守るべきもの
アルテアの森に入ってすぐの獣道の側道、キメラの群れが、藪の手前で体を寄せ合っていた。
彼らの頭はライオンの顔つき、胴は山羊のようで、背中からはコウモリの羽根が生える。そして尻尾は毒蛇になっていた。
その群れの数は6頭。眠るようにまどろんでいたうちの1頭が、すばやく頭を上げる。遠くから近づいてくる音の気配に気づいたのだ。
残りのキメラも頭を上げる。
やがて、キメラの尻尾のすべての毒蛇も、音の方向に反応する。
キメラの立髪は数倍に膨れ上がる。蛇も一斉に、警戒するように、音の方角に口角を大きく広げる。
6つのライオンの頭と、6つの蛇の頭、合わせて12体の頭が、一斉にこちらに向かってくる何者かの気配に、全力警戒の威嚇をする。
こちらに向かってくる音は次第に大きくなってくる。
ばばば、ばばばばっ、と途中の木々をなぎ倒しながら、一直線に向かってくる光を帯びた塊。
キメラの前に、全速力で駆けて現れたのは、武闘家コルネオだった。
「よっと!」
コルネオは急停止する。
ざざざざー、とい土を蹴る音とともに、土煙が立ちのぼる。
コルネオの全身を覆っていた光が止む。
森の陰は戻り、あたりは一瞬、静寂に包まれる。
「キメラか……」
コルネオは落胆のため息をつく。
キメラたちの威嚇が再開する。
森の中は、物々しい雰囲気が高まっていく。
「マジへこむ……」
コルネオは、キメラとの温度差全開で、退屈そうに、あくびしながら頭をぼりぼりとかいた。
「キメラなんて、超ザコじゃねえか。張り合いなさすぎだぜ。お前ら殺っても、玉響はしれてるっつうの」
モンスターを殺すと、モンスターからは独特の玉響が吐き出される。
それを吸収することで、勇者パーティーの技能はアップするのだった。
勢いに任せ、 1頭のキメラが吠えながら、武闘家コルネオに襲いかかってきた。
「よいしょっと」
コルネオが肩をひねり、右の拳をキメラの顔面に打ち込む。
ぴぃぃぃ!
雄叫びを上げ、キメラの顔面が砕け、全身が裂けた。
緑色の血液が弾け飛ぶ。
「きったねえ!」
コルネオは緑の返り血のシャワーを、真正面から浴びた。
顔や髪の毛はベタベタになり、武道着にもかなりの量の緑の血が染みついた。
どさっと、地面に崩れ落ちたキメラの死体から、ふわりと玉響が吐き出される。
コルタナは舌打ちしながら、それを吸い込む。
「たく、腹の足しにもなりゃしねえ。おいおい、こんな汚してくれて、お前らどうしてくれんだよ!」
死んだキメラはやがて、蒸発するように全身が揮発していく。
亡骸の跡には、キラキラとしたビーズのような結晶が現れた。モンスターの残石だった。
残石は宝石としての価値があった。これを売って換金すれば、村や町で食事をしたり、道具や武具を買ったり、宿泊したりできる。
モンスターのレベルによって、残石の大きさや価値は異なる。
コルネオは残石をちらっと目にしてから、すぐに残ったキメラに目をやる。
一撃で仲間が殺されたことで、キメラの群れはひるんでいるようだった。
毛を逆立て威嚇する唸り声は上げ続けてはいるものの、もうコルネオに襲いかかろうとするものはいない。
「まあいっか。とりあえずこれからここで、お前らまとめて、おいらが殺すぞ」
ざん! と、右足で地面を蹴り上げる。
コルネオは、瞬時にキメラの群れの直中に駆け寄った。
キメラがそれに気づく間も無く、続けて、残像が見えるほどの速度で、パンチやキックを繰り出す。
それらが、すべてのキメラの急所に命中した。
ぎゃー! ぎゃー! と断末魔の叫び声を上げながら、残ったキメラすべてが、粉砕され、死んでいった。
大量の緑の鮮血が、霧のように森のなかを舞う。
コルネオも、今度はそれを避けるようにしたが、やはりいくらかは、緑の血の飛沫を浴びた。
キメラ、全滅。
5つの玉響が舞う。それらをすべて吸い込む。
ぱぱぱぱぱ、と、地面のあちこちから、残石が浮かび出す。
「しょっぼ。お前ら弱すぎでしょ」
キメラの残骸を見下しながら、両の拳を振る。
拳に付着した緑の返り血が、地面に散った。
「? まだいる……」
近くにキーキーという、か弱い鳴き声。
その声は藪の中から聞こえていた。
武闘家コルネオは、キメラの死骸を踏み潰しながら藪を分け入る。
藪の奥には、隠れるようにして、1頭のキメラがうずくまっていた。
いや、1頭ではない。小さなキメラを3頭抱えてる。
「うっぜ……」
コルネオが呟いた。
「はいはい、了解。あいつら、この親子を守りたかったわけね」
さっき踏み潰しながら通り過ぎた、キメラの死骸の方へ、ちらっと見て、
「泣けるねえ」
キメラ母子に向けて、コルネオはゆっくりと白けきった拍手をする。
「なーんて、うっそー」
コルネオは中指を立てた。
「誰かを守りたいなら、そんなポンコツじゃだめだなんだよなあ。ザコ乙」
キメラ母子に視線を戻し、べたついた武道着をつまむ。
「もうベトベト。しかもよ、こいつらの玉響では、俺の戦闘能力はチリほども上がらねえときたもんだ。こんだけ汚えクソみたいな血を浴びて、得られるのが、しょっぼい玉響とちんけな残石。マジでコスパ悪すぎるぜ」
ざくざくと藪を踏みつけながら、キメラ母子の方へさらに近づく。母キメラは、子キメラをぎゅと抱きしめながらも、コルネオに威嚇の唸り声を上げる。
それを見て、
「はあぁぁ、くだらねえ。そういう親子愛とか、おいら、虫唾が走るんだ」
コルネオは母キメラの目を、じっとにらむ。
「人だけじゃねえな。生きものはみんな、大事な命を守るために大事な命を簡単に捨てる。モンスターすら同じだな。命あるもの共通の憐れな習性だ」
武闘家コルネオの全身からふたたび光が灯る。
「とりあえず、お前たちには、一撃必殺のパンチもキックもやんねえ。ただただ踏み潰す。急所ははずす。簡単には死なせねえよ。いまから上に飛んで、そこから下降する。そうして何度も何度もお前らを踏み潰してやる」
コルネオは子キメラを冷たい目で見る。
「まずはお前ら踏み潰して、ママを発狂させっから、覚悟しな。……って、お前ら畜生においらの言葉の意味なんて、わかんねえか」
武闘家コルネオが屈伸をはじめる。
「まあいいさ。お前らみたいな低脳でもわかるよう、これから体で教えてやるよ。いいかお前ら。この世界で最も重要なのは、力なんだよ。愛とか命とか、そんなくだらないものは、力の前ではすべて無力だってことだ」
コルネオが宙を見上げ腰をかがめ、
「おいらがこれから、お前らに教えてやる。絶望ってやつをな!」
両足で、地面を蹴ろうとしたーーーそのとき。
どんっ!!
コルネオの身体は、上空ではなく、ま横に弾き飛ばされた。
いきなり何者かにタックルされたのか、そのまま右奥にある木の幹に叩きつけられた。
「痛ってぇぇ!」
コルネオが体を押さえながら、弾き飛ばされた方向を見る。
視線の先には、キメラを守るよう、立ちふさがる巨人。
森の魔獣タイタンだった。