チート発動
「くっそ! てめえら、次から次へと、今度は誰だよ!」
武闘家コルネオが叫ぶ。
魔獣タイタンのそばに立つ男は、明らかに人の姿見をしていた。
タイタンがやたら大きかったため、一見、小柄に見えるが、人間のなかでは長身の部類に入る。
細身で長身の男は長髪で、後ろ髪を結んでいた。
切長の目で鼻筋の通った顔立ち。あまりにもバランスが良すぎて、まるで王宮彫刻のような、ともすると人工的ですらある美形だった。
服装は黒い燕尾服のような装いで、王室にいる執事のようないでたち。
「あんた、人間か。その大男のそばにいると危険だぜ。悪いが、おいら、いまそいつと戦ってるとこなんだ。危ねえから離れてな」
男は無表情なまま、武闘家コルネオの方を見ている。
「ん? いや待て。ならいま俺を突き飛ばした奴はどいつだ? タイタンがまだ何かできたのか。やい、おっさん、こたえろ!」
武闘家コルネオは仰向けの魔獣タイタンに呼びかけた。しかし、反応はなかった。
コルネオが削り取られたいまの平地から、木々の残る森の方に目をやる。木々までには、かなりの距離があった。
「やっぱおっさんじゃ、無理だよな……。じゃあ、さっきのなんなんだよ! おい、そこの兄ちゃん、どこから出てきたのか知らねえが、とにかくあっちに行ってな。危ねえからよ」
武闘家コルネオは立ち上がり、魔獣タイタンとそのそばに立つ男に近づく。
「君は、勇者サファかね」
「お? あんたサファのこと知ってるのか」
コルネオは立ち止まる。男との距離はまだある。
「名前だけはね」
男は冷静に応えた。
男のそばに倒れる、腕のちぎれた魔獣タイタンに動きはない。
「あんた、どこかの国の兵士か」
「なぜそう思うんだね」
男が言う。
「いや、そのバカでかいモンスター見ても、ずいぶん冷静だからさ」
「冷静ではないよ」
「だろ? だからーーー」
「仲間がこんな目にあって、冷静でいられるはずがないだろう」
「なんだと!」
武闘家コルネオは、後退りした。
「やっぱりお前もモンスターか。普通なら、冷静でいられるわけがねえもんな。なら、お前がさっき、おいらを突き飛ばしたんだな!」
「そうだ」
「そうかわかった。お前も死にたいようだな」
「死ぬ? 君が私を殺すのか」
「ご名答!」
ざんっ!
と、武闘家コルネオが男のところに飛びかかる。
コルネオは男の立つ位置で、全力で拳を振った。
「なっ!?」
パンチは空振り。
足下には、仰向けになる魔獣タイタンだけが残されていた。
「こちらだ」
男の声。
コルネオは振り返る。
いつのまに、男はコルネオの後ろ、さきほどコルネオが飛ばされ切った地点に立っていた。
「お前、やるな。あのな、これは言っとく。おいらはサファじゃねえよ!」
「君が勇者サファでないなら、何者だ?」
男は淡々と訊く。
「おいらは、サファの勇者パーティーのエース、武闘家のコルネオ様だ!」
「知らんね」
「むっかー! お前、ぜってー殺す」
「その程度の力で、私を殺す?」
男は微笑む。
「君が勇者サファの仲間であることはわかった。それがわかれば充分だ。では、私がここで君を処分する」
「へっ! おいらを処分? 寝言は寝て言えや!」
武闘家コルネオの全身に光がばっと湧く。
瞬間的に、コルネオは男の目の前に飛ぶ。
それと同時に右ストレートを、男の顔面にむかってぶちこんだ。
どんっ!
こんどは命中した!
「!?」
武闘家コルネオの拳が命中したのは、男の頬ではなかった。
コルネオの拳は、男が頬の前にかざす手のひらの上だった。
男は左頬の前に、自身の右手をかざしていた。
そこにコルネオの右の拳がすっぽりと埋まっていた。
男は微動だせず、コルネオのパンチに眉一つ動かしていない。
男は、その右手でコルネオの右の拳を握っていた。
「ぐわぁ!」
コルネオの右の拳からメキメキと骨の砕ける音が鳴る。
「痛いかね」
コルネオの右の拳を握りつぶすように、男は自身の右手でさらにコルネオの拳を握る。
武闘家コルネオの全身からは、近接の敵の動きを封じる、白光の闘気がで続けていた。
であるにもかかわらず、男ではなく、コルネオが動くことができなかった。
「君の名は……コルネオと言ったか。さっき、彼にやったことと同じことをしてやろう」
男の目が、ぼっ、と赤く光る。
キーン、という高音とともに、突然、上空に光の輪が浮かんだ。
その輪が垂直に武闘家コルネオの右腕の付け根に急下降した。
さくっ!
「ぎゃあああ!!」
武闘家コルネオの右腕が肩口からスパッと切れ、コルネオは男の足元に崩れ落ちる。
残されたコルネオの右腕は、男の右手が握ったままだった。
男の顔の横、水平に残された、コルネオのL字型に曲げられた右腕を、男は握ったまま、微動だにしていない。
男はちらりと、握りつづけるコルネオの腕を見て、それをぽい、と後ろへ投げ捨てた。
コルネオの右腕が、どすっ、と地面に転がる。
武闘家コルネオは男の足元から後ろに大ジャンプし、男との間合いをかなりの距離に取り直す。
「お、お前、ただものじゃねえな……」
左手で失った右腕の付け根、右肩を押さえながら、ぜえぜえ息を吐した。
コルネオの肩口からは緑の血が流れていた。
「なるほど。君は人なのに、緑の血を流すのかね?」
「う、うるせえっ!」
男は気だるそうに、垂れた前髪を後ろにぬぐって、
「私が強いのではない。君が弱すぎるのだよ。君らが狙う、赤竜ウェルゼンに比べれば、私など取るに足らない存在だ。君は、まだまだ練度が足りない。だからといって、君をこのまま生かしておくわけにはいかない」
ふたたび男の瞳が赤く光る。
男の背後から、ぼうっ、と閃光がたなびき、それが男の上空にゆらゆらと一点に集中するように集まる。
男の頭上に集まったその光は、小さな玉となり、それがいきなり光線となって、コルネオの心臓めがけて突き進んできた。
コルネオがすばやく身体を逸らせる。
光線はコルネオの心臓を逸れたが、逃げ切れず、コルネオの頬を削った。
頬の皮が捲れ、下から青黒い肌がむき出しになった。
「痛っつ……」
「コルネオ、もう私は君が何者かわかっている」
「な、なんだと!」
男はコルネオの頬を指さし、その指をゆっくり自身の頬に移動し、そこをぽんぽん叩く。
「君の頬、めくれている。本当の地肌が見えているよ」
「なっ!」
コルネオは自分の頬を左手でさすった。
「出会った時から感じてはいたが、やはりそうだったか」
「な、な、何言ってやがる!」
「はははは、もう何を言っても無駄だ。私にはわかる。もともと匂いが、同じだったからね」
男の瞳が、また赤く光り、次に体全体から真紅のオーラが出る。
そのオーラが次第に大きくなり、ぱっと閃光に変わった。
真っ赤な閃光があたり一面を覆う。
コルネオは眩しさを避けるように目を細める。
徐々に光が収まってくると、コルネオの目の前には、さきほどの男が数倍の大きさになっていた。
大きいだけだはない。姿そのものが激変していた。
赤い瞳、頭には闘牛のような獰猛な2つの角、青黒い全身は筋骨隆々で、その背には、身体すべてを覆うような2つの大きな羽根が生えていた。
「お、お前は……まさか、ルシファー!」
「私がわかるとは、さすが同種族だ」
ルシファーは、悪魔界の頂点に君臨する悪魔王サタンーーー大悪魔だった。
「悪魔は、天界を追われた堕天使だ。光から闇に堕ちた存在であることを、悪魔は承知だ。しかし、貴様は堕天使たる悪魔から、さらに堕ちた。もはや悪魔ですらない。悪魔は闇の中の闇、真の闇の中にいる。そもそも、真の闇の彼方には、もう闇などないのだ」
「あ、あ……」
武闘家コルネオはガタガタと震えていた。
「コルネオなるものよ、最後に問う。貴様は私と同じ悪魔、おそらくデビルであろう。なにゆえ、貴様は悪魔界を離れ、非情な殺戮を繰り返す」
「お、お前に話すことなど、何もねえ!」
コルネオは叫んだ。
「よかろう。貴様がなにゆえに悪魔からさらに堕ち、獣の道を進むことになったのかなど、いまの私にはどうでもいいことだ。貴様はこの世界にいる価値はない。ここで滅してしまうがいい」
大悪魔ルシファーの背後からまたも閃光。
この閃光は、さきほどより激しく、さらに網目のようにいくつも交差し、ルシファーの上空で、無数の光の玉を作る。
それらが、一斉に光線を発する起点となり、光線が、武闘家コルネオに向かっていった。
「ぐわっ! ぐわっ! ぐわっ!」
光線の1つがコルネオの心臓を貫く。今度は逃がれられなかった。
心臓のみではない、光線は脊髄を貫き、脳をも貫く。無数の光線が、次々にコルネオの全身を貫いた。
あらゆる部位を光線に貫かれた武闘家コルネオは、力なく地面に崩れ落ちた。
大悪魔ルシファーは目を閉じる。
光がすっとやみ、その姿は、もとの人型に戻っていた。
目を開く。
ルシファーは武闘家コルネオのそばに歩み、かがみこんで、手をかざす。
コルネオの命の気配は消えていた。
「逝ったか」
ルシファーはコルネオに背を向け、魔獣タイタンのそばに歩み寄り、目を閉じて両手をかざす。
光のヴェールがタイタンを包む。
ルシファーが呪文を唱え続ける。
しばらくすると、タイタンが目を開き、自力で身体を上げる。
しかし、まだふらふらとしていた。
「大丈夫か」
「ああ……おかげさまで、なんとか。しかし、無様な姿を見せちまったなぁ。あなた様が、まさかルシファー様だったとは。わしも、ルシファー様に会うの、はじめてで、失礼しました」
「私とあなたでは、存生領域が違うからね」
「ちげえねえです。悪魔の連中は、普通は森なんか来たことねえし。しかもルシファー様、いまのお姿は、人にしか見えませんぜ」
「ここは冥界じゃない。地上では、本来の姿でいるのにも限界がある。むしろ、この姿の方が、地上では都合もいいのだよ」
「そんなもんですか。では、ルシファー様、そんなあなた様が、どうしてこの森に来たんです?」
「いろいろあってね」
ルシファーはただ微笑む。
「いてて……」
魔獣タイタンが、痛そうに肩口をさする。
「肩の傷口もまだ痛むだろう。私の力では、あなたを治癒できるのはここまでだ。離れてしまった腕までは治すことはできない。すまない」
「いやあ、ここまで治してもらえれば、充分です。わしの種族はじょうぶなのが取り柄でね。仲間には片目ないやつとか、いろいろいるんで、腕ひとつくらいなくてもなんとかしますわ」
「たくましいね」
大悪魔ルシファーは、立ち上がる魔獣タイタンを支えてやった。
「まずはここから離れるのが賢明だ。森の棲家に帰るのもいいが、できるだけ森の奥まで進むのだ。さっきのような連中がしばらくしたら、またやってくる。残念ながら、君が勝つのは難しい」
「あんな連中がまた来るですって?」
「そうだ。おそらくもっと強い」
「そりゃ大変だ。あそこのキメラ親子も、安全なところまで連れて行きます」
「そうするといい。森の皆にも、現在の危機を知らせてやってくれないか」
「もちろんです。森中に伝えます!」
魔獣タイタンは森の奥へ急ぎ足で駆けて行った。
巨大がゆえに、どすどすと地響きが鳴る。歩幅も大きいため、小走りするタイタンは、あっというまに森の奥へ消えていった。
タイタンが去った後、タイタンによって更地とされた土塊に残された大悪魔ルシファーは、武闘家コルネオの死骸の方をあらためて見た。
「コルネオ?……」
屍と化していたはずのコルネオの姿は消えていた。
ルシファーは、黙ってあごをさする。
いつのまにか、転がっていたはずのコルネオの右腕もなくなっていた。
ーーーやい、ルシファー!
背後の森の奥から、コルネオの声。
ルシファーはそちらを振り向く。
森の奥から武闘家コルネオが出てきた。
全身に浴びていた、大量の緑の返り血は残ってはいたが、頬の傷は消え去り、千切れた腕ももとに戻っている。
その後ろに、初老の白装束の男がいた。
「いつのまに移動したとは。回復呪文か……。そこの老人よ、あなたは僧侶か、それとも賢者か」
「おっとゾロゲ、何も応える必要はないぜ。いいか、ルシファー。正義の味方はこういうもんなんだ」
「君が正義? 笑わせるね」
ルシファーの言葉に、武闘家コルネオはきまずそうな表情で、
「うるせえっ! とにかく、死なねーってこと。チートよチート。これ、いいもん側だけの特権なんだ。覚えとくといいぜ」
コルネオはルシファーに指をさす。
「たしかに、私たち魔族は、切断された身体まで復活させることはできない」
「そういうこと。これは人だけの特権だ」
「なるほど。となると、そこの老人、ゾロゲとか聞いたが、あなたは、人ということか。ゾロゲよ、なぜ人でありながら、人の道に背くのだね?」
ルシファーの問いに、ゾロゲは、
「サタンに人の道を説かれるいわれはない」
と応えた。
「なるほど、明察だ」
「そのとおりだぜ! さすがゾロゲだ。ルシファーよ、能書きは終わりか。今度はこっちのターンだぜ」
武闘家コルネオはクキクキと首を回す。
「俺は武闘家なんで、呪文は使えねえが、こっちのツレは使えるぜえ。かなりの使い手だ。2人がかりになるのはしゃくだが、ルシファーの強さはおいらも知ってる。悔しいが、いまの俺1人じゃかないっこない。ここからは、さっきまで、お前らが散々やってきたことのお返しだぜ」
「お返しだと?」
「キメラ殺すのタイタンに邪魔され、タイタン殺すのは、お前に邪魔された。今度はこっちの味方が来るってターンってわけだ。最後に味方が来た方が勝つ。これもいいもん側の特権だ。設定ってそういうもんなのよ。で、最後は、こちらが勝つ」
「ま、状況が状況だ。仕方あるまい。ルシファー、お主を殲滅する」
ゾロゲが言う。
「ははははは!」
ルシファーは大声で笑い、
「面白い。では、君らを処分するとしよう。2人まとめて処分すれば、もう君らに復活する術はない」
人型に戻っていたルシファーの両眼が紅く光る。
そして全身から、ふたたび真紅の閃光が発せられた。