬野君の名前を先に言っていたり、千堂君の情報を先に出したりしたのも」
資料を車に積み込んでいる最中、品子は惟之に問いかける。
「……さぁてね。しかしそれを踏まえても、彼女のとっさの機転は大したものだな」
「うん、私も何度も驚かされているよ。とはいえあの子は一般人だ。この事件が片付いたら普通の生活へ戻ってもらうよ。あ、それで彼女からの意見だけどさ」
手短につぐみの考えを品子は惟之へと伝える。
「……ほぅ、特定の人にしか見えない扉ねぇ」
「あぁ、だからお前の力でみて欲しい」
「わかった。だが少し時間が欲しい。相手に気づかれないように準備をしておく必要がある。早くて決行は明日の夕方以降になるぞ」
そう話す惟之の顔は、なにか言いたそうに品子の目には映る。
「何? 言いたいことあるなら、さっさと言いなよ」
品子の言葉に惟之は、戸惑い気味に口を開いた。
「……この件が終わったら彼女を普通の生活に戻すって言ったが、それはつまり」
「もちろん消すよ。私達に関する全ての記憶。じゃないとあの子、きっとまた協力するって言ってきそうだもん」
「そこまでする必要があるのか? 先程もそうだが、えらくお前は彼女にご執心のようだが。それは、彼女があの方に似……」
「ねぇ、惟之。駄目だよ、……それ以上は」
笑いながら品子は惟之の言葉を塞ぐ。
「その人を『守れなかった』くせに。どうしてそんなことを、私に言うの? ……その人が、マキエ様が自らの命と引き換えに、その場にいたお前達を助けたというのに。そんなお前がどうして私に言えるの?」
品子の言葉に惟之は黙りこむ。
彼の頭の中に、マキエからヒイラギ達へ。
彼女の最愛の子供達へと、託された言葉がよみがえる。
『あなたは生きて。そしてあの子達に伝えて、返せなくてごめんねって』
品子は自分が発した言葉で、彼が黙るしかないのを知っている。
それでも品子は言葉の刃を振り下ろす。
それがどれだけ彼に残酷であるかを分かっていながら。
「……すまない」
それなのに、先に謝ったのは惟之だった。
それだけ言うと彼は車に乗り込んでいく。
品子の頭に、今すべき正しい行動がいくつか浮かぶ。
だが彼女は、それを一つとして行うことが出来ない。
足が凍り付いてしまったかのように動かせず、ただ彼の行動を見ているのみだ。
「あ、惟……」
エンジンの音を聞き、ようやく品子の体は前に動いた。
それは後悔の念からか、良心の呵責か罪悪感か。
品子が手を伸ばし運転席を覗き込もうとする様子に気づいてか、窓が開き始めた。
ところが、窓からいきなり伸びてきた惟之の右手が品子の頬を掴む。
あろうことか、そのまま滅茶苦茶に振り回し始めるではないか。
「え、ひぇ?」
あまりの予想外の行動に、完全に思考が停止し品子はすっとんきょうな声を上げた。
「その顔と頭、しっかりとリセットしてから戻れ。じゃないと、あいつらが心配する」
完全に開いた窓から、惟之が顔を出して語る言葉に品子は返事をする。
「わ、わかった。……って何でヒイラギもお前も、人の顔をグニグニするの? 顔の形、変わったら責任とれるの?」
「そんときゃ、綺麗になりましたね人出さん。とでも言ってやるよ」
あんなひどい言葉を受けながら、伝えてくる惟之の声はなぜだか優しい。
品子はヒリヒリとした頬にそっと指を添え、彼の厚意に甘えることにする。
「アドバイスは感謝する。明日の連絡、待たせてもらうからな」
閉まりゆく窓に、品子は言う。
惟之の車を見送り、痛みの残る頬を撫でながら彼女は家へと戻っていく。
先程と違い、心がだいぶ落ち着いているのが自分でも分かった。
もうリセットの必要はないだろう。
うん、惟之に感謝しなければな。
明日、会ったらこの礼ぐらいは言ってやろう。
そう考えリビングに戻った品子を見てつぐみが叫んだ。
「おかえりなさ……! せ、先生! 大変です! 頬がすごく腫れていますよ!」
つぐみの慌てようを見るに、どうやら頬は凄いことになっているようだ。
品子は察すると、一つの誓いを立てた。
うん、惟之。
明日、会ったら殴る。
直接、思い切り拳で殴ってやろう。




