そこは異世界だった
4月26日日曜日、夕方。
姉の家の探索を終えた俺は、リビングにある大きなソファにぐったりと座っていた。
姉が、オーガニックに拘っているのは知っていた。
しかし、所詮は、同じ日本に住んでいる同じ日本人。
住んでいる家や生活に大差はないだろう、と、思っていた。
しかし、現実は違った。
まず、一般的な市販品が一切ない。
友達の家に遊びに行くと、どんな家でも必ず、洗剤や、ハンドソープ、台所洗剤などの見慣れた市販品がある。
うちだったら、洗剤はアタックだし、ハンドソープはキレイキレイ泡、台所にはJOYがある。
しかし、姉の家にはそういったものが一切ない。
多分これだろうと思われる物は、全て見たこともないような外国産で、説明は全て外国語。
つまり、洗剤などを使う場合は、この後ろに書いてある外国語を読み解いて使う必要がある。
これは調味料も同じで、見知ったブランドが一切ない。
しかも、顆粒ダシの替わりにあるのは、かつお節の塊とかつお節削り器、利尻昆布だ。
味噌汁を作る度に、かつお節を削るとか、サザエさん家かよ。
そして極めつけは、白い米がない。
全部、茶色い玄米だ。
ネットで調べたところ、玄米は白米に比べて栄養価は高いが、上手く炊かないとマズイらしい。
米の存在意義は ” 手軽に炊ける、美味い、腹が膨れる “ だと思っている俺には、何で手間をかけてマズイ米を食うのか理解できない。
そもそも、玄米を上手く炊く自信なんて全くない。
はあ……。
こりゃ、米は買ってこないと駄目だな。
思わず遠い目をしていると、母さんから電話がかかってきた。
「優真、お母さんだけど、大丈夫?」
どうやら、姉の家が普通の家じゃない、と、いうことを思い出して、心配になったらしい。
俺はため息まじりに言った。
「あんまり大丈夫じゃないな。家にあるものが意味不明だよ」
「柚香、色々拘ってたものね……。あんた、味噌見つけた?」
「味噌?」
「あの子、味噌は手作りしてたから、多分、押し入れの中にあると思うわよ」
味噌を手作り……。
会社の女の子に手作り味噌の話は聞いたことはあったが、まさか自分の身内が作っていたとは。
もしかして、調味料が少ないのって、手作りしてるからか?
不安になって、他に何か変わったことはないか尋ねると、母が考えながら言った。
「そうねえ。使うかどうか分からないけど、多分小麦粉もないわよ。グルテンフリー(*1)もやってたから。あと、ギーを使っていたと思うわ」
「……なに、そのギーって」
「体に良い、バターの上澄みね。ガゼインフリー(*2)らしいわよ。あと、ココナツオイルなんかも使ってたと思うわ」
「……」
俺は、黙り込んだ。
そもそも単語の意味が分からん。
しかも、何で全部横文字なんだ?
コロナの「ロックダウン」とか「クラスター」もそうだけど、どうして日本人は横文字が好きなんだ?
聞いていると頭が痛くなってくる気がして、俺はしゃべり続ける母さんに言った。
「ありがとう。母さん。また分からないことがあったら電話するから、こっちのことは気にしないで体休めて」
***********
電話を切った後、俺は脱力してソファに寄り掛かった。
姉が、オーガニックだの、無添加だのに拘っているのは知っていた。
しかし、ここまで徹底しているとは知らなかった。
鍋やフライパンも変な形だから料理しにくそうだし、冷凍庫も ” Organic “ と書かれた謎肉でパンパンだ。
こりゃ苦労しそうだ、と、溜息をついていると、後ろからパタパタと足音がした。
「ゆうまくん! あそぼ!」
亜里沙が、嬉しそうに俺の膝に飛び乗ると、くっついてきた。
はあ。可愛いなあ。
姉はあんなに憎たらしいのに、なんで姪はこんなに可愛いんだろう。
俺は、亜里沙を頭を撫でながら尋ねた。
「亜里沙は、オーガニック好きか?」
特に考えてした質問というより、自然と出た質問だ。
亜里沙は、うーん、と、首を傾げた。
そして、俺の膝から降りてソファに座ると、耳元にひそひそ声で言った。
「あのね。ないしょにする?」
「え? うん。内緒にする」
「じゃあ、おしえてあげる。ありさ、オーガニックきらい」
まさかの答えに、俺は目を見開いて亜里沙の顔を見た。
「嫌いなのか?」
「うん。きらい。まずいもん」
うえー、と、いう顔をして言う亜里沙。
俺は思わず噴き出した。
「じゃあ、亜里沙は何が好きなの?」
「ありさは、ほいくえんのおやつ好きだよ。うちのとちがって、とってもおいしいよ」
保育園おやつを思い出したのか、にまにまする亜里沙。
そうだよな。
いくら栄養があったって、美味くなけりゃ、楽しくないよな。
俺は、すっきりした気分で立ち上がった。
「姉の拘りには付き合わない」っていう約束だし、ここは開き直って、自由にやるか。
「よーし! 亜里沙。買い物に行こう。今日は、好きなものを食べよう!」
亜里沙が喜んで手を叩いた。
「わあい! じゃあ、ありさ、ほいくえんカレーがいい!」
つまり、オーガニックじゃない、普通のカレールーで作ったカレーってことだな。
お安い御用だ。
「分かった。じゃあ、マスクしておいで」
「はあい!」
その日の夜。
俺と亜里沙は、普通の白米と、普通のカレーを腹いっぱいになるまで堪能した。
*1:グルテンフリーとは、小麦などに含まれるグルテンを摂取しない食事
*2:ガゼインフリーとは、主に乳製品に含まれるガゼインを摂取しない食事
ちなみに、ここでは書いていませんが、ボーンブロスとかいうスープストックやら、マヌカハニーとかいう蜂蜜なんかもあります。