最後に味方が来たものが勝つ、の設定
武闘家コルネオの拳は下から突き上げられ、大悪魔王ルシファーの顎を砕いだ。
どごぉぉ!
すさまじい炸裂音とともに、ルシフォーの巨体が宙に吹き飛ばされた。
「ば、馬鹿な……」
吹き飛ぶルシファーが宙に舞うわずかの時に、さらに踏み込んできたコルネオが一気にルシファーに追いつき、宙で高速のパンチを全速で撃ち込んでいった。
ダダダダダダダダダダ……。
この地上で人も動物もおそらく聞いたことのないほどの高速の連続音は、やむことなく、続いた。
大悪魔ルシファーは地上に落ちることが許されず、空中で、武闘家コルネオに滅多打ちにされ続ける。
1000発、2000発……。
コルネオのパンチが3000発を超えたあたりから、ついに、ルシファーの表皮が剥がれてきた。
この地上で最も硬い金属を遥かに超える硬度を持つと言われていた、鋼の全身を持つルシファーの皮膚が、次第にボロ布のように裂けていく。
ピシピシと、裂けた表皮から緑の血が吹き飛び始める。
それでも止まぬ打撃音。
4000発、5000発……。
緑の血の飛沫は次第に増してゆき、地上には霧雨のように緑の鮮血が降り始める。
賢者ゾロゲは、爆音のような連続的な単音が続く、緑の霧雨の舞う宙を、静かに見上げ続ける。
堕天使ルシファー、逝くか…。
賢者ゾロゲは瞑目した。
やがて、鈍い高速連続音が止み、どすっという鈍い音……。
ゾロゲは目を開く。
血塗られたルシファーが、地面に叩きつけられていた。
「ざまあ、みやがれ……」
ルシファーに遅れて地面に降り立ったコルネオは、息が切れていた。
絶え間なく5000発以上の打撃を与え続けたのだ。
さすがにコルネオも、はあ、はあ、と、大きく肩を揺らせている。
「やい、ルシファー! やっぱここは、闇の世界じゃ、ねえ。だから、ここでの、お前の防御力も、無限じゃ、なかったな」
息も絶え絶えのコルネオは、いったん大きく深呼吸する。
「よっしゃ!」
コルネオは、息を整え終え、まくし立てるように話し続けた。
「結果は、お前の呪文より、うちのゾロゲの呪文のほうが、圧倒的に上だったってことだ。おいらたちのリミットは、地上ではお前より断然上だ」
武闘家コルネオは、強気に話しているが、当の賢者ゾロゲの気力はぎりぎりだった。
ゾロゲの封魔を破り、いまのコルネオの攻撃を、ルシファーがしのいでいたら、もうこれ以上、コルネオを全回復させる気力はゾロゲにはなかった。
コルネオがルシファーを押し切ったことを、ゾロゲは実は安堵していた。
「ゾロゲ、き、貴様は賢者だった。攻撃呪文が、時間差で私に到達するなど……ゆ、油断したわ」
倒れ込むルシファーが、ゾロゲを睨む。
ゾロゲは、何も応えず、小さくうなずいた。
賢者は魔法使いの持つ攻撃呪文、僧侶の持つ回復呪文、そのどちらも使える。
もちろん、その極限的なレベルでは、魔法使い、僧侶といった専門職に譲る。
しかし、どちらの呪文も上級レベルで使いこなせる、という能力は、賢者だけの持つ優位性だった。
この能力を持って、モンスターに挑む、勇者を含むあらゆる専門分野うち、賢者を最強と評するものいる。
賢者は回復呪文をかけられ、攻撃呪文を使うことも可能な唯一の存在だった。
賢者ゾロゲは、空を見上げる。
空はまだ白い。
まだまだ日暮れには時間があった。
この戦いは長期戦のように見えて、実際の時間はやはりわずかしか経っていなかった。
こうした高次元の戦いは、どれだけ長く見えても、一般の人間の時間軸からすれば、お茶を入れるくらいの時間といっていいほど、短時間で進んでいるのだ。
そんな短時間の間に、賢者ゾロゲは気力を充分に失っていたのだった。
とはいえ、我々のタッグ攻撃が優った。
打撃攻撃しかできぬとも、大悪魔ルシファーに対し、本来持つ数十倍の力で、武闘家コルネオがダメージを与え続けられたことで、崩せぬ壁がついに決壊した。
もちろん、賢者ゾロゲの不意打ちの攻撃呪文が契機になったところはある。
ゾロゲは自身の持つ攻撃呪文のうち、最強の兇雷の呪文をルシファーにぶつけた。
兇雷の呪文は、小さな村ていどなら、瞬時にすべてを焼き尽くすほどの強力な呪文だった。
ゾロゲが驚いたのは、そんな兇雷の呪文をもってしても、ルシファーの背面を焦すことしかできなかったことだった。
この戦場が地上であったことも救われた。
光の下の地上では、悪魔の力はかなり制限されると聞く。
おそらく、彼らの生きる冥界の闇のなかで戦っていたとすれば、兇雷の呪文であっても、ルシファーに傷ひとつつけられなかったかもしれない。
そんな制約のなかにあっても、もともとの攻撃力、防御力ともルシファーの方が、2人を圧倒していたように思う。
このまま、戦いがさらに長期化していれば、地上であっても、2人はルシファーに滅ぼされていたのではないか、とさえ、ゾロゲは思っていた。
「いやあ、惜しかったのは、お前がゾロゲの攻撃呪文を喰らう瞬間を見逃したことだぜ。おいら、呪文使えねえし、ゾロゲはめったに呪文使わねえしな」
武闘家コルネオが、身体を屈伸させながら、
「さてと、お遊びは、このあたりで終わろうか」
コルネオはかがみ込み、ルシファーの首を掴むと、吊り上げた。
コルネオよりはるかに大きなルシファーを宙に浮かせることはできず、半身は地面に残ったままだ。
「結局、最後はおいらの勝ちだった。とどめはおいらの全力パンチを、お前の脳天に死ぬまで撃ち込んでやる。さすがに一発では無理だろ……。まあ、あと1000発も撃ち込めば、お前の脳天も弾け飛ぶべ。あ、そういや、悪魔はすでに現世にいないんだった。そんなお前を殺した後は、お前はどこに行くんだ? おいらが遥か昔、お前たちに閉じ込められた、『永遠の封印』にでも行くのかよ。まさかの悪魔のラスボスがさ、かかか」
「貴様……あの時の、デビルのものか……」
「正解」
「あそこから、戻れた悪魔が、いたのか……」
「いねえよ! 俺だけだ! 俺だけが、あそこから生還したんだよ!」
武闘家コルネオが、左の拳で大悪魔ルシファーの腹部に強烈なパンチを撃ち込んだ。
ぐあっ! と、ルシファーはうめき声を上げる。
「そうか。貴様が……そうだったか。もう何も語るまい。さあ、とどめを、さすがいい」
武闘家コルネオに首を吊り上げられたまま、ルシファーがつぶやく。
「言われなくても、殺してやる。今回のお前の敗因は、地上にのこのこ出てきちまったことだな。やっぱ、魚は陸では生きられないんだよ。悪魔も所詮、井の中の蛙っつうこと。あー、俺も悪魔抜けてよかったわ。くそだぜ。しょっぼ!」
「き、貴様……これ、以上、悪魔を、愚弄するな……」
「だせーよ、お前。てめえらがやってきたことを、思い出しやがれ!」
コルネオは空いた左手で、ルシファーの腹部にふたたびパンチを浴びせる。
だだだだだ!
今度は高速で何度も打撃を加えた。
武闘家コルネオの顔を見ると、少し涙ぐんでいるように、賢者ゾロゲには見えた。
ルシファーは、ごほっ!と口から緑の鮮血を吐き出した。
「きったね!」
コルネオは舌打ちする。
「お前が悪魔のラスボスなのは、俺がよーく!知ってる。お前がやられるってことは、この世界の悪魔すべてが、今後、おいらたちに皆殺しにされるってことをわかれよ!」
コルネオは、かかかかか、と全力で笑う。
「お前さ、おいらたちだけに負けてんだけど、うちらのパーティー、他には勇者も魔法使いも僧侶もいるんだぜ。うちら全員でやったら、お前ら悪魔なんて、秒で死ぬよ」
ルシファーが、くくくく、と力なく笑う。
「なんだてめー!」
「お前が、私を殺そうが、悪魔族を滅ぼそうが、無駄、だ……。私たちは、魔界の、頂点ではない。上には、上がいる。いまお前たちが目指す、赤竜、ウェルゼン。ウェルゼンは、私よりも、はるかに強大だ」
「は! 笑わせんなよ。ウェルゼンだって、おいらが倒してみせらあ。いま難しくてもな、これからも鍛えてよ。能力高めていくだけだぜ」
武闘家コルネオが、大悪魔ルシファーを投げつける。
地面に引きずられながらも、ずずすずっと、ルシファーは地面をはう。
「さ、もう、おしゃべり大会もやめようぜ。そろそろ死んでもらう。お前ほどの力がありゃあ、吐き出される玉響も、大きなものになるだろうな。タイタンの玉響は食い損ねちまったが、お前の玉響でお釣りが出らあ。おいらとゾロゲで食わせてもらう。おいら、これからさらに強くなるぜ!」
武闘家コルネオの全身からぼうっ!と光が湧き出る。これまでで、最も大きな光だった。
「ルシファー、これで最期だ。今残る全ての力で、全力波動を出してやったぜ! こらから超全力パンチをお前が死ぬまで喰らわせ続ける。お前の息の根を完全に止めてやる。最期に言い残したいことはあるかい。冥土の土産だ。それくらい聞いてやるよ」
「ははは、愚か者め。忘れたのか、冥土は、私たちの棲み家だ。家に返してくれるのか」
「てめ、最後の最後まで能書きたれやがって! くたばれ!」
武闘家コルネオの高速パンチが、連続で拳から放たれはじめた。
大悪魔ルシファーの頭部だけを徹底的に打撃し続ける。
どどどどどどどどどど!!
100発、200発、300発……。
ルシファーが徐々にほうけたような無様な顔つきに変わっていく。
悪魔界に君臨する、大悪魔王も滅びるときは、寝ぼけたような憐れな表情になっていく。
賢者ゾロゲには、ルシファーの命の気配が徐々に消えていくことが伝わっていた。
その時ーーー
ルシファーの周囲から、すさまじい閃光が放たれた。
賢者ゾロゲは目が眩み、はるか後方に吹き飛ばされた。
ぐはーーー!!
光が止む前に聞こえてきたのは……。
武闘家コルネオの絶叫。
目を凝らすと、武闘家コルネオがルシファーを中心にして、ゾロゲと真逆の方向で、ゾルゲよりはるか遠くに吹き飛ばされていた。
その勢いで木々が薙ぎ倒され、その先の巨木にコルネオはめり込んでいた。
「痛ったああ!! まあたかよ! 今度は誰だバカヤロウ!」
コルネオは後頭部をさすりながら自身の体を大木から引き抜いた。
賢者ゾロゲも尻餅をついた姿勢で、ルシファーに目をやる。
いつのまに、ルシファーのそばに1人の少女がいて、かがみ込んで、ルシファーの頭をなでていた。
黒髪のロング、小柄な少女。彼女は、なんの力もなさそうな、か弱い姿見をしていた。
いや、違う!
彼女からは奇妙な気配が感じ取れた。
善と悪ーーーその両方が混在する、これまでに感じたことのない気配……。
しかもその気配は、驚くほどに強大だった。
「うおおい! そこのメスガキ! お前、天使か!」
「天使だと?」
「いや、お前、どう考えても人間じゃねえだろ? こんなところにいきなり現れてよ。わかんねえけど、天使かな、て……」
「低脳め。なにゆえ余が天使か」
武闘家コルネオは赤面していた。
よく見ると、少女は人形のように整った顔をした少女だった。
まさか、そんな理由でコルネオは彼女を、思わず天使と言ったのか……。
不謹慎が過ぎる!
しかし、人形のような少女を見ると、ゾロゲもコルネオの気持ちが分からなくもなかった。
「余は、天使ではない」
「じゃあ、悪魔か!」
「くだらぬ」
少女にはなんの緊張感も感じられなかった。
彼女はルシファーに向き直す。
小声で何かを話している。
賢者ゾロゲは読唇術があった。
ーーールシファー、すまぬ。
少女の口元を読み取るとそんな言葉を発していた。
ルシファーは、少女に目では応えられはしたものの、言葉はない。もう言葉を発する気力もないのだろう。
「おうおう、お嬢ちゃんよ。こちらはそろそろクライマックスなんだよ。邪魔すんなら、お嬢ちゃんもやっちゃうぞ。あ、変な意味に取るんじゃねえぞ!」
「もうよい。武闘家コルネオ」
「な、なんでおいらの名を」
「さらに、汝、賢者ゾロゲ」
少女はすっと立ち上がり、冷たい目でゾロゲとコルネオ見比べる。
「コルネオ、汝はさきほど申したな」
指を刺す。
「なにをだ!」
「最後に味方が来たものが勝つ」
「はあ!?」
少女がゾロゲの方を見る。
「余の力により、汝の言葉を実現しよう」
「なにほざいてやがーーー」
まずい!
少女の体から紫のすさまじい閃光が放たれる。
賢者ゾロゲは即座に自分の周囲に結界を張ったが、間に合わず、左肩から先、腕が吹き飛び、脇腹がえぐれた。
ぐぅぅうう!!!
ビーンという超高音が、あたり一面に響く。
まさか、体なここまで損壊するとは……。
賢者ゾロゲは、あとで自身に回復の呪文をかけねばならないと思った。いや、これだけの損壊だと、僧侶
アシュリルにたのんだほうだいいかもしれない……。
「ゾロゲよ、汝は賢者か。よくぞしのいだ。褒めてつかわす」
少女の声ーーー。
いつのまに超高音が止み、紫の閃光も消えていた。
コルネオ!
ゾロゲはあたりを見渡す。いない!
コルネオがさきほどまで立っていた木々の周りは、きれいに削り取られていた。
今むき出しになっている地面のでこぼこなどもまったくない、鏡面のようなつるつるの地面が、はるか彼方まで続いていた。
「コルネオは滅した。余が滅した」
「……」
「ゾロガ、汝に回復呪文があろうと、世界に肉体のかけらひとつ残さねば、それは意味をなさぬ」
ゾロゲが目を閉じようとすると……。
「無駄だ」
少女の声。
目を開く。
「余はコルネオの肉体も魂も完全に滅した。ゆえに、汝が、コルネオの魂の聲を探しても見えぬ」
「お主が……やったのか。こんな一瞬で……」
「最後に味方が来たものが勝つ、設定。くだらぬ戯言よ」
少女が賢者ゾロゲをにらむ。
少しずつ、少女から紫のオーラが大きくなっていくのがわかった。
足元が揺れる。
私がーーー震える、だと!?
ゾロゲデが目を閉じようとすると、
「待て」
またも少女の声。
「汝、これより加速転移により、ここを離れんとしておろう。よかろう。逃げるがよい。ただし、勇者サファに伝えよ。じきに、汝らすべてを滅する」
「お、お前は何者だ? 10年以上前に魔王は死んだはずだ……」
「……」
少女ははじめて、少し首を傾げたような顔をした。
「お主ほどの強力なパワーを持つ者を、私は見たことがない。主は……いったい何者のなんだ!?」
「汝が自身でわからぬならば、余が汝に伝えることはもうない」
「なっ……」
「話は終わる。ここで滅するか、逃亡か。余は待たぬ。選べ」
ゾロゲは、目を閉じて、人差し指をこめかみにあてる。
最後の気力を振り絞るーーー高速ジャンプ。
目を開ける。
ゾロゲは草原にいた。少女といたアルテアの森からは、遠く離れたことに安心した。
とにかく離れることだけに焦り、到達地点も考えず、とにかく逃げることだけをしたため、いまここがどこかわからなかった。
サファ様に早く知らせねば……。
賢者ゾロゲは、意識を集中させ、勇者サファたちの気配を探り、ふたたび、そこへ向けて高速ジャンプした。