ここから始めましょう
次話タイトルは「行方不明とタルト」
変化があったのはいつからだろう。
ある日、沙十美がつぐみの隣に来ると、興奮した様子で捲し立てる。
「ねぇ、すごいお店を見つけた! 多木ノ町の駅から、五分位のところにある雑貨屋さん! あの辺りにそんなお店があるなんて、全く知らなかった」
その言葉と共に沙十美は、つぐみに向けて手を伸ばす。
彼女の手首には、可愛らしいパールが付いたブレスレットが光っていた。
「つい買っちゃった。店長さんがすごくイケメンでね。あなたには似合うと言われたから」
上機嫌な彼女を見ながら「へぇ」とつぐみは呟く。
そんな薄い反応を気にすることなく、沙十美は嬉しそうに続ける。
「最初は断ったの。そうしたらこれ、コットンパールっていう模造真珠だって。だから値段も高くないし、この店に来てくれたからって安くしてくれてね」
いつになくハキハキとした様子の彼女に、少し驚きながらつぐみはうなずく。
「何よりもまず、店長さんが本当に素敵なの。私の目を見ながらね」
沙十美は立ち上がり、つぐみの目をじっと見つめてきた。
どうやら再現劇場が始まるようだ。
「あなたがここに来たのはとても大切なことなのです。えっと、あなたのかつ? かつ何とかが感じられるこの出会いに、感謝しかありません」
「……沙十美さん。あなた、肝心のところを忘れていますが」
でもそんな素敵な人に、甘い言葉をかけられたならとつぐみは考えてみる。
自分も多分、見とれてしまうだろう。
「何だかナルシストっぽい感じの店長さんなのね」
「でもその言葉が本当に似合うの! あぁ、ナルシストといえば、ここのお店の商品の全部に変なキャッチフレーズがあってね。店長さんが全部、自分で考えました! って、言ってた」
ブレスレットをなぞりながら、笑う彼女につぐみは違和感を覚えた。
昨日までの沙十美からはそれは感じられなかったもの。
正体が分からぬまま、曖昧な笑みを返しつぐみは尋ねる。
「へぇ。それは、どんなキャッチフレーズなの?」
「えーと、『ようこそ、ここから始めましょう』だって!」
沙十美は、こちらに向けて笑う。
その笑みは美しく、妖しく彼女の口から零れ出てつぐみの視線を奪った。
それから彼女は、「始まって」いたのかもしれない。
その日から彼女は、目に見えて明るくなっていった。
さっぱりとしたメイクだったものが、少しずつ明るめのものに変わっていく。輝いていく。
変わっていく沙十美と変わらないつぐみ。
二人が段々と離れていくのは必然の流れで。
気が付けば彼女は、有のグループに溶け込む時間も増えていった。
沙十美は何かと用事があるということで、二人が一緒に過ごす時間は次第に減っていく。
たが彼女はその時間を、有達と過ごす訳ではない。
彼女は一人で帰ることが多くなっていた。
この事実がつぐみにとって寂しくないと言ったら、嘘になる。
だが日々、眩しく変わっていく親友に幸せになってほしいという気持ちは変わらない。
そう考えつぐみは、少なくなった彼女との時間を大切に過ごしていた。
◇◇◇◇◇
「あそこなら大丈夫かな」
つぐみは教室の窓際の席に座り、プリントを取り出す。
今日は講師と生徒が一対一で行う口頭試問の日だ。
自分の順番が来るまでは皆がそれぞれの時間を過ごしている。
沙十美は有達のグループの方へ行くのかと思いきや、教室に入って来るとつぐみの隣にすとんと座った。
「想定問題、手伝ってくれるよね?」
ファイルを取り出しながら向けられる沙十美の視線が嬉しくて、つぐみは笑顔があふれていく。
「ちょっと、テスト前にその緊張感のなさはどうなの?」
「これは『朝の挨拶は笑顔でしよう』という、私のマナーです!」
「そんなマナー聞いたことないわよ、私」
呆れながら見つめてくる沙十美に、つぐみは自分のノートを渡す。
ノートを見て沙十美は「嘘、これも範囲だっけ」と呟きうつむいていく。
隣でだんだんと机に突っ伏していく沙十美を、つぐみは笑って見つめる。
「まだ時間はあるから。落ち着いて考えてみなよ」
「はーい。……精一杯に頑張らせてもらいまーす」
倒れた体勢のまま、沙十美は横目でつぐみを見る。
そんな彼女を呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。
振り返ると、同じクラスの鈴木が近づいて来る。
あれは確か有のグループの子だ。
目立つグループの人が、傍に来るだけでつぐみは緊張してしまう。
思わず資料を読む振りをして、下を向く。
鈴木は沙十美の前に来ると、持っていたポーチからマニキュアを取り出した。
「これ、すごく良かった。貸してくれてありがとう。これ、どこで売ってるの?」
「ね、それ発色がいいでしょ? 鈴木さん色白だから、寒色系の色が向いているもの」
これは長くなりそうだ。そう判断したつぐみは、机に腕を交差させうつ伏せになる。
私は仮眠を取っています大作戦だ。
つぐみは目を閉じ、ぼんやりと彼女達の話を聞きいる。
「……の三階の店だよ。会員登録しておくとメールで新作の連絡も来るよ」
空から降ってくるような、とぎれとぎれの言葉に頭がふわふわしてきた。
これは本当に眠ってしまいそうだとつぐみは感じる。
「でね、いいアクセ見つけたの! だから、一緒に買いに行こうよ」
「……ごめん。アクセサリーはちょっとこだわりがあって、決めた店でしか買いたくないの」
沙十美の声のトーンが下ったことに、うとうとしていたつぐみの頭が少し反応する。
「千堂さんのお気に入りのお店かぁ! どこにあるの?」
「ん~、近いうちにお誘いするわ。そろそろテストの準備をしたいから」
「あ、本当。だいぶ話し込んじゃった。ごめんね!」
どうやら話は終わったようなので、つぐみとしてはそろそろ顔を上げたい。
だが何となく、今はそれをしてはいけないような気がするのだ。
少しして沙十美がふぅっと大きく息をつくのが聞こえ、つぐみの肩が揺り動かされる。
「ほら、いつまで寝ているのよ」
その声にさも今、起きたかのようにつぐみはゆっくりと顔を上げ目を合わせる。
「私は順番だから行くわ。つぐみはもう少し後?」
「うん、行ってらっしゃい。頑張って。えいえいおーだよ!」
「もう、つぐみってば。じゃあね」
小さく笑うと、沙十美は去っていく。
いつも通りの彼女の声にほっとしながらも、先程の変化につぐみは戸惑う。
答えが出せないまま、つぐみは頬をこすると再びノートを開くのだった。




