冬野つぐみと人出品子の場合 2回目
次話タイトルは『人出品と木津ヒイラギは考える』
部屋の前に着き、急き立てられるようにノックする。
「はーい。どうぞー」
昨日と全く変わらない様子の返事を聞きながら、つぐみはドアを開けた。
品子は自分の席に座ったまま、部屋の中央にある椅子を手のひらで指し示す。
ここに座れということなのだろう。
一礼してからつぐみは椅子に腰掛ける。
「君は昨日あまり眠れていないはずなのだが、思ったより元気そうだね?」
「そうですね、答えが決まったからでしょうか?」
「ならば結論を聞こう、君はどうする?」
「昨日の話の続きを聞かせてください。そのために私はここに来ました」
「私は、忘れるという選択肢を選んでほしいのだがねぇ。いや、そもそも私から話を聞けと言っていたな。いざという時になったら、断ってくれというのは実に矛盾している」
自嘲の笑みを浮かべながら、品子は机から数枚の紙を取り出す。
その紙をちらりと見たあと、つぐみへと向き合う。
「君は料理がとても上手だね。先日の料理はとても美味かったよ」
「え? ありがとうございます。凄く嬉しいです」
「一人暮らしの賜物なのかね? それともお母様が得意だったのかな?」
「……いえ、私は一人暮らしになる前までは、祖母と一緒に住んでいたので。料理は祖母から学びました」
「おや、でも君のお家はお父さんとお母さん、あとお兄さんの四人家族らしいのだが?」
「……っ!」
つぐみは品子が手にした紙が自分の資料なのだと悟る。
学生個票を、品子が読んでいてもおかしくはない。
体に力が入り、膝にのせていた手がわき腹の方にずれる。
動揺して何も言えないつぐみに、品子はたたみかけるように続けた。
「どうやら君は中学の頃から他の家族と離れて、御祖母様の所にいるようだね。そして高校二年の時に、御祖母様が亡くなられてからは一人暮らしをしていると」
(……おかしい。このことを学校が知っているはずがない)
そもそもつぐみの家庭環境の話は誰にも、沙十美にすら話したことがないのだ。
驚いて品子を見れば、持っていた紙をヒラヒラとさせる。
「第一の断って欲しいと思う理由。こんな人が知られたくない話すら容易く知りうる所に私は居る。つまり……」
「先生の居る場所は、それ相応のリスクを抱えている場所であると考えるべきだと」
「はい、ご名答。話が早くて助かるね」
パチパチと手を叩きながら、品子の目は全く笑っていない。
「第二の理由。私が持つ情報を君に渡したとしよう。君はその中から千堂君のことも含め、私達に新しい気付きを教えるだろう。だがそれによって、背負わなくてもいいものを君が負う可能性もある。それは優しい君に耐えられないかもしれないよ?」
自分が答える番だと理解したつぐみは続ける。
「……先生が私に、この話をしたのは。私が必要だからではないのですか?」
「そうだね、でも同時に恐れているよ。無関係の君を巻き込んでいいのかと」
「関係はあります。私は沙十美を捜したい。そして先生は私を必要としてくれた。自分の大切な人達が困っている。それは嫌なのです。それに忘れてと先生は言いますが」
言葉を一度とめて、つぐみは品子を見つめる。
まっすぐに、きちんと伝わるように。
――伝えられるように。
「先生が大変な思いをしているのを、私は知りました。そのそばで忘れていられるほど、私は器用な人間ではありません」
品子は全く目を逸らすことなく、つぐみを真正面から見ている。
言葉を続けようとするが、急に先程の自分の発言につぐみは羞恥を覚える。
(……あれ、私は『先生は私を必要としてくれた』だの、『自分の大切な人』だの言ってしまったよね。こんな大胆な発言をして、よかったのだろうか)
一瞬にしてつぐみの顔の熱が上がる。
これ以上、品子の顔を見つめながら話すのは、……無理だ。
自分の消極性を恨み恥じながら、つぐみはうつむき話を続ける。
「せ、先生が私の普通を願うように。私も先生が少しでも、普通でいられるように。手伝いたいと思っています!」
(駄目だ、途中で目を逸らしてしまった。きちんと気持ちを伝えたかったのに)
自分自身のふがいなさで、つぐみは上を向くことが出来ない。
品子は、……何も言わない。
沈黙に耐えられず、ちらりとうかがうようにつぐみは顔を上げる。
品子は目を見開き、固まっていた。
目が合うと、品子は我に返ったような顔をして「あぁ」と小さく呟く。
品子は席から立ち上がると、くるりとつぐみに背を向け小さくため息をついた。
そうしておもむろに、結んでいる髪をほどきながらつぐみの方へと向かってくる。
「なぁ、冬野君。人っていうのは、本当に我儘なものだと思うんだ」
いつも結わえている髪が広がり、品子の歩みと共に髪もさらりと揺れる。
その姿はとても美しく、いつも快活に笑っている品子の顔とはまるで違う。
(綺麗だな。あれ? 綺麗すぎて目が離せない)
髪をかきあげながら、つぐみを見つめる品子の姿はとても艶やかだ。
(違う、これは綺麗ではない。……これは、『妖艶』だ)
気が付けば、つぐみの目の前に品子の顔がある。
椅子に座って茫然と見ているつぐみの両頬へと、そっと品子は両手を添えた。
「第三の理由を。……でもその前に」
さらさらとした長い髪がつぐみの頬に触れ、少し低めの声が耳元で聞こえる。
「君を、私だけのものにしたくなるねぇ」
耳に響く、その声の意味を認識した瞬間。
先程の比ではないほどに、顔が熱くなるのをつぐみは感じる。
今なら顔の熱で、万年雪さえ一瞬で蒸発させてしまいそうだ。
「しぇ、先生は何を言っているのですか! 私はっ!」
つぐみが見上げたその時、額に品子の指が当たった。
え? と思った瞬間に、つぐみの顔に柔らかな風が当たる。
「君は昨日あまり寝ていない。少し眠った方がいいだろうね」
優しい、優しい声。
その言葉と共につぐみに突然、睡魔が襲って来た。
ゆっくりとつぐみの体が傾いていく。
このままでは床にぶつかる。
そうは思うのだが、体は前にそのまま倒れこんでいく。
まぶたが重くて、開けることが出来ない。
そのままとさりと床ではない柔らかな衝撃を受け、つぐみの体はそこで止まる。
品子が、つぐみを抱きとめているのだ。
背中に触れている品子の手のひらの温もりが。
じわりじわりとあたたまる、自分の背中が心地よい。
「……おやすみ。良い夢を」
その声を最後に、つぐみの意識は途絶えた。




